いにしえのヤマト

 ヌナカワは午後のうららかな陽射しの差す屋敷の庭を眺めていた。

 炒った豆を煎じた茶を飲みながら、ふっと安堵の息を漏らす。

 ヤマトとの戦が目前で無ければ、こんな平穏な日はないだろう。

 加えて、なにやら巨大なものが落下する騒々しい音が無ければ――。


「いったぁ!」

 木床に着地した衝撃で尾てい骨をしたたか打った健は、悶絶しながら尻を押さえて転がり回っていた。

「おぉタケル。そなたを単独で出雲に向かわせたものの、わたしの『息子』だと知る者も居らず、無事に戻れるかどうか、よもや斬られていまいかと、ちょうど考えていたのだ」

「ホントだよ。冗談じゃないよ、まったく……」

 ようやく上半身を起こした健は恨めしそうにヌナカワを睨む。

「やっとこのワープシステムがわかってきた。翡翠の石だけじゃくて姫のせいだよ」

「何がわたしのせいだと申す?」

「僕が未来から来て、それを見せてみろって話をしてたら僕の時代に行っちゃった。それで今度は出雲を見に行けと言われたら、飛んでっちゃった。次は姫が僕をどうとか考えているから高志に飛んできた。その姫の着けてる石が呪われてるんだよ。僕のと交換してよ? 僕がそれで念じたらきっと未来に帰れるから」

 納得した様子のヌナカワだったが、健の意見はどこ吹く風と言わんばかりに、また優雅に茶を飲んだ。

「なるほどのう。だが、それでは未来に行くのはわたしではないのか?」

「じゃあ両方とも貸してよ。いったん家に戻って母さんに無事だって言いたいよ。じゃないと警察とか呼ばれて大変な騒ぎになっちゃうもん」


 ヌナカワから取り上げるように翡翠の勾玉の首飾りを預かると、両方とも首から下げた状態の健は一心に祈り出した。

「さぁ、早く僕を元の二十一世紀に帰してくれ!」

 だが、石はなんの反応も示さない。

「そなたは巫術を使えぬであろう。残念であったな」

 どことなく勝ち誇った様子のヌナカワは、茶の入った素焼きの椀で笑みを隠すように口元に添えた。

「ちぇっ、なんなんだよ。こんな異世界転生なんか御免だっての」

 尻の痛みを思い出すと、健は腐ってまた木床に寝転がる。

「そう言えば、あの歴史の授業をしてくれたおじいさんは、いきなり僕が居なくなってビックリしてた?」

「ヨギじいのことか? 泡を吹いて卒倒したわ。わたしも咄嗟にそなたを『タケル』と叫んでしまい焦ったのだが、おかげで記憶が混濁したのか、タケミナカタは学問に飽きて狩りに飛び出して行ったと勘違いしてくれたがな」

「僕がまた明日会ったらおじいさんに怒られるやつじゃん。散々だよ。出雲じゃコトシロヌシさんにも怪しまれちゃっただろうし」

「ほう、コトシロヌシに会えたのか。あやつも息災であったか?」

「僕は出雲の首都じゃなくて御大みほの岬に行ったみたい。釣りをしてたよ」

「元はわたしとミホススミの屋敷があったからな。今はあやつが趣味の釣りに使っておるのか、まったく……それでコトシロヌシは何と言っていた?」

 健はまた身体を跳ね起こすと、ヌナカワのそばであぐらをかいた。


「ヤマトと戦になった時に有利にするために、内海の北側の国には使者を送ってるみたいだね。でも同じことをヤマトもしてるのか、ヤマトと交易関係があるのか、木の国とか熊野みたいに態度を表明していないクニも多いみたいだってさ」

「小さなクニの集合体であったヤマトは、日の巫女を頂点に置いてから、まつりごとの体裁を整えていった。すると途端にこのもとのクニ全土を手中に収めようと目論見だした、というのは以前そなたに伝えた通りだ」

 健は改めてスマートフォンを取り出した。

 そして気になっていた点を中心に、いくつかのキーワード検索を始める。

「まず、そもそも問題なのは、この時代の資料が少ないっていうこと。だから姫やコトシロヌシさんから色々聞くしかないけど、逆に残っているものがあるんだ。それは歴史書なんだ。古事記とか日本書紀って言うんだけど、そこにあるのは、各地のクニが書いた風土記ふどきとかの情報をもとに、ヤマトがあとの時代になって編纂へんさんしたものなんだ」

「つまりヤマトが全土を統治してから改竄かいざんした歴史ということか」

「ざっくり言うとね。でもその中には他のクニのエピソードも散りばめられていて、例えば出雲なんかだと相当の量の情報があるみたい。それでも、あの出雲だってヤマトに負けちゃったんだぞってアピールするためのものらしいけど」


