八坂刀売の古代夫婦大戦

 高志の国。

 ヌナカワは首元に掛けた翡翠の勾玉の首飾りに手を添えて祈る。

 それに呼ばれるように、健は高志の彼女の屋敷に舞い戻ってきた。


「よいしょっ!」

 最近は健自身もワープ移動に慣れてきたのか、上体を捻って足から着地することに成功した。しかし落下の衝撃で指先から膝まで電気が走ったかのように痺れる。

「戻ったな、タケルよ。科野の伝令から情報が入り、そなたに伝えたいことがあって呼び戻したのだが。ところで浪速ではなにかわかったか?」

「科野から伝令? まさか御社宮神みしゃぐちを崇拝する人達が謀反でもしたのかな? それって急ぐ感じ?」

 だがヌナカワは取り立てて彼を急かす様子もない。

「そんじゃ、僕の話からしようか」



 健はヌナカワの前に腰を下ろすと、ここ二日の出来事を伝えた。

 摂津にある墨江の港ではコトシロヌシと思われる人物が頻繁にやって来たこと。

 同じく浪速の港では、出雲の倉庫が焼き討ちにあい、戦の疑いをヤマトから掛けられていること、そしてヤマトの武将に出会ったこと、など――。

 バッテリー残量がわずかのスマートフォンを手に持ちながら、健は説明を続けた。


「僕が会ったのはまさに、古代神話ではタケミナカタさんを追い詰める最強の神様タケミカヅチっていう人なんだよ。それが原因で出雲は敗北しちゃうことになるんだ。なんせ科野の州羽の海まで執拗に追いかけてきて、そこでタケミナカタさんは降参するんだから」

「以前そなたが申していた、コトシロヌシも夫も情けなく国を譲るという話か」

「だから僕もあの場で殺されるんじゃないかってドキドキしたけど、そんなに悪い人でも無さそうなんだよね。僕と同じ関東地方の出身だし親近感はあったね」

「だがいずれはミホススミ、もしくはそなた『タケミナカタ』を狙う最大の敵となる者であろう? 用心は欠かさぬ方がいい」


 健の話を聞き終えたヌナカワは、緋衣の袖の中で腕を組む。

 彼も相手の言葉を待つ間、手でぐるぐると充電器のハンドルを回していた。


「コトシロヌシが墨江に向かった理由は戦に備えた倉庫や詰所を建てるためか? それとも摂津や木の国を出雲側に取り込むための会談か?」

「それも詳しくはわからなかった。あのお兄さんに直接聞くしかないね。でもヤマトのタケミカヅチさんも言ってたけど、コトシロヌシさんだけじゃなくて、どうやら姫の旦那さんのオオナムチさんの事も良く知ってるっぽいんだよ」

「当然、出雲の王だぞ? ヤマトの一介の武将と言えど知っているであろう」

「うーん、そういう感じじゃないんだよね。僕が戦争の責任を負うことになるぞって脅してたんだ。コトシロヌシさんの動きといい、オオナムチさんの行方といい、なんか腑に落ちないことばっかりなんだよ」


 それからヌナカワはまたしても思案を続ける。

 そんな彼女の注意を引くように、健は掌を振って催促をした。

「ねぇ。考えごとの前に、姫が科野の伝令から聞いた話ってのを教えてよ?」

「そなたの話と関係があるかは知れぬが、安濃津あのつから那婆理なばりを抜けて墨江に至るという、山越えの難所があるのだがな。近江の淡海あわうみに迂回せずとも最短で摂津や木の国に入れる陸の交易路なのだが、ここが最近、新たに統治する王族によって封鎖されているらしい。科野は伊勢の港と交易を行っているが、墨江や浪速からの物資が届きにくくなったと伝えておる」

「えっ? あのつ? どのつ?」

 ヌナカワからの聞き慣れない地名がオンパレードの古代情勢に当惑した健は、残量わずかなスマートフォンを起動させて、手短に情報を得る。

「へぇ、この『つ』ね。三重県の津市から奈良県を通って住吉まで行く山越えルートかぁ……紀伊半島を船でぐるっと迂回すると確かに大変そうだ」

「そして、その新興のクニの王族とやらが、三輪の山を中心に支配しているそうだ」

「問題なのはそこがヤマトにつくのか出雲につくのかってことだよね?」

 健の言葉に賛同したヌナカワは大きくうなずく。

「それにしても、そんな峠道を封鎖するなんて乱暴なことをしてたら、出雲やヤマトに睨まれて攻め込まれて終わりじゃない? 新興国のくせに頑張ってるね」

「そこも不思議なのだ。新たに勃興したクニがそこまでの横暴を働いて、摂津や木の国が黙っているというのもな。どうにもきな臭い」


 健もヌナカワも小首を傾げたまま『うーむ』と小さく唸りながら悩み続けた。 

 それでも考えがまとまらない健は髪を掻き乱すと、深い溜息をひとつ吐く。

「紀伊半島や近畿も荒れてきたなぁ。僕のせいでもあるけど、出雲はやり過ぎちゃった感が出てきて、ちょっと反発されてるんだよね。ここで一気にヤマト側に加勢するクニが増えたらヤバいんだよ」

