2節 天の使いか悪魔の使いか

 忙しく走り回る足音。手当を求める声や遠くから届く怒号に目を覚ます。寝かされていた地面から上体を起こせば、僕以外にもたくさんの人が横になっているのが分かる。

「やっと起きた!」

 アリアの姿を探す僕に声を掛けたのは、小さな女の子だった。自分よりも年下の子は初めて見る。状況を聞くよりも早く、女の子が捲し立てた。

「人手が足りないの。体調が悪くないなら手伝って!」

 僕は身体が十全なことを確認して、女の子の後に付いていく。道すがらアリアの事を尋ねると、寝台で寝ていることが分かったので一安心だ。

「これを後列の弓兵たちに渡してきて。」

 資材置き場に連れてこられた僕は、矢が収納された箱を指刺された。腰元まで高さがある上に、持ってみると中々の重さで運ぶのには一苦労するだろう。

「男の子なんだから、一箱持って往復し、て・・・。」

 横抱きに六つの矢箱を持ち上げた僕を見て、あんぐりと口を開けている女の子からなんとか行先を聞き出し、僕は急いで駆けだした。

 

 周りの空気から、マガビトが攻めてきていることを僕は感じていた。介抱してくれた恩を返すためにも、出来ることをしようと心に決める。

 眠る前の最後の記憶は、やっと見つけた大地に辿り着いたところで途切れている。アリアが眠りについてからいくら経っても僕は眠れず、邪念を払うように櫂を動かし続けていたのだ。その結果、夜が明けて視界が開けた時に陸地を見つけ、一目散に漕ぎ付けた。けれど、そこで体力の限界がきて眠りに落ちてしまった。

 その後、誰かが見つけて運び込んでくれなければ、僕もアリアもマガビトにやられていたに違いない。感謝を伝えるべき相手が今まさに戦っているのかもしれないと思うと、僕の足はいっそう速くなる。

 頼まれた行先は北に見える塔、十二番塔。僕が寝かせられていた広場のようなところからさほど距離が無かったのか、もしくは前線が下がっているのか、そうかからない内に目標の弓兵隊の姿が見えた。

「矢の補給持ってきました!」

 誰に声を掛けるべきか分からなかったので大声を上げる。振り向いた幾人の中から、一人の男が割って出てきた。態度からしてここの隊長なのだろう。

「助かる!引き続き補給をたの、む・・・。」

 僕の姿を見て女の子と同じ反応をする隊長に構わず、素直に自分の意見を伝える。

「僕も戦えます!だけど、弓は使えないから前に行かせてください!」

「お、おう・・・。」

 隊長のたどたどしい了解を確認して、隊列の隙間を縫うように僕は前線へと進み始める。

 

 開けた視界に現れたのは血みどろになりながら戦う戦士たち。その数は正確には分からないが五十人ほどだろう。二人一組になり、マガビト達に背後を取られない戦い方をしている。余裕は無さそうだが、熟練した戦士たちの方が僕には優勢に見えた。前線が下がっていた理由は、積み重なったマガビトの残骸にありそうだ。

「まだケツが切れねぇのか!ヤーラんところに誰か送らねぇと死んじまうぞ!」

 人垣の中から頭一つ、いや、二つは大きい男が吠えた。もう一人、同じだけ大きい男が答える。

「・・・余裕がない。いや、ヤーラが調整しているのだろう。戦線を維持するので限界だ。」

 対称な落ち着いた声に返る言葉はない。僕はそのやり取りを聞いて、彼らに指示を仰いで戦うべきだと感じた。

 僕の身体よりも大きな斧を持った大男のもとに、マガビトを避けながら走り出す。気付かなかったのか、僕が間合いに入った瞬間、思い切り斧を振りかぶった。

「待って!」

「ああん!なんだ小僧!」

 寸でのところで止まった斧は僕を切り飛ばすことは無かったが、風圧で髪が大きくなびいた。それでも、怯むことなく話を続ける。

「戦わせてください!」

 端的な言葉でも大男は理解を示し、さらに問う。

「どのくらい戦える!」

「百体は倒せます!」

 目を丸くさせた大男は、僕が見栄を張っているとでも思ったのだろうか。戦場にも関わらず大声で笑う。僕は真実だと分かって欲しくて言葉を尽くそうとしたが、片手を前に出すことで遮られた。

