熊襲出立
「マジでスセリさんがそう言ってたの?」
「だから何度も言ってるじゃない。コトシロヌシが怪しいって」
それは日中、スセリと邂逅した乙姫の報告から始まった。
夜を迎え、健と乙姫のために当てがわれた室内で、二人は密談をしている。
しかし、そこは元々、斬られたヤマトの間者ワカヒコと<大国主>の娘シタテルの夫婦が共に過ごしていた屋敷。今は空き家になっていた。
祭祀や政治の合議を行う巨大かつ亭々たる建造物の周囲にはコトシロヌシの私邸、オオナムチの妻たちがそれぞれに暮らしていた屋敷がある。
なんとなく、亡者が化けて出そうないわくつきの物件に入居したようで、健も妙な居心地の悪さとともに、乙姫と向き合っていた。
健が未来から持参していたロウソクの灯りを頼りにしていたせいであろうか、室内で揺らめく小さな炎に踊る自身の影が木壁に投影され、まるでそこは怪談を楽しむ場であるかのようだ。
「あたしだって、頭こんがらがってるよ。最初はスセリさんの言う意味がわかんなかったもん……」
時を戻して、まだ日没前の午後。
川屋、すなわちトイレに案内された乙姫が屋敷の中をうろついていた時に、奥の間で蟄居させられていたスセリに出会ったのが発端であった。
「コトシロヌシって人は、なんか企んでるんですか? もしかしてヤマトと内通してるとか? それともあの人もまさかヤマトの間者だったりするとか?」
悩むより前に動く。早々に結論を求めるのが乙姫の信条であり癖でもある。
それゆえ一度に多くの質問をスセリに浴びせた。
「ヤマトと内通か……そうとも言えるであろうし、そうでないかもしれぬ。わたしはあの子がよくわからないのです」
むしろスセリの回答がわからない乙姫は、さらに質問を重ねる。
「大国主さんが行方不明ですけど、まさかコトシロヌシさんが手を掛けたとか?」
「いや、夫は必ず生きている。わたしはそう確信しています」
未だスセリの発言の真意が掴めない乙姫は、首を捻る。
「だとしても、奥さんたちを放ったらかしにして、自分は息子に政治を任せて、どっかに消えちゃうっておかしくないですか?」
相手の心情に寄り添うつもりで、オオナムチへの疑心をやや不満げに語った乙姫だったが、そこで自分の発言で以前も似た違和感を覚えたことに、はたと気がつく。
それは健と科野平定を行った後のこと。
偶然にも健のソーラータイプの防災用充電器でスマートフォンが使用できるようになったことで、改めてこの時代に登場する神々を調査していた時であった。
『あれ? なんだっけな? 古事記だったか、どっかの風土記だったか、こんな話を見たような気がするんだけど……あの時はなんだっけな、出雲の神様達のくせにどうしてここに祀られてるんだか、暮らしてるんだろうって……』
今度は突然に黙り、深い思考を始める乙姫にスセリも困惑したまま彼女の様子を窺っていた。
そうかと思えば、乙姫は突然に大きな声でひとり言を始める。
「なんだろう、大国主もコトシロヌシも、なにかが違ったのよね……」
「トメ殿。また思考が言葉になっていますよ?」
スセリの指摘に我に返った乙姫は、慌てて口元に手を添えるとまた顔を赤らめる。
だが、それもすぐに収まると、スセリに向けて言葉を続けた。
「それにしても、タケミナカタくんが提案した長門の湾を封鎖したのには反対してたって言うのなら、コトシロヌシさんはそれを黙認しといたくせにスセリさんのせいにするのっておかしくないですか?」
すると、スセリは袖で口元を隠すと含み笑いをした。
真剣な会話の場なのに、相手が突然に笑い出すことに困惑する乙姫。
「しかし、トメ殿は夫をタケミナカタ『くん』だなんて……まるでふたりは
「あー、なんていうか、まぁ、そうですねぇ……あたしたち」
タケミナカタとヤサカトメは、スセリからすれば充分に似た者夫婦だ。
神から託宣を受けて未来を知る術を持ち、大陸風とも異なる被服を纏い、よく似た荷物入れを肩から下げている。
そして視線を彷徨わせて、どこか間の抜けた様子ではぐらかすのも一緒――。
おそらく何らかの秘密を抱えているのも一緒だ。
だが、彼女らが高志のヌナカワの想いを受けて出雲のために、ひいては夫オオナムチのために動いてくれているのはスセリにも容易に判断できる。
今の出雲で国体維持、ヤマト討伐を目指すのは、タケミナカタたちと何も知らない忠臣だけだから。
「よいですか、トメ殿。わたしは表立って動くことが難しくなりました。今後はそなたたちがコトシロヌシの動きを注意深く観察するのです。そしてタケミナカタが出雲で孤立することのないよう、そなたと科野のクニで夫を支えるのですよ」
