王子様はつらいよ

 夜を迎えても、健は屋敷の縁側からぼんやりと月を眺めている。


 当たり前のようにする普段の夜更かしに加えて、帰宅後に昼寝もした。

 体感的にはもう日付の変わる真夜中という具合だし、一日のうちにいろんなことがあり過ぎて精神的には疲れているはずなのに眠気は無かった。

 だから星を数えるくらいしか娯楽が無いと言っても、未だ充電が不十分なスマートフォンの防災用充電器のハンドルをぐるぐると回しながら、だ。

「腕がしびれてきた……早く朝が来てソーラータイプの物も使わないと」



 警護の者が昼夜を違わずヌナカワの屋敷を警戒しており、加えて敷地の随所に煌々と照明代わりの炎が燃えていたが、周囲は何の文明もない時代の夜空だ。

 月と星たちは現代のそれとは異なる程に輝いていた。


「タケルよ。そなた、まだ起きているのか?」

 そこに寝所に詰めていたはずのヌナカワが、髪を下ろして簡単な衣を纏った姿でやってきた。

 昼間とは違うその妖艶な姿を見てにわかに緊張をしてしまう健であったが、ヌナカワもまた彼のそばにある小さな灯りを見て驚いていた。

「そなたが燃やしているそのほむらはなんだ?」

「あぁ、これ。ロウソクってやつで、僕の時代の照明代わりのやつです。あまり本数が無いからこの暗さにも慣れないといけないんだけど」

 健はカバンに入っていた長い柄の付いたグリップ式の着火ライターを手に取った。

 指を引くと、カチッという軽い音と共に小さな火が出る。

 それを見たヌナカワは腰を抜かさんばかりに驚いていた。

「そなたの時代は炎も自在に操れるのか」

「もちろんガスっていう、火種が無くなったら終わりなのは一緒ですけどね」

「ならば大切に扱うがよい。火なら屋敷にいくらでもある」


 主のために屋敷の内部を照らし、また警戒にあたる物見やぐらの他にも、集落の一角で絶やさず炎が焚かれたところがあった。

 そちらの方角を指し示しながら健はヌナカワに問い掛ける。

「ねぇ、姫。あの辺りって何があるんですか?」

「あの一帯はもがりだ。死んだ者の遺骸を埋葬する場所だ」

「お墓なんだ……ってことは、いまこんな夜中にお葬式してるってこと?」

「いや、だが息を引き取り、いずれ埋葬される予定の者が居る。それまでの間、殯は神聖な炎と水によって浄化されるのだ」

「うわぁ、じゃあやっぱ、あそこに入る亡くなった人がいるのか」

 奇妙な寒気と共に身震いする健に対し、巫術を操る祭祀王でもあるヌナカワは静かに諫める。

「人間の死とは自然の再生と同義。魂が復活するまでの過程にすぎぬ。亡者が新たな肉体を得るまでの儀式と祈りの場なのだ。気味悪がるなどもってのほかだ」


 とはいえ、住宅地のそばにお墓があったら、やっぱりなんとなく怖い――彼の自宅のそばは東京の都心のはずれにある寺町として寺社も多く、幼稚園や小学校の頃はなんとなく怖かったのも事実だ。

 ましてや、昼間もちらと見たが、大地に真逆に埋め立てられた枝木を落として幹だけになった四本の大木がいくつも乱立している様は奇妙だ。

「あそこ、なんで樹皮を剥いだ木をさかさまにして立ててるんです?」

「ここに眠る亡者の魂と肉体、そして、この中が聖なる空間であると神々に示しているのだ」

「ふーん、聖域って意味なんだ」

 健の脳裏に、奇妙な四隅に埋められた大木の様子が思い浮かぶ。

 両親が観ていたテレビのニュースか、スマートフォンのネットニュースか、どこかで見たような気もするが、今はすぐに思い出せなかった。


「あぁ、もう充電でハンドル回すのも疲れた。今日はやめにして寝よう」

「ではまた明日な、タケルよ。夜更かしは健康と美容に悪いぞ。早う寝ろ」

「なんだか、本物の母さんみたいなこと言うんだね」

 ヌナカワは屋敷でも主のための一室、すなわち男子禁制の奥の間へと入っていく。そんな彼女を見送りながら健は、無事に生還した王子のために用意されたという寝所へと向かった。

「はぁ、こんなとこで寝れるのかな、まったくもう……」

 マットレス代わりに動物の毛皮が敷かれ、薄い布切れが用意されていたがシーツも掛け布団も無い。それでもこの時代では高貴な者の特権である充分な贅沢なのだろうが、朝には足腰が痛くなりそうだとぼやきながら横になった。





