全ては建御名方殿の責任

 さらに十日ほどを経たある日の早朝。

 出雲から熊襲へ向けて国使団が出発した。


 牛馬には持参する多くの献上品を積み、家臣のひとりを中心に大勢の兵が付き従っている。その様子を健は見守っていた。

 国内の意見調整、そして一団が途中で訪問する阿岐の承諾を得て、さらにそこから内海を移動するための舟、水夫、船頭の確保。

 すっかりとこの一大イベントにかかりきりになっていた健はこれ程に長期で出雲に滞在していたのも、ヌナカワや乙姫と別れていたのも初めて。

 事を成し遂げて少しばかり逞しくなったのか、健はどこか安堵の表情を浮かべつつも、腰に手を当てて毅然と国使の行く先を見ていた。


 頬を撫でる風もすっかりと秋めいてきて、制服の白シャツと紺ベストだけではやや肌寒くも感じる。だが、長く伸びてきた髪は耳や襟元に被るぐらいになり、こんなに校則違反をしたのも初めてだったが、風防代わりとなって暖かくも思える。

 このまま古代に居たらそのうち大人の男性のように角髪みずらを結えてしまうのではないかとも思う。

 以前のヌナカワとの会話で、彼女は万が一の際にすぐに未来に帰してくれるような発言をしていた。でも今はそれに甘えることなく為すべきことを淡々とするだけ――タケミナカタという名前と地位を借りてこの時代にいるうちは彼女の本懐を遂げてあげたい。そう素直に感じるようになっていた。


 しばらくのち、健は両手を叩くと家臣達に向けて語りだした。

 やや強引で露骨なサインではあったが、家臣は彼が掌を打ち付ける音を聞くとすぐにひざまずいて下知を待つ。

「そろそろヌナカワ姫や奥さんのヤサカトメにこのことを報告に行こうかな」

 だが家臣達は皆一様にかぶりを振る。

「タケミナカタ殿。まだコトシロヌシ殿が戻られませぬゆえ、このまま出雲にて指揮を続けて頂かねばなりませぬ」

「え~? いったん動きがあるまではだいじょうぶでしょ? それに何かあったら僕はすぐに戻ってこれるし、ここはしばらく待機ってことで」

「そうは参りませぬ。長門のクニからヤマトに備えた湾の普請のご相談、伯耆からは山中の街道の整備に関するご相談など、多くのまつりごとがございますので」


 それを聞いた健は天を仰ぐ。

 これまでの内政をコトシロヌシに任せきりであったので当然と言えば当然だが、そういった地味で退屈とも思えることを粛々とこなしていたヌナカワの女王業に感心してしまう。

「さて、それでは祭祀の準備を」

「えっ? それも僕がやるんですか? コトシロヌシの兄さんの方が得意でしょ?」

「祭祀国家である出雲王家は代々、巫術を学ばれるのが慣例。それにお母上のヌナカワ殿は高志の優れた巫女王。王子も薫陶をお受けになられたはず。ささ、どうぞ」

 自由きままにコトシロヌシの弟をやらせて貰っていたはずなのに、今度はなにやら突然に国内で足止めを食らってしまい、ポケットの中のスマートフォンを不意に撫でる指先の動きが、ヌナカワ達に相談したいという彼の不安を現していた。むしろ吉凶を占いたいのは我が身の行く末――健は大きな溜息を漏らす。



「あらら……南方くん、まだ出雲から動けないんだ」

 ようやく人目を忍んで送信した彼のメッセージを受け取った乙姫はヌナカワに向けて読み上げていた。

「いくらコトシロヌシが不在とはいえ、急にタケルを頼るとは出雲の者達の考えはよくわからぬ。よもやあやつを本格的に王子として祭り上げる気なのか?」

「神話でのコトシロヌシさんは早々に国譲りをしちゃうって、前に姫にも教えたじゃないですか? 言い換えたら早めに引退とか隠居する下準備なんですかね?」

「ふぅむ……」

 ヌナカワは衣の袖の中で腕を組んだまま思案をする。

 そんな彼女の前には素焼きの土釜のような火鉢が置かれていた。

 出雲や科野に秋の足音が近づいてきたとはいえ、北陸から東北南部に位置する高志の冬の到来は早い。制服姿である乙姫も薄衣の一枚を借りてストールのように肩から掛けていた。

