古代諏訪大戦 ~ミシャグチVSタケミナカタ

「おわあぁっ! たっ、大変だ! みんな、敵だぁっ!」

 自分達が囲まれていると知るや、健は乙姫や警護の科野の兵に向けて声を上げる。

 いや、それは単なる彼自身の悲鳴であったのかもしれない。

 大変な状況なのは他の者も瞬時に理解していた。

 すかさず兵達は自国の姫と出雲の王子を庇うように動くと、一斉に武器を構えた。


 守矢の土着の武人たちはその集団を幾重にも覆っていた。

 ざっと見えるだけでも数十人。

 弓を構え、剣や槍を握る手に力を込め、健たちを威嚇している。


「あ、あの……科野の遣いの者ですけどぉ……っていうか、ぼ、僕は出雲の王子だから、そのぉ……らっ、乱暴はよくないよ?」

 恐怖で下あごをカタカタと震わせながらも、健は声を振り絞った。

 だが、その声で守矢の民はさらに、にじり寄る。

「けっ、ケガしちゃうから穏便にしといたほうがいいってば!」

 クラスメイトである乙姫の前では、せめて男の子らしく。

 出雲の王子と信じている兵士たちの前では、少しでも勇ましく。

 たとえ周囲からはそうは見えないとしても、ヌナカワの『嘘』のせいで自分が守らねばならないものがたくさん出来たから、精一杯に自分を鼓舞する。


 なにせ相手の男達は、死んだ鹿の皮をまるまる剥いだ面を被っているので、瞬きもせず瞳も動かさない。首から上は鹿、肩より下は素肌の人間の男といういで立ちの連中に見守られるという奇妙な光景だった。

 その中でも特に立派な角を生やした大きな牡鹿の皮を被った男が叫ぶ。

「州羽の者たちよ、去れ!」

「そっ、そっちこそ、盗みとか人さらいは、やめて欲しいな……って……思います」

 相手の圧に飲まれて尻すぼみになっていく健を警告するかのように、風を切る音とともに彼の足元に一本の矢が射抜かれた。

 左足の革靴のすぐ近くに刺さった矢を見て、背を反らした拍子に尻もちをつく。

「おわっ! だから、ケンカはやめて欲しいのに!」


 そんな彼を守るように、敵方に槍を差し向けたのは乙姫だった。

 それでも自分はなるべく傷つかないように、健の後方から腕を精一杯伸ばして、首領と思われる角の男を威嚇する。

「こら、このヘンタイ鹿人間! 科野のみんなが困ってるから、やめてって言ってるのよ! ヤマトっていうもっと大きなクニが攻めてくるかもしれないのに、科野の中でケンカしててもしょうがないでしょ、このヘンタイ!」

 まるでクラスの男子の愚行を諫めるかのような力強い咆哮であったが、生気を失った鹿の漆黒の瞳が一斉に自分に向けられると、乙姫はすぐに健を捨て去り、近くの兵の背後に隠れる。


「おなご……おなごだぞ」

「俺たちへの捧げものだ」

「おなごにありつける……」


 死んだ鹿の面の下からでもわかる程に徐々に息を荒げて興奮する男達。

 そんな連中を見て、途端に身震いをした乙姫は、足元の小石を健の肩に放った。

「南方くんってば! いつまでヘタりこんでるのよ! あの『未来の技』でビビらせるんでしょっ!」

「……そうだった!」


 慌てて片膝をついた健は、右手を腰の得物に手を掛ける――そう判断した守矢の男たちは、改めて武器を構える。

 だが、彼は自分の通学カバンから長い柄のついたガンタイプのライターとローソクを取り出した。

「ほらっ! 奇跡で火を起こすぞ! みんな燃やしちゃうぞっ!」

 健がライターのトリガーを指で押し込むと、周囲にはカチリという弱々しく心もとない音が鳴る。

 恫喝や気合と呼ぶにはやや頼りない口ぶりであったが、その瞬間に彼の手元には、間違いなく小さな炎が発生した。

 守矢の猛者と科野の兵たちが驚いた隙に、健はローソクに火を灯す。

 それをバトンリレーのように、背後に居る乙姫に渡した。

 もちろん視線は守矢の男達に向けて、小さなライターの火と共に威嚇しながら。


 ローソクを受け取った乙姫は、紙袋に入れてあった『ある物』を取り出した。

 この時代にやって来る前、週末にいとこの幼い子と遊ぶつもりで購入していた花火セットだ。『ナイアガラ』『スターマイン』など、よくある商品名であったが、夏の花火大会で上空に打ち上げられる尺玉とは到底比較にもならない、手に持ったり地面に置いたりして楽しむ家庭用のタイプのアソートパック。


