クラスメイトとの再会

 健も乙姫おとめも互いの顔を見たまま、しばし呆然としていた。

 久しぶりの再会ではあるものの、ここは学校ではなく古代の日本。

 健は未だ学生服だが、相対する乙姫は朱や薄桃色の衣を幾重に纏っている。加えて彼女はショートだった髪がいくらか伸びて肩に届くくらいになっていた。それは健も同様だが、彼はまだこちらに来てひと月程度。男子は校則で頭髪から耳を出す決まりだったが、髪で半分隠れたほどだ。

 


 そんな二人の様子を見て、科野の王サカヒコは困惑気味に声を上げる。

「なんだ、お前とタケミナカタ王子は顔見知りなのか?」

 すると茶の入った椀が乗せられた盆を勢いよく足元に置いた乙姫は、サカヒコに食ってかかる。

「だから言ったじゃないですかっ! あたしはホントに未来から来たって! この子はあたしの知り合いですよ。嘘じゃないって信じてくれたでしょ?」

 普段の乙姫を良く知らない健であったが、サカヒコにまくしたてるその剣幕に彼もサカヒコも女王も呆気に取られていた。

「えっ、なんで弥栄さんがここに居るのさ?」

「なんでじゃないよ! 南方くんのお兄さんのお店で翡翠の石のアクセサリーを買った次の日に、変な夢を見たと思ったら、急にこんな時代に飛ばされちゃうんだもん! 忘れもしないよ、今から九十三日も前だよ!」

「僕がここに来るふた月も前に、先に過去に飛ばされてたんだ」

「よかった! 南方くんだとしても、知ってる人が居るだけで凄い安心する! でも結局、元の時代に帰る方法なんか分かんないし、どうなってるのよ!」

「逆に弥栄さんはなんで科野でお姫さましてるの?」

「それは、まさに九十三日前のことだけど……」



 帰宅した乙姫は、健の義兄、進の店で購入した翡翠のネックレスを休日に着用するのが待ち遠しく、鏡の前で首に通してみた。

 制服姿の上にアクセサリーというのも校則で禁止されているせいか、そのいで立ちは妙に新鮮で、先端の石を指でつまむと身体を左右に揺らして鏡に映していた。

 すると突然、石が淡い緑の光を放つと同時に、耳元で女性の声がする。

『どうか、救いを……』

「やだ、なに?」

 また声がする。

『どうぞ、我らに力を……』


 途端に背中に寒気が走った乙姫は、鏡に映る自分の胸元の石を見る。

「ちょっと、こんな昼間に怪奇現象なんてやめてよ。オバケだったら素直に勤務時間は夜だけにしてってば」

 慌てて首から翡翠の石を外そうとした時だ。

 突然に足元のカーペットが抜けたように感じた。

「きゃあっ!」

 乙姫は咄嗟に近くにあるものに掴まる。

 床に置かれた通学カバンと紙袋を瞬時に抱えると、奈落の底に落ちていった。


 「きゃっ、いたぁいっ!」

 背丈よりも上空から突然に放り出されて、草むらの上で尻もちをついた乙姫は痛みを訴える自分の尻を撫でる。

 だが、そのうちに周囲の景色に違和感をおぼえ、ゆっくりと立ちあがった。

「やだ、ここなんなの……」

 そこには一切の文明の痕跡はない。ただ一面に広がる緑の稜線と背後の山々。そして眼前には広大な湖。

 まるで人類が滅亡したのちに打ち捨てられた惑星のようであった。



「それで、あちこち歩いているうちに、ここのお屋敷に来ちゃったのよ」

「ふーん、僕の時とほとんどおんなじだ」

 突然に過去の時代に飛ばされてこれまで独りで心細かったのであろうか、乙姫は健のそばにちょこんと座ると、彼の服の袖を引っ張る。

「なんか学校の制服姿も懐かしいわぁ。だいぶ傷んできたんじゃない?」

「これ一着しかないからさ。そういう弥栄さんは服はどうしたの?」

「九十三日前の放課後、家で着替えようとした瞬間にこっちに来たのよ。服も下着もあれ一着しかないんだもん。ずっとこっちの服を借りてるの。南方くんはこの時代の服は着ないの?」

「だってアレを着ちゃったら、もうホントにこの時代に馴染むみたいでさ……それで弥栄さんは科野のクニに飛ばされちゃったんだ?」

「なんせ『信濃の諏訪』だもん。すぐにわかったわよ。そういう南方くんこそ今までどうしてたの?」

「高志っていう信越地方のクニに行って、えっと、今はそこの王子様……」

「はぁっ!? 南方くんが? 王子様? マジで!」

「そういう弥栄さんだって、科野のお姫さまじゃんか!」


 互いに間髪も入れず、かしましく会話を続ける二人のやり取りを見ていた科野の王サカヒコたちに気づいた健は、慌てて土下座のポーズを取る。


「すいません! 僕はホントは出雲のタケミナカタじゃないんです! この子とおんなじで、なんだか知らないけど未来から急に飛ばされてきて困ってるんです! 今は高志のヌナカワ姫に助けて貰っているんですけど、早く未来に帰りたいんです!」

