建御名方の縁談

 出雲にやってきた健とヌナカワは、オオナムチの屋敷でさらに数日を過ごした。


 コトシロヌシが各国に伝えた王子タケミナカタ凱旋の情報。

 そしてスセリが放ったヤマトの間者を調査する密偵。

 現代のようにインターネットを介して世界中、即時に情報が伝わる訳でもないし、高速道路や線路や空港が整備されているはずもない。

 各地の反響が返ってくるどころか、未だ往路の道半ばといったところであろう。


 屋敷の外廊下で降り注ぐ陽光を浴びながら、ヌナカワは背を反らして伸びをする。

「わたしもいつまでも高志を留守にはできぬし、本来ならば早々に戻らねばならぬのだが、出雲から海路でも二十日前後は掛かった道のりを、タケルがいるおかげで楽が出来るわ」

「なにそれ、僕じゃなくて姫のせいでしょ。この石のおかげじゃん」

 国家運営とそれに付随する巫術と下知、ヤマトとの戦の準備と、気苦労が絶えない女王稼業である。出来る限り自分は玉座に居る方が、民も安心するという彼女の想いもある。

 そんな彼女の本音には賛同しつつも、健自身は翡翠の石に幾度も飛ばされて、内心不満を覚えなくもない。

 隣であぐらをかいた健は、背を丸めて自身の膝に頬杖をついていた。

 目を閉じながら首を回すストレッチをしていたヌナカワだったが、動作を止めると健に向き合う。

「それでタケルよ、そなたの方はなにか分かったか?」

「いやぁ、なんにも変わんないね。いつも通りの様子だったよ」


 ここ数日、健はコトシロヌシと行動を共にした。

 まず家臣たちに自分も正統な王子であると印象付けるため。

 さらに国家の行く末とまつりごとの最終決定権は、王族である自分たちだけのものであると知らしめるため。

 そして国譲り神話の最後で、自ら死を選ぶ兄の兆候を探るために。


「これから本格的にヤマトとの戦争になったら、わかんないけどね。少なくとも今のコトシロヌシさんは、ちゃんとヤマトと対決する方法を模索している風だったよ」

「そなたの時代の預言書では、ヤマトの内通者が出雲に多数来ていることになっている。合議に紛れた間者が居るかもしれぬのだから、良い牽制となろう」

「かと言って、家臣をないがしろにし過ぎて謀反が起きちゃう可能性もあるからね。その辺のバランスが難しいんだけどさ」

 健はそばに置いた日本地図の本を手に取る。愛機のスマートフォンはソーラー充電器で、しばしの休息であった。

「そう言えば、わたしが先に高志から放った伝令がそろそろ出雲に到着するかもしれぬな」

 それは出雲にやってくる十日ほど前のこと。

 高志の女王の息子であり、出雲の王子は無事に生還した。そしてミホススミからタケミナカタと名を改めた、と内外に知らしめた時のことだ。

「そうだね。出雲やヤマトは遠いけど、科野しなのとか摂津せっつくらいまではみんな知ってるだろうね」

 日本地図を閉じて上半身を起こした健は、軽々と立ち上がる。

 ここ最近は剣術の鍛錬も無く、筋肉痛もすっかり癒えたおかげだ。

「ではわたしは一旦クニに帰るとしよう。タケルよ、コトシロヌシにそのように伝えてくるが良い」




「ヌナカワ母殿が戻られるから高志まで見送る? また出雲を留守にするのか?」

「そう。と言っても、僕はまたすぐこっちに来るようにはしたいけど」

 コトシロヌシの私邸にやってきた健は、互いに向き合ったまま会話をしていた。

 行ったり来たりで落ち着きない弟の提案に、コトシロヌシも訝しそうに見返す。

「お前、高志まで何日かかると思っているんだ。その間にヤマトが一気に攻めよせてきたらどうするのだ?」

「だいじょうぶ、その時はすぐ駆けつけるから」

