天より見るはヤマトの巨木、高御産巣日

 翌朝。


 出雲の国王である<大国主>の屋敷で、健とヌナカワは膝を突き合わせて密談をしていた。

 昨晩、コトシロヌシから聞いた話。そしてスセリから聞いた話。

 互いに情報を持ち寄ってみたものの、それはほぼ同じ内容であり、あまり出雲の現状にとっては楽観視できないものであった。


「ビックリだよ。ミホススミさんに続いてオオナムチさんまで行方不明だなんてさ」

「よもや夫も間者に屠られたのかもしれぬな」

「姫はそんな落ち着いていられるの? 旦那さんが斬られたかもしれないんだよ?」

「仕方あるまい。ヤマトと対峙していたのはずっと以前からのことだ」

 最初は生活を共にした夫婦ではあるものの、別居して十年は数える。

 ヌナカワは推測される事態を遠い目で淡々と語っていた。

「だとしたら、このままだとコトシロヌシさんも危ないよね。後継問題でゴタゴタしているうちに出雲は小さなクニに分裂して、そこをヤマトに籠絡ろうらくされちゃうよ」

「まさに日の巫女が交代した時のヤマトと同様にな。むしろ相手もそれを狙っているのかもしれぬ」

「やっぱここにスパイが居るんだよ、きっと」

 その時、かすかに木床を軋ませて歩いて来る足音がする。

 それに気づいた健とヌナカワは、言葉を止めて音のする方を見た。

「ヌナカワ母殿、ここにおられたか。タケミナカタも一緒か」

 やってきたのはコトシロヌシであった。

 彼は二人の間に腰を下ろす。そして三角形を為すようにそれぞれに向き合った。


「兄さんの身も危ないとか思うことない? 警護とか増やした方がいいよ?」

 健は以前の兄弟という芝居のまま、単刀直入に切り込む。

 だが、コトシロヌシは首を横に振った。

「俺の心配より、今はお前や母殿の心配をするべきだ」

 今度はヌナカワが健の言葉を引き継いだ。

「ヤマトの間者が入り込んでおる可能性もある。言わばヤマトに手の内が明るみになっているともな。すぐに合議は中止して、そなたの祭祀で家臣に下知をするが良い」

「大丈夫です、母殿。ご案じ召されるな」

「いずれかヤマトの腹心が都合よく出雲を懐柔しようと企んでいるかもしれぬ。夫の周りに居た者、新たに登用した者、改めて身辺調査を行うことだ」

「それには及びませぬ」


 けんもほろろに幾度も首を振るコトシロヌシの態度に、健もやや焦れていた。

 やはり彼の考えが理解できなかったからだ。

「じゃあ僕と姫で、兄さんや出雲を守ろうと思うんだけど?」

 健の言葉に、コトシロヌシはしばし思案をする。

 弟たちを諫めたところで留まるような様子ではないのは承知しているが、これまで国家運営を一手に任されていた中で、突然に戻ってきた弟とその母に内心、障りを覚えているのも事実だ。

 だが、何もない空間に突如として火を起こすその巫術は、自分の、いや、日の本のクニで無二の奇跡。利用しない手もない――。

 コトシロヌシには彼らを無下に出来ない、そんな感情もあった。


「構わぬ。俺は俺なりのやり方で出雲を守っていく。お前は母殿と共にヤマトと対峙する方法を模索してくれ」

「そしたら僕が、タケミナカタが出雲に舞い戻ったって各地に伝令を出して貰える? 出雲と交易関係にあるクニや、ヤマトと敵対するクニにはぜったい良い報せになると思うんだよね」

「あぁ、わかった。出雲の逆襲の狼煙とでも伝えておくよ」

「ごめん、兄さん。恩に着るよ」

 ヌナカワに向けて一礼したコトシロヌシは、その場を去っていった。



「ヌナカワ様、こちらにいらしたか」

 入れ替わりでやって来たのはスセリであった。

 気高き高志の女王であり、気丈で逞しい母ヌナカワとは異なり、彼女はやや勝気そうな雰囲気であった。嫉妬深くて夫を独り占めしたい性格。なるほどと、健も腹の中で納得したのだが、ヌナカワといいスセリといい、やはり王様に嫁げるだけの美人なんだなと、つい顔の隅々まで目が行ってしまう。

