クラスメイトの失踪
「あのぉ、そもそも、ここは僕の兄さんの店なんだけど?」
「えっ! ここの店長さんって南方くんのお兄さんだったのっ!?」
驚いた様子で店に入って来た学校で同じクラスの女子は、カウンターの奥にいる進と健を交互に見ている。
そこで、進が会話の間に割って入った。
「こちらのお嬢さんは、うちの常連さんなんだよ。クラスメイトということは、もしかして健とは親しい間柄だったのかな?」
「いえ、ぜんぜん! お互い仲良しの男女チームとしか会話してません!」
咄嗟に否定する彼女の言葉に、先手を打たれた健は口をぱくぱくとさせたまま黙ってしまった。よく考えれば『クラスメイトなのにお互いまるで会話も無い他人です』と自己紹介する彼女の発言に少しばかり唖然とする。
すると彼女は進に向かってぺこりと頭を下げた。
「あのっ、あたし南方くんと同じクラスの
髪は肩のあたりで短く切り揃え、表情も声も性格も明るいと三拍子そろった彼女はクラスのムードメーカーである。それでも名に似合わず、男子に食って掛かるくらいの気の強さもあった。
彼女の挨拶を受けて、進も柔らかな笑みを投げる。
「こちらこそ、健をよろしく頼むね」
頭を上げた乙姫は、普段の勝気な様子など、どこへ行ったのか。
まるで恋に焦がれる少女の姿そのままであった。
頬は桃色、目がハート。
すぐ正面に座る健の姿などは見えていないかのようだ。
そんな健はまたしても腐った様子でソーダ水を飲み干した。
背が高く端正な顔立ちの進は、健にとってある種の憧れであった。
かと言って卑屈になるでもなく、自分の容姿は中の中にはかろうじて納まるであろうと自負しているし、美男子である義兄と知り合いなのも自慢とすら思える。
加えて、姉の尻に敷かれている様子もなく亭主関白でも無さそうだが、お世辞にも繁盛しているとは言い難い雑貨屋で煙草を吸いながらゆったりと店番をして、たまの休みには大好きな釣りに興じて、糸を垂らしながらのんびりと構える。
健にとって世間の流れからも価値観からも逸脱している、彼の生活ぶりは羨望の的だ。
だからこそ、今は乙姫の義兄に対する態度が無言の刃のように刺さる。
しょせん自分は路傍の石くれ――神々しい輝石とは雲泥の差なのであろう。
すると、乙姫は学校とは違い、妙に愛想よく健に声を掛けだした。
「やだもぅ、南方くんったら、ここがお兄さんのお店だって教えてくれれば良かったのに。あたしここの商品のチョイスが好きで、よくお小遣いでアクセサリーとか買ってるんだから」
「ここの商品なのか店主なのか、どっちが気に入ったかわからないけども、そりゃあ毎度どうも……」
「ねぇ、こんどあたしにお兄さんを紹介してよ?」
「兄さんって言っても義理の兄だよ? 僕の姉さんの旦那さんで進って言うんだ」
今度は露骨にがっくりと肩を落とす乙姫。
恋焦がれた進と彼女自身を隔てるカウンターは、まるで果てなく遠い天の川のようだ。そしてその先にある煌めきには望んでも決して手が届かない。
「なんだぁ、奥さんいるんだ……そりゃそうだよね、こんなカッコいい人が放っておかれるワケないもん。世の中って不公平だよね。ねぇ、南方くん?」
今まさに失恋した彼女の落胆ぶりに同情したら、まるで自分も義兄と比べても持たざる者の代表格であると納得するみたいになってしまうので、その発言は黙ってやり過ごす健であった。
そんな二人のやり取りを見ていた進は、会話が一段落したところで小箱を差し出す。
「これが取り置きしていた商品だよ。どうかもうこの店に来ないなんて思わないで、あと、健のこともよろしく頼むよ」
商品を受け取る際にわずかに指先が触れ合うと、乙姫はまたも、恋する少女の瞳に変わっていた。
呆れて見守る健は、彼女が受け取ったのが例のカウンター脇に陳列されたいた翡翠のネックレスだと気づいた。
「あれ、弥栄さんが買ってくれたのって、翡翠のやつ?」
「そうだよ。南方くんもお互い高校生だから、買い物で使えるお小遣いなんてたかが知れてると思うけどさ、シルバーアクセとか、なんか色が濃くてビカビカしてるのがあたし好きじゃないのよね」
健はカウンターに向かう椅子から立ちあがると、彼女のそばにやってくる。
