弐
古の世、龍と魔人あり。
魔人、大地を統ぶる龍を喰らはずとし戦起こる。
されど龍の力と魔人の力は拮抗し、終はらぬ戦は人の世にまで及びき。
その時、龍に語りかくる声あり。
「龍よ、この戦を終はらする料、我ら人も魔と戦はむ」
さても人の中より龍と契りし者、龍巫女となりき。
龍の力と人の力、魔打ち破りて永き戦ひは終わりき。
戦の後龍は「我、この地に溶け不浄を制す。十の年に一度、不浄は我が血と混じり玉となりて大地に現るる。現世に残せし我が血継ぎし者、これを祓うべく祭事を執り行うべし」龍は言の葉残し、巫女とその人の子らが安らかに暮らすべきやう大地に溶け、龍の血流るる龍脈となりき。
里に戻る道中の森林にて、白い道衣の男〈ナラマル〉は龍脈の里に纏わる伝承を語ると一拍を置いて「今、我らの里は祭事がしかと執り行えるよう緊張感が高まっておるのです」と言った。次に来る言葉を想像して、ザンカはこくりと頷いた。
「東で噂が流れており先日の様な賊がまだ現れるかもしれず、里の守りに手を貸してほしいと言うことか」
「まさしく。一度は牢に入れる無礼を働いておきながら厚かましいとは思いますが、何卒その力我らにお貸しいただけないでしょうか?」
ナラマルは地に膝を突いて頭を下げる。慌てて頭を上げる様に言ってナラマルを立たせる。そんな事されずとも、答えは決まっていた。
「このザンカ、出来うる限りの力を貸すつもりだ」
「ザンカ殿……かたじけない!」
感極まったのかナラマルがばっと抱きついてきた。完全に意識の外からの動きだった為避ける事すら能わず正面から受け止める形になってしまった。
「わぁぁッ! 分かったから落ち着いてくれっ!?」
しがみついてくるナラマルを剥がし、跳ね上がった鼓動を鎮める。二十有余年生きてきて男に抱きつかれた事などないので取り乱してしまった。この男、見た目や喋りの印象から受ける厳格さなど持ち合わせていないのかもしれない。後ろに続いていた僧達に動じた様子が無いのは見慣れているからか、修行の賜物であろうか。
三度笠の下でじろりと訝しげな眼をナラマルへと向けると同時、木々の隙間から陽光が射し込んできているのに気付く。
「む……」
顔を上げると森が終わり視界が開けていた。視線の先には里の入り口に立つ赤と緑の漆が用いられた鮮やかな色の柱が見えていた。そこに落ち着きのない人影が一つあった。肩に掛かる程度の陽光を返して綺麗に光る黒い髪、白の振袖に朱色の“すかあと”なる異国の装いをした少女だ。
「サザメ」ザンカが呼ぶと、ハッとしてこちらへと駆け寄ってきた。
「ごめんなさいザンカさん! 私はザンカさんなら大丈夫だって言ったんだけどダメで……!」
今にも泣き出しそうな表情のサザメが己れの胸元でそう言うと、視線を己れの傍のナラマルを見た。サザメの不満の篭った視線に晒されたナラマルはぷいと体を反対へと向けた。それで己れにはおおよそ何があったのか理解できた。
「鍛冶屋のおっちゃんもヨナ婆もみんな反対してたのにザンカさんを見極めるとかナラマルのバカじじいが言い出したの」
「さ、サザメ様バカじじいとはなんですか!? 私はこれでもまだ三十六なんですよ!」
「私から見たらじじいだもん」
「な、なにおぅ……!? 私はまだ若いです! ヨナ婆と比べてみなさい、まだ五十も歳が離れているのですから!」
「ヨナ婆と比べたらみんな若いに決まってるじゃん!」
口論が激しくなりかけた段階で、ザンカが二人に割って入った。
「どぅどぅ、サザメの想いはしかと己れに伝わっている。それにナラマル殿も悪意があった訳ではなく里を想っての行動なのだ、先程里に戻る道中できちんと謝罪を述べてくれている」
「そうなの?」
こちらをじっと見つめ返すサザメの背を摩りながら言い聞かせる様にザンカが「ああ、そうだ」と答えるとサザメはひしと強くザンカの胴を抱きしめてきた。どうやらサザメは納得してくれた様だ。やれやれと思う反面、まだ世の中をよく知らぬ少女だ、人が善意を見せたからと言ってその裏に悪意が潜んでいるなどと思わないのだろう。
「さて、腹が減ったのだがどこかいい店はないか?」
サザメに言うとパッと表情が明るくなり途端通りの方へと駆け出した。
「それなら良いところがあるの、ついてきて!」
そう言ってどんどん離れていくサザメを追いかけようとすると、ナラマルに呼び止められた。
「ザンカ殿、先程私が聞かせた伝承で十年に一度の祭事を執り行うと言った部分があったでしょう?」
話の脈絡を推察し、ザンカは答えを口にした。
「それが龍霊神祭なのだろう」
頷いてナラマルは続ける。
「ええ、その通りです。そしてあの子こそ龍の血を継ぎし者──龍巫女なのですよ」
なんとなく察していたが、やはりそうかと納得できた。しかしなぜ今その事をと疑問に思っているとナラマルは理由を話始めた。
「あの子の母も龍の巫女
「でした? まさかサザメの母御は──」
「ええ、お察しの通り亡くなられております。それも十年前に、龍脈の暴走で」
ナラマルの声には当時を思い出しているのか悲哀の色が滲み出ていた。今は明るく活気に満ちているこの里にも悲しき歴史があり、その中心にいるサザメがその母と同じく龍の巫女となっているとはなんと酷な運命か。快活に振る舞っている彼女の胸中にどれほどの悲哀と恐怖があるのか里の者とて推し量ることなど出来ないだろう。
「……そうか」ただそれだけ零しザンカは遠くで手を振るサザメに視線を合わせた。
「それでもあの子は龍の巫女として強くあろうと努め、常に明るく振る舞っている。あの子が貴女に懐くのは貴女が里の者ではなく、ただ一人で旅を続ける強さを持つからこそ。そこには憧れもあるのかも知れませんが、それよりも自分を守ってくれた貴女を姉の様に思っているのだと思います」
「それは、なんだか照れ臭いな」
己れの答えにナラマルは「ははは」と笑った。
「あの子にとっては唯一弱さを曝け出せる相手が貴女という訳です。どうか重荷と思わず、寄り添ってくださると私も嬉しい」
「何を言う、己れはサザメに命を救われた身だ。そんな事思うものか」
言うとナラマルは高らかに笑ってみせた。
「それもそうでしたな!」
風吹く地にて舞う ガリアンデル @galliandel
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