 ところが、今は元気が無くて大人しくなったスセリの姿は悲愴感を漂わせており、陰がある雰囲気もまた、年上でありながらも思わず守りたくなってしまうようだ。

「あなたがあのミホススミですか。立派になられましたね」

 このキレイさで嫉妬深いのならば、いくらでも惚れられてもいいじゃん――。

 健もそんな妄想に、照れ臭そうに頭を掻いた。

 そんな様子の彼に、ヌナカワも呆れて袖で口元を隠す。

「ヤマトとの戦を回避するため、あなたが来てくれたこと、嬉しく思います。なんでも空中にほむらを生み出す呪術を家臣の前で披露したとか」

「えぇ、まぁ。ヌナカワ姫ゆずりの巫術といいますか、何と言うか……」

 現代では百円程度の手品のようなものだが、まるで自分の手柄のように喜ぶ健。

『おなごに弱いのは相変わらずだのう、タケルは』

 ヌナカワはすっかりとその場から気配を消すと、山々に掛かる雲を見ていた。


「さすがスセリ姫。情報が早いですね。それだときっとヤマトにも……」

 相変わらずだらしない笑みを浮かべて照れる健だったが、そこでふと思い返す。

「もし出雲の中に間者が居たら、僕が手の中に火を産んだって、絶対ビビってヤマトに報告を入れるはずだよね」

 手を叩いた健は、スセリとヌナカワに向けて両手を広げる。

「長門の海の港を封鎖したらどうかな? 僕の火を産む呪術を聞いて焦って、筑紫島のヤマトに報告に向かう間者が居るはずだよ。そこを生け捕りにしよう」

「そうだとしたら、もう間者もヤマトに向けて出立しゅったつしているのではないか?」

「じゃあ善は急げだよ。すぐに取り掛かろう」

 加えて健はスセリに向けて次の指示を出す。

「スセリ姫も家臣の中に怪しい動きをする者がいないか、調査してください。ご自分のクニの密偵でも、くのいちでも、なんでも使って、ここ出雲に居る家臣を全員調査させてください」

 それから健はポケットからスマートフォンを取り出した。

「なんと、黒々としながらも、まるで鏡のように輝く石ではないですか!」

 驚嘆の声を上げるスセリに、健は思わず高志のクニと同じようにスマートフォンを用意してしまったことに動揺する。

 だけど、ライターで火を起こしたのが奇跡なら、もう後は嘘を重ねるまで――。

 彼はにやりと笑う。

「スマホっていう、神からの託宣が得られる奇跡の石ですよ」

「これを『素魔法』と呼ぶのですか……」



 スセリが場を離れると、改めて健とヌナカワはスマートフォンから得る情報を精査していた。

 それは出雲の国譲り神話の段、オオナムチが一所懸命に出雲の国造りを行う場面が丁寧に描かれているのだが、ヤマトと敵対する瞬間の描写はまるで抜け落ちていた。

 ある時突然、天上界では太陽神の御子みこ葦原あしはらの中つ国を統治すべきだ、などと言い出し、出雲に神々を差し向けだす。

 ところが、最初に天降あめふり出雲にやってきた神も、その次の神も、オオナムチのカリスマ性に当てられ、ヤマトを裏切り彼に恭順の意を示す。

 天上界ではオオナムチにおもねる連中に、早々に帰還するよう忠告をするが、裏切り者の神は天に向けて矢を放つ始末であった。

 天上界の神がその矢を投げ返したところ、彼は胸を射抜かれて死んだ、とある。


「ほらね、未来の歴史書にも、スパイっていうか本来の役目を忘れて出雲に寝返った連中が殺されてるんだよ。しかも呼び戻しに来た人まで殺されてたり。だからヤマトの人がもう潜り込んでるに決まってるよ」

