第12話 僕のあの日の幽霊

国籍と戸籍を得ることは、ある意味特例とくれいで、とても難しい事だった。


申告しても必ず通るものではなく、多くの却下の事例があった。


ジョーは幸いなことに、色々な条件を満たしていた。


彼の母親には国籍も戸籍もあり、

ジョーの出生は、あの超絶ボロいアパートの定住者の多くが憶えていて、

特に、ジョーの母親の遠い親戚に当たる鈴木さん、

あの髪を真っ黒に染めたカーラーのお婆さんが、

ジョーの母親のお産を手伝い、

日にち入りの、生まれたてのジョーと母親が、

当時確実にあのアパートにいた証拠になる写真を幾枚も持っていて、

信用に足る証拠とみなされた。


確証はなかったけれど、調べて行くうちに、

僕はジョーの父親は、

既婚とかの短期滞在とか何らかの事情のある外国人だったんじゃないかと、

推測するようになっていた。


写真で見た彼の母親は、あまり彼に似ていなかったし、

彼の日本人離れした顔やスタイルの理由、

彼の母親が人知れず彼を生み育てなきゃならなかった理由が、

それなら全て合点が行くように思えたからだ。


でも、それはあくまで推測で、

彼の母親がいない今、本当の事はもう誰にも解らない。


とにかく、ジョーはもう幽霊じゃない。


夜間中学を終えたら、夜間高校にも通えるだろう。


「やっとここまで来たんだな…。」


僕はシャワーで石鹸の泡を流しながら、

安堵あんど溜息ためいきをついていた。


そこに、

先にシャワーを浴び終えたはずのジョーの手が伸びてきて、

背後からゆっくり僕を抱き寄せて、僕の肩にキスをした。


「抱きしめて?」


ジョーがそういう時は、

大概、彼があの崩壊の日の事か母親の事を思い出して、

寂しさと人恋しさを感じている時だった。


彼の着替えたばかりのシャツと短パンは、

もうシャワーでビッショリ濡れていた。


僕は体勢を変えて、彼の希望通りに彼を抱きしめた。


彼にとっては、服を着ているかどうかなんてどうでも良くて、

服を脱いでここにくるという事も全く思いつかないのだろうことが、

ジョーらしいなと思って、僕の顔を微笑ませた。


「俺、イッチが笑うの見るのが好きだ。」


僕の顔をうっとりとした目で見て、

ゆっくり顔を近づけてキスしてくるジョー。


一緒に生活する中で、

僕は彼の衝動性に一種の純粋さを見て取っていた。


終わらることのないキスの中、

僕は彼の体に張り付いた、水を吸って重くなった服を脱がせた。


僕の手がゆっくり彼をなぐさめて、

彼の手がゆっくり僕をなぐさめて、

荒いあえぎを掻き消すシャワーが、

僕らの痕跡こんせきも押し流した。


僕らはこの事に関し、

ただの大きな子供でしかなくて、

お互い不器用だったけれど、

僕らはそれで満足だった。


僕らはただ、

お互いに1番の親友の事が大事過ぎて、

別の方法を試す気はなかったけれど、

僕らはお互いの体の違いと、反応の違いを見るのが好きだった。


未来は解らないけれど、

今、僕らは確かにお互いに恋していて、

こうしてそばにいてなぐさめ合うだけで、

お互い力が抜けるような感覚に震えて、溜息ためいきが出た。


僕らはお互いの体をタオルで拭きあって、

相手をどれだけダサくするか競いあいながら、

お互い、相手の選んだシャツと下着と短パンを身につけた。


僕らのファッション・コーディネーターこと、

ヘアスタイリストけん無料衣服調達係のリコが、

たまにとんでもなく奇抜な服や下着をぶち込んでくるので、

僕らはお互いにかなりダサくできて笑えた。


僕が笑い終えて、ベッドに大の字になって溜息ためいきをつくと、

横に胡坐あぐらをかいて座ったジョーがスケッチブックを開いて、

1枚ビリっとくくりから破り取り、

僕にくれた。


そこには、

僕があげた水彩色鉛筆をすっかり使いこなし、

小3の、あの日の夜のブランコに乗った僕が、

写真のようなリアルさで描かれていた。


「全部思い出したから。」


ジョーは彼が見たものを、それが記憶であろうと、見たままに描けるらしい。


あの日、僕は彼の幽霊だった。


彼の絵の中の僕は、

フェンスの先の、

川向こうの色とりどりの家々の灯りのラインの中で、

確かに幽霊めいていた。


僕は、あの鳴いていた猫のシッポがシマシマだったのを初めて知った。


それはブランコのそばの木陰に描かれてあった。


「あの時、

あそこで泣いててくれてありがとう。

イッチと出会えたから、俺、もう大丈夫。」


僕のあの日の幽霊、ジョーはそう言って、僕の胸に子供のように顔をうずめた。

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【BL】僕のあの日の幽霊 菜園絵夢 @ph1angw1c1

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