住吉の神様

「うわっと!」

 翡翠の石の呪術によりワープをした健は、頭上にほど近い上空から放り出される。

 だが幾度となく上空から落下したおかげで、彼は下半身を捻ると無事に両足で着地した。膝から革靴の中の指先まで痺れるような感覚は残ったが。


 健が周囲を見回すと、海岸線の近くに居る。

 眼前には大海原が広がる。

 しかしそれは出雲や高志が面した荒々しい日本海とは全く異質であった。

 海面は凪ぎ、大小さまざまな船が入り江になった湾内に散見される。


 そして活気が町全体を賑わせているからなのだろうか、このクニはどこか暖かい。健には関西人は陽気という勝手なイメージもあるし、太平洋は暖流、日本海は寒流、だから黒潮の流れる南洋は温暖と中学の地理でざっくりと習った知識程度だ。

「へぇ、ここが浪速なみはやかぁ。大阪って言うと東京や横浜みたいにごちゃごちゃしてるイメージだったけど、そりゃこの時代だからこんなもんか」

 健は港の中を歩いて回った。

 多くの船がひっきりなしにやってきては、荷物の積み下ろしがされていたり、往来しているのであろう各国の使者が乗り降りしている。

 当然ながら直接見た事は無いが、まるで安土桃山時代に開かれた楽市楽座のような賑々しい印象であった。


 健は湾内に停泊する船に荷役や人を乗せていた男たちに近寄る。

「あのぉ、すいません……」

「なんだい、あんちゃん。この船に乗るのかい?」

「いや、ちょっと人を探しているんですけど」

「ここはたくさんの人や荷物が集まるんだ。どこに誰が乗ってるなんて知りゃしねぇわ。泊まってる船から勝手に探しな」

 愛想なく、というか健に構っている暇もないといった風情で、港の男はにべもなく突き放す。

 それでも健は負ける事なく、おずおずと会話を続ける。

「他のクニのエラい人が乗ったりすることってあります?」

「はぁ? この港ならそんなのいくらでも……」

 苛立ちを隠し切れない様子で振り返った男だったが、健の姿を頭から足先まで見ているうちに表情を変える。

「あんた、科野の州羽を平定した、出雲の王子じゃないのか?」

「えっ? 僕のことをもう知ってるんですか?」


 この時代の男性の身長に比べると大きくて華奢な体躯、髭もない優男やさおとこ、大陸由来のものとも違う奇妙な衣服を纏い、首から翡翠の石を下げている――。

 出雲の王子タケミナカタの噂は、科野の王サカヒコの伝令や、口伝えに聞いた民によって全国に轟いていた。

「驚いたな。物品を運ぶ移動民たちが騒ぎ立ててたと思ったのに、本物がここに現れるとはね。それにしても、その噂を聞いたのはつい昨日くらいのことだ。科野平定をしたあとは、あんたもそのまま浪速に向かったのかい?」