「なるほどのう。それをわざわざヤマトは教えてくれたということか」

「その人達が二重スパイでヤマトに貢献したのなら、そこまでちゃんと褒めてあげるはずだよ」

 ヌナカワは、首から下げた翡翠の勾玉を指で撫でた。

 まるで僧侶が数珠を回しながら経文を唱えるかのように、交互に翡翠の石を指先に挟むと、彼女はぶつぶつと何かを言いながら考え事を続ける。

 向かいの健も、親指でせわしなくスマートフォンの画面を動かしながら、日本神話のエピソードを小声で音読していた。


 だがヌナカワは考えるのをやめたのか、手櫛で髪を撫でると、大きく息を吐いた。

「あとはスセリ殿の仕置きに期待するしかあるまいな。高志と出雲とでは距離が大きすぎる。わたしの手の内の者も、ここまでは容易に来られまい」

 健は話半分で、生返事をしながらもスマートフォンを見ている。

 そして出雲の国譲り神話の中に、ある既視感をおぼえた。

「ん? これなんだっけか? この神様、前にどっかで……」

 その時。

 突然に彼のスマートフォンの画面は薄暗くなっていく。

 そしてバッテリー残量の警告が出た。

「うわっ、スマホが使えなくなっちゃう! 充電器はぜんぶ高志に置いてきちゃったじゃん!」

「そなたは学校とやらの荷物入れを常に持ち歩かぬか、まったく。だったら翡翠の石で高志に取りに戻るが良い。わたしはここで待っている」

「それってもう、まるっきり学校に行く格好じゃない。やめてよ、せっかく異世界に来たのに……って、うわぁっ!」

 彼の姿は光に包まれると、出雲の屋敷から忽然と姿を消した。


 それから程なくして。

「あいたぁっ!」

 健は出雲の屋敷の中庭にある低木の上に落ちた。

 高志に戻って通学カバンを確保したら、すぐにまた出雲に飛ばされる。

 往復千数百キロも、五分と掛からない旅であった。

「おぉ、戻ったか。まだ茶の準備も出来ていないぞ。上出来だな」

「高志の館で、あの勉強の先生だったヨギっておじいさんと出くわしてさ。また僕にビックリして倒れちゃったよ。そのうちショック死させないか心配だよ」

「もはや奇跡を隠さなくなったのう、タケミナカタ王子は」

 ヌナカワは袖で口元を隠しながら薄ら笑いを浮かべる。




 陽光の下でソーラータイプの充電器をスマートフォンの本体に差し込みながら、健は調べものを続けた。

 かと言って無闇に使用しては、充電に追いつかない。

 たまに操作をやめてはヌナカワと議論を繰り返し、また慎重に作動させる、を繰り返していた。


「あっ、そうそう。この人が神話の中でずっと怪しいんだよ」

 健は祖父から貰った小道具一式の中に、日本神話の書籍も含まれていることを思い出し、そちらも並行して使用していた。

「ほら、姫。ここ見てよ。タカミムスビって神様なんだけどさ。高木たかぎの神って別名もあるんだけど」

 文字を使用した文化が未だ浸透していた訳ではないので、ヌナカワも健に言われるがままに彼が指差す書籍の一頁を見たが、内容はさっぱりわからない。

「そこになんと書いてあるのだ?」

「スクナヒコさんってオオナムチさんの国造りを支えた人でしょ? あの人ってタカミムスビの息子ってことになってるんだ。それで、さっきの出雲に来たヤマトの間者を矢で殺しちゃうのもタカミムスビ。さらに自分の息子のヤゴコロっていう頭のいい人が知恵を出して、出雲を攻略するために武神を派遣したりって、裏でいろいろ暗躍してるんだよ」

