そして僕も翡翠に呼ばれた

 健は一抹の不安を抱えたまま義兄の進の店にやってきた。

 店のドアを開けると、いつものように煙草をくゆらせながら商品を拭いていた。

 進も驚いた様子でドアの前に立つ彼をみていたが、店内にずかずかと入り通学カバンを乱暴に椅子に置いた。


「どうした、タケル? 今日はまだ学校の時間だろ?」

「ねぇ、兄さん。昨日翡翠のネックレスを買ったクラスの弥栄さんって今日はここに来てないかな?」

 義弟の言う意味がわからず、進は首を傾げる。

「お前が学校をサボったんだったら、彼女はまだ授業中だろ。まだここに来るはずがないに決まっている」

「そうじゃなくてさ、なんか欠席したんだよ。ただ寝込んでるとか急病だったとかって感じでもなくて、家にも居なかったっぽいんだけど」

「いや、ここには来てないがな……その子がどうかしたのか?」


 健は人差し指と親指で円を作ると、首から胸元にかけて何度も両手を振る。

「だから、あの翡翠の石がホントに呪われた石だったんじゃないの?」

「何を言ってるんだ? お前、学校を早退までして、それを言いにわざわざ俺の店に来たのか?」

「学校はもう昼休み前に早めに終わったんだよ。ぜんぶ弥栄さんが欠席だったせいだよ、たぶん。他の女子も既読がつかないとか、登校時間に迎えに行ったけど会えなかったとか言ってたんだよ。家出なのか、誘拐されたのか、それとも石のせいで夢遊病みたいに出歩いちゃったんじゃないかな……」


 義弟は少なくとも芝居や演技でふざけているようではなさそうである。

 そう感じた進は煙草を灰皿に押しつけると、カウンター奥にあった椅子に座った。

 そして人差し指でとんとんと叩く。自分の手前に座るよう健を促していた。


「もう一度、落ち着いてゆっくりと喋るんだ。この店の常連だったクラスの女の子が欠席した。学校は突然に早退の指示を出した。確かに尋常ではないが、翡翠のネックレスのせいだってのはどういう意味なんだ?」

「僕も勾玉のアクセサリーをばあちゃんに貰ってから、変な夢を見るんだよ。だから翡翠って全般に呪われている石なんじゃないの?」

「それは突拍子ない話じゃないか? おばあさんから貰ったお前の石とあの子が買った石と、どういう理屈で繋がるんだ?」

「きっとそれは……同じ翡翠だから? 翡翠って全部呪われてるんじゃないの?」


 質問を投げられても、問い返すばかりの健に、進は困惑していたようであった。


「ほら、持ち主がみんな死ぬっていう宝石の都市伝説とかあるじゃん。だから、翡翠のネックレスを買った弥栄さんも、きっと呪われたんだよ。そんで僕もヘンな夢を見てばっかりだし、あんまり縁起いい石じゃないんだってば」