 適当な健の相槌にコトシロヌシも黙ってしまったが、彼と御大みほの岬で出会った時に、まるで姿を消すように隠れたのは承知している。

 火を起こしたり、怪しい呪術も使えるようだし、まさに神の御技と言えなくもないが、その程度は造作もないのだろう、とそれ以上は考えるのをやめた。

「早く戻ってこいよ。お前はヤマトとの戦の前線で奮闘して貰いたいんだからな」

「うん。ありがとう。ごめんね」

 健は手を振って足早にコトシロヌシの屋敷を出ていく。

 着の身着のままで、気軽に散歩に行くように出雲から高志に戻ると言う。

 その様子はまるで、最初に御大の岬で会った時のそのままだ。

「どうせ行方を追ったところで、あやつはまたどこかに消えてしまうのだろう。時間の無駄だ」

 頭を掻いたコトシロヌシは、近くに立て掛けてある愛用の釣り竿を見た。

 出雲の首都は屋敷から海岸線も遠く、家臣の目も多い。

 おいそれと趣味の釣りに興じることもできない日々に鬱屈としていた。

「俺もいったん御大に戻るか。これから忙しくなるからなぁ」

 コトシロヌシは両手を大きく振りかぶると、目には見えぬ架空の釣り糸を海に投げ落とす。

 釣りは彼のただひとつの娯楽であり、思索の手段であり、そして自分の息のかかった家臣と密談をする大切な場であった。



「うわあっ! ぐえぇっ!」

 高志の館では、先に上空から放り出された健の上に、ヌナカワが落ちてくる。

「んもう……なんでいつも姫が僕の後に落ちてくるのさ?」

「わたしを守るためではないのか? 身を挺しての移動、ご苦労だったな」

 今日の健はこれまでの反省を踏まえて、重い、苦しい、早くどいて欲しい等の不満を喉元で留めたので、ヌナカワも機嫌を損ねることなく立ち上がった。

「さて、わたしも四日ほど屋敷を空けてしまったな。変わったことはないだろうか」

 すぐに女王の顔に戻ったヌナカワは早々に仕事に戻る。

 一方の健は新たに用意してもらった自分の邸宅に帰った。


 健は木床を一段高くしてもらった木製ベッドの上に動物の毛皮を敷いた寝所で横になると、改めてスマートフォンで日本神話を読み返した。

 ヤマトの古老『高木の翁』は、カミムスビという名で神話に登場するらしい。

 彼の息子たちは幾度も、出雲の国造りから国譲りまでの段に登場する。

 出雲の<大国主>オオナムチを支えて豊かで立派なクニになっていくのを、待ち望んでいるかのように。

 そして時代は流れ、唐突に天界の太陽神の取り巻き――すなわちヤマトの一派は、葦原の中つ国こそ我がクニの王が統治するに相応しいと言い出した。

 いよいよ国譲りが間近になると、兵を差し向けてくる。


「<大国主>オオナムチさんは実際には行方不明、タケミナカタさんって言うか姫の息子のミホススミさんも行方不明、そして最後にコトシロヌシさんは投身自殺……」

 よもや、出雲の面々は徐々にヤマトの間者によって既に亡き者にされており、このままこの時代に残っていたら、自分が神話のタケミナカタと同じ憂き目に遭うのではないか――思わず身震いをした健は上半身を起こすと、昼ひなただと言うのにまるで物の怪を見たかのように周囲をせわしなく見回す。

「なんか、この時代に来てタケミナカタさんになってから、無事に元の時代に帰れる自信がなくなってきた……」

 すると健はベッドの上に両手足を伸ばすと、投げやりに仰向けになる。

 そして髪を掻き乱しながら、天井に向けて叫んだ。

「冗談じゃないよ、こんな異世界転生で死にたくなんかないっての! キレイでかわいい傍女だって用意されてないし、姫の噓つき! だったら未来に帰してくれよ! タケミナカタって名前にしたって全然いいことないじゃん!」