「はて、タカミムスビ……?」

 腕を組んで首を傾げるヌナカワ。

 彼女が出雲を離れて高志に戻って早や十余年。

 物理的な距離ゆえにヤマトの情報が入りにくくなっているのも事実だ。

「それは『高木たかぎおきな』ですね。わたしも聞いたことがあります」

 その言葉に続いたのは、ふたたびこの場に戻ってきたスセリであった。

「あっ、スセリ姫。どうしたんですか?」

「さっそく、わたしの使者から各地に内通者を派遣するように指示しました。加えて長門の湾にも兵を向かわせております」

「うわぁ、さすが仕事が早いですね。それで、スセリ姫。その高木さんってどういう人なんです?」

「『高木の翁』は、古くからヤマトに仕える者です。老獪な人物と聞いております」



 ヤマトに誕生した、日の巫女。

 それを支え、彼女の巫術をもって小さなクニたちを従え、次第に強大な国家としての体裁を整えていったのが、参謀たる『高木の翁』であった。

 その通り名の由来は、この時代の平均寿命には珍しく、非常に高齢であるというのがひとつ。そしてもうひとつが、『天をく巨木の遥か高みから見下ろす者』、転じて『全てを知る者』という意味だ。

 時に巧みな話術で人心を掌握し、時に冷酷な技で仇なす者を闇に葬る。

 日の巫女の託宣は国家が目指す方向性ではあったが、それは『高木の翁』が目指すヤマトの姿でもあった。

 彼自身も小国の娘を数多く娶り、大勢の子息を設け、その子や娘らを他のクニとの政略結婚に用い、権力を盤石のものにしている。


「『高木の翁』の子が、スクナヒコという可能性は否めません。もちろんその証拠も無いというのが正直なところです」

 健は続けて国譲り神話の疑問をスセリに向ける。

「アメノホヒとかアメノワカヒコとかっていう名前の家臣はいますか?」

「ホノヒコやワカヒコでしょうか? 彼らは最近登用された若い家臣ですね」

「うげぇ、神話のとおりマジでいるんだ……あのぉ、その人たちを細かく調査してもらってもいいですか? ヤマトとの繋がりがあるかもしれません」

「わかりました。そなたの望む通りにいたしましょう」


 スセリはヌナカワに会釈すると、奥へと下がっていく。

 その後姿を見守っていた健は、またしてもだらしない笑みを浮かべた。

「嫉妬深い奥さんって聞いてたけど、なんか根はいい人そうじゃない?」

 だが、ヌナカワは彼の言葉に面白くなさそうに視線を逸らす。

「さてなぁ。タケルがおなご好きだというのがわかったくらいだな」

 彼女が腹を立てている理由も分からず、健も視線をスマートフォンに戻した。

 そこに表示させた神話を見るなり、目を剥く。

「えっ! スセリ姫ってスサノオさんの娘なのっ!?」

「馬鹿を申すな。国父と彼女では歳は八十やそに離れているぞ。娘どころか孫娘と言っても、まだ歳が足らぬであろう」

「でも八十はちじゅう歳差くらいなら、ひいおじいちゃんとひ孫の関係ってこと?」

八十やそとは『たくさん』という意味だ。だが、そのくらいだろうな」

「だって、オオナムチさんもスサノオさんの直系の子孫だったよね?」


 健はまた顎を撫でながら、視線を彷徨わせる。

「太陽神の女神の弟さんが出雲を造って、その血縁の人どうしが結婚して王様とお姫様になって、さらにヤマトには日の巫女よりエラい高木さんがいて、その息のかかったスパイがたくさん来てて……」


 そこで健は突然の不安に駆られる。

 よもや、スセリ姫もまた出雲の国譲りのために仕向けられた妃ではないのか。

 やはり、出雲というクニ自体がヤマトのために造られたのではないか。だとしたら彼女に秘密を喋り過ぎてしまったかもしれない――。

「しまったなぁ……味方が欲しかったけど、もっと慎重に行けばよかった」

 周囲の誰が味方で敵かもわからない。思索の闇は晴れることなく、彼の思考を深い霧の奥へと沈めていった。

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