 後世では出雲にも一定の評価が与えられたようだが、それは決して望まないヤマト勝利の顛末――ヌナカワも健の話に苦々しくうなずく。


「その中で、気になったことがあるから姫にも聞きたいんだよ。これはあの学問のおじいさんが居ない今の方がちょうどいいんだけど……どのサイトだったかな?」

 健はもったいぶった訳ではないが、そもそも古代史の情報が少なく、また彼もこの時代に来るまではさして興味のあるジャンルでは無かったので、苦心しながら単語検索を続けた。

「神話の出雲では姫の旦那さんがどんどん立派なクニにしていって、そんでヤマトに負ける瞬間までってのが、すごい丁寧に描かれてるんだよね。だからそこに歴史を変えるヒントがありそうなんだ」

「ほう、出雲が敗れる瞬間をつぶさにだと?」

 別に健に腹を立てているつもりはないが、言い換えれば憎しヤマト勝利の瞬間でもある。ヌナカワが言葉の端々に宿した怒りは充分なものだと健も察知した。

 そんな彼女を刺激しないように、健は慎重に言葉を選びながら話を続ける。

「それでね、実際に姫が知る限りの出雲の情報を聞きたいんだ。それと未来に残っている歴史書を比べてみて、ヤマト攻略のキッカケがないか、ヤマトが出雲を出し抜いていった理由があるか、調べてみようと思う」

「うむ、それは興味深い。よいぞ、わたしが夫から聞いた出雲の歴史を教えよう」


 健は庭に面した日当たりの良い回廊に座り直すと、ソーラータイプの充電器の端子をスマートフォンの本体に差しながら、検索をする準備を始めた。

 自宅でコンセントに差しながらの操作とは全く異なる、非常に心もとない状況ではあったが、それでも何もせず惰性で使用するよりはバッテリーの持ちは良い。

 彼の準備が整った様子を確認したヌナカワは静かに語り出した。



「わが夫であるオオナムチの数代前、出雲建国の祖であるスサノオ様が豊秋津島に降り立ち、妃の姫と共にクニを興したのが始まりだ」

「えっ、スサノオ!?」

 記紀における『出雲の国譲り』前後を調べるつもりであった健は、ヌナカワの言葉に驚愕の声を上げる。

「姫、スサノオさんってヤマトの祖先になってる太陽の女神様の弟だよ?」

「では国父たるスサノオ様は、筑紫の島から渡って来られたということか?」

「いや、逆に僕が聞きたいくらいだよ。一応アマテラスさんっていうお姉さんとケンカして追放されたってことになってるみたいだけど。だとしたらヤマトを逃げてきた人なのかな?」

「ならばヤマトとは敵対している今の状況もおかしくはあるまい?」

「お姉さんを出し抜くためにクニを造ったのかな? でもさ、出雲じたいがヤマトのために造られたクニってことはないよね?」

 互いに質問を重ねてみたものの、それきり健もヌナカワも黙ってしまった。

 なにせ明確な資料や記録が無いのは、どちらの者も同じだから。


「えっと、それでスサノオさんの孫だかひ孫だか、ずっと後にオオナムチさんが国王になって、姫と例の歌詠みの夜這いがあって……」

「だからわたしの話はいいだろう! それよりも夫のことだ!」


 オオナムチは、出雲の礎を築いた歴代の王の跡を継いだだけではなく、豊秋津島で一番のクニにしようと交易や領土拡大を行った。

 優秀な人材を積極的に登用し、クニの根幹たる国家運営のまつりごとを行いつつ、この時代に於いて最も重用された儀礼、すなわち巫術による神からの託宣を得ることで、巨大な祭祀国家へと導いていった。

 交易では、日本海を中心に伯耆、若狭、高志と一大交易圏を作り上げた。

 それを足掛かりに各クニが交易を行う科野、近江、摂津とも距離を縮めていく。

 ヤマトと同じく大陸とも交易を行い、多くの農産物を日本に伝えただけでなく、武具も青銅から鉄製品に変遷していった。

 高志で産出される翡翠の石は、祭礼具のひとつである勾玉に加工され、出雲から各地に伝えられてゆく。


「筑紫島の一国であったヤマトは焦っていたのであろう。日の巫女が現れたのは出雲よりも古い。以前にタケルも言っておったな? 出雲は高志と同様に、永遠不変たる石を崇めている。雲に陰り、姿を満ち欠けさせ、雨に負ける太陽とでは、民衆の心をどちらが掴むかは明白なのはそなたの指摘どおりだ。それゆえにヤマトは国威発揚のため、戦で巨大かつ豊かなクニを目指すことで人心を掌握しようとしているのではないか?」