「なるほどね。なんだかよくわからないが、なんとなくは理解できたよ」

 未だ混乱している様子ではあったが、サカヒコは穏やかな声で健に語り掛けた。

「わたしらは子がいないんだ。科野の後継ぎに悩んでいたところ、急にこの子がやってきてね。自分は未来から飛んできたと、よくわからない話をしていたが、とりあえず暮らし向きにも困るだろうから、ここの姫として迎えていたんだよ。いずれどこかのクニの妃にでも、と思っていたが、君がこうしてこの子と出会えたのもなにかの縁だろう」

 すると、サカヒコの妻も優しく語り出す。

「まるで月から子が降ってきたみたいで非常に楽しい時間でした。この子の言うことが本当ならいつかこんな日が来るとは思いつつも、トメをわたしたちの本物の娘のように接して、有意義な時間を貰いました。どうかこの子のことをお願いしますね」

 科野の王たちの話を聞きながら、健は乙姫の顔を不躾に指差す。

「弥栄さんはトメって呼ばれてるの?」

「だから、あたしの名前が『やさかおとめ』でしょ?『八盛雄やさかお』って凄く荒々しくて雄々しくて直情な男の人って意味だから、格好悪いからやめなさいって、『ヤサカトメ』って名乗ってたのよ」

「ふーん、まぁそんな感じは無くもない……」

 普段の快活な彼女の様子を思い返して、思わず声に出した健は慌てて口元を塞ぐ。

 だが、それを聞き逃さなかった乙姫に途端に首元のシャツを締め上げられた。

「どういう意味よ、それ! あたしのこと普段そういう風に見てたわけ!?」

「ぐえぇ、この時代でケンカやめようよ! 僕らしか居ないんだからっ!」


 これが現代の学校の教室ならば、特に多くの会話をする仲でもなく、二人はこんな距離感では居なかった。

 翡翠のアクセサリー、もしくは雑貨屋を営む義兄が繋いだ縁とはいえ、同じ境遇で同じトラブルに巻き込まれた者どうし半ば冗談のようでもあり、既知との再会に安堵している彼女の態度の裏返しでもあった。

 早くも夫が妻の尻に敷かれているとも言える二人のやり取りに、笑いと涙が堪えきれないサカヒコたちは手を叩いて喜んでいた。




 そんな喧騒も落ち着いた頃。

 健は改めて科野の王サカヒコに依頼をするべく、再び深く頭を下げた。

「僕たちの時代ではこの戦はヤマトが勝つと決まっていて、出雲との戦が近いのも間違いないことです。僕はヌナカワ姫の想いを達成するために歴史を曲げてでもヤマトに勝たなきゃいけないし、そうしないと未来に帰れない。どうか、その時は科野の皆さんにもご協力をお願いします」

「無論、オオナムチ様やヌナカワ様の頼みとあらば、科野はすぐに兵を挙げる。その点は心配しないで良い」

 安堵の表情を浮かべた健が頭を上げるが、相変わらずサカヒコたちは浮かない顔をしていた。

「その前に、逆にそなたに頼みたい事があるのだ。先程も申したが、ここ科野も一枚岩ではない。迂闊に出雲に兵を協力できない事情がある」

「サカヒコさんたちが心配なことって、さっきの反乱のことですか?」

 その問いに、サカヒコは静かにうなずいた。

「ここ州羽すわの海からほど近い、守矢もりやの山を拠点とする部族がどうにも忠誠を誓わないのだ。彼らは御社宮神みしゃぐちという独自の神を信仰し、ヤマトの太陽の巫女も、高志の翡翠の巫女であられるヌナカワ姫も、豊秋津島を造られた夫婦神も一切信じておらぬ。加えて稀にムラに降りて来ては、子や女をさらったり、農作物や家畜を盗んだりもしており、手を焼いておるのだ」

「はぁ、いわゆる土着の部族なんですね」

「そこで、未来から来たと申すそなたとトメに、なにか知恵が無いか聞きたいのだ。聞けば何もない手の中から炎を生み出したとか。高志のヌナカワ様も一目置くそなたのことだ。彼らを屈服させられる未来の叡智を授けて欲しい」

「えぇっ!」

 健と乙姫は呆然と互いの視線を絡ませる。

「でも、僕らは剣術も弓も槍もなんにもできない、ただの未来人ですよ? そのへんに居る子供とおんなじようなもんですよ?」

「無論、対価は用意する。我らは高志との交易関係を強固なものにするため、そなたが申す『タケミナカタ王子』という嘘偽りが真実となるべく、加えてヤマトとの戦に向けて持てる全てを差し出そうではないか」




