神話を越えてゆくために

 科野の州羽にあるヤサカトメの屋敷では、出雲の王子で夫である健と科野の王の娘でその妻――健のクラスメイトであり翡翠の石によって同じく古代の日本に転移してきた弥栄乙姫が、しばしの時間を共に過ごしていた。



 健と連絡先を交換し合った乙姫は自分のスマートフォンを操作して、しばらくは彼の返信を眺めたりアドレス帳に登録していたりしていたが、それを放り出すと正面に向き合った。

「南方くん、ぶっちゃけ出雲とヤマトの戦争ってどうなるの? ヤマトの動きが活発になってきてるってお父さんから聞いたけど?」

 乙姫の呼ぶ『父』とはもちろん、この時代に突如としてやってきた彼女を養っていた科野の王サカヒコである。

「う~ん、なんとも言えないけど、出雲がヤマトに負けないようにしなきゃいけない訳だし、今はその準備って感じかな?」

「その歴史を変えるのってホントに上手くいくわけ? もちろんそうしてもらわないと、あたしたちも帰れないんだろうけどさ」


 乙姫の疑問に、断言する自信もない健は腕を組んで思案する。

 その姿勢のまま力無く語り始めた。


「なんだかこのままだと、元の歴史をなぞってるだけみたいな気がするんだよ。到底ヤマトに勝てるとも思えないし、かと言って突拍子もない作戦も思いつかないし」

「それ、あたしも思ったの。もちろん未来の神話には書かれてないこの時代の出来事がたくさんあるんだけど、やっぱりヤマト有利の展開って現実に起きてるんだよね」

 乙姫は充電たっぷりの自身のスマートフォンから、歴史に関する閲覧履歴の画面を健に見せた。

 そこにはいくつもの単語を入力して検索した跡が見て取れる。

 覗き込んだ健も驚く程に、彼女は科野で留守番をしている間も日本の歴史や古代神話について綿密に調査をしていたようであった。


「南方くんは、科野の交易ルートだった伊勢湾の安濃津から墨江までの奈良県の山道が封鎖されたって話は聞いてる?」

「うん。ヤマトは浪速にも来てて出雲の詰所が焼かれちゃったよ。ヤマトの武将と話をしたけどね。奈良とか大阪のあたりもきな臭い感じになってる」

「南方くんは浪速の港に行くって言ってたじゃない? もしかしたらヤバいんじゃないかなって思ったんだけど連絡する方法が無いし、充電器も返さなきゃってのもあるから高志のお姫様に頼んだんだよ」

「そうそう。僕も危ない目に遭ってギリだったところを……」


 そこで、はたと我に返った健はなにやら照れ臭そうに頭を掻く。

「あれ? もしかして弥栄さん、僕のこと心配してくれてたの?」

 調子に乗って夫婦じみた会話をした健に、乙姫は間髪入れずに否定する。

「あたしがひとりぼっちになって、この時代から帰れないかもしれないことを心配してるに決まってるでしょ」

 途端に背中を丸めて露骨にがっかりとする健。

『さっそく尻に敷かれている』と茶化したヌナカワの嘲笑が見えるようであった。


 ところが乙姫は膝を詰めてくると、声を抑えて健に話し出す。

 学校の教室ではとても考えられなかった距離感。

 健も緊張の面持ちで相手の顔を見返す。

「ねぇ、南方くん。ぶっちゃけ出雲はヤマトに勝てると思う? あたしもここ数日はずっとスマホで調べてたけど、やっぱ歴史を変えるのって難しいんじゃない?」

「それはさっきも言った通り、古事記とか風土記に書かれてない真逆のことをしないと未来は変えられないと思う……」

 そこで健は、ふと思い返す。


 ヤマトの武将タケミカヅチは浪速にやってきていた。

 その詳細は記紀の神話でも描かれてはいないが、当然ながら各国のまつりごとは刻一刻と変化していく。

 日の巫女の託宣かもかれないし、老獪な参謀『高木さん』の知恵とも思える。

 だが勢力拡大に向けた動きは、ヤマトのみならず出雲の『兄』コトシロヌシも行っているようだ。

 ならば、自分に出来る選択肢はあるか――。


「そしたら僕も筑紫島に行ってみようかな?」

 唐突な健に提案に、乙姫は色を失って彼を叱責した。

「バカね! 出雲の王子様がのこのこヤマトに行ったら殺されちゃうでしょ!」

 思いのほか大声になってしまい、乙姫は慌てて自分の口元を押さえると、屋敷の周囲に視線を回した。

 だが健は彼女を落ち着かせようと冷静に言葉を続ける。

「いや、僕が向かうのは九州でも南の方。まだヤマトが制圧できていない地域だよ」

「たしか熊襲くまそだっけ? 九州の南北に分かれてヤマトと並ぶ二大勢力だよね? それでも向こうからしたら本州から出雲の王族が乗り込んでくるわけでしょ? 南方くんホントに殺されちゃうんじゃない?」

