03 和泉式部

 和泉式部いずみしきぶは恋多き女である。親王二人から求愛を受けたこともある。

 それゆえ、藤原道長ふじわらのみちながから「浮かれ女」といわれていた。

 ちなみに、和泉式部の父・大江雅致おおえのまさむね赤染衛門あかぞめえもんの夫・大江匡衡おおえのまさひらの兄であるとされ、道長は最適な相談相手を選んだといえる。


「……ではこのふみ、確かにその気になる人に」


 平井保昌ひらいやすまさはこの期に及んで和泉式部の名を口にしていない(呟きは置いといて)。

 賢い赤染衛門は、宛名を見なかったことにして宮中へ向かった。



 赤染衛門はすぐに和泉式部の控える間に入った。


「何でございましょう」


「このふみを」


 赤染衛門の差し出した文には、保昌の筆跡で、和泉式部に「恋よりも恋に近しい気持ちを抱いている」と書かれていた。


「…………」


 和泉式部は、ふみに目を落としたまま沈黙していた。

 赤染衛門がさてどうなるかと見ていると、おもむろに顔を上げた。


「……きっと、保昌卿は女官と話すのが初めてで、それでその初めてが私だったため……」


 そこまで言ったところで、和泉式部の娘、小式部内侍こしきぶのないしが入って来た。


「あ、おたあ様、探していた、檜扇を拾ってくれた方は平井保昌さまでした」


「あ、ああそうでした。ご苦労様」


「…………」


 小式部内侍はにこにこと微笑んでおり、無邪気なものだった。

 一方で赤染衛門は、平たい目で和泉式部を見ていた。

 いたたまれなくなった和泉式部は、あわあわとする。


「保昌卿はほら、自分でも、恋よりも恋に近しいとか書いているじゃないですか。だから、ほら……」


 赤染衛門はと進み出る。


「お断りになる、と……」


「えーと」


 この女。

 もしや、惚れられることは多くても、惚れたのは少ない。いや、初めてだな。

 赤染衛門はそう看破した。

 何のことはない。

 恋よりも恋に近しいという想いを抱いているのは、和泉式部もではないか。

 ……赤染衛門はある策を思いついた。


「分かりました。ではお断りを」


「え? いや、だって」


「だってじゃありません。少なくとも、返書を出すべきでしょう。何、貴女、もしかして」


「い、いえそんな!」


 分かりました、分かりましたよと和泉式部は文机に向かった。

 ところが。


「……どう断ったら」


「貴女ので断ったらいいじゃないですか」


 そうか、と和泉式部は手を打つ。そして「どうしてもというのなら、紫宸殿ししんでんの梅の枝を手折たおってくれ」と書いた。

 それが和泉式部ので、紫宸殿は警戒厳重なところで、そこから梅の枝を折って取ってくるなど、よほどの強者つわものでなければ、無理と言えた。


「……できました」


「確かに。では届けてきます」


「あっ」


「何か」


「いえ……」


 赤染衛門は和泉式部の躊躇ためらいを振り切るように去っていった。

 途方に暮れる和泉式部は、小式部内侍に「褒めて」と言われて、頭を撫でることしかできなかった。

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