 元の時代へと戻り、便利な文明の世界を享受したい渇望。

 世に流行る物語と違って、なんとなく実りのない転移世界で発散されることのない鬱屈とした欲望。


 そんな自分をいつから見られていたのか、ヌナカワの呆れの声が聞こえる。

「わたしを罵倒しながら綺麗で可愛い傍女が居ないと、いったいそなたは何を悶えているのだ、まったく……」

 彼女の声がすると、健は慌てて背を起こす。

「えっ、ちょっ、姫! いつからここに来て見てたのさ!」

「そなたが穢れた欲を持て余して吠えていた前からな。そんなタケルに朗報だ」

「えっ、うそ! まさか僕の屋敷に傍女のひとが来てくれるの?」


 ここでついにラッキーな展開が待っていたとは。

 いわゆるメイドさんとは異なるが、なんにせよ全てを『お世話』してくれる女性が来てくれるはず――。

 健も待ち焦がれた『王子』特権の瞬間に、興奮を隠し切れずにいた。


 だが、ヌナカワは笑みを浮かべながら首を左右に振る。

「縁談だ。ご立派にご成長あそばされた高志のタケミナカタ王子に、娘を嫁がせたいという申し出があったぞ」

「うそっ、マジで! それでも全然いいよ! そういうのを待ってたんだよ!」

 今や遅しとヌナカワに駆け寄る健だったが、彼女の両肩を掴んだ途端、そこで突然に動きを止める。

「それって僕の時代に伝わる神話の話だと、本物のミホススミさんがお嫁さんにする予定の人じゃないの? 僕が会って問題ないわけ?」

「嫌ならば断われば良い。せっかくの機会なのだ。高志とのクニ同士の関係の手前、会うくらいは問題もなかろう」

「クニ同士ってことは、高志の女の子じゃないんだ? 相手はどこの子なの?」

科野しなのだ。かのクニを治めらえているサカヒコ殿の娘だぞ」

「そっか、科野かあ。たしかに高志と科野は<塩の道>で交易してるもんね」

「だからあまり無下にもできぬ。せめて顔だけでも合わせてくれぬか?」


 せめて、無下に、せっかくなどの文句は今の健には無い。

 途端に電源の落ちたスマートフォンの画面を鏡がわりに前髪を指先で整え出す。

「ついに僕にもカノジョが出来ちゃうんだ。あっ、カノジョどころかお嫁さんだもんね。いやぁ、困ったな。デートはどういう風にしようか。それともオオナムチさんみたいに良い歌を詠めないと、この時代はモテないのかな?」