乙姫の話を聞き終えた健は、顎に掌を当てて深い思考に入る。
「僕が孤立する……コトシロヌシさんは出雲をヤマトに売る裏切りをしようとしてるのかな?」
質問をされたところで乙姫も先の見通しが立たず、嘆息しながら肩をすくめる。
「わかんないよ。そこから先はスセリさんもどうなるかわからないって」
「裏切りの裏切りとかいう事はないかな? だってコトシロヌシさんは神話の最期で海に飛び込んじゃうんだよ? ヤマトと和平交渉をしてた算段なのに、やっぱり攻め込まれたとかで、出雲の中で孤立するのはコトシロヌシさんじゃないかな?」
「そうだとしたら、南方くんがタケミナカタとして最後は出雲全体を引っ張って戦争を続けるってことじゃないの? だから信濃の諏訪湖まで追われたんでしょ?」
「冗談じゃないよ、この時代で戦争なんかしたらホントに僕が死んじゃうってば!」
健は焦りから両手をせわしなく振ったり髪を掻き乱す。
これが勇猛果敢な出雲のタケミナカタかしら――そんな彼を見て乙姫も神話の信憑性に疑念を持たざるを得ない。
「そのために僕は熊襲と和議をするんだよ。出雲と熊襲に挟まれたらヤマトも簡単には動けない。そこで交渉して戦争そのものをやめさせれば、きっと歴史は変わると思うんだよね?」
「その瞬間は平和になるだろうけど、それって日本全体で睨み合う戦国時代みたいじゃない。織田信長みたいな人が出てくるまで、やっぱりどっかのクニ同士で戦争しちゃうとあたしは思うな」
「そう考えるとヤマトの日の巫女って上手いシステムだと思うよ。クニの象徴の下で首長たちが合議するんでしょ? 政治利用しようとする奴はいるだろうけど、ちゃんと頂点で日の巫女しててくれればいいんだからさ、今の日本のカタチに近いよね」
「だからそれを利用してるのが南方くんの言う『ヤマトの高木さん』でしょ? 卑弥呼の時代なんかすぐに終わって、
堂々巡りの会話と思考。
今の自分達に得られる情報や選択肢が少なすぎる。
健も乙姫も、ただ議論をするだけの状況に行き詰まりを感じていた――。
その時。
乙姫は急に声を止めると屋敷の外に意識を集中する。
そこで土を踏みしめるような、ほんのかすかな物音。
「誰? そこに誰かいるの?」
突然に乙姫は部屋の入口に向けて声を掛ける。
「まさかワカヒコさんのオバケじゃ……」
健は瞬時に顔を蒼ざめさせると、そばに置いてあった通学カバンを胸元に抱いて、全身を硬直させた。
一方の乙姫は屋敷の周囲をせわしなく見回す。月や星の明かりがあるとはいえ外は既に夜の闇に覆われている。
「猪か猿とかかな?」
「屋敷の外にはかがり火もあるし、見張りが立っててくれてるはずなのに、動物が近づくなんてことがある?」
「だから兵隊さんが追い払ってくれたかもしれないじゃない」
「それにしても弥栄さんはよくそんな平気で外に出られるね?」
「だってずっと山奥の科野にいたんだよ? 野生の動物なんか見飽きちゃった」
彼女の方がこの時代に適合している逞しさがある。健も芝居では出雲の王子という役回りとはいえ、相変わらずの自分の情けなさを恥じた。
「もう今日はさっさと寝よう。早めに姫に頼んで熊襲にワープさせて貰おう」
健は早々に毛皮や薄い衣の布団にくるまる。
乙姫も腑に落ちない感情と共に髪を手櫛で梳かすと、ロウソクの火を吹き消した。
その頃。
まだ屋内の灯りが明々としていたのは、コトシロヌシの私邸だった。
「タケミナカタは熊襲に行くと言っていた。早々に伝令は出立したか?」
コトシロヌシは素焼きの椀に手酌で酒を傾けながら、手前に控える家臣に視線も向けずに問い掛ける。
「はっ、急ぎ筑紫島に向けて使者を走らせております」
「急げよ。と言っても、あいつは不可解な瞬間移動を使うからな。間に合わないのは仕方ないにしても、なるべく早い方が障りはない」
「かしこまりました」
「あとな、もうひとつだが」
コトシロヌシは飲み干して空になった椀を指の代わりに、家臣に差し向ける。
「俺は早々に三輪に向かう準備をする。次の仕事が待っているからな」
「摂津の者と会われますか?」
その家臣の問いには何の反応もせず、コトシロヌシは再び手酌で酒を注ぐと、一気に飲み干した。それからまるで息を吐くように独り言をつぶやく。
「いや……『
翌朝。
健は熊襲出発の報告のため、コトシロヌシの屋敷を訪ねた。
しかし、入り口で家臣は立ち塞がるように深々と頭を下げる。
「コトシロヌシ様もご用向きのために、既にご出立されています」
「そうなんですか?