「和議を結ぼうと思うんだ。同盟って言った方がいいかな? ヤマトに不穏な動きがあったら東と南から一気に封じ込めるんだ。それに今は出雲が長門の湾を封鎖してるから、ヤマトの交易船は日向ひゅうが周りになってる。彼らにしたら敵の船が近くを通ってるんだ、面白くないはずだよ」


 それでも彼の提案が上手くいくか、到底承服できない乙姫。

 だが、しばらくすると突然に立ちあがり、丁寧に畳まれていた自分の学校の制服を手に取った。

「どうせやめろって言っても南方くんは行くでしょ? それで止めらんなくて勝手に死なれてもあたしも責任感じるし、あたしはこの時代に永遠に残る羽目になるじゃない。そういう無茶を止めるのが『タケミナカタの妻のヤサカトメ』だからね」

 すると、乙姫は健を追い払うように手を振った。

「ほら、制服に着替えるから出てってよ。あたしも一緒に熊襲に行くから」



 健はしばし屋敷の庭を眺めながら乙姫を待っていた。

 すると部屋の戸が開く。


 彼女は科野平定の前に守矢の部族との交渉に向かった際と同じく、見慣れた学校の制服に着替え、肩からは通学カバンを下げていた。

 そして足首を回したり両脚を左右に振ると、大きく伸びをする。

「もう、普段はズルズル引きずる着物だから歩くのも大変なんだもん。やっぱこっちの方が動きやすくていいよね」

 そんな事を言う彼女のスカートから出る脚を見ながら、健も無言でうなずく。

「さぁ、高志のお姫様に頼んで熊襲までワープさせて貰おうよ」

「でも基本は姫からの呼び出しが無いと、僕からは帰れないんだよ。だから今は待つしかないんだ」

「なにそれ、もう! こっちからは全然動けないシステムじゃないの!」


 非常にまどろっこしい方法に、乙姫は妙案がないかを思索する。

 すると突然に笑顔になると、手を叩いてカバンの中を漁り出す。

「これをお姫様に託しておこう。そんであたしのスマホからメッセージを送ればいいんだ。ゼッタイ無くされちゃ困るって念押ししておかないとだけど」

 彼女は自身のスマートフォンとは別にタブレット端末を取り出した。

「弥栄さんはスマホとタブレットの二台持ちなんだ?」

「そうよ。あたしの大切な貯金で買ったんだから。それで他の通知とか更新はぜんぶ切っておいて、あたしからのメッセージ受信音が鳴った時だけ、お姫様に南方くんをすぐに高志に戻して貰えばいいんだよ。だから南方くんはこれからはあたしに『高志に帰りたい』とか『州羽に行きたい』って連絡してくれればいいよ」

「充電はどうするのさ?」

「なんの動作もさせないスタンバイ状態なら、五日くらいはもつでしょ? 南方くんが持ってる二台の充電器と、あたしたちの予備バッテリーを全部合わせれば、雨の日が続いたとしても必ずどれかはフル充電できるよ」


 なるほど、これならヌナカワもすぐに自分からの要請を察知できる。

 加えて乙姫経由で連絡を取り合えば、彼女は安全な科野に残したまま自分はあちこち移動が可能になる――これまでも割と自由には動けたが、飛躍的に行動範囲が広がり、時間が潤沢に使えることは健もすぐに理解した。


「ともかく、今はお姫様の呼び出し待ちだね。熊襲に行く前に情報を整理しておかないと、単なるお遣いになっちゃうから、スマホで歴史を振り返っておこうよ」

 乙姫は健のすぐ正面に座り込むとスマートフォンで検索をしながら、てきぱきと熊襲訪問の段取りを始める。


 その行動力には健も感心しきりであった。

 自分が場当たり的に行動していた反省もあるが、彼女は科野の王サカヒコや家臣からの情報を踏まえて、この時代の情勢を的確に捉えていた。

 普段の学校では同じクラスでも付き合いが少ないせいか、彼女は面倒見がよくて頼りがいのある人物か否かは知らなかった。

 だが、少なくとも突然に古代にやって来たこの状況に陥っても、冷静さと行動力はある。もっと早くに彼女を頼ればよかった――それこそが健が反省したもうひとつの理由であった。