「タケルが知る未来の歴史に逆らうなら、新たな事を起こさねばならぬ。出雲に反発するクニは、お前の時代の神話で出雲に弓引くクニである可能性が高い。そこに多少の犠牲や戦は付き物だ。気に病むな」


 だが、ヌナカワの言葉で却って、浪速の港で出会った出雲の兵たちの顔が浮かんでしまった。数日の寝食を共にして語らった彼らが焼き討ちにあって死んだという事実は、健の脳裏に深く刻まれていた。


 そんな嫌な感情を拭い去るように、首を左右に振る。

「それともうひとつ」

 ヌナカワはこれまでとは打って変わり、嘲笑じみた笑顔で喋り出した。

「タケルの妃となったヤサカトメから、返したいものがあるから科野に来るように、との伝言も預かっておるぞ。さっそく尻に敷かれておるようだな。それでもそなたの身を案じて伝言を寄越すのだから、よい夫婦めおとではないか」

 発言の意味を理解した途端、健は顔じゅうを赤くしていく。

「はあっ? 僕が弥栄さんに? 別にそんな訳ないじゃん!」

「まぁそう言うな。ヤマトとの緊張も高まっているのだ。これから忙しくなるかもしれぬ。しばしゆるりとあの娘と共に過ごすがよい」

 ヌナカワは胸元の翡翠の勾玉を握ると、目を閉じて祈り出す。

「あっ、ちょっと待ってよ! 別にいま急いで科野に行かなくても……」

 そんな健の願いも虚しく、彼の身体は淡い輝きと共に、光の粒となって消えていく。



「いってぇ!」

 あぐらをかいた姿勢から片膝を立てた段階で急にテレポート状態に入った健は、その身を正す間もなく、大地に突き落とされた。

 かろうじて握り締めた自分の通学カバンが、後頭部に降り注ぐ。


 一方、屋敷の庭が見渡せる廊下でスマートフォンを眺めていた乙姫おとめは、突然に現れた健の姿に驚き、全身を震わせる。

「南方くん、急に来ないでよ! ビックリするでしょ!」

「弥栄さんが呼んだって聞かされたから、姫に飛ばされたんだってば」

「南方くんはいいよね、勝手にどこでもワープできるんだから。あたしなんかずっと留守番だもん。さっさと元の時代に帰りたいっていうのに」

 少々腐った様子の乙姫は相変わらずこの時代の女性の装束を身に纏っているが、その手にはスマートフォンを持っている。改めて見ると健にはまるで現代人のコスプレのようであり、非常に不思議ないで立ちであった。


 乙姫はそんな大地に伏した彼に手を貸すでもなく、ソーラータイプのスマートフォン充電器を差し伸べる。

「これを返さなきゃって思ってたけど、あたし南方くんの電話番号もアプリも知らないから、<塩の道>で高志のお姫様あてに伝令にお願いしたの」

「なんだ、そういうことか。それなら僕に連絡を……」

「連絡? だから番号も交換してないじゃん。それで伝令を出したんでしょ?」

 少しばかり棘のある乙姫の言葉を聞いて、健は二の句を止める。

 そう言えば乙姫とは普段の学校でも、義兄の雑貨屋でも、ここ科野で再会した時も、連絡先を交換したことすらなかった。


 乙姫は腕を組むと、頬を膨らませてそっぽを向く。

 その間も饒舌に、愚痴やぼやきが止まらない。

「どーせ、あたしは子供っぽいし、がさつでいい加減だもんね。弥栄乙姫はこの時代に来たって荒々しくて男みたいな『八盛雄やさかお』のトメですから。出雲の王子様をさっそく尻に敷いてるって噂話されてるんだもん。そりゃ美人のお姫様はいいよね? 男子なんか鼻の下を伸ばして簡単に手伝ってくれるんだから」

「いや、弥栄さんもそんなことないってば。サカヒコさんから貰った着物だって似合ってるよ。いちおう今は科野のお姫様なんだからいいじゃん」

 どうにもその発言が適当な相槌であったり、軽い慰めに聞こえた乙姫は、ムッとして健を見返す。

「そのくせ、あたしのこと放ったらかしじゃない。いつも高志のお姫様の言いなりなんだから」

「言いなりってことは無いよ。ヌナカワ姫とはギブアンドテイクというか、手伝いだってば。出雲がヤマトに勝つためだって」

「それに南方くんは何のメリットがあるわけ? あたしを置いて先に未来に帰る方法を探してるんじゃないの?」

「そんなことないよ。ちゃんと弥栄さんのことだって気に掛けて……」

「でも守矢の山に行ってからそれっきりじゃない? あたしは関係ないんでしょ?」


 今日の乙姫は妙に虫の居所が悪そうだ――健も困惑してどう取り繕おうかと悩む。

 しかし彼女は言葉を止めない。

「南方くんは出雲がヤマトに勝ったらみんなに感謝されてチヤホヤされて歴史に名前を残して、しかも未来に帰れるんでしょ? あたしなんか神話にも風土記にもほとんど出てこないお姫様だもん。単なる『タケミナカタの奥さん』じゃない」

