第6章 魔法使いの王様

第26話 幸運の看板娘


朝陽あさひちゃん、ちょっと弱火にしといて!」


 厨房にはお米の炊きあがる寸前の、香ばしいおこげの香りが漂っていた。エナはザクザクとゴーヤを刻みながら言う。もちろん、彼女の手には雨丸あめまる特製のカッターナイフ包丁が握られている。


「はぁい!」


 朝陽は急いで釜戸に向かい、燃えている薪を火ばさみで慎重に取り出し、火消し壺に入れる。


「赤子泣いてもふた取るな」


 お米を蒸らしはじめた釜の前で、朝陽はちょっと得意げに呟く。

 最初は釜戸にも、冷蔵箱にも、ちょろちょろとしか出てくれない水道にも困惑したけれど、人間の適応力ってのは凄いもんだと思う。未だ不便だとは感じるけれど、不自由はない。


「雨丸包丁、よく切れるなぁ……」


 朝陽は切れない包丁で最も苦戦したトマトを、滑らかにスライスしていく。


「あはは!雨丸包丁!いいわね、そのネーミング」


 蒸されるお米の香りとゴーヤの青臭い匂い、そして規則正しく刻まれる野菜の音。窓からは冷たい風が入って、釜戸の熱気を戒める。野菜くずが散らばった厨房で、女二人が笑いながら料理をする。


 朝陽はこの上ない幸せを感じた。

 人生で初めて、自分が最も求めていることをしているような気がした。




「朝陽ちゃん!復帰したんだね!」


『おだいどこ』がオープンして、小松こまつさんやミズナちゃん、雨丸がやって来た。ミズナちゃんの口から“復帰”なんて言葉を聞いて、なんだか不思議な気分になった。小松さんはニコニコ笑って、「看板娘に会えるとは、こりゃラッキーな日だな!」と言った。


「ミズナちゃん、ゴーヤ食べられるかしら?下ごしらえでしっかり苦みは取ったんだけど……」


 朝陽は三人分のゴーヤチャンプルー、トマトと玉ねぎのスープ、山芋と青のりの天ぷらを並べる。


「全然大丈夫!あたし、八百屋の娘だもん!」


 ミズナちゃんは張り切ってそう言って、雨丸は肩を揺らして笑う。小松さんは宝物でも見るように、胸を張る娘を眺めていた。

 その様子は幸福そのもので、優しさが溶けだすように朝陽の心を満たした。




 山ほど作った料理は全て消え去り、いつものように散らかった厨房を片付ける。


「ああ!ねぇ、これ、作ってきたんだ!」


 厨房の片づけを手伝いながら、雨丸は赤色と黄色の紐を取り出した。


「なぁに?それ」


 石でできた洗い場を、ヘチマでゴシゴシ磨きながら、エナが尋ねる。ほうきで床を掃いていた朝陽も顔をあげた。


「二人の包丁ってそっくりでしょう?これを持ち手に結び付ければ、間違えることはないかなって」


 それを聞いて、エナと朝陽は顔を見合わせる。


「間違うことって、ほとんどないのよ」

「そうそう、すっかり手に馴染んじゃって」


 確かに、エナと朝陽の包丁は瓜二つだった。でも間違えたのは最初の三日くらいで、あとは持ち手を握れば分かるようになった。今では見るだけでどちらの包丁かすぐに判別がつく。

 まるで長年履き古したお気に入りの靴のように、雨丸の包丁は持ち主のクセに完璧に寄り添ってくれた。


「あ……そうなの」


 雨丸がすっかりしょぼくれたので、二人は大慌てで言い訳をし、ありがたく紐をいただいた。


「包丁の柄尻にくくりつけるんだ。貸して」


 雨丸は二人の包丁に紐を縛り付ける。この前のように職人みたいな顔をして。


「はい!出来上がり!」


 エナには赤い紐でリボンが結ばれ、朝陽には黄色の紐でリボンが作られた。リボンの中心には紺色のような黒色のような玉が飾られている。


「わぁ、可愛いわね!ありがとう、雨丸」


 朝陽がそう言って、雨丸は照れながらも得意げに微笑んだ。


「うん!これなら料理の邪魔にはならないわ!」


 エナが包丁を上下にブンブン振るものだから、二人は「危ない!危ないよ!」と止めたりした。




 朝陽は始め、二日に一回のペースでお手伝いをした。お手伝いをした日の夜は、フクロウ先生が必ず診察にやって来る。

 だんだん一日おきのペースでお手伝いに出るようになって、フクロウ先生は三日に一回、診察に来るようになった。


「先生も今度、ランチに行かなきゃなぁ。朝陽ちゃんがいる日にレストランに行くと、良いことがあるって言われてるんだ」


 フクロウ先生がそんなことを言うので、エナも朝陽も「何です?それ?」とケラケラ笑った。


「おや?知らんのかい?朝陽ちゃんは、“おだいどこの幸運の看板娘”なんて言われとるぞ。神出鬼没だからじゃろ?」


 フクロウ先生もホッホッと笑いながら言った。


「私、一応一日おきに出てるのに……」


 朝陽が肩を落として呟くと、エナは「毎日同じお客さんって、小松さんたちと雨丸くらいだものね」と笑った。


「おっ?だんだん、先生が止めても動き出したくなってきたんじゃないの?」


 フクロウ先生はそう言って、またホッホッと笑う。


「いえいえ、まだまだちゃんと、フクロウ先生の言うことを聞きます」


 朝陽はそう言って微笑む。

 でも本当は、毎日あの厨房に立てたらどんなに楽しいだろうと思う。

 だけどやはり、まだ一日おきでギリギリの体力だと感じるし、そしてもう二度と、あんなにも元気のないエナを見たくなかったので、無理はしないと決めていた。


「大丈夫。いつか私も、止めない日が来るよ」


 フクロウ先生は優しく言った。


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就活旅行記 原田雪 @yukizoo

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