キエフの亡霊
「それでは僕から。はじめに行っておきますが、軍はすでにキエフの亡霊が実在しないことを認めています。でも、それはキエフの亡霊というエースパイロットが存在しないだけの話であって、キエフの亡霊の戦果であるとされた撃墜数は存在しています」
僕がそう言うと、老人たちは首を傾げた。僕は続けて話をする。
「単刀直入に申しますとキエフの亡霊というのは、あの混乱の中で生み出された作戦……僕のような多くの戦闘機パイロットを一人のエースパイロットとして合わせるという一種の作戦です。そうすることによって、ウクライナはあの絶望的な環境を戦い抜く希望を得た。彼が実在しないとしても、キエフの亡霊は存在するのです。僕たちは多くのロシア軍機を撃墜しました。僕も三機ほど落としています。キエフの亡霊は不滅の伝説であり不滅のエースパイロット、実在が否定された今でも飛んでいる。そう言っても嘘ではありません」
僕はそう言って老人たちに微笑みかけた。老人たちは拍子抜けしたような顔をしてマリーティカの方へ向き直る。
「お姉ちゃん、あんたはどうだい」
「ドニプロのドブネズミの話、聞かせてくれんか」
彼女はそれを手で制すると、僕の方を手で指し示した。老人たちの視線は訳が分からないといった様子で僕を通り越し、窓の外に向かう。
「……?」
マリーティカは手を組み唇を一文字に結んでいる。しかし数秒間窓の外を見たままの老人たちを鋭い目で見ると、手を膝の上に乗せ、握りしめた。その拳は小刻みに震え、直後に彼女は老人たちをきつく見据えた。
「あなたたちは……あなたたちはまだ、戦争の
老人たちはぴたりと動きを止め、おもむろにマリーティカを見つめる。彼女は続けて言葉を投げかける。
「英雄は多くの敵をやっつけたから英雄なんじゃない、死んでしまった味方を、
老人たちはあっけにとられている。僕の中には彼女の言葉が反響した。彼女は、僕が言おうとしていたことを言ったわけではない。しかし、そうして説明されてみると妙にすっきりと腑に落ちる。確かに僕はキエフの亡霊の一部だ。そして、ウクライナが勝ったはずの、ここに来る前にいた世界では「キエフの亡霊」の最後の一人、生きた「キエフの亡霊」だ。まあもうあちらにもキエフの亡霊はいないのだろうが。
あっけにとられた老人たちと不思議に納得した僕たちを乗せた救急車は、避難先の街を見ながら突っ走っていた。
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