消えた御穂須々美
高志の女王ヌナカワは、我が子であるミホススミについて語り始めた。
「元は交易をしていたほど良好な関係であった出雲とヤマトだが、しだいに風向きが怪しくなっていった。日の巫女の下で、領土拡大に野心的なヤマトの家臣たちは西の
ヌナカワの話を聞きながらも、健は彼女には視線も合わせず気になったキーワードを手元のスマートフォンでネット検索をしていく。
現代ならば自分の会話に興味がないと腹も立たれる失礼な場面であろうが、今の健はヌナカワにとってのブレーンでもある。彼が薄い金属の板で調べものをしているのは彼女にもわかっていたので、制止することもなく話を続けていた。
「ところが、高志から州羽へと向かう最中、幼い息子を連れた一団はまるごと姿を消したのだ。その消息は未だわかっていない」
近隣の農夫の話では、ヤマトからの差し金と思われる敵兵らしきものを見たという情報もあった。
州羽の海で漁をする者は、無事に到着したらしいとも言っていた。
それでも、ミホススミの行方を追うことはできなかった。
それから十余年。
出雲とヤマトとの関係はさらに悪化していた。
西の大陸、筑紫島の北部をほぼ制圧した――厳密には太陽の巫女を女王とした国家集合体が形成され、日本列島で最も広大な葦原の中つ国、すなわち
太陽の巫女である女王が亡くなったあと、複数の男が王に収まったが国内は分裂状態となり、一応は次の巫女を新たな女王として立てたことで国は収まった。しかし一部の好戦的な諸国の者たちは、変わらず東の大陸を目指していた。
ヌナカワの夫である出雲の国王オオナムチには別の嫁の息子であるコトシロヌシがいた。ただし王の後釜として広大になった出雲の統治をするにはまだ若い。加えて無類の釣り好きである。まつりごとの合間を縫っては釣りに興じており、武官からの信頼は低かった。
「そこで、成長したミホススミが立派な軍師として戻り、出雲を兄と二人で盛り立てていくはずであった……だが、先程申した通り、我が子は消えたという訳だ」
「そういうことだったんですね……なんとなく姫の言ってる意味はわかりました」
健はふたたびスマートフォンを起動させる。
その画面の明かりは、薄暗い室内に彼の顔を浮かび上がらせた。
ミホススミは『
所説あるが、基本は女神であり、タケミナカタの妹神とも目されている。
「えっ、ちょっ……ミホススミって僕は女の子の役なの? いや、違うか。姫が息子って言ってるから、やっぱり本当は男の子だったんだ。たぶん子供の頃は僕みたいにヒョロッとした男子だったんだろうな」
健はいくつか出てきたキーワードから、この時代の政治や戦争の状況を推測しようと、ヌナカワに向けて質問を投げた。
「その前にちょっと関係ないんですけど、出雲っていうと美保神社も有名で、お兄さんのコトシロヌシさんが神様として祀られているみたいなんですけど、その辺を聞いてもいいですか?」
健の質問に黙ってうなずいたヌナカワは、薄衣の中で腕を組んだまま語り出す。
「美保の関は、わたしが幼いミホススミを養育していた屋敷の有った場所だ。我が子の名から地名を取ったのだが、どうにも夫の別の嫁が嫉妬深いというか、相性が悪くてな……わたしは夫と離縁はしていないが高志に単身戻り、ミホススミは大きくなるまでそのまま夫に託した」
「お兄さんのコトシロヌシさんってどういう人です?」
「夫の別の嫁の子だな。先程も言ったが、あやつは釣り好きで、どうにもまつりごとには関心が無さそうであったが、いくらかは巫術の技を磨いてそのまま美保の屋敷に収まったと聞いておる」
「ふーん、お兄さんもシャーマン的な人だったんだ」
健はそれからも適当な単語を入力しては、スマートフォンの画面を閲覧していく。
「そう言えば九州の、っていうか、西の大陸にはヤマトがどんどん力を付けてきたって言ってましたね? 卑弥呼は死んじゃったっていうけど、すぐに『トヨ』っていう後継者が出てきてるみたいじゃないですか?」