翌日の昼。

健は堅い寝床から来る凝りではなく、全身の打ち身で苦痛に悶えていた。

手の皮もよれて、指先には血マメが出来ている。

ぐったりと横たわり、ひんやりと心地よい木床に寝そべる彼を見て、ヌナカワも嘆息を漏らす。


それはこの日の朝のこと。

髪も髭には白いものが混ざるが、浅黒く日焼けした側近の男が稽古をつけたのだ。

「さぁ、タケミナカタどの! また幼き頃のように剣術の修行の時間ですぞ」

 細身の木材を丁寧に磨いた得物を持ったまま、健は困惑したように側近とヌナカワを交互に見ている。

「いや、僕はインドア派で、ここ最近はスポーツなんか体育の授業以外やったことないから!」

「よくわからぬ言葉を交えて、いったい何をおっしゃっておられるのやら。幼き頃はなかなかの筋でしたではないですか! そのように敵前で弱腰で居ては出雲のお父上の名を汚しますぞ!」

「ホントにやめようって! 僕はあの、その……そう、トラウマ! 幼い頃に科野で迷子になったのが怖くて、剣術はやめて勉強を頑張ったんだってば!」

「ならば、大陸の虎や野生の馬も追い払う程に剣を極めるべきですな」


 健の必死の懇願も虚しく、男は木刀を構える。

 仕方なしに健も両手に力を込めた。

 この時代の人達の筋力には負けている自信はあるが、日頃ゲームで反射神経は鍛えているし、背丈だけならば現代人だから自分が有利。高いところから一気に振り下ろせば、相手もビビッてしまうかもしれない――。

 だが、そんな彼の目論見は簡単に打ち砕かれた。

 幾度も打ち負かされ、彼の身体は側近の振るう木刀の餌食となった。


 そして、今は休息の時間。


 明日からもずっと剣や槍の稽古、弓の習得が続くという。

 それを聞くや青息吐息で、木床に臥せったままであった。もちろん身体の痛みや筋肉痛も手伝って苦悶の呻き声を上げながらだ。

「いったい急に何だっていうのさ? 姫と僕は歴史を教えたり変えたりする契約関係じゃないの? あんなに朝早くからみっちりと剣術の修行とか巫術の訓練とか予定が入ってて、これじゃあ学校に居る時と変わらないじゃん」

「全てミホススミが幼少の頃に行っていたことだぞ? わたしがそなたを貶めたり、家臣に下知をしたわけではない」

「だとしたら女王の決定ってことで、こんな生活やめさせてよ」

「それこそ怪しまれる。しかし情けないのう、タケルの時代のおのこは。もっと鍛えねばおなごもめとられぬぞ」

 最初こそ苦笑を浮かべていたヌナカワだったが、今は彼女も困惑している様子であった。健がこの調子では、自分の息子という偽りの設定が早々に破綻する恐れがあるからだ。

「ホントだよ、もっとスポーツしとけばよかった……小さい頃、地元のサッカークラブに入ってたくらいだもん、万年補欠だったけど」

 だが彼のスマートフォンは持ち主の気力体力に相反して、天高く燦然と輝く太陽光を浴びながら、ソーラータイプの充電器から満足な体力を補充していた。予備のバッテリーたちも今や遅しと参戦できるくらいに充電できていた。

「あぁ、それでもこれでやっと解放されたから良かった」

「いや、そういう訳にはいかぬ」

 よもや、午後も鍛錬ではないかと思った健は、ヌナカワの言葉に思わず倦怠感に包まれた上半身を跳ね上げた。

「これからは学問の時間だ。そのそなたの薄い板と共にな」

「僕のスマホと一緒に勉強するの?」



 先程の剣の稽古をつけてくれた若い側近の男とは打って変わり、今度は角髪みずらにも白髪が混じり、髭も薄い老人がやってきた。

 背丈はこの時代の男性よりも小柄で、もはや健が見下ろす程であったが、ニコニコと愛想良く笑う目の奥は一切笑ってはおらず、枯れた声で語り出した。

「では、タケミナカタ王子には、出雲と高志の現状と、長引くヤマトとの戦についてお教えいたしましょう」

 休憩を挟んだとはいえ、現代のような昼食の時間は無い。

 ましてや普段なら二限目を終えたら既に空腹感を覚える高校生の健は、黙っていても騒ぎ続ける腹の虫が代わりに挨拶した。


 講義が行われる屋敷の部屋の奥には、ヌナカワも同席する。

「我が息子が奇妙な薄い板に触れることがあるだろうが、神からの託宣を待っているのだ。気になるだろうが、気にせず続けてくれ。あとその薄い板の存在は、くれぐれも屋敷の外に漏らさぬように」

 ヌナカワは老人の講師に怪しまれぬよう適当な言い訳を取り繕いながらも、スマートフォンの存在にくぎを刺した。

 そんな女王の謎の忠告に、老人も訝しげに王子の手元にある小板を見る。

『まぁ、剣術の稽古よりは楽チンだし、出てきた話からキーワード検索をすればいいから、まだましか』

 健もスマートフォンを用意して老人の話を待っていた。


「まず、現在のヤマトですが、先代の日の巫女が倒れてから、新しい日の巫女が女王として君臨しております。王子がお生まれになられた頃の出雲とは、まだ膠着状態ではありましたが、多少の交易もするなど直接的な戦闘は起こっておりませんでした」