「よもやヤマトとの戦争の責任をタケルに負わせるつもりではないだろうか?」

「えっ? だってまだ負けた訳でも無いのに?」

「トメ殿自身がサカヒコ殿に申したことを思い出されるがよい。タケルとスセリ殿は結託してヤマトの間者を斬り捨て、長門の湾を封鎖して不要な緊張を煽り、熊襲との国交を結んだ。そして今度は科野の王位も継承して統治する。好戦的な家臣は立派な王子だと褒めそやすだろう。ヤマトと対峙するには充分な権力と地位を得つつある。対するコトシロヌシ一派や穏健派の者達は面白くあるまい。あやつがクニを不在にして趣味の釣りでもなくコソコソと動き回っているのが何よりの理由だ」

「でも別に南方くんはコトシロヌシのお兄さんをないがしろにしている訳じゃないでしょう? それとも出雲の中で内紛が起こるって意味ですか?」

「仮にヤマトとの戦へと事が進み、敗北してクニが滅亡しても勝利したが多大な犠牲を強いても、全ては王子タケミナカタの責任になる。その際に穏健派も好戦派も怒りの矛先をどこに向かわせると思う?」


 ヌナカワの話を聞いているうちに乙姫は身体を震わせる。

 クラスメイトであり、この時代の夫役である彼がまさか刃の餌食に――そんな悪い想像を振り払うように乙姫は自身の髪を掻き乱すと、ヌナカワのすぐ真横に座った。

「姫、いったん南方くんを連れ戻しましょうよ? たぶん彼あぶないですよ」

「よほどヤマトの軍が侵攻したと無ければ、あやつは暗殺の心配はあるまい。腐っても出雲の第二王子だ。それはトメ殿も良く知る未来の預言書の通りなのだろう?」

「そうですけど、いずれにせよ戦争の責任を負うって意味ですよね? だったら早々に高志や科野に戻らせて安全な場所に……」

 ヌナカワは乙姫の言葉を遮るように、彼女の両手を優しく包む。

「トメ殿。私は今はタケルを信じてやるべきであると思う。いざとなれば私の石の術であやつを呼び戻すことができるのにそれを要求しないし、王子なのだから下知のひとつでまた外出すれば良いのに決して自らその決断をしない。それはタケル自身が事を為した時に大きく成長し、挫折した時にはそれにくじけぬ強さを得られる好機であると無意識のうちに自覚しているのであろう」

「やっぱり男の子ってそんなもんなんですかね? それにしたって姫やあたしに心配かけさせてばっかりでどう思います?」


 やや取り乱して相談に来たかと思えば今度は不満げに愚痴をこぼす乙姫に、ヌナカワは笑いを堪えきれなかった。

「そなた達の持つ『すまほ』とやらで頻繁に連絡は入るし無事の報告もする。タケルはあやつなりにトメ殿を頼りにしておるし、トメ殿もタケルの身を案じておる。やはり心を通じ合わせた似た者であり、もはや芝居ではなくまことの夫婦のようだな」

 以前もスセリから同様の指摘を受けた時は愛想笑いで流していたのだが、彼がこの時代の『母』と偽るヌナカワの巫女王らしい託宣じみた言葉は妙な説得力もあり、乙姫も謎の緊張を強いられてしまった。

「はあっ? あたしが? 南方くんとですか?」

「他に何の理由があると言う?」

「全然そんな訳ないですよ。姫の勘違いでしょ?」

 顔の火照りを感じてなんとなく居心地悪くなった乙姫は突然に立ちあがると、採光窓から頭を出して外の景色を見る。

 火鉢のすぐ近くで暖をとったから全身が暑い訳では無い。

 いずれにせよ彼女にしてみればどちらもクールダウンのようなものだ。




 それからさらに二週間ほどが過ぎた。

 健は出雲の地で相変わらずコトシロヌシの帰着を待っていたが、一向に戻って来るという知らせは無い。


 朝食の時間。現代と比べて充分に精米されていないコメに汁物、煮た葉物、焼いた魚と、お膳立てされたいつもの見慣れた食事を細々と口に運ぶ。

 夜遅くまでスマートフォンを眺めながら寝不足で登校し、たまには授業中に居眠りをしてしまったりしたが、この時代に来てからすっかりと規則正しい生活に戻った。

 おまけに高志なら女王の息子として多少の寝坊というワガママも許されていたが、今の出雲では義兄に替わって政治を行う立場になっている。

 決まった時間に起こされて冷たい水で顔を洗うとすぐに食事だ。

 まだまだ角髪を結う程の長さではないが、すっかりと伸びた前髪が邪魔なのでゴムバンド代わりに麻の紐で前髪を頭頂部で一本に押さえている。

 そのくせに身体の線も頬の骨格も華奢で、男らしく髭の長さも量も増えない、幼子が背丈だけ大人に伸びたような第二王子の姿は一部の庶民から『ややこ』『かむろ』と揶揄されていた。