 途端に白煙とともに、色とりどりの炎を上げる乙姫の手の中の謎の小筒。

 それを見た守矢の男たちはわずかに後方に下がった。


 乙姫が火を点けた花火を両手に持った健は、やや投げやりに騒ぎ立てる。

「出雲の王子タケミナカタの呪術だぞ! 火だから触ると絶対に熱いぞっ!」

 両手を大きく振り回しながら、四方を囲う守矢の男を威嚇した。


「その程度のほむらがどうしたっ!」

 所詮は単なる目眩めくらましに違いないと、武功や戦果に逸る守矢の男が剣を振り回しながら闇雲に近寄ってきた。

「ひえぇっ! 来るなってば!」

 健が咄嗟に花火を差し向けと、剥き出しの素肌に細かい火花が叩きつけられる。

 小さな炎に焼かれた男は悲鳴を上げた。

「うわあっちぃっ!」

 胸元をせわしなく擦り、悶絶しながら地面に伏す。


 それを見て、目の前の炎は呪術による幻ではないと知った男たちは後方に下がる。

「弥栄さん! もっとどんどん燃やして!」

 健は自分が持つ花火の勢いが衰えてくると、すぐに代わりを要求した。

 乙姫は科野の兵達に花火を配ると、手を振りながら大声で急かす。

「この先っぽにあるひらひらした物をローソクに当てて! そしたらだんだん燃えてきて火花が出始めるからね! ほら、早く急いで!」

 最初は呪術の火を恐れていた科野の兵であったが、勝気な姫君の指示で言われるままに燃やし続ける。



 だが、相手も百戦錬磨の守矢の男達。

 立派な角を生やした牡鹿の面を被った男が叫ぶ。

「前進せよ! 恐れるな! ただの炎ではないか!」

 首領格とおぼしき男の声に圧されて、他の鹿男たちも健に向けて前進した。

「うわぁ! やっぱこっちきた!」

 出雲の王子を庇うべく、数人の科野の兵達が前にでた。

 下から振るう剣を上で受ける。

 振り下ろされた刃を咄嗟に得物で払う。

 途端に辺りには甲高い金属音と共に、男たちの怒号が聞こえていた。


「ぎゃあぁ! 急に戦争になっちゃった! 弥栄さん! もっと花火を!」

 敵味方の剣と矢が迫り合うなか、威嚇のための花火を乱暴に振り回したまま四つん這いで右往左往する健が悲鳴をあげる。

 乙姫も緊張の色を隠せず、焦りの矛先を健に向けた。

「わかってるってば! あたしだって必死なんだから!」


 その時。

「ぬおおぉぉっ!」

 乙姫を狙って、ひときわ身体の大きな守矢の男が、剣を振りかぶった。

 咄嗟に一人の科野の兵が前に出て剣を構えたが、相手の腕力がそれを上回る。

 得物を弾かれてしまった。

 守矢の男はふたたび大きく頭上に剣を構える。

 そのまま目の前の科野の兵を屠ろうとしていた。

「危ないっ!」


 ぱぁん!


 乙姫が咄嗟に投げた花火のかんしゃく玉は、わずかな薄い腰蓑しかない守矢の男の股間に炸裂した。

「うぎゃあぁっ!」

 断末魔の悲鳴を上げる男に、思わず乙姫は掌で咄嗟に自分の顔を隠した。

「きゃあっ! ごめんなさい! 悪気はないから、ごめんねっ!」

 だが、その騒ぎの合間に乙姫の花火の補給が途絶えた。

 健が持つ花火は今まさに火薬が燃え尽きるようで、火の粉がみるみる萎んでいく。

「うわっ! 弥栄さん早く次のやつを!」

 地団駄を踏みながら催促する健の隙を突いて、別の鹿男が剣を正面に構えたまま突進していた。


「南方くん、うしろっ!」


 ぴゅーっ!


