宿命のライバル建御雷、現る

 ゆっくりと流れていく代わり映えしない水平線の景色を健はぼんやりと眺める。

 彼は墨江を出発した荷物や人を積んだ船に乗り合わせていた。

 目的地は同じ摂津の地、浪速。

 墨江で再会した男に頼み込んで、今度は海路で浪速に引き返した。



 徒歩とさほど変わらない程の時間が掛かったが、船は浪速の港に到着した。

 健は船を降りると、一目散に出雲の詰所があったあたりに向かう。


 無残にもすっかりと焼け落ち、焼け焦げた芯柱や崩れかけた建物の屋根を除けながら、ヤマトの兵によって倉庫の中から次々と運び出されていく武具や食料、土器。

 焼け死んだのかヤマトの者と剣を交えて斬られたのか、出雲の兵の遺体には薄い衣が掛けられている。

 港の人々は眉をひそめながら避けるように歩いていたが、健は眼前の光景に呆然としつつも、出雲の詰所があった場所へその足を進めていた。



 そんな彼の姿を見止めた男が近寄ってきた。

 ヤマトの兵卒と比べても骨格も良いし、防具も重厚かつ立派なものを着けている。そしてその右手には背丈と同じくらいの槍を握りしめている。彼が兵を束ねる武官であるのは容易にわかった。

 その男は掌をひらひらと振ると、健を追い払うような仕草をした。

「あーこらこら、小僧。いまは立ち入り禁止だぞ、こんなもの見てたら目の毒だ」

 ヤマトの武官には小僧呼ばわりされたが、彼の背丈はこの時代には珍しく、現代人の健とほぼ同等、いやそれでも健の方がやはり少し高いくらい。

 すなわち髭も薄く華奢な体躯を見て、健は子供扱いされたということだ。

 身の危険を感じて少しばかり後ずさりをするものの、未だ健は出雲の詰所を凝視している。昨晩まで数日を共にした兵達の亡骸を目に焼き付けるように。


 武官の男は諦めたように息を漏らすと、健に向けて声を掛けた。

「小僧。お前は出雲の者の仲間だったのか?」

「僕の仲間っていうか、身内っていうか……」

「そうか。だとしたらすまねぇことしたな。でも早くお前もこの場から消えろ。俺の部下に見つかったら斬られるぞ?」

 健の肩を小突いて離れるよう促す武官の男だったが、健は逡巡しながらも港の中にとどまっていた。

 そんな彼を見て、ヤマトの武官も再び健に近づくとその肩に手を置いた。

「俺らを恨むのは結構だが、お前は早まったことしちゃいけねぇよ? まだ髭も蓄えらんねぇくらい若いんだからその命は大切にしておけ。このままだといずれヤマトと出雲は戦になる。大勢の民や兵が死ぬかもしれねぇんだ。クニに大儀はあっても、兵や民間人には罪がねぇんだからな」


 その言葉に押されて、健は静かに浪速の港を去ろうとした時だった。

 ヤマトの一兵卒が駆け寄り、自らの上官に報告をする。

「タケミカヅチ殿!」

 それを聞いた健は、反射的に振り返って呼び掛けた。

「えっ? タケミカヅチさん?」

 健の声を聞いて、先程まで言葉を交わした武官の男が彼に視線を向ける。

 隣に居た兵は怪しい若者の姿を捉えると剣の柄に手を添えた。

「なんだい、出雲の小僧は俺のこと知ってるのか? 俺もずいぶん有名になっちまったもんだ。ってことは、お前も出雲ではかなり耳が早いたぐいの民のようだな」

「僕は……」

 黙ってやり過ごすことも出来たのだが、健は何故かその場を離れることができなかった。神話の世界ではヤマトの武神にして、自分を――というかタケミナカタを科野の州羽の海まで追い詰めた、まさにその人物なのだから。