「おいおい、あまり無駄な事に体力を使うな。俺だって常連の子の行方が知れないと聞かされたら心配だ。でも想像や空想から結論を得るのは乱暴じゃないか?」

「うーん……そりゃ、そうだけどさ……」


 進はまた冷蔵庫からソーダ水を取り出すと、グラスへと注いでいく。

 それを健の前に差し出した。

「まぁ飲めよ。今はその子が病気であれ、何であれ、お前が騒いでどうこうなる問題じゃないだろう? それともやっぱり彼女のことが気になるのか?」

「そうだよね。きっと僕の思い過ごし……なのかなぁ? でも、どうにも気になるんだよね。こんなヘンなことが続くとさ」


 徐々に落ち着きを取り戻していく――いや、自身の空想に耽り、無言になっていく義弟を見て、進も嘆息しながら煙草に火を点けた。



 帰宅した健は、ベッドに倒れ込む。

 肉体的な疲労ではなく、あてもない思考が続いて頭が重怠くなったせいだ。

「はぁ、もうなんだってんだよ。でも昼寝すると、またあのヘンな夢を見そうだし、いったいどうなってるんだ」

 それでも身体は正直だ。

 やがて眠気に負けた健の瞼は、次第に閉ざされていく。

 そのまま胸元にスマートフォンを置いて、眠りに落ちていった。


 すると、また誰かが呼ぶ声がする。


『タケミナカタ……どこにおる?』

 健は目を開けて、自室内を見渡すつもりであった。

 だが視界の先に広がったのは、またしてもあの光景。


 巨大な木造の館の中、いかにも古代人とおぼしき、教科書で見たような服装や髪型の従者のそばで彼は庭を眺めていた。

 かすかに潮の香りがする。

 海が近いのかもしれない。


 そこに廊下の木板をわずかに軋ませながら、静かに歩み寄ってくる女性の姿。

 この前の夢で、火を焚いて一心に祈っていた『母』という女性だ。

「タケミナカタよ、もうここは危ない。ヤマトの軍が高志の近くまで迫っている。せめてそなただけでも逃げ延びておくれ」

 健は腰をおろしていた縁側から立ち上がると、母という女性に向き合った。

 夢にしては自我がはっきりしている。

 だから素直に疑問をぶつけてみることにした。

「そのヤマトってところと戦争しているんですか? もう負けちゃったんですか? それに逃げろってどういうことですか?」

科野しなの州羽すわの海まで向かいなさい。あちらのクニにかくまってもらうのだ」

 女王は、自身の手首に着けられた淡い緑の石の腕輪を外す。

「これってもしかして翡翠ですか?」

「ここに祈りを込めてある。そなたが息災に過ごせるよう母の願いだ。ヤマトに敗れた父上や兄上のようになってはならぬ、せめてそなただけでも無事でいておくれ」

「いや、一緒に逃げたらいいじゃないですか! だってここにも、そのヤマトの兵が来てるんでしょ?」

「私は高志こしの王でもある。国を捨て民を置いて逃げることはできぬ。ヤマトの手に堕ちるくらいならば、気高く最期を迎えたいのだ……」


 どうにも相手は健自身の質問に対して答えてくれているようで、会話が噛み合わない部分もある。

 まるで彼女は台本の通りに進む舞台か映画を観ているようであった。

 そして、女王は石を健の両手に握らせる。

「さぁ、馬と供の準備ができている、早くなさい!」

 健は両腕を左右の従者に掴まれる。

 そのままなかば強引に館を出ると、武具や食料を乗せた馬が控えていた。

「僕、乗馬なんかできませんよ!」

 慌てる健に対し、従者の男衆はやや乱暴に彼の背中を押していく。

「さぁ、タケミナカタどの。七日ほどあれば『塩の道』を通り、州羽に到着するでしょう。ヤマトの追手が来ないうちに急ぎ参りますぞ」

「ちょっ……けっきょく乗らないで歩くの?」


 一同は深い山の中の道を進んでいった。

 健が樹々の開けた丘から眼下を振り返ると、海岸線に広がる扇状地には、大小さまざまな木造の家が並ぶ。

 すると彼には、なぜか故郷を離れていくような、母を置いてひとり暮らしを始めるような、一抹の寂しさが去来する。

 まるで手を伸ばせば届きそうな集落。

 無意識に健は、右手を伸ばす。

 そして、その景色の先にあるものを掴もうと掌を広げた。

 身を前に乗り出し、山道の切り立った急斜面から転落しないように、気をつけながらも、さらに身体を伸ばす。

 と、その時――。


「うわっ!」

 一瞬の浮遊感ののち、健は床に顔面を打ち付ける。


 またしても彼は自分のベッドから転がり落ちていた。

「なんなんだよ、まったくもう」

 髪を掻き乱しながら、起き上がった健はスマートフォンの時刻を確認した。