 この時代はまだ人が馬に乗って駆けるという習慣も無い頃、牛馬には荷物を載せていただけだ。

 科野の交易の民がやってきたのは、無論徒歩だろう。

 伝令ならば飛脚のように駆け足で峠を越えたかもしれないが。

 だから自分は翡翠の石で一瞬でワープしたとは到底言えない健は苦笑しながら頭を掻く。

「まぁ、そういう感じですね。こっちに用事があるから来ようかなって思って……」

「それじゃあ伝令と一緒にくっついて来たのかい?」

「いえ、少し後ですけど、すぐに出発って感じでしょうか」


 今や話題の出雲の王子の参上に、港の者たちは一斉に時の人を取り囲む。

 女性の中には彼を色恋の対象として、瞳を輝かせて見つめる者までいた。

 すっかりと古代で有名になってしまった健は、民衆の中で頭ひとつ突き出た長身の自分の身体を縮こまらせている。

「あのぉ、ちょっと聞きたいんですけど、今から十年くらい前にミホススミさんって男の子を乗せた記憶ってあります?」

 観衆の全てにはとても届かないような弱々しい声で健は周囲に問い掛ける。

「ミホススミ? 誰か知ってるか?」

「さてなぁ……」

 両隣や前後の者と互いの視線を合わせては、口々に囃し立てる民。

 このあたりの現代とさほど変わらない関西人らしい軽妙かつ近い距離感は、商売や交易の賜物なのだろう――健も一向にやまない雑談に困惑しながらも話を続けた。

「その人は出雲の高貴な王家の息子さんなんですけど」

「何を言ってるんだ。それはあんたのことだろ? タケミナカタとコトシロヌシって人が、高貴な出雲の王子だって聞いたぞ?」

 これには、やや迂闊な質問であったと健自身も後悔した。

「うん、まぁ、そうです。だから出雲の家臣の中でも高貴なって意味で……」

「それなら、いつだったか浪速で船に乗せた記憶がある」

 民衆の中で、頭髪が薄く白髪に覆われた皺枯れた男性が歩み出た。

「マジですか? その男の子ってどこに……」

「いや、子供じゃなかったな。充分な大人だったぞ」

「大人?」


 初老――といっても、この時代なら高齢と呼べる部類だろうが、その男性は中空で視線を定めず、顎を撫でながら話を始めた。

「ずいぶん、いい服を着たどこぞのクニの王族らしき者を乗せたことがある。側近の兵も居てな。あれが出雲の偉いさんかは知らんが、雰囲気だけは立派だった」

「その船が出雲に出発したとか、出雲に向かったっていう情報は無いですか?」

「さて、どうだかなぁ……俺たちゃ海運をしている訳では無い。ここに集まる船や人や荷を捌いているだけだからな」

「うーん、この浪速に来たっていう話は間違いないはずなんだけどな……」


 だが、健の言葉に周囲の者たちは色めき立つ。

「おいおい、出雲の王子様よ。ここは同じ摂津せっつでも浪速じゃなくて墨江すみのえの港だぞ。だったら俺たちはそんな船も見た事ねぇっての」

「えっ!? ここは違うの? だっておじさん、さっき良い服の王族を乗せたって」

「だから浪速で乗せたと言ったろう」

「ここが浪速じゃないなら、いま僕はどこに居るんですか?」

「だから言ったろ。ここは墨江だって」

 皆から一斉に笑われると、恥ずかしさから健も居たたまれなくなる。

 こそこそと隠れるように人の輪を抜けていこうとした時であった。

 男のひとりに背後から肩を掴まれる。

「まぁ待ちなよ、出雲の王子様。俺たちも交易や廻船で生計を立てている以上は浪速に負けないくらいの港にしたいんだ。なんか王族らしく知恵を貸してくれよ」

 渋々振り返った健は、視線を泳がせたまま小声で囁く。

「でも僕ひとりじゃどうにもならないですから期待しないでくださいよ」

「この港を科野や高志のように大きくして欲しいんだ。どうしたらいい?」

「どうするって、どうしたいんです?」

「湾が浅くて困ってるんだ。大陸とも交易できる大きな船が停泊できるようにしたいんだが」


 衆人環視の中ではスマートフォンは取り出せない。

 健は額に汗を浮かべながら、苦笑いをするばかりであった。

 なにか知恵はないか。

 必死に自分の頭の中の、記憶の引き出しを漁ってみる。


「海底火山が隆起して淡路島が出来たとか、あとは琵琶湖とか奈良県の山から土砂が流れて来て堆積したり……ってテレビで観たくらいしか知らないけど。りをしてみたらいいじゃないですか。それで掬った土砂で浅瀬を埋め立てて、港を広くすればいいんです」

「船が増えればいい訳じゃない。昼夜を問わず船が到着すると港への誘導にも困る。そこも悩みの種だ」

「そしたら灯台を造ってください。たとえば、昼でも夜でもかがり火を焚いて、ここが港だって海上の船からでも分かるようにすればいいんですよ。逆に港が船でいっぱいなら火を消したらいいじゃないですか。そしたら港が空くまで沖で待ってて貰えば信号代わりにもなって便利ですよ」

