釣れるほどに沈黙せよ

 健はコトシロヌシの前であぐらをかくでもなく正座をすると、居心地悪くうつむいて視線を落としていた。

 熊襲との国交準備とその段取り、手土産として持参した物品の種類と数、訪問する家臣と兵の数、そしてそれらが海の藻屑となった経緯、全てを報告していた。


 コトシロヌシは旅の疲れを癒すように白湯をゆっくりと飲み干した。

 そして椀を置くと改めて健に向き合う。


「それで、熊襲訪問の日程や時刻、方角の吉凶を占ったか?」

「そっ……そんなこと僕に出来る訳ないじゃないですか」

 顔を落としたまま視線だけをコトシロヌシに向けた健はおずおずと弁明する。

「お前が昔から巫術が苦手なのは重々承知している。だがいいか。それは『形式』だけでもいいんだ。神々の託宣とご加護があって物事が成り立つんだ」

「そんなあやふやなこと、家臣のみんなに説明できないです」

「まつりごとというのは、様々な知恵も必要なんだ。今の時期は大風も吹き、海は荒れるだろう。雨が降れば潮の流れも大きく変わる。特に熊襲は雨が多い。そのために何が必要で何を準備するべきか、それらを把握して如何にもな下知をするのも王族の努めだということだ。それをお前は怠り、気分で決断したというだけのことだぞ」


 感情を露わにせず淡々とした言葉ながらも、手厳しい言葉を浴びせる。

 なんか学校の先生みたいだ――健も何の反論もできずに委縮していた。


「よいか、タケミナカタ? 悪事も一言、善事も一言だ。全てが神の託宣として言い放つにしても、その結末には全責任を負う覚悟が無ければならない。それこそが元首たる出雲王族の一言の重みであり、神の代わりに事を為す依代よりしろというものだ。わかるな?」

「……はい。すいませんでした」

 既に充分に凹んでいた両肩と背中を更に折り曲げると、健はぺこりと頭を下げた。

「まぁ、いいさ。次こそしっかりするんだ。さもないとお前についてくる家臣や民が居なくなる。そこも肝に銘じておくんだな」

「あっ、あとそう言えばあのぉ……」

 続く言葉も弱々しく健は健は次の報告を行った。

 それは自分が科野の王サカヒコの跡目として、かのクニを統治することになったという話題であった。


「……お前が科野のクニを治めるだと? どういうことだ?」

「いや! まだ本決まりじゃないかもしれないですけど! そういうことになりそうだって……あっ! まだお触れも国使も来てないからくれぐれも皆に秘密で!」

「それでお前はどうするんだ? 出雲もヤマトとの小競り合いが続いているというのに、まさか科野まで下るとでも言うのか?」

「いちおうヌナカワ姫からの『頼まれ事』もあるから、そこは平等に……」

「出雲と科野を往復するとでも言うのか? まぁお前は確かに瞬間移動の巫術は使えるようだが……」


 コトシロヌシは素焼きの椀に手ずから、おかわりの白湯を注いだ。

 今は兄弟だけの密談の場。

 家臣や女中の人払いをしたので、至れり尽くせりの王族と言えどそれくらいの作業は自分で行う。その分別は彼にもあった。それは趣味が釣りだというのにも関係しているかもしれない。餌をつけて竿を投げたらじっと待ち、アタリがくれば一気に釣り上げる。

 この醍醐味を家臣にやらせて自分は見ているだけならば楽しくないのは明白だし、物思いにふける内省的な時間を与えてくれるのが釣りだと承知しているから。

 口数は少なく何を考えているのかわからないが、感情の起伏無く世話に『手間』のかからない王子――それがコトシロヌシの評判であった。


「お前は出雲と科野、両方でヤマトを叩く算段か?」

 コトシロヌシの問いに健は咄嗟に首を横に振った。

「物理的な距離もあるしそこまでは難しいって思ってるけど、出雲に味方するクニはたくさんあるって宣伝にもなるから抑止力にはなるんじゃないかな?」

「なるほどな。わかった」

「じゃあ、僕が将来的に科野のクニも統治することに反対しないんですか?」

「お前の手柄だろう。俺は構わない」

 なんとなく円満に会話は終わり、ほっと胸を撫で下ろした健だったが一抹の不安もよぎる。それはタケミナカタがヤマトによって科野の州羽の海まで追い詰められるという神話のフラグが立ってしまったことであった。