 覚悟を決めた健は、この時代で用いている名を称した。

「僕は出雲のタケミナカタです」


 その言葉を聞くなり、一斉に周囲の兵たちが剣を構えた。 

 中には勇んで斬りかかろうとする者も居る。

 そこをタケミカヅチが一喝した。

「ばかやろう! 相手は得物もない丸腰だぞ! それでも武人のはしくれか!」

 タケミカヅチは兵卒の前に立ちはだかると、健と正面に向き合う。


 背丈と視線だけならば、健の方が少しばかり上。

 だが、その身に纏う威圧感や全身から放つ殺気は、圧倒的であった。

 百戦錬磨の武将で、その名を轟かせるヤマトの英雄。神話に名を残す程の者だ。


 それでも健は膝の震えが治まるよう必死に自分を鼓舞しながら、相手を見据える。

「よもや出雲の王子が直接やってくるとはね。今ここで弔い合戦でもするつもりだったのか? 俺を殺すか?」

「僕は剣も槍も弓も、なにも持ってないです」

「よかろう。ならば俺もお前をここでは斬らねぇ。部下にも手出しはさせねぇよ」

 そう言うとタケミカヅチは手に持つ槍をひっくり返して、刃を上にすると地面に逆さまに突き立てた。

 彼の腕力で大地の土は抉られ、槍は見事に天に向かって立つ。

 その脇に乱暴にあぐらをかいて手招きをするので、健も彼の正面に座った。


「えっと、あなたはホントにあの本物の、ヤマトのタケミカヅチさんですか?」

「俺の本当の名はフツタマと言うんだ。天の稲妻のように荒々しい猛者<建御雷タケミカヅチ>と称されているがな。そんなものは周りが勝手に呼んでることだ」

「なんで出雲の詰所を焼いたんですか?」

「お前たち出雲は武器を溜め込んでいただろう。我らがヤマトに戦を仕掛ける兆候に違いない」

「浪速は中立地帯だったはずです。それだけの理由で、この浪速で騒ぎを起こしたのはヤマトの責任だと思います」

「それならば先に長門の湾を封鎖した出雲の責任だな。俺たちは交易の船も航行できず、民の生活もままならなくなってきてる」

「僕らは出雲に入り込んだヤマトの間者を捕らえるためです。そちらの責任です」

 ディベートと呼ぶには程遠いが、ささいな口喧嘩は母親といつもしているし、幼少の頃は姉と口論するのも日常であった。

 健は負けじと理屈を並べて、タケミカヅチに食って掛かる。

 このまま突然に刃物で斬られかねない状況ではあるが、その心配はないという妙な確信はあったからだ。


 すると突然にタケミカヅチは笑い出す。

 その声量に、健は思わず肩を震わせて身構えてしまった。

 まさに通り名にふさわしく雷のごとき豪快かつ、性格も豪放磊落な様子だ。

「肝の据わった男だ。出雲の第二王子はその噂どおりに好戦的なようだな」

 タケミカヅチは顎髭を右手でしごきながら、健に笑みを投げた。

 しかしその眼光は鋭く、瞳は全てを見透かすかのようである。むしろ健には彼の方が好戦的ではないか、とすら思えた。長らくヤマトの軍を率いていた武人なのだから当然ではあるが。

「俺の一族は豊秋津島でも未開の地、遥か東の海沿いのクニ、常陸ひたち香島かしまの生まれなんだ。こんなあずま出身の田舎者の俺でもヤマトは重用して取り立ててくれる。そういう大らかさは出雲にはねぇのかね? ヤマト出身の家臣を勝手に間者と決めて斬り捨てるなんて考えられねぇな」

 健はその威圧感と存在感に、つい伏し目がちになりながらも言葉を続ける。

「僕は未来が視れます。出雲に斬られたワカヒコさんたちが間者として役割を果たした立派な家臣ならば、彼らを出雲におもねった軟弱者なんて呼ばないで、単純に出雲の残虐さを宣伝すればいいだけです。でもそれはヤマトの民にもバレちゃマズい嘘だから、彼らを犠牲にしてクニの威信を守ったんだ。言わばワカヒコさんたちは被害者ですよ。それは日の巫女や高木さんの責任です」


 タケミカヅチは表情ひとつ変えず、髭を撫でながら健を正面から見ていたが、反射的に小さくうなずいた。

 それの理由は分からないが、心理学でよくある嘘をつけない深層心理のなにか――健はそう勝手に解釈して自分を納得させていた。


「ホントは僕の責任で戦争なんかしたくないですよ。でも攻めてくる相手がいるのなら、出雲を守るためにそれを防ぐ方法を考えなきゃダメでしょ? それがたまたまヤマトだったってだけじゃないですか?」

「そうだな、お前の言う通りだ。互いに大義があると信じても、いざ戦となればその被害は甚大となるだろう。兵も武器も食料も多くが失われる。ヤマトにとっても正直困ることだらけだ」

「じゃあなんで豊秋津島まで攻めてこようとしてるんです?」

「別に攻めてる訳じゃねぇ。『不要因子を排除する』と考えた方が正確だな。ヤマトが日の巫女様を中心に、小さなクニが合議でまつりごとを行っているというのはお前も知っているだろう? 俺たちが目指すのは日の本のクニ全体でそれを行うことだ。この大陸全土を象徴する存在のもとに下々のクニや民が集う。それが無難なまつりごとなんだよ。俺たちだって無益に戦をするんじゃねぇ。でもその理想に従わないクニがあれば黙ってて貰うしかねぇよな?」


 健はタケミカヅチの言葉を何度も頭の中で反芻した。

 確かに彼の言い分はわかる。むしろ自分が学校の授業で習った、出雲や高志との戦を終えた日本全体が国家としてのていを為すには、必要な過程とすら思えるし、自分の時代と照らし合わせても正論とも考えられる。