 健自身は投げやりで曖昧な回答ではないかと不安に思ったが、それを聞いた男たちは感嘆の声を上げる。

「おぉ、俺たちとほぼ同じ意見だったぞ。さすが王族だな!」

「なにそれ。そう思ってたなら自分達でやればよかったじゃん……」

「ようし、灯台と掻い堀りだ、浪速には負けてられん! やるぞ!」

 男たちは一様にときの声を上げる。

「それじゃ、僕は浪速に行くんで、このへんで……」

 そんな熱気とは関係なしに、健は改めて身を小さくすぼめて、民の輪を抜けていった。



 港の男たちがはたと気付くと、出雲の王子タケミナカタはその存在を消すように、姿を眩ませていた。

 それからは口々に話を始める。

「まさかあの出雲の王子がここに来るとはな。噂どおりの知恵の働く人物だったが、勇猛で武勲を立てた様子とは到底見えんな」

「いや、出雲の第一王子コトシロヌシも、あの第二王子とまつりごとを行うと宣言したばかりと、長門からやってきた船の乗り人から聞いたぞ?」

「しかし、高志で王族復帰の宣言をしたり、科野平定の話が届いて数日も経たないのに、ここにやってくるとはどういう技なんだ?」

「まさか、あの王子そのものが三つ子なんてことはないよな?」

「三つ子なら出雲、高志、科野に現れたり、墨江にも来たりできるよな?」

 みな一様に腕を組んだり、頬や顎を撫でたりしながらも思案を続ける。

 だが、いずれにせよ出雲は巫術に長けた知恵者が多い――そんな結論に至った彼らは再び腕を振り上げる。

「ともかく、出雲の王子の知恵に従って、港を造るぞ!」



 やがて墨江は古代近畿での港として繁栄をしてゆく。

 そして、灯台のほど近くには彼の功績を讃えた社が造られた。

 出雲、高志、科野を縦横無尽に駆け巡る王子タケミナカタ。まるで三つ子のごとき移動距離と働きぶりである、と。

 後年、墨江の港周辺は住吉と地名を改めた。

 そして大坂に立派な港が開かれて衰退するまで、墨江と浪速は二大拠点として栄華を極めることとなる。


諏訪大明神絵詞すわだいみょうじんえことば』には、諏訪明神は住吉三神、そして応神天皇と同体とも伝わる。


 諏訪明神は、信濃の諏訪大社に祀られるタケミナカタ。

 応神天皇は当然ながら『ヤマト側』の人物だ。

 しかし彼の母、神功皇后はその身に子を宿したまま三韓討伐に出征したと伝わる勇ましき女帝でもある。そして武神タケミナカタの加護によって勝利したとも。

 そして住吉三神は、三兄弟の神である。

 まさにタケミナカタは三つ同体。

 健は知らぬ間にそんな歴史を刻んだのかもしれない。



 一方の健は、人や荷の往来がある港から離れたところを歩いていた。

 スマートフォンで地図アプリを見ると、自分が居るのは大阪府の市街地。

 しかし実際の眼前には海岸線が広がっている。

 ここも関東の江戸と同じように後年、埋め立てられて土地が広がったのは容易に理解できた。

 目的地は浪速の港。

 しかし健にはこの時代の詳細な位置は知れない。

 なので推定値として大阪府大阪市中央区にあるJR難波駅を選択した。

「うげっ、六キロくらいあるじゃん。一時間半くらい歩くんだ」

 無論、少し歩けば道すがらコンビニエンスストアがあったり、自動販売機があちこちにある訳でもない。もちろん小銭入れは通学カバンの中にあるが、そんなものが何の役にも立たないのは承知の上だ。

 健は息を切らしながら、街道をとぼとぼと歩いてゆく。


 おまけにスマートフォンのバッテリー残量が怪しくなってきたが、肝心のソーラー充電器が見当たらなかった。おそらく乙姫に貸したきりというのは推察できた。

 なので、人もコンクリートの建物もない緑一面の陸地を、ただ防災用充電器の手回しハンドルをぐるぐると弄びながら、歩き続けた。

「はぁ、もう……歩きながら歌うくらいしか娯楽ないじゃん」

 半ば自棄になりながらも、健は自らを歌声で鼓舞していく。

 たまに街道をすれ違う人は、そんな彼の脇を足早に通り過ぎ、もしくは訝しげに振り返ったりしていた。



 夕暮れが迫る午後も中頃となって、ようやく健は港に到着した。

 日没を前に、最後の荷積みを行っている者、交易品を慎重に木製の建屋に運び入れる者、長い船旅ですっかりと疲弊して腰を落とした使者や旅客など、さまざまだ。

「あのぉ、ここが浪速の港ですか?」

 健は、上半身裸で海風を浴びる、浅黒く日焼けした男性に声を掛けた。

「そうだ。何か用か?」

「人探しで来たんです。出雲の人なんですけど」

「あぁ、出雲のお偉いさんか」

「えっ! 知ってるんですか、ミホススミさんのこと!」

 淡い希望の中で、すんなりと狙い通りの言葉が出た健は拍子抜けする程であった。

 しかし、港の男の反応は違った。

「ミホススミ? 知らんな。それはコトシロヌシの旦那だろ?」

「えっ? コトシロヌシさんも今ここに来てるんですか?」

 しかし男は首を横に振る。

「ここ最近は来てねぇな。でも数か月に一度は寄ってるんじゃねぇの?」

「ほかに出雲の偉い人の王子が、ここに立ち寄ったとか聞いてますか? 今から十年くらい前にミホススミって男の子が来てるハズなんですけど」

「どうだかなぁ……内海から長門を経て、出雲に向かう船は定期的に出ている。その中には軍人や官吏もおおぜい乗っている。小さな子が混じってても誰がどの子だか、わからねぇな」


 だが、そこで男は苦虫を嚙み潰したように顔を歪めると、健に小声で耳打ちした。

「それとな。あんまりデカい声で出雲の話をするな。今は他の連中も気が立ってるから、あんちゃんも火の粉が降りかかるのも嫌だろ?」

「どういうことです?」

「出雲が長門の湾を封鎖したんだよ。筑紫を結ぶ交易船が出せなくなって、俺たちゃおまんま食い上げだ。それからヤマトに肩入れする連中が多くなってるからな」

「マジですか?」

「あんちゃんも人探しで来てるってことは、出雲の関係者なんだろ? 出雲のクニの者だとはバレないように動いた方が得策だぞ?」

 健は男の話を聞くなり顔色を失くす。


 それは出雲でスセリ姫と会談をした時。

 ヤマトのスパイを捕らえるために長門の港を封鎖しよう――そのように提案をしたのは、何を隠そう自分自身なのだから。

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