「そんなことないはずだよ。諏訪の立派な神様だった……はずだよ、たしか」

 こんな風にタケミナカタと夫婦喧嘩した後に、湧き出る諏訪の温泉を発見した――そんな逸話が残っていたはずだが、若干のエピソードの弱さに健も口をつぐむ。


「あたしはどーせ南方くんのオマケなんだよね。おんなじように翡翠の呪いで大昔に飛ばされたっていうのに、ずっと誰からも相手されないんだから」

「そんなことないってば!」

 立て板に水のごとく不平不満を漏らす乙姫を鎮めようと、健は咄嗟に彼女の両肩を掴んだ。

 それに驚いた乙姫は、目を見開くと言葉を止める。

 しかしそんなことをしても、健には勝算もない。

 女性慣れしていないから、ここからどうすべきか悩むが、口喧嘩の相手は姉でも母でもない。いや、別に相手と口喧嘩をしたい訳じゃない。

 なのでここは素直に謝るに限る。

 彼の処世術でもあり保身術だ。

「いや、ホントごめん。僕に足りないところがあるならなんでも言ってよ。でもここでケンカはやめようよ? この時代には僕らしか居ないんだからさ、いま揉めたってしょうがないじゃん」


 乙姫は肩を落とすと、向かい合う彼には視線も合わせずに床の木目を見る。

「……そうだよ。あたしたちしか居ないんだよ? それなのに南方くんは好き勝手に動き回ってて出雲の王子様してて、でもあたしは南方くんに何の相談もされなくて、あたしって役に立たないの? 同じ未来の知識があって同じ歴史の授業を受けてて、同じスマホがあるのに、あたしは単なるお芝居で科野のお嫁さん役しかできないの? だったら早く元の時代のお母さんたちのところに帰してよ。そうじゃないなら、あたしにも手伝わせてよ」


 これまでも古代でいくらかの時間を共に過ごしたが、初めて聞いた彼女の本音に健も所在なさげに頭を掻くばかりであった。

 出雲の王子様として格好つけるには余りにも今の自分には足りないものが多いし、高志と交易関係にありヤマトとも物理的な距離があるので比較的安全な科野に彼女が居る、という安心感から充分にかえりみなかったのも事実だ。


 健は居心地悪く髪を掻き乱すと、頭を下げた。

「あー……その、ホントごめん。なんというか、僕はあのぉ……」

 歯切れの悪い彼の言葉を遮るように、乙姫はスマートフォンを差し出す。

「ひとりで考えるより、ふたりで考えた方が早いでしょ? 出雲のタケミナカタここにありっていう歴史を創るなら、ふたりでやった方が早いよ」

「うん、そうだね。ホントにごめん」

 健が謝罪をしたことで、乙姫はそれまでの全てを水に流したかのように平然として自分のスマートフォンも取り出す。

「南方くんの電話番号とアプリのアカウントを教えてよ。メッセージなら秒で送れるのに、伝令だと<塩の道>でも高志まで五日くらいかかるでしょ? そんなの時間が無駄よ」

 今度は突然に平静を取り戻す乙姫の、いや、女性の心変わりの早さに健も内心驚いていた。

 義兄や世のモテる男性とは違い、自分には女性の繊細な機微を推し知るだけの器量はないし、彼女にはたくさん迷惑や心配を掛けていた――そんな気後れが乙姫のように咄嗟に気持ちを切り替えることを難しくさせていた。


「ほら、早くあたしの連絡先を登録してよ」

 健は母や姉以外の女性との初めての連絡先の交換に、緊張の面持ちで乙姫の電話番号やメッセージアプリのアカウントを登録する。

 そして、彼女宛にすぐに返信を送った。

「だいじょうぶそう? 僕のメッセージ届いた?」

「うん」



 それからはまた普段の出雲の王子と科野の妻、もといクラスメイトとして近況報告を含めた会話も増えていった。

 陰からこっそりと見ていた世話役の女中は、最初は夫婦喧嘩の様相に狼狽していたが、すっかりと仲直りした二人に安堵の表情で姫の屋敷を後にする。

 

 時に厳しく気丈に振る舞いながらも、夫タケミナカタに寄り添い支える科野の州羽の姫君ヤサカトメ。

 太古の時代にあっても男女は常に対等であり、共に人間として成長し、同じ歩調で進む仲が真の夫婦と世に知らしめる女性であった。

 

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