 先程の狼狽はどこへやら、彼のあまりの高揚ぶりにヌナカワも嘆息を漏らす。

「夜這いや妻請つまごいでもあるまいし、縁談ということはつまりそなたの嫁になるということだぞ? 好きにすればよい」


 ヌナカワは胸元の翡翠の石を握ったあと、半ば投げやりに手を二度叩く。

 それが科野への出発の合図であった。

「ちょっ、今からなの? 姫っ!」

 健はその姿を消す間際に、慌てて通学カバンを抱きかかえる。

 それは出雲に滞在していた時にスマートフォンのバッテリーが消えかかった事への教訓であった。

「やっほーいぃぃぃっ!」

 いつもの瞬間移動の悲鳴もどこへやら。

 なんとなしに嬉しそうな声を上げて、その姿を消した健にヌナカワも頭を抱える。

「タケルは自分が出雲と高志の王子であると自覚しておるのか? 婚姻も立派な政治だというのに、何を浮かれておるのだ」




 健は胸元まで草が生い茂る平地に落下した。

 立ち上がると、自分は小高い丘の上にいるようだと、すぐにわかった。

 眼下に広がるのは視界いっぱいの湖。

 ポケットのスマートフォンから地図アプリを開くと、長野県の諏訪湖にいる。

 ここが科野の州羽すわの海だ。


 だが、彼の位置情報を示す人型のアイコンは、陸地のはるか奥にいた。

 当時の諏訪湖は、現代よりも相当広かったようだ。

「さて、僕のカノジョはどこに居るのかな?」

 背の高い草を漕ぐ苦労も厭わず、健は麓の集落へと向かっていく。

 その中でひときわ大きな屋敷の前に到着した。

「あれ? 勢いで来ちゃったけど、お供とかも連れてこないで身分証もないのに、僕が高志のタケミナカタだって分かるのかな?」

 健は屋敷の門兵に恐る恐る近づくと、声を掛けた。

「あのぉ、お邪魔します。高志のタケミナカタなんですけど」

 ちらと彼の顔を見た兵士はすぐに片膝を地面に付けた。奇妙な大陸風の服を着て、翡翠の石を着けた、背の高くて華奢で角髪みずらを結わいていない髭の薄い男――そんな特徴が伝わっていたようだ。


 健が屋敷に通されると、すぐに自分の両親と同じくらいの年齢の男女が現れた。

 ヌナカワやスセリを見てきてすぐにわかる、麻ではなく絹で織られて、淡い色染がされた服を着ている。それは高貴な人の象徴であった。


 すなわち、ここの王であるサカヒコが健に向けて柔和な笑みを浮かべる。

「タケミナカタ王子が無事にお戻りで我らも安心しましたぞ。当時はミホススミ様と名乗られていましたが、その行方が追えなくなったと聞いた時には、我ら科野の失態と、ひどく悩み苦しんだものです」

「とんでもないです、ご心配とご迷惑をお掛けしました」

 高志のタケミナカタとして振る舞わねばならないはずなのだが、健は妙に落ち着きなく、周囲に視線を彷徨わせていた。カノジョ候補はいつどこから現れるのか、ただそれだけが彼の不安と期待であったからだ。


「ヤマトと出雲の緊張は我らも伝え聞いております。遠き科野の山地ではありますが、必ずや戦の折にはお力添えをさせて頂く……と申したいところなのですが」

 そこでサカヒコは少しばかり頭頂部が薄くなった頭を掻く。

「ここ科野も未だ盤石とは申し上げられませぬ。小さなクニや集落では反体制の戦が蜂起しており、我らも統治に苦慮しておるのです」

「はぁ、そうなんですね。科野も大変なんですね」

 未だカノジョの到来に期待していた健は、どこか心ここにあらずという風情であったが、サカヒコの話に集中を戻す。

 日本全土で見てもヤマトと出雲が争っているが、科野という一国だけ見ても、そこでは内紛が起きている。やはりここは未だ群雄割拠の戦国時代みたいなものなのだろうというのは納得できた。


「それで、タケミナカタ王子にお願いがございまして……」

「えっ? 僕にお願いですか?」

 この妙な展開に、健は言いようのない胸騒ぎを覚えた。

 これはまるでゲームや小説にあるベタな展開、もといオオナムチが出雲の国造りをする際に体験したような試練の始まりではないか、と――。


「その前にタケミナカタ王子に茶も用意せず大変申し訳ございませんでした。いま娘に茶を用意させておりますので」

 ここでふたたび話題は一気にキタ!

 縁談の相手であるという科野の姫君の登場に、健は先程の胸騒ぎを忘れ、下肢をあぐらから正座を直すと、上体をサカヒコに向けて前のめりに倒す。


 屋敷の謁見の間に、ひとつの足音が近づく。

 固唾を飲みつつ、なんでもない素振りをして待っていた健だったが、やがてひとつの人影が部屋の入口にやってきた。

 美しい薄衣。煌びやかな髪飾り。艶やかな黒髪。

 そして見目麗しいであろう、その顔は――。


「えっ、なに!? やだっ、南方くんっ?」

「うそぉっ!? 弥栄やさかさんじゃん!」

 南方健と弥栄乙姫おとめ

 学校のクラスメイトたちは思わぬ古代日本での再会に、ただ呆然と互いの顔を見返していた。

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