 それからしばらくのち。科野にある乙姫の屋敷。

 床にあぐらをかいた健は、頭を抱えて深くうなだれたままだ。

「どうしたらいいんだろ……ねぇ、なんかアイデアある? 弥栄さん」

「何言ってるのよ! それを考えるのが南方くんの仕事でしょ?」

「それで僕が死んじゃったら、どうするのさ!」

「どうせこんな時代に来てお母さんにも会えないし学校にも行けないし、一度死んじゃったようなものなんだから、男の子らしく頑張りなさいよ!」

 なんとなくブレた鼓舞をする乙姫に肩を強く叩かれると、その衝撃で健は知恵熱がぶり返すような心もちであった。

「はぁ……仕方ない。やるだけやってみるか」

 健はスマートフォンを取り出すと、日本神話よりもさらに情報の少なそうな長野県の民間伝承、説話などを調べた。

 そんな彼を見て、乙姫は羨望の眼差しとともに頬を膨らませる。

「あー、ずるい、南方くんったら。あたしのスマホなんかとっくの昔に充電切れちゃったんだもん」

「でもここに来た時に、ネットが繋がることにビックリしたでしょ?」

「そうだけど、電話やショートメールをお母さんに送りまくってたうちに、充電が無くなっちゃったよ」

 それを聞いた健は通学カバンからソーラータイプの充電器を取り出した。

「とりあえずこれで充電しなよ。僕は手回し式のを使うから」

「南方くんったら、すごい! まるで異世界に飛ぶのを知ってたみたいじゃない! これで守矢の部族もなんとかできるんじゃないの?」

 まるで焦燥感もなく、さっそく彼の手元から充電器をひったくるように預かる乙姫に、健も不安を隠し切れない。


 日当たりの良い場所に自身のスマートフォンを置いた乙姫は、空を見上げる。

 一方の健は、諏訪の土着信仰の情報を調べていた。

「御社宮神って、もともとずっと諏訪地方にあったものみたいだ。ここで僕たちが無理やり捻じ伏せていいものなのかな?」

「でもお父さんたちも困ってるみたいだし、ヤマトと戦争するなら、科野だってクニじゅうが同じ方を向いてたら良くない? それに神話ではタケミナカタさんが勝つんでしょ? だったらここで南方くんが勝っても一緒だってば」

 乙姫はこれまで長い時間を共にしていたせいか、サカヒコを『お父さん』と呼んでいた。

 しかし今の健には、まさか古代人と剣術で勝負と言っても勝算は無い。

 何度も髪を掻き乱しながら思案していると、乙姫の荷物に目が行った。


 服装はこの時代のものを着用しているが、過去に飛ばされてから制服は大切に折り畳まれていたのだろう。その時に持っていた通学カバンからスマートフォンだけでなく、予備のバッテリーも充電するべく用意していた。

 そしてその隣には、なにやら買い物の形跡である紙袋も。

「ねぇ、弥栄さん。それって?」

「これ? 夏休みにはだいぶ早いけど、いとこの小っちゃな子が週末に遊びたいって言ってたから、頼まれて買ってたのよ」

 その紙袋に入っていた物を見るなり、健はわずかな笑みを浮かべる。

「もしかしたら、これで守矢の人達を脅かせるんじゃないかな?」

 健は自分のカバンからローソクとガンタイプのライターを取り出した。



 それからのち。

 健と乙姫は、山深い樹々の中を歩いていた。

 陽も差さぬ鬱蒼とした森を、ふたりは慎重に歩いていく。


 健は通学カバンを肩に抱え、腰には剣を下げていた。

 乙姫も山中を行くなら歩きやすい格好が良いと、久しぶりの制服と革靴に着替え、その手には紙袋と槍を持っている。

 その後方には、武器を持った科野の男達が十数人ほど警護をしてくれていた。

「ねぇ、南方くんって剣なんか使えるの?」

「いや、全然。ここ数週間、剣術の指導をしてもらったくらいだよ」

「それで剣が役に立つの? そこは、あたしがピンチになった時に『剣道を習ってて良かったぜ』くらいのスキル発動してよ」

「なに、そのご都合主義。異世界転生のマンガじゃあるまいし。弥栄さんだって槍を使えるわけ? おじいさんが古風な人だから、昔なぎなたを習ってたとか?」

「単に長くて危ない物を持ってたら、相手がビビると思っただけよ。それにしても、供の数も少ない方がいいって言ってたけど、これで相手を倒せるわけ?」

「まずさ、守矢の人達だって話が通じる相手かもしれないんだから。いったんは交渉のために来たって風にしないと。あんまり大勢で押し掛けて僕らも最初からケンカ腰で行くのは……」


 そんな話をしながら、健が朽ちた枯れ枝をぱきっと踏みしめた時。


「うおおぉぉぉっ!」

 雄叫びと共に男達が樹々の裏から一斉に飛び出してくる。

 上半身裸で植物で編まれた腰蓑をつけ、胴体や腕にはいれずみをしており、肩から上は、まるまる切り落とした鹿の首から剥いだ顔の皮を仮面にして被っていた。

 守矢の男はそれぞれに武器を手にしている。

 明らかに相手の方がケンカ腰だ。

「うぎゃあっ!」

「きゃあっ!」

 思わず足を止めて悲鳴を上げる健と、すかさず彼の腕に掴まる乙姫。

 気がつけば辺りを一気に囲まれていた。

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