「なら、ちょうど一人足りてない場所に送ってやる。」

 もう一人の大男に目線を送ると、斧を上段から振り下ろしてマガビトの群れに一本の道を作り出した。そちらが海岸、マガビト達が溢れてくる方角だ。すぐさま開いた道が埋まっていく。しかし、大きな槍が僕たちの後ろから突き出され、また空間が開けた。

 意図を理解した僕は、気合を入れて黒い海へと漕ぎ出した。

 

 ヤーラは物思う。戦い始めてからどれくらいのマガビトを倒しただろう。時間の感覚も無くなるほど剣を振り続けた。重りになっていた槍は放り捨てて、今はどこにあるか見当もつかない。

 囲まれないように、かつ味方が戦いやすいように多くのマガビトを相手にしながら上手く立ち回って来れたはずだ。だが、倒れたマガビトがヤーラの邪魔をして、湧いて出てくる量に狩る速さが間に合わない。

 ヤーラの戦い方にはどこまでも無駄がない。必要最低限の力で敵を狩り、時にはいなすことで空間を作り常に自分が有利な状況を作る。それほどの多対一の達人であるヤーラを以てしても、今回の圧倒的物量のマガビトを前にしては、散る覚悟をせねばならなかった。

「自業自得か・・・。」

 自嘲気味に吐いた言葉を剣に乗せ、憂さ晴らしにマガビトを屠る。その剣筋は美しく、腕の間をすり抜けて首の中央に突き刺さる。引き抜く動きのまま背後に迫る二体も、障害物など無いように首だけを斬り落とした。

 八方から迫るマガビトと交戦するため、本来であれば二人一組で行動する里の戦士たちとは違い、ヤーラは一人で戦う。その無謀を可能にする力量がヤーラにはあり、それに追随出来る戦士が他にいないのが一番の理由だ。昔は組んでいたこともあったが、初めて竜の戦士になった十八の時にこの特権を望んだ。

 間合いを埋めるように次々と増えていくマガビトの残骸。組み付かれるのも時間の問題になってきた。奴らの腕力は人間よりもよほど強く、ヤーラの筋力では振り解くことは出来ない。そして、ひとたび動きを止められてしまえば、物量にあっという間に飲み込まれて終いだろう。

 常人ならば、着実に迫る死という恐怖から背を向けて逃げる場面でも、ヤーラは不敵に笑う。幼いころは自分を守ってくれた戦士たち。気付けば自分がその立場になり、ひいては最強の戦士の称号を得た。ならば、里の人々を一人でも多く助けるために命を惜しむことなど無い。

「ピナ・・・。」

 きっとあの子なら大丈夫。今では生きる術も身に着けて、味方もたくさんいる。ただ、また家族を失う悲しみを与えてしまうことだけが気がかりだ。

 また二体のマガビトを切り捨てたところで、ヤーラは完全に包囲された。踏み込む足場も抜け出す隙間もない。

 それでも。それでも一体でも多くのマガビトを倒すために覚悟を決める。

「こんなことなら、ピナを抱きしめてくれば良かった。」

 最近は年頃なのか、抱きしめさせてくれない最愛の妹の姿を想いながら、ヤーラは死地へと向かう。

 覇気を込めた掛け声を上げると同時、正面の三体の首を腕ごと全力で斬り飛ばした。倒れるマガビトを踏み砕きながら、さらに一歩前に出る。防御を捨てた竜の戦士を止められる筈もなく、マガビトは瞬く間に数を減らす。だが、背後の一体が服に手を掛けたところで勢いは衰え、一歩が重く遅くなるごとに腕を、足を掴まれたヤーラの猛攻は、終わりを迎えた。

 手足は無数の擦り傷や切り傷で血を流し、自慢の一張羅は見るも無残に破れている。とどめを待つばかりとなったヤーラを、マガビト達が囲い込んだ。

 目をつむり、思い出すのは何気ない幸せが散りばめられた日常。時間をかけて取り戻したかけがえのないもの。覚悟は出来ていた筈なのに、怒り、悲しみ、悔しさが胸にあふれた。