そして自分の祖父がくれた勾玉のネックレスを掌に乗せた。
「やだ、南方くんったら面白い。それ着けるの? まるで『卑弥呼さまーっ!』って感じの小道具みたいなアクセサリーじゃない」
「うん、いやまぁ、確かにそっちの方がいかにもネックレスって感じの石なんだけどさ……でもなんか急にビカビカ光ったりするんだよね……」
「反射しただけじゃないの?」
「そうじゃなくてさ、石が自分で光るんだよ……なんつーか、呪いの石とかじゃないといいんだけど……」
急に不穏なことを言い出す健に対して、乙姫は露骨に怪訝そうに睨み返す。
「あたしがお兄さんのお店で買った石を悪く言わないでよ! これから着けるのに」
「いや、そういう意味じゃなくて、僕もこの石をじいちゃんに貰う前後から、ヘンな夢を見るんだよね。翡翠ってそういう力があるのかな……ってさ」
ふんと不満げに鼻息を漏らした乙姫は、さっそく購入した翡翠のアクセサリーを首に通した。
「だったら、あたしがこの石はぜんぜん普通の何の変哲もない石だって証明してあげるから。そしたらあたしの前でお兄さんに謝ってよね」
なんだかんだ言って、また兄さんに会う口実を作りたいだけじゃん――。
そこまで言いかけた健は言葉を飲み込む。
ここで波風を敢えて立てると、ややこしい展開になるのを承知しているのは、彼なりの地味で物静かで穏やかな性格者の経験則ゆえだ。
「あっ、あたしそろそろ塾の時間だ。じゃあね、南方くん。また学校でね。お兄さんもありがとうございました」
「あぁ、また健が居る時にでも来ておくれ」
愛想よく手を振る乙姫を見送る進は、小さく掌をかざしただけだった。
その画になる仕草に納得しつつも、健は頭を少しだけ下げて級友を見送った。
「あぁ、まさか健にガールフレンドが出来るとは、俺も楽しみになってきたな」
露骨に茶化す義兄に、健も色を成して席から立ちあがる。
「はぁっ!? ぜんぜんそういうのじゃないってば! そもそも弥栄さんは兄さんのファンだったじゃないか!」
「それはわからないぞ? 翡翠の石が繋ぐ縁ってのもあるからな」
進の言う意味が理解できない健は、またも腐って腕を組んだ。
帰宅した健は、食卓に置かれているメモを発見した。
今朝は気付かなかった母の伝言だ。
『今日は仕事で遅くなりそうだから、冷蔵庫のハンバーグを温めて食べてね』
進の店でソーダ水を貰ったせいだろうか。時計を見ると夕食の時間はもうすぐだ。だが空腹感を覚えていなかったので、健はそのまま自室に戻った。
通学カバンを放り出し、ベッドの上に寝転がる。
しばし進や乙姫との会話を反芻していたが、やがてうとうとと微睡んでいった。
何かが光っている。
緑色の石。
先程、進の店で見た翡翠にも見える。
石が放つ光に誘われるように歩く。
光の先に待っていたのは薄暗い大地。その前には水面。
単に太陽が落ちた後とは思えないくらい、周囲は暗鬱としている。
月明かりも無い。
湖か池の水辺か、海岸のそばに居るようだったが、そこは自然に波打つ事も無く、淡い緑に照らされた自身の姿が鏡のように反射する。
そこで声が聞こえる。
健の父よりはもっと年上のような複数の男性の声だった。
『……さま』
何処から聞こえるのか、健は周囲を見渡すが視界の中には人影はない。
また声がする。
『タケミナカタさま!』
やがて、漆黒の光景は地平から太陽が昇るかのように次第に明るく照らされていった。
背後には草木の緑に囲まれた雄大な大自然。
先程まで居た水際は、眼前に広がる果てしない海岸線だった。
そして現代の文明を示すような建物は一切ない。
ただ一面の緑の大地と大海原が視界の果てまで続いていた。
「タケミナカタさま! またこちらでうたた寝でございますか!」
健が男たちの声で立ち上がるも、駆け寄ってきた男たちの姿を見て仰天した。
長い髪の毛を側頭部に結わいて、長く蓄えたヒゲを揺らす。
彼らの服装は、絹などの純白とは言えないくすんだ色調で、織目の粗い薄衣の織物と思われる服であった。
思わず自分の手足も見るも、自室のベッドに寝転んだ時と同じ学校の制服のまま。
ポケットにあったスマートフォンを取り出し、暗い画面を鏡にして自身の姿を見るも、特に髪型も顔つきも変化はない。
