出雲の隠された秘密
出雲の堅牢かつ天高くにそびえる王の屋敷では軍議が行われていた。
家臣の男衆は祈祷のための神鏡に向かって腰を下ろしており、その正面にはコトシロヌシが鏡の前に座る。
迫るヤマトとの戦に備えるべく、議論は長きにわたっていた。
各地に散る武官たちは兵の鍛錬や武具の過不足などの状況、そしてヤマトの動きなどをつぶさに報告している。
コトシロヌシは時折、目を閉じたまま頷いたり、家臣の報告を傾聴している。
出雲の巫師として、国王たる父を支える息子として、深い瞑想に入っているようにも見えるが、彼自身は早々にこの軍議を終えて、
「失礼いたします!」
軍議のさなか、突然に兵卒が室内にやってきた。
そしてコトシロヌシへなにやら耳打ちをする。
すわ一大事かと、場の空気は一気に変わり、緊迫した男衆は前のめりになる。
「なに? ここにヌナカワ母殿と弟のタケミナカタが来ただと?」
彼自身も驚いた様子であったが、主の言葉に色めき立つ家臣たち。
それから間をおかず、木床を軋ませる足音が近づいた。
皆が振り返ると、そこには王妃ヌナカワが健と共に入口に立つ。
「合議のさなか、すまぬな。皆の者も息災であったか?」
軍議に参加していた男たちは一斉に上体を折ると
「おぉ、これはヌナカワ母殿。お久しゅうございます。それにタケミナカタもか。いつぞや御大で会った以来だな。高志に戻ると言っていたが、やはり母殿とこの近くに滞在していたのか?」
彼女の後方に待つ健に向けて笑みを投げるコトシロヌシであったが、その言葉を継いだのはヌナカワであった。
「否。高志からここにやってきたのだ。タケミナカタとわたし共々にな」
「しかし、牛馬でも輿でも片道に二十日以上はかかりましょう。船でも十日はくだらない距離です。よもや鳥のように空を飛んだとも申しますまいに」
「うむ。飛んだ。わたしとタケミナカタには神の加護があるからな」
平然と述べるヌナカワに、家臣たちは眉を寄せて訝しがる者、素直に信じて感嘆の声を上げる者、さまざまであった。
健は口を真一文字に閉じて、黙ってその様子を窺っていた。
合図があるまで喋るな。それがヌナカワと交わした約束であったからだ。
そんな彼女はお構いなしに出雲の家臣に向けて言葉を続ける。
「皆の者よ。我が夫オオナムチを支え、これまで出雲を牽引してきた労苦に感謝する。そしてコトシロヌシ。父と共にヤマトと対峙し牽制する働き、見事である」
両の拳を木床に置いて上体を折るコトシロヌシであったが、その瞼はわずかに開き、視線はヌナカワに向けられている。
「これからは我が息子のミホススミ、名を改めてタケミナカタが、そなたと共に出雲を支えていくこととなるであろう。どうかよしなに頼む」
「左様ですか。それは俺も心強い。頼んだぞ、タケミナカタよ」
表情を明るくしたコトシロヌシは、おもむろに立ち上がると健の元へ歩み寄る。
そこに健には若干の違和感も残った。
以前、御大の屋敷の裏手にある、磯の漁場で会った時とは異なる彼の雰囲気だ。
この『兄』があの磯場で会ったコトシロヌシなのか、今は家臣が囲う場だからか、もしくは異母であるヌナカワが居るからなのか。
それがどのコトシロヌシなのか、つい先日会った時もそうだが、彼の心の内はまるで読めない。ヌナカワの直接の息子ではないが、彼も巫術を得意としているという。
自分がまだ怪しまれているせいだから相手も距離を置いているのが道理なのだろうが、だったらもう吹っ切れるまで。
今はこの人達を驚かせておかないと、ヤマトだって驚いてくれない――。
そこで健はヌナカワの目線を合図に、尻ポケットにしまった『ある物』を出した。
握手のために右手を差し出したコトシロヌシには応えず、健はガンタイプの長い柄のついたライターを手に取った。
薄暗い合議の部屋に、カチッと乾いた音が鳴る。
火種も可燃物も無しに、突然に火を起こした王子タケミナカタに、男衆は一斉に身体を引き、恐れおののく。
思わず脇に置いた剣を手に取る者すら居た。
コトシロヌシも弟の手先に生じた熱に驚いて、咄嗟に右手を引く。
「火は全てを照らします。この世のあらゆる物も、明るさの裏にある闇も」
