出雲の建御名方と熊襲の王

 健と乙姫は、野草が繁茂する丘陵地帯に立っていた。


 周囲を見渡すといくつかの山頂からは煙が立ち上っている。

 活火山が居並び、そこから温泉が沸き出しているようだ。


 ヤマトや出雲と比べても取り立てて文明が発展しているようなものは近くには見えないが、どこか温暖な気候で雄大な自然は地の恵み、海の恵みを大いにもたらす――そんな様子は見て取れた。

「ここが本当に九州の熊襲のクニのあたりなのかな?」

 健の問いに、山肌を滑るように巻き上がる風にスカートを押さえながら、乙姫は首を横に振る。

「どうだろうね。人が住んでるあたりに行ってみないとわかんないよね?」

「日本神話の始まりって調べると鹿児島と宮崎の両方にある『高千穂』のイメージだったから、南九州にヤマトじゃなくて熊襲があるのが意外だったけど、やっぱ熊襲は後の時代にヤマトに平定されるんだよね。それが不思議なんだよなぁ」

「高千穂発祥だったのが、徐々に南北のヤマトと熊襲に分裂したんじゃないの?」


 草を漕ぎながら、健と乙姫は緩やかな稜線を下っていく。

 と言っても、腰の高さまで雑草が生い茂っている。

 ただ歩くにしても難儀する道であった。

 ましてや未来の学生服であるスカート姿の乙姫には、相当な手間である。


「南方くん、あたしが通るところの草をしっかり踏みながら歩いてよ? じゃないと葉っぱで足が切れちゃうかもしれないでしょ?」

「はいはい、わかってますってば」

 勇猛な王族でありながら尻に敷かれる亭主と、その強気な女房――タケミナカタとヤサカトメは太古に噂される夫婦の関係そのままに会話をしていた。



 やがて視界の先に、山間部の中にある平地の中に集落を発見した。

 四方を屹立とした山々に囲まれて、街へと通じる一本道は両側が急峻な谷に挟まれた切通しになっている、まさに自然の要害だ。

「あそこが熊襲の首都じゃないかな?」

 健は眼下に広がる町を指し示す。

「どうやって近寄ろうか。迂闊なことしたら斬られるかもしれないよ?」

 ヤマトと友好関係とは言えないものの、相手は出雲とは国交もないクニだ。

 未だ逡巡する健に対して乙姫は至極平然と答える。

「でもここがまだ熊襲の領地ってだけで確証はないんでしょ? とりあえず見張りの人に聞いてみるしかないんじゃない?」

 そう言うと再び立ち上がって歩き出す乙姫を見て、健も困惑していた。


 無論、熊襲だって話が通じる相手かどうかも知れぬというのに。

 逆にここがヤマトだったらもっとヤバいじゃん――。

 そんな不満を声にも出さず、健も渋々後をついていく。



 急峻な崖にある切通しに丸太を組み合わせて作られた関所と櫓には、武器を手にした兵が立っている。

 しかし交易品を手で運んでいるらしき者や、このクニの住人と思われる親子連れなどは割と平然と通行しているので、一見問題はなさそうであった。


 健も街道を進み、関所の前へとやってくる。

 他の通行人と同様に自分達もさも自然を装って、そこを通り抜けようとした。

 だが、両端に立つ兵が槍を構えると前に進み出てきた。

「お前達はどこのクニの者か?」

 目の前に切先を向けられると、途端に慌てふためく健。

「あの、いや、僕たちは、その……熊襲に」


 言葉を濁す彼の発言を継いだのは乙姫であった。

 彼女も緊張している様子ではあるが、健から見れば充分に勇ましく前に出る。

「王様に会いにきたんですけど。出雲の王子タケミナカタとヤサカトメって言ったらわかりますか?」

「出雲の王子だと?」

 夫婦ともに奇妙な衣服を纏い、手にした大きな荷袋には神の力を与えられた不思議な品々が収納されている、勇猛果敢な王子と勝気な姫――交易の民から伝え聞いていたものが目の前の彼らだとしたら、確かに背丈は男女にしてはとても大きいが、拍子抜けしてしまうくらい頼りない王子と、噂通りな妻。

