第10話 二人だけの夏休み(後編)
「あ、あの・・・、大丈夫?」
と僕は、少し眉をひそめて
花頼さんは小さなショルダーバッグから水色のハンカチを取り出して、少し目元を拭いながら
「ごめんなさい・・・、大丈夫です」
と言って、「はあっ」と息を吐いて顔を上げて僕の顔を見た。
「
と言う花頼さんの目には、また涙が溜まっていた。
僕は花頼さんに褒められて嬉しかったけど、だけど花頼さんが泣いてる様に見えたから、やっぱり心配になった。
花頼さんはもう一度目元をハンカチで拭いてから「はあっ」って息を吐いた。
「せっかくのデートなのに、ご心配をおかけしてすみません」
と花頼さんが小さくペコリと頭を下げて言った。
「あ、う、うん。えっと、で、デート?」
と僕は少し頭が混乱したみたいだった。
だけどデートって、恋人同士がする事だから、僕と花頼さんは、会社の先輩と後輩だから、僕と花頼さんは、親子くらい歳が離れてるから、それでも僕は花頼さんに恋してるから、だけど僕は恋の事がよく解らないから、だけど花頼さんがデートって言ったから・・・
頭の中がぐるぐるして、同じ所を何度も再生する針が飛んだレコードみたいになっていたと思う。
僕の目はキョロキョロしてたかも知れない。
心臓が飛び出しそうなくらいにドキドキしてて病気だったかも知れない。
頭の中が痺れてきて、酸素が足りてないのかも知れない。
フラペチーノを吸い込もうとしてたせいかも知れない。
「帆地槍さん!」
と言う花頼さんの声で僕は我に返った。
僕の手の上に花頼さんの手が置かれていて、エアコンで冷えた僕の手を、温かくて柔らかい花頼さんの手が温めてくれてるみたいだ。
「あ、ご、ごめんね。ちょっと、こ、混乱してたみたいだ」
と僕は言って、僕もすごく汗をかいてる事に気付いて、ポケットからハンカチを出して顔をゴシゴシと拭いた。
「帆地槍さん、大丈夫ですか?」
と花頼さんが心配そうに僕を見てる。
今度は僕が心配をされてしまった。
「あ、うん。お、落ち着きました」
と言って、僕はふうーっと息を吐いた。
「花頼さんが、デートって言ったから、デートって恋人みたいだから、僕は恋人が居た事が無いから・・・」
と僕はうまく話せなかったけど、ちゃんと伝えないと花頼さんが心配すると思って、頑張って伝えようとした。
「帆地槍さん、ありがとうございます」
と花頼さんが言った。
「え、えっと・・・?」
と僕は何のお礼を言われたのかが解らなかった。
「帆地槍さんが、私の事を心配してくれて嬉しかったんです」
と花頼さんが教えてくれた。
「あ、そうだったのか・・・」
と僕はお礼の意味が解って良かったと思った。
「それに、私の事を解ってくれた事がすごく嬉しかったです」
と花頼さんが言った。
「えっと・・・、花頼さんの事を、僕が?」
と花頼さんの事を全然解ってない僕が、何を解ってたのかが解らなかった。
花頼さんは僕の目をまたじっと見て、僕もまた花頼さんの大きな黒い瞳に吸い寄せられる様に見返した。
なんだか僕の心臓は、さっきよりはだいぶん落ち着いていた。
だけど、花頼さんの瞳をずっと見てると、頭の中がジーンと痺れるみたいな感じがする。
「帆地槍さん、私にどんな恐い事があったと思いますか?」
と、どこか遠くから花頼さんの声が聞こえる様な感じがする。
「花頼さんが、恐い事・・・」
と僕の声もどこか遠くから聞こえる様な変な感じがした。
僕は花頼さんの瞳の奥を見ているうちに、やっぱり怯えて震える子供の様な姿を見た気がした。
「何か・・・」
と僕は感じた事を少しずつ口にする。
花頼さんの瞳の奥に、怯えて
女の子は、狭い壁の隙間に隠れてて、目の前を行ったり来たりする、黒いモヤに見つからない様に身体を丸めて小さくなってる様な・・・
黒いモヤには目があって、時々壁の隙間を覗いてる。
見つかったかも知れない。
だけど逃げられない。
なのに黒いモヤはまた通り過ぎて行って、だけど必ず戻って来る。
「恐い人が・・・、いつも傍に居て・・・」
と僕はうまく言えないけど口にする。
「隠れてるのに・・・、見つかったかも知れないのに・・・、だけど逃げる所が無くて・・・」
と僕が続けると、花頼さんは目を瞑って少し俯いた。
「すごいです・・・」
と花頼さんが言った。
僕は、とても心配になった。
「こ、恐い人が居るの?」
と僕は訊いた。
「・・・はい」
と答えた。
「か、会社?」
と僕が訊くと、花頼さんは首を横に振った。
「お、お