健はまるで小学生のキャンプ合宿で怖い話をする時のように、声を低く抑えて語り出す。そして小さく左右に手を揺らすと、火もその姿を激しく歪める。
「ここ出雲に迫る脅威は全てあぶり出される。そして業火に焼かれる。ヤマトの間者も、ふたごころある不忠義な者も全て……それが火の力です」
すかさずヌナカワが手をかざすと、健はガスを着火させるトリガーを押さえた指を離した。
それきり屋敷の中を薄らと照らす炎は瞬く間に消える。
火をも畏れず、そして火をも操る女王とその王子に、一同は唖然と見守っていた。
そしてヌナカワが男衆に語り掛ける。
その様は高志の女王にして、巫術を行う巫女の時のそのままに。
「
しばらくは互いに視線を交わし合って黙っていた男たちであったが、その一人が突然に立ちあがり拳を突き上げる。
「まさに、これこそ神の託宣。タケミナカタ王子とコトシロヌシ王子の元で、出雲がヤマトを駆逐する光明に違いない!」
その熱に当てられた他の男も
「そうだ! 今までヤマトにやられっぱなしだったんだ。逆襲の好機だ!」
一斉に立ち上がる家臣たちを見て、なにやら芝居が上手くいったようで、ほっと胸を撫で下ろした健であったが、コトシロヌシだけは静かに床に座り直す。そんな彼の様子に、出過ぎた真似をしてしまったかと、一抹の不安も覚える。
その晩。
コトシロヌシは、まつりごとや祭祀を行う館ちかくにある別邸に健を招き入れた。
互いに膳を挟んで向かい合い、兄弟だけの夕げの時間を過ごしている。
以前の御大の漁場の時や先程の合議の場とは違い、今はコトシロヌシにあまり警戒されている雰囲気は感じなかった。
やはりガンライターで炎を操ったというのが大きかったのだろうか。
それでも食事に毒を盛られたり、ここで大勢に斬りかかられたらひとたまりもないのだが、少なくとも近くに人の気配があるという様子はなかった。
「お前、あの日に高志に帰ると言っていたのに、まさか母殿もお連れするとは思わなかったな。しかも空を飛ぶだなんてな。俺も正直驚いたぞ」
だが、驚いているのは健も同じだ。
目の前に並べられた木の実を焼いたもの、山菜や野草を煮びたしにしたもの、下味も何もない干し肉や干し魚の焼き物、そして玄米ご飯といった食事に内心うんざりとしていた。
高志ではこの時代の食事に飽き飽きしてしまい、現代食に恋焦がれ過ぎた結果、海で採れた塩と干し肉を、土焼きの釜でかき混ぜた玄米チャーハンをこっそり作ってみたり、干し魚から出汁を取って、そこに玄米と干し肉やキノコを放り込んだ、『海鮮出汁雑炊』などのレシピも生み出していたせいでもある。
おまけに自分の椀には、どろりとした白濁する液体が注がれる。
椀を細かく左右に揺らしながら、健はコトシロヌシに聞いた。
「あの、これってなにかな……?」
笑顔とは呼べないくらい口元を歪めて問い掛ける健に、コトシロヌシはその液体を平然と飲み干す。
「口噛み酒だ。もうお前も飲める歳だろう?」
「それって、あのアニメ映画で観た口噛み……うーん、僕はお酒が弱くて。ちょっと遠慮しようかな」
未来ではまだ未成年だから、という無意味な主張はこの時代では理解されない。
それより、現代人ならではの潔癖代表でもある健には、他人が米を噛み砕いて発酵させた酒を飲むというだけで、鳥肌をもよおす程であった。
「しかし、母殿が直接に参られるとはなぁ。それほど高志や科野では、ヤマトは脅威は落ち着いているのか?」
コトシロヌシが手を叩くと、女中は果実を絞った子供用のジュースを用意した。
代わりに健が差し出した椀の酒も飲みながら、コトシロヌシは質問を投げる。
とても噛み切れない干し肉を精一杯にかじりながら、健は会話を続けた。
「あー、そうじゃなくて。出雲が心配だし、高志はヤマトから遠いぶん、逆にヤマトが脅威に感じるっていうか……」
「お前も母殿も、親父殿に会うのだろう?」
「もちろん。だってヌナカワ姫は今も出雲の屋敷に滞在しているだろうし」
そこでコトシロヌシは椀を置くと、首も動かさずに周囲に目配せをする。
それから声を抑えて健の肩に手を置いた。
「お前には本当の事を伝えておかねばなるまい。いいか、驚くなよ……」
間を置いて、慎重に言葉を並べるコトシロヌシの様子に、健も固唾を飲んで静かにうなずいた。
一方、その頃。