「そうだ、あの婆は太陽の巫女としての力を失うと権力も地位も失い、死んだ」
出雲も中国大陸や朝鮮半島との交易を行っていたが、次第に強大化していくヤマトの比ではなかった。かの国はまるで、ここ日の本の国全土を統治しているかのように振る舞っていた。
だが、その権勢にも陰りが現れる。
太陽の力を用いた巫術を使う巫女を女王として君臨させていたが、大陸全土を覆う日食が発生し、その力は衰えたともっぱらの評判となった。
次第に老いていく巫女王の晩節には、余りある不名誉であった。
結果として真偽は定かではないが、彼女は王の座を追われ、憤死する。
「ははぁ、この西暦248年頃にあった皆既日食ってやつか。これってアマテラスの岩戸隠れとかっていう、神話の中にも盛り込まれてるんだ。面白いな」
健はスマートフォンを閲覧しながら、納得した様子でうなずく。
「でも、それでもヤマトの勢いは失われなかったってことですよね?」
「そうだ。その次なる太陽の巫女を慕う家臣が、東へと勢力を拡大しておる。それによって出雲だけではない。ここ高志や科野も脅かされておる」
「太陽っていう不安定要素の大きい巫女でも、国は乱れなかったんですね。おんなじ巫女の王様なら、姫の方が翡翠の石を呪術に使ってるみたいだし、石は形を変えないし、まさに盤石って感じがするんですけど?」
「まぁ、そうだとしても、いずれにせよヤマトは強大だという訳だ」
褒められているのか、対比として敵が強力であると認められているのか、ヌナカワはなんとも言えない苦い顔をする。
「ふーん……敵のこともそうだけど、まずは出雲がなんで負けちゃったか調べる必要があると思うな」
健は頭を掻きながら無意識に、まるで我が家のようにごろりと木床に寝そべる。
そんな無礼な彼の姿は、まさに幼い頃の我が子のようでヌナカワも苦笑した。
だが、彼のスマートフォンは突然に画面が暗転する。
「ありゃ、バッテリー残量が無くなっちゃった。こんな過去の世界でもネットが繋がるからって無闇に使いすぎちゃったんだ」
「どうしたのだ、タケルよ?」
「このスマホっていう調べものをする機械のパワーが無くなって、要するに、お腹を空かせて身動きできない状態ってことですね」
「だったら、コメを食わせれば良い」
「そういう簡単な話じゃないんですよ。こいつが食うのは電気っていうやつです。あの雷みたいにピカピカしてるやつですよ」
「ふむ、我儘なものだのう、その薄い板は」
慌てて上半身を起こした健は、困った様子で周囲を見回した。
すると、視界の先には、一緒にこの館にやってきた学校の通学カバンがある。
「ははぁ、じいちゃんの形見ってそういうことか……」
やがて陽は陰り、次第に屋敷の中全体も薄暗くなっていく。
女中が薪や炭をくべて、灯りを点けて回る間も、ヌナカワからの質問攻めは続いた。
「まだか、タケルよ。その薄いものは稼働しないのか」
「姫の話を聞いてるうちに、調べもののし過ぎでバッテリーが切れたんだから。もうちょっと待っててくださいよ」
健は少しばかり疲れの色を浮かべながら、手元のハンドルをせわしなく回す。
祖父が用意した謎の備品の中には本体端子に接続するだけでスマートフォンを充電できるソーラータイプのものもあったが、日没を迎えて全く充電ができなくなり、仕方なしに防災用のハンドルタイプのものを必死に回していた。
「まぁ、良い。ならばいま一度、タケルの話と未来の神話を整理しようではないか」
健は相変わらずハンドルを回しながらも、視線を中空に彷徨わせる。
なにせスマートフォンが無いと彼の歴史や地理の知識では、さっぱりであった。
「えっと……確か、まず、そもそも姫の情報が少ないんですよね。他の神様……つまり僕の時代では神様ってことになっている、古代の王族の人達は割と情報があるんですけど」
「そうか、未来ではわたしは神扱いか。うむ、たとえ情報が少ないとしても苦しゅうないぞ」