 異母兄との対話の時は過ぎ、健は自分に当てがわれた屋敷で寝そべると、両手両足を大の字に伸ばしてふっと息を吐いた。

「あぁ、よかった。とりあえずはあのお兄さんを納得させることができて」

 しばらくは天井を眺めながらぼんやりと過ごしてした健だったが、なんとなく心の中に引っかかる物があり、やおら上半身を起こすと独り呟く。

「そういえば、さっきコトシロヌシさんが言ってた言葉ってどっかで聞いたような気がするんだよな。弥栄さんが教えてくれた話の中にあったはずなんだけど……悪事も善事もすべて一言……なんだっけ?」

 とりあえずは乙姫に連絡を取る口実ができたと、健はスマートフォンのメッセージアプリから無料通話ボタンを押した。

 しばらく呼び出したのち、乙姫の声が届いてきた。

『どうしたの? もう帰れそう?』

「いや、なんか科野の国使かお触れの伝令が来るまでは居た方がいいってことになって、まだ出雲に足止めなんだよ」

『なんかすっかりそっちの人になっちゃったね。ヌナカワ姫も心配してるよ?』

「そりゃそうだろうけどさぁ……それで、今言った科野の件なんだけどさ」

『あのお兄さんは何て言ってるの?』

「僕の手柄なんだから、受けろってさ」

『あちゃあ……南方くんは完全に神話ルートに入っちゃったじゃないのよ』

 以前の会話で、乙姫もまた歴史が記紀神話どおりに進んでいくことに危機感を募らせていた。それは健も同様である。もっと突拍子もない行動を取らないとこのままでは出雲とヤマトの小競り合いは止まらないであろうし、戦争は避けられない。

「ただ出雲がどんどん強大になって……っていう宣伝にはなってると思うんだ。ヤマトもうっかり本陣にまで手を出してこないと思いたいけどね」


 健も自分の発言を振り返りながら、このひと月近い出雲での留守番の最中に違和感をおぼえていた。

 長門の湾や阿岐の海岸沿いなどでヤマトと対峙している状況は続くものの、被害状況や追加派兵に関する報告は家臣からは上がってこない。実際に剣を交えた闘争らしきものも聞こえてこない。膠着状態と取れば聞こえは良いが、健にはどこかプロレス的な出来試合にも見えてしまう。


「ただホントに神話の通りにヤマトが襲ってくるとはまるで思えないんだよ。だって相手のスパイが居ればオオナムチさんも不在でコトシロヌシさんも留守で、居たのは僕だけなんだよ? こんなチャンスに戦争を仕掛けてこないなんて違和感しかない。オマケにもし僕の科野統治まで伝わったら、相手は益々チャンスを失いかねないんだ。これが日の巫女の失策だったのか、それとももうすぐそばまで部隊を派遣しているのかも伝わってこないから不気味で仕方ないよ」

『それなら、あのお兄さんを監視した方がいいかもしれないね。外出してた用事のことは教えてくれてないんでしょ?』

「そうだね。なんか掴みどころ無いんだよなぁ、あのお兄さん」


「誰の掴みどころが無いって?」

 突然に後方から声を掛けられた健は驚きから全身を震わせると、慌てて通話を切りスマートフォンを制服の紺ベストの中に隠した。

 聞き慣れた声の主は異母兄であるコトシロヌシ。

 彼はその手に釣り竿を何本か持っていた。新調したのだろうか皮を剥いだ木の幹はまだ瑞々しい。

「なんだ、来てたの?」

「お前、いったい誰と話をしていたんだ? 一人じゃないか」

「あぁ、うん。そのぉ……託宣の練習。神様と交信できるようにって」


 コトシロヌシは訝しげに顎を撫でる。と言っても彼はこの時代の男性では珍しく髭は綺麗に剃り落としている。他の大人のように顎髭をしごくという感じの動作をしないのも健には非常に新鮮でもあった。