オオナムチの私邸に招かれていたヌナカワは、あまり会いたくない人物と相対していた。
それはスセリ姫。
オオナムチの妃の中で最も嫉妬深く、一番最初の妃ヤガミ姫は幼い子を残して出雲を去り、カムヤタテ姫やタギリ姫とも関係が険悪であったその人物だ。
無論、三番目の妃となったヌナカワも幼いミホススミを残して高志に戻った理由の一端でもあるのが彼女の存在だ。
「お久しゅうございます、ヌナカワ様」
いつぞやの血気盛んな頃と違い、さすがに十年近い歳月を経ている。
妙にしおらしく挨拶をするスセリに、ヌナカワも毒気を抜かれて唖然と見返す。
「スセリ様も、ご機嫌うるわしゅう。急にこのように
「ヤマトとの避けられぬ戦も間近に迫り、わたしも気を揉んでおります。どうぞ高志も出雲にご尽力賜りますようお願い申し上げます」
深々と頭を下げるスセリは、互いに存在を疎ましく思ったその頃とは別人のようであった。ヌナカワも高志から出雲に招かれてオオナムチの妻となったが、スセリとの関係が拗れていくと、出雲の中心からは遠い御大の岬に移り住み、そこで我が子ミホススミと暮らし始めた。それにとどまらず、彼が大きくなると息子を夫に預けて自分は高志に戻る道を選んだ。
だからこの十余年に及ぶ数多の想いは内心あるものの、ヌナカワはスセリの二の腕にそっと手を添えると、彼女を鼓舞する。
「ご案じ召されるな。我が息子タケミナカタも、コトシロヌシと共に夫を支える覚悟であります。必ずや天啓をもってヤマトに勝利いたしましょう」
スセリは瞳にわずかな涙を溜めると、胸元に手を添えて視線を落とす。
彼女とオオナムチの間には、ついに子が授かる事はなかった。
同じ妃どうしという嫉妬ゆえに夫の寵愛を独り占めしようとしていた反動で、王子を産めなかった彼女の立場は後宮で弱体化し、その片身は狭いものになる。
ヌナカワ自身がそのことでマウントを取ったつもりは毛頭ないが、やや言葉に棘があったかと、自分の発言とスセリの反応を確認していた時であった。
「実はその夫のことでご相談が……」
瞳を揺らしながら吐露するスセリの様子に、ヌナカワもただならぬ雰囲気を察知した。
それはコトシロヌシの言葉を聞いた健も同様であった。
「えぇっ! オオナムチのお父さんが行方不明なの!?」
「馬鹿者。声が大きいだろ」
コトシロヌシは咄嗟に掌で健の口元を押さえる。
健もそのまま視線を左右に大きく振ると、無言で何度もうなずいた。
「流行り病で臥せている、ということになっているが、親父殿は九十日ほど前、領内の見回りに出られたまま帰られなかった。今は俺が床に臥せた親父殿の下知に従っているというていだが、いつ家臣に明るみになるかも知れん」
「それって、まさか間者に襲われたとかってことじゃ……」
「わからん。ご無事で居て欲しいものだが。今は古参の家臣たちが俺に意見をしてくれているので、なんとかまつりごとを出来ているが、まさにお前や母殿が来てくれたのは天啓と呼べるかもしれんな」
健はこれまでスマートフォンで調べた出雲の神話を思い返していた。
出雲の統治者<大国主>であるオオナムチは、それまでのクニ造りの過程での活躍とは打って変わり、晩年はその存在をまるで消したかのようであった。
国家存亡の危機に際して二人の息子に国譲りの判断をまるっきり任せ、自分は大きな社を建ててくれれば良い、と言い出す始末。
そして、この対面する『兄』コトシロヌシも、まじないの柏手を打ったら、釣り船を逆さまにして、いずれ海中にその身を没する――。
健は大きくうなだれると、右の中指と親指でこめかみを押さえる。
そんな彼を見て、コトシロヌシは健の肩を叩いた。
「そう案ずるな。まだ俺とお前で出来ることは山ほどある。ヤマトに勝利するためにお前も俺の知恵に意見を欲しい」
だが、健は単にコトシロヌシに対して、『弟』として父親の身を案じる芝居をしていた訳ではない。
未来に残された神話の世界の、まだ見えぬ大きな闇に飲まれたかのようであった。
『オオナムチさんまで居なくなるなんて、本当に出雲は崩壊に向かってるんじゃ……こんな状況でヤマトに勝てるわけないじゃん。どうするんだよ』
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