 王族が食事を終えるまで家臣や女中がずっと無言のまま、そばで見守っている。

 これまでは視線に居たたまれず食事も早々に食べ終えていたが、出雲に来てひと月近い。この静寂にも人の目にもすっかり慣れた。


「タケミナカタ殿! 朝餉あさげの刻限に申し訳ございませぬ!」

 突然に屋敷にやってきた将兵の一人が大声で報告をする。

 場に相応しくない緊急事態と察した健は一瞬箸を止めた後に露骨に咳込む。

 今は出雲の第二王子。それを露骨に利用して増長することはないが、朝食の時くらい驚かせないでよ、そんな不満から反射的に驚いてみせる咳払いの芝居をした。


「こんな朝早くにいったいどうしたんですか?」

「阿岐の国使から伝令がありました。熊襲に向かった一団の舟が速水門はやすいとを航行のさなかに沈んだらしきものと」

 今度は咳払いの芝居も出来ない程に驚いた健は握っていた箸を膳に落とす。

「ええっ! マジで? それはヤマトが襲ってきたから?」

「それはわかりませぬ。潮に飲まれたか風に流されたか……」

「じゃあ、一緒に乗ってた国使のみんなや寄贈品は?」

「おそらく全て海の藻屑かと……」


 翡翠の石の力で自身がワープできるので、健はすぐにでも阿岐か日向の湾に向かい自分の目や耳で確認したかった。

 もしくは直接、熊襲の王イサオに再度面会することも考えた。


 電車も自動車も無い時代、こうやって陸路や手漕ぎ舟で移動するしかない事がまどろっこしくもあったが、当然ながら旅の安全も自然や天候が担保することだ。まさかの事態に健も困惑していた。

「とにかく長門と阿岐、それと内海の周囲の島を調査しましょう。伊豫に流れ着いているかもしれないし。二度手間だけど早めに熊襲に送る表敬訪問団の準備もしてください。もうじき冬がくる前にヤマトが動く可能性もあるから、大きな戦にも備えないといけない」

 その指示を聞いた将兵は頭を下げると早々に屋敷を出て行った。

 にわかにざわめく家臣や女中を尻目に、健は困惑したまま椀の汁物を飲んだ。

 これも歴史を変えまいと阻止する神々の力じゃないだろうか――。

 早くスマートフォンで調べものをしたいし、ヌナカワや乙姫にも伝えたい。

 慌てて残りの食事を平らげた健は、急いで私邸に戻った。



『それはホントに? 阿岐や日向にヤマトと内通する敵がいるんじゃない?』

『そんなの僕もわかんないよ。今は事故の調査をさせる手はずだけどさ』

 事実を知らせた乙姫からの返信に健もどう答えるか困り、素直な気持ちを送るしかなかった。

『とにかく姫は、熊襲への国交だけは急げって言ってるよ』

『うん、僕もそう思う。でも怖いのはヤマトに手の内がバレてて、何度やっても舟が襲われるんじゃないかって考えちゃうんだよ』

 しばらくはヌナカワと相談していたのか、返信の内容を思案していたのだろうか。ほんの少しの間を置いてまた乙姫から返信があった。

『まだ一回だけだし、偶然かもしれないからそんなに心配しないでいいよ。もう一度でも何度でも、上手くいくまで熊襲に向かせればいいじゃない』


 その返信を見て健もやや安堵するが、それ以上の不安はスマートフォンのバッテリー残量だ。出雲に来てからというものの満足に充電する機会もない。何より自分は手回し式の防災用発電機しか持っていないから、なかなか一人きりになれないというのも問題であった。

「しかしこんなタイミングで舟の事故だなんて、なんだってこう上手くいかないんだろ? ヤマトの高木さんは現に生きてる時代なのに、未来人の僕や弥栄さんが居るせいで神様としての力で歴史を捻じ曲げないように呪いでも掛けてるのかな?」


「恐れ入ります、タケミナカタ殿!」

 またしても家臣の声が響くと、健は慌ててスマートフォンをズボンのポケットの中に仕舞いこんだ。

「なんです? 今度はいったいどうしたんですか?」

「コトシロヌシ殿がお戻りになられました。タケミナカタ殿に不在の際に起きた事実の仔細をお聞きしたいと申しておられます」


 この悪いタイミングで帰ってくるだなんて。

 しかもこれまたタイミング悪く、熊襲表敬の国使や寄贈品を乗せた舟が沈んだという知らせの直後だ。

 この事実を伏せようとしてもいずれあの人の耳に届くに決まってる――。


 健はこれでようやく高志のヌナカワや乙姫のもとに帰れそうだという安堵よりも、自身のせいではない不始末の言い訳をどうすべきか悩み続けていた。

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