 慌てふためく彼の顔の横を甲高い音が切り裂くように鳴り響く。

 その炎の矢は相手のひとりを射抜いた。

「ぅあっちぃ!」

 守矢の男の悲鳴よりも、すぐ耳元を通り過ぎていった音に驚いた健は、頭を両手で抱えたまま、背中を極限まで丸める。

「あぶねっ! いったいなんなのさ!」

「南方くん、そのまま動かないで! こっちも飛び道具で逆襲よ!」

 まだ頭を抱えたままの健がちらと後ろを見ると、乙姫と科野の兵は次々にロケット花火に着火させていた。

「さぁ、これをどんどん相手に向けて! 勝手に飛んでくから!」


 ロケット花火に対抗するべく、後方に居た守矢の猛者たちは一斉に弓を絞り、狙いを定めてきた。

 乙姫は小さなススキ花火やスパークラー、果ては線香花火にも火を点けるとあちこちに放り投げた。

 途端に科野の軍勢を覆うように白煙が森の中を漂い始める。

 まさに文字通りその姿を隠すように煙に巻いていた。

 やむなく相手側も矢を照準も定めず放つが、合間にある木の幹に虚しく刺さる。

「うわぁっ! ちょっ、弥栄さん! いったいどうなっちゃったんだよぉ!」

 後方からはロケット花火の風切り音。

 前方からは次々に放たれる矢。

 健は地面を這いながら右往左往している。


「さぁ! 残りの花火もどんどん燃やしてちょうだい!」

 乙姫と過ごした時間も長くはないだろうが、科野の王サカヒコの娘、ヤサカトメ姫の言う事を素直に聞く科野の兵。

 この時代には無い花火という未知の物を恐る恐る燃やし続ける。

 さながら火薬部隊へと進化していた。


 四つん這いでようやく乙姫の元に戻ってきた健は手にした花火を点火させる。

 その注意書きには『地面に置いて使用してください』と書かれているものの、万が一にも守矢の男達の武器に襲われたら、火傷よりも怖いし痛いはずだ。

 しかし、今は戦争。

 単なる子供同士の危険な火遊びにも見えなくもないが、これは自分の初陣なのだ、と鼓舞する。


 健は花火のアソートパックの中でも一番高価そうで、一番最後に楽しむであろう置き型の花火を手に持って乱暴に振り回す。

「うりゃああっ! 頼むからもう降参してよぉっ!」

 情けない声を上げつつも、健は守矢の男達に向かって突進した。

 それを警護するように、複数の科野の兵が彼に続く。

 負けじと剣を構えて斬りかかろうとした守矢の男だったが、彼が被る鹿の毛皮には火花が幾重にも飛び、徐々に生臭い煙が立ち込めると慌てて鹿の面を脱いだ。

「うわあっちぃっ!」

 当然ながら、その下はごく普通の髭面の男であった。



 だが、その時。

「きゃあっ!」

 乙姫の悲鳴が聞こえる。

 すわ彼女の一大事かと、健が慌てて後方に振り返った。

 乙姫は無事だった。

 だが、どうみても一大事。

 倒れたローソクや彼女が放り投げた花火によって、足元に落ちていた松や杉の枯れ枝が炎を上げている。

「おわぁっ! これ花火よりやばいやつだ!」

 驚愕する健に、乙姫も狼狽しながら声を震わせる。

「どうしよ、山火事になっちゃうよ!」

 風に巻かれて飛んだ炎は、周囲の枯れ葉や枝を次々と燃やす。

 花火合戦のせいで、地面の水分が飛んだのだろうか。辺りはどこも着火しやすいほどに乾燥していた。

 その様子を呆然と見ていた健の足元でも、なにやら香ばしい匂いともにパチパチと木枝が爆ぜる音がしはじめた。

「うわっ、こっちもやっちゃった!」


 もはや科野と守矢の戦どころではない。

 あちこちから火を上げる山肌に、右往左往する両軍。

 乾いた枯れ木は白煙を上げたのちに、炎を幾重にもたゆらせていく。

「南方くん、はやく逃げるよ!」

 言うが早いか、乙姫はすかさず自分の荷物を持つと、守矢の部族も科野の側近も、健すらも置いて早々に下山していく。

 兵たちも健も置いて行かれてはたまらない、と慌てて追随する。

「だから良い子は山の中で花火なんかしちゃ絶対にダメなのよっ!」

「何言ってるんだよ! 弥栄さんだってこの作戦に乗ったくせに!」

「ここが異世界で、今の日本の法律や条例は無いからギリセーフでしょ!」

 敵を追うのをやめて、急ぎ消火を始める守矢の男達の努力も虚しく、山全体は黒煙を上げながら、屹立した樹々をも徐々に燃やしていく――。




 炎は三日三晩続いた。

 州羽の海に面した守矢の山は、巨大な煙の柱を上空に昇らせながら、その山肌を飲み込むかのように炎が這いずりまわる。

 ようやく恵みの雨によって鎮火したのは、騒動から四日後。

 全てが終わった後は樹々が灰燼に帰した、見るも無残な姿になっていた。


 やがて守矢の部族から和議が申し入れられたのは、数日後のことだ。


 山そのものが聖地であり領土でもある、御社宮神みしゃぐちを崇拝する守矢の民は、タケミナカタとヤサカトメの操る火の呪術に屈服した。

 以降は、守矢の勇ましき男達は科野を盛り立てるべく忠誠を誓うこととなった。

 さらにそれを伝え聞いた他の土着の部族も、次々に投降してきた。

 こうして、この太古の時代に飛ばされていた乙姫を娘として保護していた王サカヒコによって、科野平定へいていが宣言された。


 それは勇猛果敢な出雲の王子タケミナカタの働きぶりであると、口伝えに科野の民によって全国に喧伝されていくこととなる。

 その噂を聞いた者から声を掛けられた健は、とても勇猛果敢とは言えない自分の姿を思い返し、苦い笑みを浮かべるばかりであった。

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