ご満悦そうな笑みを堪えきれないヌナカワに、健は苦笑しながらも先程見ていたスマートフォンの画面を思い返す。
「出雲の王、オオクニヌシさんが綺麗な美人がいると聞いて、わざわざプロポーズに来たそうですね。逢いたくて逢いたくてしょうがないのに、姫が戸を開けないうちに夜明けになって悔しそうに帰ったら、次の日には無事に会えてそれから契りを……」
「ちょっと待て! わたしの個人情報はどうでもいい! そのような夫の夜這いの話など、家臣の誰が覗いていたというのだ! 手打ちにしてやる!」
ヌナカワは途端に顔じゅうを紅潮させて健のシャツの襟元を掴む。
「ぐえぇっ、苦しい! なんでですかっ! 夫婦でしょう、別に恥ずかしいことなんてないのに!」
「だいいちそんな美しい話ではないわ! 夫は好色で、わたしの他に嫁を何人もこさえてな。中には嫉妬深い嫁もおったから出雲は居心地が悪くて高志に戻ったと言ったであろう! だから、我が子ミホススミだけが心の支えだったのだ!」
ヌナカワの捕縛を逃れた健は涙目で咳込むも、出雲が縁結びの神様として有名なのは、そういう好色で多妻の理由が原因だったのか、と妙に納得してしまった。しかし女性にモテるのは事実なのだろう、とも。
「ともかく、今この時代の他のクニとの戦争状態とか、友好関係とか、そういう話を聞きたいんですよ。じゃないと調べるにも、歴史の授業だって弥生時代とか縄文時代なんかあっという間に終わっちゃうんですから」
「我らの時代がタケルの時代に不遇に扱われている理由はなんだ?」
「さぁ? やっぱ文字が無いからですからね? 情報が少なすぎて」
それからも健は延々と防災用スマートフォン充電器のハンドルを回し続ける。
ヌナカワの計らいで夕食の準備がされ、わずかな憩いの時間となる――はずもなく、やはり彼は淡々とハンドルを回していた。
「ねぇ、姫。そろそろ僕、家に帰りたいんですけど。夕飯は家で食べないと母さんも心配するし、明日も学校があるし、家出したみたいになっちゃうじゃん」
「なんだ、そなたは出雲や高志の未来を託されたのだぞ? それにここがタケミナカタの家でもあるのだ。ゆるりとするがよい」
「いや、さっきみたいに帰れるなら、さすがに一旦戻りたいな。もう夜なのに」
ハンドルを回しながらも腐って小さく呟く健だったが、なにかを思い出したように、立ち上がる。
「そうだ、僕と姫のモノを合わせてみればいいんだ」
「な、な、な、なにを言う! 国生みの伝承でもあるまいし下品な! それにわたしはミホススミの親で、人の妻であると申したであろう!」
原始を創造した夫婦神が人間の肉体に化身した時に、男女の身体のある違いを利用して、国土となる島や子の神々を設けていく――健の提案に思わず目を剥くと、頬を染めて身体ごと後ろに下がるヌナカワだった。
だが、健は一歩また一歩と彼女に近づいていく。
「もう夜だし、早くしましょうよ。二人でやればきっとうまくいきますよ」
「きっ、貴様。その好色。その手の早さ。未来人というのは嘘偽りで、夫の血縁の者ではあるまいな」
貞操の危機から顔を強張らせるヌナカワを尻目に、健は自分の首から下げた翡翠の石と、彼女の胸元の勾玉のネックレスを掴んで、カチカチと何度か擦り合わせる。
だが、胸元の石は全く反応しない。
「あれ? どうやって帰るんだ?」
焦る健は翡翠を撫でたり小突いたり、息を吐きかけてから袖口で磨いたりと、幾度も挑戦してみたが、なしのつぶてだった。
「未来に飛ばないじゃん。さっきは近所の諏訪神社に帰れたのに」
また足元の床や大地が、底が抜けたようにワープするかもしれないと、今度は何回も飛び跳ねたり地面を蹴ったりしてみるが、やはり何も変わらない。
「おいおい、ホントに僕はこの時代に残らなきゃいけないの?」
健はみるみる顔色を失っていく。
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