 訝しそうにしつつも、門番はさらに問い掛ける。

「王に面通しを望むなら、事前にふみや伝令を寄越したり、約束はあるのか?」

「いえ、飛んできました。あたしたち呪術が使えるから」

『ちょ、ちょっと弥栄さん。そんな強気に言って嘘だって斬られたら……』

 小声で諫める健に対し、乙姫は意にも介さない。

『これくらい強気に出ないと、クニ同士の交渉だって上手く行かないでしょ?』

『そりゃそうかもしれないけどさ』


 なにやら目の前で相談を始める出雲の王子たちに、困惑した様子の兵は咳ばらいをひとつする。

「ともかく、ここで待っていろ。お伺いだけは立ててやる」

 すると兵の一人は関所の奥へと向かっていった。

 こんな怪しさ満載の自分達にも対応してくれるなんて、熊襲は割と開かれたクニなのかもしれない――健もそんな淡い期待を寄せた。



 関所で待ちぼうけを食らった間も、民や交易の隊商などはどんどん通過する。


 その間に、乙姫はスマートフォンを人目から隠すように操作しながら地図アプリで現在地を確認していた。

「へぇ、熊襲のクニって割と熊本県の南部なんだ。『熊襲』っていうくらいだから、もっと熊本県の首都とか北の方の阿蘇のあたりだと思ってた」

 乙姫は手首を捻ると、健にも見えるように画面を向ける。

 だが、それを見せられた健は逆に首を捻った。

「だとしたら、なんで高千穂が天孫降臨の地って神話になってるんだろ?」

「最終的に九州を平定した時のヤマトの王様が宮崎出身なんでしょ?」


「あーこれこれ。お前達」

 急に背後から声を掛けられて、乙姫は慌ててスマートフォンを隠す。

 振り返れば、先程確認に向かっていた兵が戻ってきた。

 だがどう見ても見張りの人数以上の兵が集まっている。

 とても歓待されているとは思えない。

「さぁ、来るんだ」

 途端に数人の男が健の両脇を抱えた。

 乙姫も手首を掴まれると、引っ張られるように歩かされる。

「ちょっと、何すんのよ! やめてってば!」

「いや、ホント助けてください! だいじょうぶ、間に合ってますから!」


 やはり着の身着のままで熊襲に交渉に向かうのは無謀であったか――。

 健は引きずられながら、次第に抵抗することもやめて激しく後悔する。



 ほどなくして、大きな屋敷の前に着いた。

 健達は教科書の注釈写真で見慣れた高床式住居で、柱や床、壁は木製。

 屋根は茅葺きになっているものだが、その大きさは相当なものだ。

 周囲を木の幹で造られた壁が多い、敷地の中には同じような建物がいくつもある。

この様は吉野ケ里遺跡や三内丸山遺跡の風景に似ている。ここ全体が王族の居住空間であり、まつりごとの中心なのだろう。


 兵達は一礼して屋敷の中に入る。捕らえられていた健と乙姫は放り出されるように木床に倒れ込んだ。

「うひぃ!」

「きゃっ!」

 恐る恐る顔を上げると、屋内には髭を蓄えた比較的若々しい男性が座っていた。

 その横には小学生くらいの男の子もいる。

「お前達は?」

 低く野性的ではあるが、よく通る美しい声。

 王に相応しい佇まいであった。

 一方の健は相変わらず威厳も風格も感じさせず、物怖じしたままだ。

「あのぅ……出雲のタケミナカタっていうものですけど」

「ほう。噂の出雲の第二王子か。まぁ、そこに座られよ」

 もう座ってる、っていうか倒れてるじゃん――ずいぶんな出迎えではあったが身の危険もあるのでそんな不満を声に出す事はない。



 健と乙姫は、向き合うように用意された毛皮の敷物に座る。

「俺が熊襲の王イサオだ。こちらは俺の息子のオグマ。出雲から遠路よく参られた」

「すいません。事前の約束も無く急に来ちゃって」

 威風堂々とするイサオに対し、健はか弱い声で返す。

 そんな彼に発破をかけるように乙姫は背中を小突く。


「率直に聞こう。そなたが来たのは、くだんのヤマトとの戦の事か?」

「あ、えーと、なんというか、やっぱりお察しいただけましたよね……最近の出雲はヤマトとこれまでに無いくらいの緊張が続いて、いつ戦になってもおかしくないんです」

「長門の湾を封鎖し、ヤマトの間者をほふる。科野を平定し姫君を貰い受け、墨江の湾の工事を進言したそうではないか。そなたの話はここ熊襲にも轟いている」

 健はイサオの言葉に恐縮しながら小さく頭を下げた。

「ならば、そなたの知恵と武勲でヤマトと対峙すればよかろう。よってここに用はあるまい。俺たちはどこにも属さぬ。どこにも恭順せぬ。どのクニとも合議を結ぶつもりはないからな」


 いきなり袖にされてしまい、健は口を開閉して次の言葉を必死に探す。


「あー、そのぉ……そうは言っても、熊襲だってヤマトと隣接している訳ですよね? 大陸と交易してどんどん力を付けているヤマトを脅威には感じませんか?」

「歴史を紐解けば、ここ筑紫の島は小国が乱立する状態であった。その中で勝ち残ったヤマトと熊襲はいわば兄弟の関係でもある。いずれかが刃を向けるまで互いに干渉せぬ。しかし民草の交流や物品の交易は止めぬ。これが掟でもある」