 帰宅してから数十分と経っていない。

 冷蔵庫にある麦茶でも飲もうと、立ち上がった時であった。


『どうか、こちらに』


 女性の声がする。

 驚いた健は肩をすぼめて周囲を見回す。

 もちろん人の姿は無いし、まだ母も帰宅する時間ではない。


 すると、もう一度。


『どうか、我らに力を』


 あたりにせわしなく視線を送りながら、警戒をする健だったが、通学カバンに視線が向かうと、その中に違和感をおぼえた。

 どうにも何かが光っている。

 チャックの隙間から緑色の光が漏れているのがわかる。

 健が恐る恐るカバンを開くと、その中には祖父から貰った翡翠の勾玉のアクセサリーが入っていた。

「えっ、なんでだ? 今日はこれを学校に持っていってないのに」

 それだけではない。教科書やノートのたぐいは机の上に置かれ、通学カバンの中には亡き祖父から贈られた先般の奇妙な品々が入れられている。


『お示しください』


 健は、そういえば女の人の声がしていたのだと、はたと思い出す。

 その声はどこか聞き覚えのあるものであった。

 改めて室内を見回すと、声はある方向からしたような気がした。

 何故だか妙な確信とともに一方の壁を見続ける。

 それから、健はおもむろに立ち上がると通学カバンを手に取った。

 帰宅したそのまま昼寝をしていた制服姿にカバンを肩に掛けて、ふたたび学校へと向かうかのようないで立ちで、家を後にした。


『どうか、天の神々よ。我らをお救いたまえ』


 健は自宅を出ると、声のする方角へと歩いていく。

 知らぬ間に天気は崩れ出していたのか、空を重苦しい曇天模様が塗りつぶす。

 彼の住む東京の下町にある閑静な住宅街は、平日の昼間ということもあり、とても都心とは思えない程にひっそりとしている。

 健は自宅に鍵を掛けて、玄関先にある黒い傘を手に取った。

 そのまま、とある神社の前で立ち止まった。


 諏訪の名を冠した神社。

 子供の頃は夏休みのラジオ体操で集まったり、友達と境内でかくれんぼをしたり、夏祭りを楽しんだ思い出の場所だ。そこも高校生になれば自然と足が遠のいてしまい通学の行き帰りで横目に通り過ぎる程度であった。

「そういえば、夢の中で科野の州羽がなんとかって言ってたな」

 信濃と言えば信州。長野県あたりであろうか。

 急峻な高台の上にあり、境内からは眼下に線路を走る列車の音がする。

 自分の目線とすぐ同じ高さのところを新幹線が走り抜けていく。あれは北陸新幹線――まさに新潟県の糸魚川と長野県を結ぶ列車だ。

 普段は木漏れ日も届かない静かな鎮守の森だが、今は天気も手伝って得も言われぬ怪しい雰囲気が充満している。

 その境内を歩いていると、ある一点に視線が向かった。

「なんだよ、ありゃ……」


 賽銭箱の先、大きく開かれた拝殿の奥にある御神体の神鏡が光っている。

 決して照明や太陽光を反射しているのではない。

 にもかかわらず、神鏡は健の視線に訴えるように、光の筋が伸びていた。

「ホンモノの神様? まさかオバケじゃないだろうな」

 いつもなら飼い犬を連れた者や近所の老人が散歩をしているが、今は鬱蒼とした森に健以外の人影は見当たらない。


 健は息を呑むと、数段の石段を昇り、鳥居をくぐって恐る恐る拝殿を覗き込む。

 神鏡はまた何度か光を放つ。

「……えっ?」

 すると、肩から抱えた通学カバンの中がわずかに振動したように感じた。

 スマートフォンの受信音や着信とも違う、振動。

 健が驚いてカバンのチャックを開くと、中からは翠緑の光が漏れる。


「うわっ、またか!」

 神鏡に呼応するかのように明滅を繰り返しながら、健の顔を緑に照らしていた。

 健はわずかに震える指先で翡翠の勾玉を取り出した。

 その間も、女性の声はずっと彼の耳に届く。

『神の御業みわざを、我らに救いを』

 途端に気味が悪く感じた健の両脚は、せわしなく震え出す。

「これぜったいにヤバいやつだ……完全に心霊現象だよ」

 色を失った健は、すぐに自宅に戻ろうと賽銭箱の前できびすを返した。

 狼狽していたのか、手にした翡翠の勾玉のネックレスを思わず首から下げて、それから歩き出そうとした時だ。


 足元の石畳が突然に崩れ落ちる。

 いや、地面が崩落したのではない。

 まるで大地に吸い込まれるように、健の身体は石畳を透過していく。

「うわわっ!」

 そのまま、彼の姿は見る間に消えていった。

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