「いえ、そこまでは……」
明らかに言葉を濁す彼の家臣とはそれきり会話も続かず、健は頭を掻きながら高床式の屋敷に据えられた木製の階段を降りてくる。
近くで待機していた乙姫はそのやり取りを見て、小声で健に話し掛けた。
「やっぱスセリさんの言う通り、あのコトシロヌシって怪しいんじゃないの?」
「うーん、昨日の今日でいきなりどっかに出発って、僕も聞かされてなかったから確かに怪しいけどさ」
「まぁ、いいわ。あたし達は思う通りに動いて、あのお兄さんをギャフンと言わせてやればいいのよ」
物陰に隠れた健と乙姫は、スマートフォンで高志に置いた彼女のタブレットに向けて空メールを送った。
一方、高志では。
女王であるヌナカワは家臣を前に巫術を行う。
薄暗い屋敷の一室では、かがり火の中で亀の甲羅が燃えている。
ヤマトとの戦と対峙するクニの行く末、来年の田畑や海の実りは豊かであるか、等の吉兆を占っていた。
その時、神鏡という体裁で置かれたタブレット端末が小さな受信音と共に光る。
神下ろしを行っていたヌナカワもタブレットの鳴動に一気に肝を冷やしたが、それが健たちからの連絡であると思い出すと、家臣に向けて声を張り上げる。
「ぬぅ、神からの託宣なり。これは一大事。すまぬが皆、この場を外してくれぬか。これよりは慎重な儀式を要すのだ」
皆を儀式の間から追い出したヌナカワは『神鏡』の前に座った。
「まったく、あやつらの連絡は突然だな。心の臓に悪いわ」
ヌナカワは胸元の翡翠の石を握り、祈る。
すると、部屋の中に健と乙姫が姿を現した。
「やぁ、姫。今回のワープはなんだかずいぶん静かだったね?」
「『やぁ』ではないわ。忙しい時に呼び出しおって。近くに家臣が控えておる。あまり大きな声を出すのではないぞ」
勝手知ったる高志に戻ってこられて安堵したのか明らかに悠長そうな健に代わり、乙姫がヌナカワの前に出る。
「ヌナカワ姫。あたしたちこれから熊襲に向かいます。また熊襲まで飛ばしてもらえませんか?」
「あいわかった。と言いたいところだが、私は筑紫の島に行ったことは無い。伝令や家臣から口伝えに聞いた話を具象化しようにも、果たして無事に熊襲に移動できるかは保証できぬぞ?」
「日本中どこに飛んでも、同じようにタブレットにメール送ったら高志に帰ることはできるから、だいじょうぶですよ。たぶん」
「タケルよりもよほどトメ殿の方がしっかりしておるではないか?」
そんなヌナカワの言葉に、健はばつが悪そうに頭を掻く。
「ともかく充分に気をつけて、身の危険を感じたらすぐに私に連絡を寄越すがよい。熊襲の王は勇猛のみならず残虐とも非情とも聞くからな」
ヌナカワは翡翠の首飾りを手繰り寄せると、小声でなにかを念じ始めた。
自分の中にある筑紫島、熊襲のイメージを必死に形成しようと苦心する。
やがて健と乙姫の姿はまた霧散していった。
彼らを見送ったヌナカワは、改めて巫術に使用していた亀の甲羅を見る。
炎はずいぶんと小さくなり、その有り様を確認したヌナカワは思わず息を呑む。
「これはまた面妖な……」
炎に包まれ、熱で割れた亀甲に入ったヒビ。
神々は明らかな凶兆が豊秋津島に迫ると知らせていた。
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