「いや、そういう簡単な話じゃなくなるんですよ……ヤマトは豊秋津島だけじゃなくて、日本全土を統治しようって考えてますから」

「ほう、まるで聞いてきたような口ぶりだな」


 当然ながら、これから熊襲や出雲に迫る未来だなんて言えない。

 思わず口をつぐむ健に代わって乙姫が続けた。

「巫術です」

 乙姫は正座のために折り畳んだ膝を浮かせて少しだけ前に出ると、健と同じ位置に並んだ。

「出雲の第一王子コトシロヌシや高志の女王ヌナカワ姫の巫術の話は聞いたことありますよね? ヤマトの日の巫女じゃ比べものにならないくらいの技がありますから。ヤマトが日本中に戦争を仕掛けるつもりだっていうのは未来予知できてます」


 イサオは出雲の王子の隣に座る勝気な姫君に視線を移した。

 だが、乙姫は妙なうすら寒さや不快感もおぼえる。

 それはどこか女性である自分をモノみたいに品定めをしているようであった。

 頭のてっぺんから髪、首、胸元を見たあとは学校の制服であるスカートから出た脚を見てくる。

 すると乙姫は不愉快さを隠そうともせずに、自分の通学カバンを膝の上に置いた。

 それからまた健の肩を叩いて、彼に会話の続きを促す。

 

「出雲もまさかヤマトに負けるとは考えたくもありません。熊襲も強大なクニであることは承知していますが、ヤマトの国力は日に日に増しています。だからもしヤマトが動いたらその時には熊襲の力を借りたいんです」

 今度はイサオの視線は健に向けられる。乙姫の時とは異なり、タケミナカタという人物の価値や発言の真偽を見定め、値踏みする目利きのようでもある。

 まるで獣に睨まれた小動物のごとく、健は緊張から肩をすぼめた。

「そなたは何を望む?」

「僕が望むのは和議であり協定です。ヤマトが出雲に向けて兵を挙げたら、後ろから加勢していただいて挟み撃ちをしたいんです。もちろんヤマトが熊襲に進軍した場合は、出雲はすぐに兵を出しますから」

「我らは同じ筑紫島だからヤマトの動きは把握できる。しかし仮にヤマトが熊襲に進軍した場合、そなたたちは長門の湾や速水門を越えるのに何日かかる? 俺達の軍がヤマトに後れを取るとは思えぬが、万が一にもヤマト優勢だった場合に、出雲の軍はここにいつ到着するのだ? 到底公平な合議とは言えぬのではないか?」

「あー、それは、そのぉ……確かにそうですね……」


 しどろもどろになる健を差し置いて発言をしたのは、またも乙姫だった。

「だから出雲には巫術があるんですよ? 未来もわかるんですもん。何も心配することないでしょ?」

「それを素直に信じろ、というのが無理な話だ」


 それきり健も乙姫も黙ってしまう。

 互いにちらと視線を幾度も交わし合うが、相手を言い負かすだけの材料が思い当たらない。

 すると、イサオはおもむろに銅剣を手に取り、健の前に放り投げた。

「そなたは噂通りの勇猛果敢な出雲の王子なのだろう? 我が息子オグマに稽古をつけてやってくれないか? それでそなたが負けるとは思えぬが、太刀筋を見て判断させて貰おうではないか」


 唐突なイサオの提案に、健も一度は手に取った剣を慌てて床に置き直す。

「これ本物でしょ? 息子さんも僕もケガしちゃうじゃないですか!」


 無論、自分が怪我を負う可能性が高いから固辞していた。

 だが、イサオは自身たっぷりに何度もうなずく。

「我が息子も幼い頃から鍛錬を続けてきた。出雲の王子と対峙できるだけの剣の腕はあるつもりだ」

「それで、もしお子さんが大ケガしたらどうするんです? 熊襲にとってはいい結末じゃないと思うんですけど」

「それはその時。また新たな子種を作ればよい」

 我が息子の前でもあっさりと言い切るイサオの発言に、乙姫は眉を寄せる。

 一方の健はイサオ、息子のオグマ、乙姫を交互にきょろきょろと見回していた。


 幼い少年オグマは父譲りの豪胆さなのか、早くも自信満々に鼻息を荒げて屋敷の外に出ようとする。

「あっ、ちょっ、ちょっと! 待ってください!」

 そこで何かを閃いた健は手を叩いた。

「僕の知る方法で、公平にかつケガも無く、勝負を決める方法があるんですけど」

「ほう? 面白い、申してみよ。ただし巫術だの大飯食い勝負だの酒飲み勝負だのというのは受け付けぬぞ。あくまで俺の息子との力比べだ」


 そこで健は乙姫になにやら耳打ちをする。

 いくら相手が古代の王族の息子で剣や弓の鍛錬をしたり、日常的に野原を駆け回るような脚力と腕力があるとしても、小学生くらいの男の子ならばさすがの健でも勝てるか――乙姫もやや懐疑的ながらもうなずいた。

 それを受けて健は、イサオに進言する。


「僕とオグマくんは相撲で勝負します」

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