02 恋よりも恋に近しい

 さすがに会ったばかりの盗人に、和泉式部の名は出せない。

 しかし命の借りがあると袴垂はかまだれが言い張るので、ついに平井保昌ひらいやすまさは観念して、気になる人がいると告げた。


「ほう」


「何だその顔は」


「いやいや、元からこんな顔でさア。それより」


 そうだったら、誰かに相談しろと、袴垂は至極真っ当なことを言ってきた。


「この気持ちを何といったらいいのか分からないのにか」


 ああもう、まだるっこしいなぁと袴垂は頭をいた。


「……また後日」


 袴垂は音もなく消えた。

 保昌は目を見開いたが、やがて「さて誰に相談したものか」と首を傾げた。



 保昌は、主・藤原道長ふじわらのみちながに会う用事があって、彼の住居である法成寺ほうじょうじに行った。

 ちなみに御堂関白みどうかんぱくというで知られる道長だが、なったのは摂政と太政大臣であって、関白にはなっていない。


 法成寺客殿にて、保昌は道長がやって来るのを待っていた。

 道長は多忙らしく、なかなか来ない。

 だが保昌も、暇さえあれば和泉式部への気持ちを考えており、「待たされている」とは感じなかった。

 それどころか、こう呟いていた。


「和泉式部どの……」


「何や、それ?」


「うわっ」


 武人の保昌らしくなく、つい大声を上げて驚いてしまった。


「何や、随分な言い様やな」


 いつの間にか来ていた道長が、かがんで保昌を見ていた。

 どうやら、呟きの最中に来たらしい。

 切れ長で、鋭い目。

 公家にもかかわらず武芸に達者で、弓を得意とする道長の目は、かなりの迫力があった。


「し、失礼いたした……臣、保昌、ただ今任地より……」


「ンなことはえ」


 道長は手を振って、保昌の発言をさえぎった。


「ンなことより、今の言葉は何や? 麿まろに教えてみ?」


「え」


「え、とは何じゃ。麿の四天王として忠勤に励んでる士ィが思い悩んどるんや、気にして何が悪い?」


「は、はあ……」


 道長のに押されて、保昌は訥々とつとつと語り出す。

 気がつくと保昌は、気になる人(先ほどの呟きで和泉式部とばれているが)の出会い、それから帰りの袴垂との邂逅かいこうまで、すっかり話してしまっていた。


「……ふぅん」


 道長は最初こそ興味深く聞いていたが、保昌が「恋よりも恋に近しい」と言い出したあたりから、にわかに興味を失ったように、平たい目をしていた。


「み、道長卿みちながきょう


「何え?」


「も、もう、帰ってよろしいか」


 やはり教えろと言われたからといって、そう易々と胸中の想いを語るのではなかった。

 いくら袴垂の忠言とはいえ、相手を考えるべきであった。

 思い悩んでいる保昌を見ながら、道長はおもむろに言った。


「お~い、赤染衛門あかぞめえもん! るんやろ? お~い、衛門!」


 赤染衛門。

 百人一首に歌を残す歌人であり、夫である大江匡衡おおえのまさひらとの仲は有名で、匡衡衛門とまで称されていた。

 その赤染衛門は、道長の妻である源倫子みなもとのりんしに仕えていた。


「道長卿。そうやって衛門衛門言わないで下さい」


 赤染衛門は、まるで猫か何かのように呼ばれている気がすると言いながら、客殿に入って来た。


「せやかて衛門」


「せやかて、ではなくて! 何ですか、用事は?」


 赤染衛門は前述のとおり、道長の妻・倫子に仕えているため、道長に強く出られた。


「いやな」


 道長はうつむく保昌を片目で見て、「アイツ、あの和泉式部浮かれ女れとるねん」と言い出した。

 保昌は顔を上げた。


「い、いや! それがしはただ……気になる方がいて、恋よりも恋に近しい気持ちを、と」


が気に食わんのやが」


 これは盗人の袴垂が消えたわけも分かると道長はこぼした。

 だが、大人の赤染衛門は、保昌に優しく語りかけた。


「保昌卿、その気持ち、それをどう言うかは、ご自身の好きになされたらよろしい。それより」


 赤染衛門は文机を示す。


「あちらに紙と筆が。とにかくその方にその気持ち、伝えて見てはどうです?」

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