 だが、その過程では必ずと言っていいほど、戦乱の世が来る。

 歴史の教科書や漫画やドラマでは、その登場人物が『死ぬ』と表現されることに、現実的な体感はなかった。作品を彩るうえでの演出程度のものと考えていた。

 しかし、寝食を共にした詰所の出雲の兵は死んだ。

 自分が遊ぶゲームソフトやアプリでキャラクターが倒れたのとは全く違う。



「出雲とヤマト、どっちが上だとか優劣を決める必要ってあります? 合議でクニを運営するなら、なんで出雲や高志に間者を放ったり、兵士を斬るんですか?」

 タケミカヅチは健の言葉を受けて、にやりと笑う。

 そして頬を掻きながら視線を健から逸らした。

「出雲の小僧は親父の<大国主>殿から薫陶くんとうを受けたんじゃねぇのか? ここ最近は会ってよく話をしてねぇのか? もし出雲がヤマトと戦をしたいってのならば、それはタケミナカタ。お前が全ての責を負うんだ。よく考えておけよ?」

 いまいちタケミカヅチの言う意味が理解できなかった健は、わずかに首を傾げる。

 そんな彼を嘲笑したタケミカヅチは言葉を続けた。

「ヤマトの一介の武臣である俺が、中立地帯である摂津の浪速に居る意味をよく考えるんだな」

「それは戦だとか理由をつけて出雲の詰所を焼くためじゃないんですか?」

「お前、兄貴のコトシロヌシから何も聞かされてないのか? あのなぁ……」


 だが、会話の途中に健が首から下げた翡翠の勾玉が輝き出す。

 高志に居るヌナカワからの呼び戻しの合図であった。

 その光を見たタケミカヅチも言葉を止めて、驚いた様子で目を見開く。

 健は慌てて立ち上がり、言葉少なに走り出した。

「ヤバい! それじゃあ、また今度!」

 突然に駆けだす彼を見て、ヤマトの兵もすぐに彼の後を追う。


 健は浪速の港に建設された、高床式倉庫のひとつの角を曲がった。

 それを追ったヤマトの兵は、そこで立ち止まる。

「タケミカヅチ殿! 出雲のタケミナカタの姿がありませぬ!」

 兵の報告を聞いた彼は訝しげに立ち上がると、兵の元へと向かった。

 通りの先には建物も無い開けた景色が広がるが、すでに彼の姿は無かった。

「なんだ? こんな短時間にどこに消えたんだ?」

「すでに我々があやつの後を追った直後には消えておりました」

「ふーん。まぁ、そういうこともあるんだろうな……」


 タケミカヅチはもはや考えるのも億劫といった様子で頭を掻いた。

 ヤマトにも日の巫女が頂点にいるが、出雲も高志も巫術を駆使する国家だと聞く。

 これ以上は、武官である自分には到底知れぬ『未知の力』。

 あれこれ悩むよりは、そう片づけてしまうことにした。


「さて。俺は次の仕事に取り掛からねばな。おい、トリフネよ!」

 タケミカヅチは浜辺に腰掛けて木の実を食べていた小柄な人物を大声で呼びつける。するとトリフネと呼ばれた者は少し面倒くさそうに歩み寄ってきた。

 ややゆったりとした男性用の服を着ていたが、身体の曲線や顔の造作は女性のそれとわかる。おまけに彼女は長い黒髪を下ろさずに男性と同じく角髪みずらを結っていた。

「なんですか? タケミカヅチどの」

「急ぎ船を出してくれ。筑紫の高木のじいさんに報告がある」

「せわしないですね。これから雨もくるでしょう。あまり航海にはふさわしくないと思いますが……」

「まぁそう言うな。今は急いでいるんだ」

「あなたはいつも急ですよね。もっと計画立てて動くと人生楽ですよ?」

 彼女は上空を見上げながら淡々と言葉を続ける。

 ヤマトの勇ましき武臣に対しても、やや無礼で淡白な物言いだったが、タケミカヅチも別に腹を立てるでもなく肩をすくめる。

「お前の航海術がありゃ雨も潮も問題ないだろう。なるべく早く頼む」

「無論、潮の流れを見るのも、世の潮目を見るのも、機を読むのも、わたしの勤めでありますので」


 上官の命令とも同僚の依頼とも思えないくらいに、トリフネはさして急ぐ様子もなく、出航の準備のためにのんびりと船に向かう。

 そんな姿を見ながら、タケミカヅチは嘆息を漏らす。

「やれやれ。あの小僧は出雲との戦の芽になりかねん、いや、俺の知る限りでは出雲の内紛の端緒と言うべきかな。いずれ早めに摘まねばならないだろうか……それをするのはヤマトか、かのクニの王か……」


 それから彼は視線を海から東の山々へと移した。

 はるか彼方にあるのは、三輪みわ山。そして近くには葛城かつらぎの里がある。

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