「さすが女王。姫もやっぱり国家運営の苦労はよく知ってるんだ」

 今度は逆に、健が記紀で読んだ出雲の歴史を確認していった。

「オオナムチさんの前の王様って子だくさんだったみたいで、若い頃は他の兄弟にすごい意地悪されて何度も死んじゃった……要するに、死にかけたみたいだけど」

「うむ、なので自分が王位に就いたら、罪を改め平伏した者以外はほふったと聞いておる」

「へぇ、想像できなかったけど、旦那さんも意外と怖い一面もあるんだ」


 さらに健は別の角度からも質問を続ける。

因幡いなばで白うさぎを助けてあげたりしたことは?」

「うさぎなど狩りの対象であろう。そのような話は聞いたことがないな」

「なんか、お友達と我慢比べをして、その……うんちを漏らしちゃったとか」

「夫がそんな話までつぶさに話すわけがなかろう! 知らぬわ!」

「姫もそうだけど、奥さん同士の仲が悪かったり」

「ひとり嫉妬深い嫁が居てな。嫌になって子を残して故郷クニに帰った者も居るわ、気の毒に。かく言うわたしも高志のまつりごとがあるので、おなご同士のいざこざに飽きて、ミホススミが大きくなるまで預けて帰った。そもそも他の嫁も……」

 ヌナカワは少し口早に喋ったかと思ったら、茶を一口飲み、また話を始める。

 物憂げな平日の午後は女性の語り場。

 亭主が居なければ尚更、口は滑らかに、言葉に拍車をかける。

 どことなく生き生きとして、たまに茶を飲みながら饒舌に喋るヌナカワの様子に、健も苦笑しながらうなずいていた。

「じゃあ、高志に戻ってからは旦那さんには会ってないんだ」

「そうなる。たまに使者を通じて言付けを伝えてくるがな」


 それから健は出雲神話の段を読み進めていった。

 歴史がヤマト有利となったヒントとなる情報が無いかを探す。

「オオナムチさんと一緒に国造りしてくれた『スクナヒコナ』って神様はまだ居るのかな?」

「背の低い小男だったスクナヒコか。あやつは夫の参謀として知恵も働く、気が利く面白い男だ。コトシロヌシとそなた……つまりミホススミが一人前となるまでは、まだ夫の隣で出雲に尽力してくれているはずだ」

「ふーん、でも神話だと急に消えちゃうみたい。常世の国に帰って、旦那さんガッカリしちゃうみたいだよ。転職でもしたのかな?」

「親御どのを亡くして殯でもするか、故郷に帰ったなどであろう」

「いや、急にフラッとどっかに帰っちゃうようだよ」


 さらに健は国譲り間近となる神話を読み上げていった。


「しばらくしてヤマトは出雲を手に入れようと何度も使者を送るけど、その度にオオナムチさんに寝返って上手くいかなかったって。それで最後に凄い武神を送ってきたら、旦那さんはあっさりと降伏して『コトシロヌシとタケミナカタの二人の息子が良いって言ったら、出雲をあげます』ってさ」

「なんだ、その腑抜けた様子は! だらしない夫だな!」

 怒りを露わにするヌナカワを諫めるため、健は慌てて両の掌を差し向ける。

「まぁまぁ。今から後の時代のヤマトが勝手に作った話だし、実際は出雲だってギリギリまで戦争したと思うよ」


 改めてスマートフォンに視線を戻した健は、次第に読み上げる声を落としていく。

 それは、神話に描かれた出雲の顛末に対する違和感にほかならかなった。

「それでヤマトの遣いは二人の息子に会うんだけど……コトシロヌシさんは、抵抗もしないで素直に出雲をあげますって伝えたら、釣り舟を逆さまにして、呪いの柏手かしわでを打って海の中に隠れちゃった……タケミナカタさんはヤマトの武神と戦ったけど、負けて科野の州羽の海まで逃げたところで、降伏したっていう話になってる……」

「なんだ、コトシロヌシも降伏したのか、情けない。それで我が息子だけが孤軍奮闘したということか」

「でもさ、姫。この時代の息子さんはミホススミって名前でしょ? タケミナカタは僕に付けた名前で適当な嘘じゃん。未来の神話に残ってるってことは、やっぱり息子さんはきっと無事に還ってきてタケミナカタを名乗るんだよ、よかったね」

「おぉ、そうとも取れるな。なるほど」

 そこでようやく表情を緩めるヌナカワ。

 その顔はヤマトとの戦が迫り幾多の緊張を強いられる高志の女王ではない。

 ただひとりの我が子を想う慈愛に満ちた母のそれだ。

「だけど、コトシロヌシさんのこと、気になるな。あの人が最後は海に投身自殺しちゃうなんて。やっぱり浪波や木の国、熊野あたりに寝返られて、出雲は両挟みになったってことかな?」

「出雲の手前には陸続きで伯耆、阿岐、吉備がある。彼らも裏切るということか?」


 健は考えごとをする間も、せわしなく親指を動かしてスマートフォンに表示させた画面が消えないようにしていた。

 あの飄々とした釣り人が自殺をするなんて――つい先程出会ったばかりの『兄』の生々しい最期の記述を何度も読み返す。

 だが、目の前で見た生の情報と、ヤマトが描いた記紀との間に残った違和感は拭えなかった。

 ヌナカワもこれまでの話を勘案し、各国との交易関係や情勢を精査していた。

 ふたりの答えの出ない思考は延々と続く。

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