「……まぁそれは良い事だ。さて、俺はまた釣りでもするために御大みほの別邸に向かうことにする。科野の国使が到着するであろう頃には戻るから、留守を頼んだぞ?」

「えっ? また外出ですか? 僕も一旦、高志に帰りたいんだけど」

「お前は本当にお母上が好きだな。今回はそんな長居はしないつもりさ」


 そう言うと手を振って屋敷の外へと去っていくコトシロヌシを見送る健。

 どこか楽し気なあの背中の感じは、義兄が釣りに行く前に竿やルアーを磨いている様子にも似ていたから、きっと本当に釣りなのだろうと思えた。

 彼の気配が消えたところで、突然に通話を切った乙姫に対してメッセージを送信していた。そのあたりの勝気な『妻』への気配りも忘れない。



 そんな兄弟での会話から二日後の早朝。

 まだ陽も昇りきらぬたれ時。

 蒼暗い草原。朝靄が立ち込め、大きく迫り出した八雲は海岸線の急峻な山々に纏わりつく。その中をコトシロヌシはゆっくりと歩いていた。

 足を大きく持ち上げるのは、朝露を纏った雑草で足元が濡れるのを嫌うためだ。

 健との対話を終えてから、出雲国内の移動はさほどの時間は掛からない。

 これまでの『外出』とは違い、勝手知ったる自国領土だし大好きな釣り場だ。

 コトシロヌシも意気揚々と釣り竿を海に落とす。


 そのそばで主人に片膝をついて、かしずく側近がいる。

 コトシロヌシは視線を水面に向けながらその忠臣に向かって声を掛けた。

「俺が留守の間にタケミナカタに不審な動きは無かったか?」

「特にはございません。だいぶお迷いになっておられましたが、必死にまつりごとをお勤めになられておりました」

「そうか。高志には帰らなかったのか?」

「いえ。コトシロヌシ殿がお帰りになられるまでタケミナカタ王子はずっと出雲におられました」

「あやつにしては珍しいな。ヌナカワ母殿か気丈な妻がそばに居ないと軟弱な臆病者だと思っていたのだが……」


 一度、竿を立てて針を海面から出すと、再び大きく振った。

 それからはまたじっと糸の動きを見ていた。


「いいか、『例の話』は着々と進めておけよ。スセリ母殿は国父スサノオ王の血統ゆえ無下には扱えなかった。だがヌナカワ母殿は違う。科野は高志と交易関係にある手前、扱いに困っていたがこれで態度が明確になったとも言える」

「熊襲はいかがいたしましょう? タケミナカタ王子の号令で国交を開始したとなれば、いずれは戦に加わるものかと……」

「案ずるな。俺の考えでは、熊襲は動かないであろうと読んでいる。今はタケミナカタの好きにさせておけ」

 一礼して立ち去ろうとした家臣に向けてコトシロヌシは言葉を続けた。

「そうだ、あともうひとつ」

 そこでコトシロヌシは言葉を止めた。

 言葉を溜めて勿体ぶった訳でも、王族らしい威厳を醸したつもりもない。

 指先にかすかなアタリを察知したのですぐに釣り竿を引き上げるが、あいにく得物はバレてしまったらしく、わずかに腐った顔をしてからまた竿を水に浸ける。

「三輪で『大物主』殿にお会いしたが、まだ封鎖を続けている長門の湾を開いた方が良いとおっしゃっていた。その手筈も用意しておくんだ」


 再び一礼した家臣が立ち去ろうとした時であった。

 御大みほの湾に集まる猟師の集落から、鶏の鳴き声がする。

 どこかの家で飼育されているものであろうか。日々決まったように卵を産み落とし時としてその肉を食す。猟師達の貴重な栄養源でもある。

 だが、コトシロヌシは神経質そうに爪を噛んだ。

「チッ、魚が驚くだろう。だから俺は鶏が嫌いなんだ」


 コトシロヌシが小さく手を振ると、家臣は鳴き声のする方向へと歩いていった。

 やがてそれきり鶏の声はしなくなった。

 早朝に鶏が鳴かなくなっただけ。

 ただそれだけの事だ。

 そこの家の者の安否や無事まで語る者は居ない。

 誰もが口に戸を立てる。


 穏やかで物静かであり性格の起伏無い。釣った魚はリリースするか集落の民に配り歩く心優しい王子ではあるが、釣果を求める姿勢は誰よりも厳しい。

 それは単に釣りだけでなくクニ同士のまつりごとであっても、だ。

 オオナムチという偉大な父を持つからこそ、彼は自分の得意とする巫術や託宣を利用して出雲を更に強国へと育てていった。

 だからこそ、ここの民は冷淡で冷酷な彼の一面を知っている。

 だがそれを公言することはない。

 御大みほの岬にあるコトシロヌシの私邸の周囲では、なんびとも決して王子の釣りの邪魔をしてはならないので、鶏はご法度。

 それがここでの常識であった。


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