朝焼けの街

@chuya1005

朝焼けの街

あまりにも突然に起きたことでしばらく理解が追い付かなかった。ただ、バイト帰りのいつもの横断歩道で赤信号のまま躊躇なく進んでいく女性に対して「ずるい」と思ってしまったことは事実だ。その女性は今、ファミレスで僕の向かいの席に座って頭を伏せている。

「コーヒーいれてきましたよ。」

赤信号に突っ込もうとしていた(自殺しようといていた)女性の腕を引っ張り、そのままの勢いで入ったファミレスにはパソコンと向き合う会社員と僕たち以外に客はいなかった。僕は会社員や定員さんに聞こえないようなるべく小さな声で尋ねた。

「お腹すいてませんか?」

するとさっきまで猫がくるまっていたみたいに伏せていた女性が起き上がり僕よりも小さな声で

「ポテト」

とつぶやいた。

その口調の弱さと発言の幼稚さに僕はおかしくなってつい顔が緩んだ。女性は僕の顔を見て安心したのかゆっくりと顔を上げ、足を崩した。


「ケイ君はまだ大学一年生なのね…私、みっともないところ見せちゃったな。」

まだ完成形のままのケチャップに目もくれず、その女性、メグミさんはちょうどいい長さのポテトを咥えながら僕の顔をじっと見た。

「何ですか?なにかついてます?」

僕は恥ずかしくなって顔を下ろすと、コップの中の氷がゆっくり解けていくのが見えた。

「メグミさんは、、二十歳ですか?」

僕はコップを揺らし、わざと氷を解かそうとしながら聞いた。

「あ~君わざと低く言ったでしょ?私に気を遣おうとして。」

「いやそんなことないですよ。メグミさん、お若いし…」

この時僕の思考は全て彼女に見透かされているのだと気づいた。

「25。どう?本当の予想は当たった?」

覗き込むようにして首を曲げ、ほんの少し僕の方に近づくメグミさんは25歳にはふさわしい色気を感じさせた。

「まあ。あたってます。」

「やっぱり~。すごいじゃん、君。」

こうして僕たちはさっき(と言っても2時間ほど前)のことなどなかったかのようにお互いのことを話し合った。僕が希望していた全ての大学に全落ちし、名前も聞いたことがないような大学に通っていること。メグミさんは2年前に上京してきてバイト以外でまともに人と話したのが僕だけだということ。3時間前、居酒屋のバイトで僕が5回も別々のお客さんに怒られたことなど。話しているうちに僕たちはお互いに似ているところが多くあるということに気づいた。そして僕は完全にメグミさんのことを好きになっていて、気づけば会話の内容はほったらかしでその恋心に気づかれないよう願うばかりだった。

 5杯目のカルピスが1/100くらいになっているころ、店内の客は僕とメグミさんの二人だけだった。

次はカルピスソーダにしようなんて考えていると、メグミさんは何かを決意したのか、大きく深呼吸をして口を開いた。

「私、今日死のうとして良かったって思ってるの。」

「え?」

あまりに急な発言に僕は何のことを話しているのか一瞬分からなかった。

「ケイ君が腕を引っ張ってくれたおかげで、今日がここ2年で一番楽しかった。」

メグミさんはまるで今日を境に東京を出て行ってしまうかのように話した。

「どうしてあんなことしようとしたんですか?」

僕は一番初めに聞こうといていたことをようやく尋ねることができた。

「君に話しても分かりっこないと思って話すつもりなかったんだけど、話すね。」

「はい。」

「今朝、というか昨日の朝、目の前で人が死んだの。駅のホームで、前に立っていたおじさんが電車に乗り込むみたいにね。あの人だけ停車時刻が早かったのかもしれないって思うほど違和感なく進んでいったの。私、そのあとおじさんが落ちて、電車が発車できなくなってどう思ったと思う?」

「え?どう思ったんですか?」

僕の中に答えは出ていた。ただこれは僕がどう思うかであって、彼女については分からなかった。

「わかってるくせに。あぁずるいなって。こう思ったんだ。」

僕は口を開けたまま、固まってしまった。つい2,3時間前に僕がメグミさんに対して思ったことと、同じことを彼女は昨日の朝に感じていたのだ。

「それで、死のうとしたんですか?」

「半分正解だけど、半分不正解。私も誰かに嫉妬されたくてね。先を越したいって思ったのが一番かな?」

いつのまにか彼女はティーカップの中を空っぽにして小さなカバンから財布を取り出している。

僕は咄嗟に左端にあるくるめられた伝票の紙を彼女より先に取った。

「大学生に払わせられないよ。ほら、渡して。」

彼女は一刻も早くこの場所から出たそうだった。僕は、終わらせたくないという意思を全面に押し出し、彼女の差し出す手に何も置こうとはしなかった。

「僕、帰りたくないです。メグミさんはずるいです。大人だから、僕が思ってることがわかっててこうしてるんですよね?もう僕と会わないからまたどこかで僕より先に死のうと考えているんですよね?」

目が涙ぐんでいる。異様なほどに明るいままのファミレスの景色が夢のようにぼやけていく。僕は、今伝えても無駄だとわかりきっていながら腕で涙をぬぐい、震える全身を必死に抑えてメグミさんの方を見た。彼女はつい先ほどの僕みたいに固まっている。

「僕、最初に横断歩道を渡ろうとするメグミさんを見てずるいと思いました。こっちだって疲れてるのに。こっちだって息苦しいのにって。」

思考が頭を邪魔して伝えたいことが一向に声にならないことにいら立ち、ますます涙があふれてくる。

「でも、メグミさんと話して、ずるいのは僕の方じゃないのかって思ったんです。」

「え?」

「自分がずるいと思ったからって見ず知らずの女性を引っ張ってファミレスまで連れて行くって物凄く自分勝手だなって思ったんです。たとえメグミさんが今日のことに感謝してくれていたとしても、メグミさんが感じた、ずるいって気持ちは今もまだ残っているわけで…」

必死に思つくことを言葉にしていると、メグミさんは落ち着いた声で遮ってくれた。

「もう思ってないよ。ケイ君が腕を引っ張ってくれた時から。」

「え?」

「だから、もう死のうとも思ってないし、これで君とさよならしようなんて思ってない。」

そういってメグミさんは僕のほどけた手を握って、落ちてしまった伝票に目もくれず傷だらけの僕の手にそっと唇を合わした。

「え…あの…。」

ただ動揺して何も言えない僕の手を放して机の下に潜り込んだ。

「え!?安い!こんなにずっといて1500円だけ?」

メグミさんは机の下に潜り込みながらくしゃくしゃになった伝票をみてそういった。彼女のそういう子供っぽいところに僕はまた笑ってしまった。


朝焼けの街はそれでも数台の車が行き来していて都会の忙しさを物語っていた。僕はメグミさんが連れて行ってくれるという場所まで行くため、彼女のあとを少し離れた距離でついて行った。

「言っておくけど、ラブホテルじゃないからねー?」

どきっと心臓が鳴る音がしたが、僕は平静を繕って手を横に振っ

ついたのはファミレスから20分ほど坂道を上った高台だった。広場には2,3個のベンチが並べられているだけでとても閑散としていた。

遠くまで続く国道が両端の街を分断するみたいに見えた。僕はしばらく広場の柵につかまっていつも歩いている街の景色を眺めていた。

「ここ、私が東京で一番好きなところなの。いいでしょ?」

自分の家を自慢するみたいに彼女は僕の隣まで来て尋ねた。僕はだんだん忙しくなっていく街をみながら大きくうなずいた。別れを惜しむ僕に気づいたのか彼女はスマホのアラームが鳴る7時ちょうどまでずっと僕の隣にいてくれた。

いよいよ別れなければという焦りを感じている僕に彼女は「時間が止まればいいのにね」ときざなセリフを吐きながら階段を下りて行った。僕は慌てて階段の方に行ったがそこにいたのは犬を連れ早朝から散歩をしているおじいさんだけだった。僕は何度も彼女の名前を叫び近くを歩き回ったが、登校中の学生やせわしなく歩く社会人が目に付くと自然と何もなかったかのように道を歩いた。

彼女を、この街を、この時代を、もうずるいと思う感情はいつのまにかなくなっていた。

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