「なに? あたしの顔になにか付いてるの?」

 惚けたまま視線を乙姫に向けていた健は、彼女の反応に慌てて両手を振る。

「いや、違うよ。弥栄さんはこんな状況になっても冷静ですごいなって……」

「だって、南方くんより三か月くらい先にここに来てるもん。本物のお母さんたちよりも科野のお母さんたちとずっと一緒だったからね」

「三か月かぁ……」


 彼女が自宅からも姿を消して学校や警察が騒然としていたのは、健の居た未来の時間ではわずか一日。

 やはり自分達が過ごしていた頃とこの時代は時間の流れが異なるようであり、健も太古の日本に来てひと月程度の時を過ごしていた。

 けっきょく自分たちが元の未来に帰ったら浦島太郎のように時間が流れ過ぎてて、すごいSFの近未来になっているかもしれない――そんな不安もよぎる。

 健も校則規定よりはずいぶん伸びた髪を撫でながら考えていた。



 そんな健の否定的な思考を消すように、乙姫はスマートフォンの画面を彼の顔に差し向ける。

「神話だと熊襲ってヤマトタケルに滅ぼされるじゃない。そのクニと和議を結ぶメリットってあるわけ? 日本中がヤマトに負けるなら和議をする意味ってあるの?」

「僕の考えではとりあえず出雲を制圧した後に、まだ従わないクニをヤマトタケルが滅亡させるために日本中を回ったって感じだと思うよ」

「だとしても、けっきょく熊襲も負けちゃうじゃん。敢えて出雲が手を組む理由って無くない?」

 その乙姫の意見には賛同しかねる健は腕を組んで首を捻った。

「それは出雲が負けた国譲りの神話の後の話でしょ? いま同盟を結んでおいたら、ヤマトが兵を挙げた時にすぐに両側から挟めるじゃん」

 そして彼もスマートフォンの画面に日本地図を表示させる。

伊豫いよとか淡道あわじの島はヤマト寄りなんだ。対して阿岐あき吉備きび伯耆ほうきは出雲寄り。瀬戸内海を両軍で睨み合う感じなんだよ。出雲が最初に降参しなきゃ、中国地方のクニも負けを確信しないと思うし、逆にヤマトとの全面戦争が始まったら早々に降参したのかもしれない。いずれにしても神話の世界でも熊襲だけは出雲の国譲りの後まで残るんだから、ヤマトが熊襲平定を後回しにした理由がきっとあると思う」


 健の話と自分の知る神話の世界を勘案して、乙姫は顎に指を当てながら思案する。

「じゃあヤマトが出雲に兵を出してるうちに、熊襲は九州北部に攻め込むとか?」

「それはあるかもね。でもそこまで大きな動きをしたら絶対に神話にも残ってるはずだと思うし、もしヤマトがホントに王権を作れるような強力なクニだったとしても、出雲と同時に熊襲に攻め込まれたら滅ぼされかねないよ」

「ヤマトも兵を分散できないなら、まずは出雲を叩く。それから熊襲を平定する。その理由があったんじゃない?」

「だとしたら、ヤマトと熊襲の和議かなぁ。筑紫の島を戦乱の地にはさせない。その代わりにヤマトにも出雲にも手を貸さない。それで安心してた熊襲を、出雲に勝った勢いで一気に攻め倒した。もしくは熊襲が出雲との戦争で兵力を摩耗したヤマトに攻め込もうとして勢いに乗ってるヤマトに返り討ちにあった。そんなとこかなぁ」


 健と乙姫は、互いにスマートフォンを眺めながら思索を続ける。

 九州南部であっても紀伊半島にしても、いずれは出雲平定後にヤマトタケルに制圧される運命にあるのは神話が伝える通り。逆に科野よりも東はまだ国家らしき体裁も整っていない小さなクニが群雄する未開の地だ。

 これからどのクニと手を結ぶのが歴史に最も抗う方法となり得るか、ふたりは頭を突き合わせて思考に集中していた。


 だが、やがて健は諦めたように髪を掻き乱す。

「やっぱ今は熊襲一択だよね。神話のエピソードが長いってことは、それだけヤマトも苦労したはずだもん。他の都道府県には悪いけど『長脛彦ながすねひこ』や『土蜘蛛つちぐも』みたいに神話から秒で消えちゃうクニと出雲が協定を結んだところで、ヤマトに勝てる見込みないよ」

「確かにそうかもね。南方くんの言う通りだと思うよ」

 賛同する乙姫の意見を聞いて健が安堵していると、突然に胸元の石が光り出す。

「あっ、ヤバい! 高志の姫に呼ばれてるよ!」

「うそっ! そんな急に?」

 二人とも慌てて自分の通学カバンやスマートフォンを手に取る。

 さらにワープ移動に遅れないように乙姫は咄嗟に健のシャツの裾を掴んだ。


 そのまま光の渦に包まれると、視界と平衡感覚が奪われていく。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る