「・・・まだ、死にたくない。」

 感情が零れると共に地面に放り出される。されるがままに倒れ込んだヤーラは目を開けない。最後の意地で涙だけは零したくなかった。けれども、諦めから生まれた四肢を頭を心臓を貪られる想像は、いつまでも実現されなかった。

 恐る恐る目を開ける。昇りつめた太陽に目を細めながら、正面に立つ人影に目を凝らす。色付いていく影は、小舟に乗っていた少年へと姿を変えた。丁寧に手を服で拭った少年は、倒れたままのヤーラに手を差し伸べる。

「僕も一緒に戦わせてください。」

 穏やかで温かい声に、ヤーラは流れる涙を隠すことなく、彼の手を取った。

 

「・・・アッシム。なぜあの子供を行かせた?」

 マガビトの海に飲まれ、少年の姿が見えなくなった時、オシムは疑問を口にした。成熟していない細い身体に中性的で優し気な顔貌の子供。まるで戦えるとは思えない。

「ああん?勘だよ、勘!」

 雑な兄の答えに深くため息をついていると、遠くから空気を揺らす轟音とマガビトが宙に飛ぶ姿が見えた。

「ほらな?」

 オシムはあほらと口を開けたまま、自慢気でうっとおしい顔をした兄と顔を見合わせた。

 

「次は右の三体!」

「はい!」

 僕は指示通りに力を溜めた拳を放つ。マガビトが吹き飛び、空いた空間にすかさず女戦士が切り込んで三つの首をはねた。先ほどからこの調子で、彼女は僕を上手く使ってマガビトを狩り続けている。美しい一連の動作に見惚れる暇もなく、実力を試すように指示の難易度が上がっていき、僕は目の前のことをこなすだけで精一杯だった。

「私はヤーラ。君の名前は?」

 まだまだ敵がいるのだが、ヤーラは爽やかな笑顔で初めて指示以外の言葉をかけてきた。正面のマガビトの腹を殴り飛ばしながら余裕なく答える。

「アゼル!」

 ヤーラは僕の名前を反芻してから、良い名前だと言った。僕にはヤーラが何を思っているのかは分からないが、上機嫌を損ねる必要も無い。それに協力して戦うのだ。仲良くなるのは良いことのはず。しかし、家族以外はアリアやサムとしかまともに関わってこなかった僕には、どう話せば距離が縮まるかが見当もつかない。

 頭を悩ませながら戦っていると、ヤーラは笑い声を上げた。

「あはは!気付いているか、アゼル?もう私は指示を出していないぞ。」

 言われて初めて気が付く。確かに何も指示を受けていないのに、ヤーラの動きが先導となって僕を動かしていた。激しい戦いの中にいるにも関わらず、自然と目線がぶつかり、次の行動が読める。

「楽しいな!」

 伸び伸びと踊るように剣を振るヤーラ自身が、言葉よりも雄弁に感情を伝える。釣られて僕の動きも早く、鋭くなっていく。互いの限界を探り合いながら加速する戦闘は、二人以外に立つものがいなくなるまで続いた。

 

 肩で息をするアゼルの正面に立ち、自分の目線の高さにある頭を撫でる。汗に濡れた髪はより黒さを増して、ヤーラには綺麗に見えた。

「よく頑張ったな。・・・それに、命を助けられた。ありがとう。」

 本心を言葉に出すのはあまり得意ではない。それでも、命の恩人にはちゃんと感謝を伝えたかった。照れながら笑うアゼルは可愛らしくて、とてつもない力で暴れ回っていたのが噓のようだ。

 アゼルの頬に付いた血を手で拭いながら、ヤーラは思いついたことを口にする。

「お互い血塗れだ。帰ったらすぐ水浴びに行こう。」

 ヤーラとしてはごく普通の話題だった。アゼルも半分頷いていたのだが、そのまま固まり、綺麗にしたばかりの頬を赤く染めた。不思議に思ったのも束の間、アゼルの目が自分の胸で止まっていることに気付く。ほとんど裸に近い己の格好を思い出したヤーラは、急いでアゼルに背を向けた。

 戦場で替えの服など持ち合わせていない。どうしようかと狼狽えていると、何かが優しく肩に触れた。身体に掛けられたのは、アゼルが着ていた外套だった。脛のなかほどまでをすっぽりと覆われ、前面を閉じれば一先ずは安心だ。きゅっと、外套の胸と腰の辺りを握りしめてから向き直る。自分の姿もさることながら、よほど大人なアゼルの対応に頬が熱い。

 戦闘時とは打って変わって、二人は目線を合わせることが出来ないまま、里への道を歩いた。

 

 蝋燭が照らす薄暗い室内。戦士たちが眠りにつくゲルと同じ形の一回り小さな建物に、三人の壮年から老年の男たちが集まっていた。中央に置かれた円卓で向かい合う彼らの議題は、死海を渡ってきたという少年と少女の処遇についてだ。

「わしは受け入れに賛成じゃ。」

 里で最高齢の爺が口火を切った。もともと里は避難者の集合体、子供たちを受け入れることに異論はない。だが、今回はマガビトの大進行が起きた直後だ。負傷した戦士が数多いうえ、破壊された十二番塔の修復もせねばならない。

 里の衣食住を取り仕切る恰幅の良い男が意見する。

「二人程度なら、負担は問題ないでしょう。ただ、奴らが送ってきた可能性も否めません。」

 奴らとは里の北東に位置する蛮族の事だ。人攫いや盗みなど悪行の限りを尽くす痴れ者たち。里も多くの被害に遭っており、その怒りから話が逸れそうな空気を感じた最後の一人、里長は口を挟んだ。

「直接、話を聞いて判断するのが良いのではないか?」

 二人の肯首を見届けてから、里長は外に届くよう声を張った。

「入りなさい!」

 扉をゆっくりと開けて入ってきたのは、大人たちの視線に怯える一人の少女。忙しなく目を動かして身を縮めている姿は、見ている者たちに罪悪感を与えた。見かねた好々爺が出来る限りの優しい声で話しかける。

「お嬢ちゃん。ちょっとお話をするだけじゃ。何も怖いことはありはせんよ。」

 味方を見つけたとばかりに、少女は爺の後ろへと回り込んだ。背に隠れてしまった少女に里長が名を尋ねると、ひょいと顔だけを覗かせてアリアとだけ答える。

「もう一人の少年は来ないのかい?」

 恰幅の良い男の問いに答えたのは里長だった。

「戦いで疲弊しているため休ませている。・・・ヤーラがこの場に居ないことにも繋がるが、 聴取に猛反発しているのだ。アリアは自分から来ることを望んだので連れてこれた。」

 やれやれと頭を振る里長。ヤーラは己の境遇からか、自分よりも幼い者に対して過保護なところがある。とはいっても、里長自身が娘の様に思っているヤーラに甘いため、強くは言えないのだが。

 

 どこから来たか、出航の理由などを順を追って一同はアリアに聞いていく。その中で出てきた一つの名前で議題への答えは概ね決まることとなった。

「なるほど。君たちはあの御老公、セト殿の血縁だったか。」

 現在のような塔などによる警備も十分でない頃、どこからかやってきた謎の老人に里は救われたことがあった。拳一つで脅威を薙ぎ払っていく様は、里の古株たちの記憶に焼き付いている。

 これが事実であれば、もう一人の少年の戦い方にも納得がいく。報告によれば、素手にも関わらず嵐の様にマガビトをなぎ倒していたという。

「もうこれ以上疑う理由もなかろう。この子も、船旅に加えて慣れない環境じゃ。早く休ませてやろう。」

 アリアが語ったことは最初から最後まで矛盾なく、育った村がどういう場所かを詳細に教えてくれた。出任せでこれだけ理路整然と話すことは出来ないだろうと、全員の意見が一致した。それに、迫害から逃れるため故郷を出たと聞いた段階で、アリアの頭を撫で始めた爺に何を言っても無駄だ。

 

 役目を終えたアリアは、爺の付き添いでヤーラの家へと向かう。その顔は緊張から解き放たれたからか、満開の笑顔を咲かせていた。

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イーテ 竜の印と魔王の顕現 御手洗快 @nylon101

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