と僕が訊くと、花頼さんは頷いてから目を開いて、僕の方を見た。
少し寒いのか、花頼さんは自分の身体をギュっと両手で抱く様にした。
その腕には鳥肌が立っている。
「あ、さ、寒い?」
と僕が心配になって訊くと、首を横に振って
「大丈夫です・・・」
と言ってから、「やっぱりちょっと寒いです」
と言って、花頼さんは僕の左腕を両手で掴んだ。
「あ、じ、じゃあ、お店を出ようか」
と僕が言うと、花頼さんは小さく頷いてショルダーバッグを肩に掛けた。
僕もカバンのストラップを肩に掛けて、なんとかフラペチーノを持って立ち上がった。
花頼さんも飲み物を手に取って立ち上がった。
僕がお店を出ようと歩き始めると、花頼さんが僕の左腕に自分の腕を絡めて、付いて来た。
こ、こんなにピッタリと花頼さんが僕にくっついて・・・
僕はまた心臓がバクバク鳴ってるのを感じたけど、早くお店を出ないと、花頼さんが風邪を引いてしまうかもしれないと思って、出口に向かって歩いた。
扉を開けてお店を出ると、とたんにムワっとする熱気が全身を包み込み、ジリジリと頭が焼かれるみたいな感じがする。
「あ、あそこの木陰に座れそうだよ?」
と僕が言うと、少し元気になった花頼さんが、
「はい、あそこに座りましょう」
と言って、僕の腕にしがみ付くみたいに付いてくる。
そ、そんなに恐い人が居るなんて・・・
もしかしたら、今も近くに居るのかな。
と思って僕は周りをキョロキョロと見回してみたけど、家族連れとか、腕を組んで歩く恋人同士ばかりしか見当たらない。
・・・恋人同士?
と僕は、花頼さんが腕を絡めてる僕の左腕の方を見て
「あ、あの・・・、これって恋人同士なのかな」
と言った。
花頼さんは僕の方を見て、少し考える様な顔をしてから
「・・・解りません・・・けど」
と言って、「帆地槍さんとなら、恋人同士でもいいかもって、今は思います」
と続けた。
え?
ぼ、ぼぼぼぼ僕と花頼さんが?
途端に心臓がバクバクと飛び出しそうな勢いで鼓動を打って、ものすごく喉が渇いて仕方が無かった。
「あ、じ、じゃあ、ここに座ろうか」
と僕は木陰にある石のベンチにドスンと座り、花頼さんも隣に座ってまた僕の左腕に自分の腕を絡めた。
ああ・・・
花頼さんのおっぱいが僕の腕に当たってて、すごく柔らかいのが分かる。
僕が女の人の事で知ってる事は、女の人はおっぱいが柔らかいって事だけだ。
僕が花頼さんと恋人同士になったら、僕が女の人の事を全然知らない事で残念に思わないのかな。
「あ、あの・・・」
と僕は、正直に言わなきゃと思った。
「ぼ、僕はね。会社でいつも、花頼さんがコーヒーを淹れてくれるのが嬉しくて・・・」
と声を絞り出す。
「はい、私も嬉しそうにしている帆地槍さんを見て、嬉しくなってました」
と花頼さんが合わせてくれる。
「いつも、花頼さんが挨拶してくれるのが嬉しくて・・・」
「はい、私もです」
「いつも優しい花頼さんが、幸せになります様にって思って仕事を頑張って・・・」
「はい、すごく嬉しいです」
「ぼ、僕はこんなんだから・・・、みんなと上手にお話できなくて・・・」
「はい、それでもいいです」
「ぼ、僕は恋とか女の人の事を全然知らなくて・・・」
「はい、でも私の事は誰よりも解ってくれていると思います」
「僕は・・・」
一生懸命話そうとしている内に、何故だか僕の目からは次々と涙が出てきて止まらない。
もう最後はかすれた様な声になっていた。僕の視界は涙でぼやけて水中の世界みたいだ。
「僕は・・・、花頼さんの・・・恋人になってもいい人ですか?」
最後に僕は、そう振り絞って花頼さんを見た。
知らないうちに、花頼さんも沢山の涙をこぼしながら、ずっと僕の事を見てくれていた。
そして、花頼さんも振り絞るように、
「はい・・・、私の恋人になって下さい」
と花頼さんは言って、僕の肩に顔を乗せて嗚咽を漏らして泣き出した。
僕はこういう時にどうしたらいいか解らなかったけど、自然と花頼さんの背中を抱いて、ゆっくりと
ベンチの横に置いていた、なんとかフラペチーノはもうだいぶん溶けて、結露したカップの水滴が、僕達の涙と同じ様にベンチを濡らしていたのです。
8月11日の木曜日。11時7分。
僕は、花頼さんと、恋人同士になりました。
帆地槍(ぽちやり)さんのペーソス おひとりキャラバン隊 @gakushi1076
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます