第2話田主丸保育所入園

翌年の1984年7月蝉が鳴きかう真夏の季節に突然不幸が訪れた。光男の母、ミサが肺に癌が見つかり入院していた病院で亡くなったのだ。凛人はまだ9か月で、その別れはあまりに早すぎた。その年の10月、転機が訪れる。突然光男が勤めていた日立家電を辞めたいと奈美子に言い放したのだ。奈美子は子育てのため全農を退職していたので一瞬頭が凍りついた。実は光男、会社の事務は性格柄、割に合わなかったのだ。そしてかねてより夢見ていた電器店の自営業の仕事の話を奈美子に持ちかけた。奈美子はたまりかねて反論した。奈美子「私はあんたがサラリーマンやけえ結婚したつよ。なぜなら収入が安定しとるけんたい。話が違うやないね」光男「お願いたい、奈美ちゃん俺ん夢ば叶えさせてばい」。同じ内容の口論を30分程し、奈美子もとうとう断念した。奈美子「もうあんた好かん、絶対譲らんとやけん」。光男はお人好しな性格だがこうと決めたら我を通す頑固一徹なところがあった。確かに光男の収入は月平均25万前後と安定していた。自営業だと月いくらなどと安定してないし光男も未知の世界なので相当な不安はあった。しかし自営業は自分の好きなように出来る部分もある、光男はそこに魅力を感じていたのだ。光男「俺が責任ば持つけん、あんさんは只々俺についてきてくんさい」奈美子「失敗したら承知せんけんね、もうあんたの好きなごつしいや」。自営業を経営するに当たって光男は店を出す町をどこにするか考えた。色々考え抜き2つに絞られた。1つはその当時、発展傾向のあった福岡県小郡市、もう1つはミサの里でもある福岡県浮羽郡田主丸町。考え抜いた結果、小郡市より田舎ではあるが自然豊かな田主丸で店を開くことにした。凛人は丁度1才を迎える頃で掴まり立ちが出来るまでに成長していた。光男の人柄を買ってかお客様はみるみる増えていき光男も奈美子も半ば信じられない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだった。光男「この調子やったら充分やっていけるかもしれん」奈美子「そいはあんたの人柄のお陰たいな」。その翌年1985年4月凛人1才半で田主丸保育所に入園した。凛人は人見知りで奈美子が預けて帰ろうとするとぎゃんぎゃん泣いた。1才半で歩き始めて間もない凛人だったがすぐに奈美子の所に帰ろうとしてしまう。だが日が経つにつれ徐々に慣れてきたのか、凛人は泣かなくなってきた。保育士さん達もにこやかな凛人の表情に癒された。光男は保育園の様子を当時、出始めたばかりの大きなビデオカメラに収めた。

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