ところが人差し指で電源ボタンを押すと、スタンバイ画面に表示されたバッテリー残量と通信速度の表示には違和感は無いが、カレンダーの日付と曜日がまるで見慣れたものと違っていた。
『265年 10月12日 木曜日』
「えっ、なんだこりゃ! 今は西暦二〇二二年五月じゃないの? それに十月で木曜ってどういうことだよ!」
「さぁ。タケミナカタさま。お母上が……女王陛下がお探しでしたよ。急ぎ館に戻られませ」
健は古代人のような格好をした家臣とおぼしき男たちに腕を掴まれ、なかば引きずられるように連れられていく。
「いやっ……僕はなんでここにいるんですか? それに『タケル・ミナカタ』ってなんで僕の名前を知ってるんですか? 名前が先に来るってことは、外国みたいな異世界なんですか、ここはっ!?」
「またいつものように寝ぼけておられるな。困った王子だ。さっ、はよう館へ」
男衆の捕縛を解かれ、大地に丸太を突き刺しただけの木塀が覆う館に放り込まれた健は、一番奥の薄暗い部屋の前にやってきた。
ガラス窓のように太陽光を取り込む仕組みもない木造の建物の室内は薄暗くなっていたが、その中だけは明々としていた。
火が焚かれているようだ。
その火の前で、長い黒髪の女性は一心不乱に祈る。
まるで声を掛けられる雰囲気ではない。
そのままどうすべきか、しばらく逡巡していた健は、恐る恐る足を踏み出した。
がくん!
すると突然に、木床が抜けたかのように、彼の身体は奈落の底の深淵の闇へと吸い込まれていく。
「うわあっ!」
自分の悲鳴に目を醒ました健は、そのまま鈍い物音と共に床に落下した。
慌てて周囲を見回すと、薄暗い室内に引かれたカーテンの奥もまだ暗然としている。そこは自分の部屋で、外もまだ夜明け前の時刻であると教えてくれた。
「いってぇ……なんだってんだよ。あの石のせいで、ずっとヘンな夢ばっかり見るじゃないか」
不満を漏らしながらも、健は微睡んだ瞼のまま掛け布団の中に潜り直した。
翌日。
いつものように寝坊をした健は、始業前のぎりぎりに教室に滑り込んだ。
朝礼が始まり、担任による出欠の点呼が始まるが、そこである事実に至る。
五十音で『ま』行の健の後、『や』行に到達した時のことだ。
「今日は弥栄が欠席だ。親御さんから連絡があってな」
『あらら、弥栄さん欠席なんだ。まさか翡翠の石でヘンな夢を見たせいで寝込んだとかじゃあるまいな』
健は頬杖を突きながら、出席番号が少しうしろの彼女の机を眺めた。
そんな想像をしていた健であったが、その後の学内は雰囲気が一変する。
昼休み前になると、午後の授業は全て中止となった。
そのままホームルームでは、教員から全校生徒に帰宅を促す伝達があった。
弁当を持参した生徒も、昼食を食べることなく退校を指示された。
部活動も委員会も生徒会も、すべて中止となった。
奇妙な出来事に健のみならず、クラスの他の生徒――いや、全校生徒が不安げに、そして訝しげに教員の指示を聞いていた。
教員が席を外したタイミングで、一斉に雑談を始めるクラスメイトの女子達。
「あたし、乙姫にメッセージ送ったのに、ゆうべから既読にもならないんだよね」
「病気とか調子悪そうな感じだった?」
「でも他のクラスの仲良しの子が朝一緒に登校しようって迎えに行ったのに、お母さんに帰されたらしいよ? だっておうちの前にパトカーが来てたって言ってたもん」
「まさか、家出とかじゃないよね? 犯罪に巻き込まれたとか?」
そんな会話を小耳に挟んだ健も、昨日会ったばかりの彼女の安否が心配ではあるものの、事件性があるとはにわかに信じがたい状況であった。
『まさか、ホントにあの翡翠の呪いとかじゃないだろうな……相当ヤバい夢を見たとかなのかな?』
今日の未明に見た奇妙な夢、というかここ数日は、祖母から翡翠を貰ったせいで続く変な夢を思い返した健は、途端に顔色を失っていった。
『やっぱ、呪いの石だったんだよ……手始めに弥栄さんが狙われたんだ。そんであんな夢を見続ける僕が次の被害者だ』
ホームルームではまっすぐ帰宅するよう指導を受けていたが、健は義兄の進の店へと向かう。
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