「ははぁ……邪馬台国の卑弥呼って歴史で習ったけど、こないだ調べたトヨって人が後釜になってるってやつか」

「王子はトヨの存在もよくご存知ですな。先代の日の巫女が倒れた直後のヤマトは、小国が乱立する内戦状態でした。そこで新たな日の巫女トヨを輿に担ぎながら、小国の王たちが参謀となり、軍人、巫術師などの合議でクニを形成しておるのです。その中には好戦的な者も多く、長門ながとの海を越えて出雲に迫る勢いでございます」


「はいはい、質問」

 健は学校に居る時よろしく、右手を挙手して老人に尋ねた。

「ヤマトは確か中国……えっと、大陸の国と交易してますよね。それに出雲も。確か邪馬台国の卑弥呼は魏って国から女王って呼ばれてたり、漢って国から金印を貰ったはずなんですけど、出雲は貰ってないんですか? それってやっぱヤマトの卑弥呼がこの国の王様って認められちゃったってこと?」

 彼の質問に答えたのはヌナカワであった。

「大陸の連中は交易を行うこの日の本のクニを下に見ておる。だがそれだけの技術や文化を大陸が既に醸成しているのも事実だ。ヤマトは下賜されたに過ぎない金印を翠華すいかとして、さも自分達が日の本を統治するにふさわしいクニであると大陸に認められたと喧伝しているだけだ」

「すいか?」

「すなわち、天子の御印みしるしだな」

「ふーん。幕末風に言うと、薩長の錦の御旗ってことか」

「そしてヤマトは、筑紫島ちくししまにある小国から、この列島全体の覇者を目指している。そのためには東に勢力を伸ばす必要があるが、ここ豊秋津島とよあきつしまにある出雲が邪魔だということだ」


 彼女の発言を受けて、健はせわしなくスマートフォンの画面上に指を滑らせる。

「ふーん、九州から攻めてくるには最初にまず島根県に大きな国があると邪魔ってことか。でも高志や科野の手前にも兵庫県とか福井県や琵琶湖がありますよね、そのあたりの交易関係はどうなんですか?」

「はて、兵庫? 琵琶湖とは?」

 首を傾げる老人の後を継ぐように、答えを返したのはヌナカワだった。

「そなたの言う近淡海ちかつあわうみ伯耆ほうき若狭わかさ三国みくにはいずれも出雲と高志に挟まれた交易の道だ。彼らがヤマトに恭順するとは思えぬ」

「うーん、中国地方や北陸のあたりは」


「はい、もう一個質問です」

 健はまた挙手をして老人に向けて疑問を投げた。

「この本州……豊秋津島でしたっけ? 特に瀬戸内海や太平洋……えっと、内海うちうみはヤマト寄りなんですか? 瀬戸内海に沿って山陽地方に歩いて行ったり船で通れば、大阪や滋賀のあたりから高志も科野も攻め込まれるし、出雲もヤマトと両側から挟まれちゃうって思うな……若狭や三国だっけか? そのあたりの南の方ってどうなってるんです?」

 今度はヌナカワに代わり老人が答える。

「内海にある摂津せっつの湾周辺ですな。出雲の第一王子であらせられるコトシロヌシ様が浪速なみはやの港からの国、熊野くまの葛城かつらぎへと万遍なく使者を送っておられます。これまでの交易関係を見据え、ヤマトに恭順することなく、出雲への忠誠を誓うように睨みを利かせておりますのじゃ」

「ふーん、出雲って和歌山や奈良、大阪あたりにも手広くやってるんだ。今の話だけ聞くと割と有利な感じがするけど、それでもヤマトが勝つって、裏切りそうなクニがあるのかな?」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、髪を掻き乱す健。

 彼もまた長時間の動作を行ったスマートフォンのごとく、頭から煙を吐かんばかりに知恵熱を放ちながら、何度となく息を漏らす。

「いくら考えても、ぜんぜんわかんないや。見てるだけじゃなくて、見に行った方が早いに決まってるよ」

「そうかもしれんな。実際に出雲でも見に行ってみたらどうだ?」

 健はそんな言葉をぼやき、ヌナカワもそれに賛同した瞬間、彼が首から下げた翡翠の石は唐突に輝き出す。


「えっ?」

 すると健があぐらをかいていた木床の感触も、頬杖をついていた低い木製の台の存在も全ての感覚が彼から奪われていく。

「うわあっ!」

「どうした、タケルよっ!」

 ヌナカワの絶叫も虚しく、彼の身体は光の粒となって消え去った。

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