第25話 雨丸の工房


 朝陽あさひは顔をしかめて両腕を組み、テーブルに置かれたカッターナイフをじっと見つめている。

 ときどき、「うーん」とか「あっ!」とか「いやいや……」とか言いながら、もう一時間近く座っている。


「なに考えてるの?」


 エナはちょっとおかしそうに、冷たいアイスティーを差し出した。レモンが浮いていて、茶葉の爽やかな香りがする。


「ありがとう。これね、どうにかして包丁にできないかと思って……」


 アイスティーを飲んで、鼻に抜けるレモンと蜂蜜の香りを楽しみながら、朝陽は言う。


「このままじゃ料理には向かないし、刃を切り取って使うにしても、持ち手が必要だし……」


 そうしてまたひとり、「うーん」と唸る。


「じゃあ、雨丸あめまるに相談してみたらどうかしら?あの子、器を作ってるくらいだから、なにかいい方法を思いつくかも」


 エナがそう言って、「えぇ?雨丸ぅ?」と、朝陽は眉間にしわを寄せた。朝陽の中で、雨丸は『こうつうあんぜん』と書かれた黄色いランドセルを背負った子供のイメージなのだ。


「あの子も結構、お利口なのよ」


 エナはゲラゲラと笑いながら言った。




 カッターナイフを抱えて楠木の階段を上り、黄色いドアの前に立つ。丸みを帯びたドアには、『あめまろ』と書いてあった。『る』が『ろ』になっていて、それを見た朝陽はため息をつく。「ダメでもともと……」そう思いながらドアをノックした。


「朝陽ちゃん!遊びに来てくれたのぉ!」


 しばらくしたら、どんぐりまなこの可愛いリスが顔を出した。


 雨丸は木の中の巣穴に住んでいた。いたるところにランプが置かれていて、部屋の中は案外明るかった。

 小さなテーブルに小さな椅子、奥には小枝のベッド。そして落花生で作られた器に、たんぽぽの花がたくさん飾られていた。


「へぇ、なるほど。これで包丁かぁ。確かに持ち手が必要だね」


 雨丸は興味深そうにカッターナイフを見つめる。


「どうにかなる?」


 朝陽はもうほとんどあきらめていたけれど一応、そんなことを言ってみる。


「うーんと、えーっと……。ああ、ああ、なるほど……」


 雨丸はぶつぶつ言いながらカッターナイフの刃に触れる。


「あ!危ないわよ!手が切れちゃうのよ!あんまり触っちゃダメ!」


 朝陽は冷や汗をかきながら言った。包丁として使いやすくする方法がないか自分から頼んでおきながら。


「ああ、これはこうだから……。じゃあたぶん……」


 雨丸は朝陽の言葉なんてちっとも耳に入らない様子で、カッターナイフを抱えたまま足でドアを蹴り開け、隣の部屋に入ってしまった。


「え?ちょっと待ってよ!雨丸!それ危ないのよ」


 朝陽は慌てて彼を追いかける。危ないものをうっかり持たせてしまった、心配性の母親の気分で。


 ドアを開けると、その部屋には窓があり、日の光がさんさんと入り込んでいて明るかった。


「うわぁ……」


 朝陽は思わず声を漏らす。


 そこは、雨丸の立派な工房だった。壁中の棚にはたくさんの木の実の殻や、完成した器が置かれ、あらゆる種類の紐や瓶に入った塗料が乱雑に並べられていた。部屋の奥には緑色の湯飲みを乗せた釜戸が置かれ、ストローから水がちょろちょろと流れていた。湯飲みの中にもストローが入れられていて、それは床に置かれた小皿につながる。小皿にはたくさんの木の実の殻が積み重なっていた。


 雨丸は「これかぁ!」とか言いながら、作業用の机で思い切りカッターナイフの刃を叩いた。

 ドカン!という音がしたと思うと同時に、パキン!という金属音がして、カッターナイフの刃を一本折った。


「え!大丈夫なの!?」


 依然、母親の心境のままである朝陽は、ギョッとして雨丸の手を凝視する。だけど彼は、とても分厚い鍋つかみのような手袋していた。


「あー、これ刃こぼれしてるねぇ」


 そう言ってまた、雨丸はハンマーで思い切りカッターの刃を叩く。


「うん。これはいいね!あとは、確か……」


 雨丸はぴょんと跳ねて、上の方の棚から何かの殻を取り出した。そしてまたその殻を思い切りハンマーで叩き割る。


 ドカンとかパキンとかミシミシとか、心臓に良くない音を何度も聞かされて、朝陽はもう眩暈がした。


「あ、雨丸……大丈夫なの?あのもう、無理しなくていいのよ……」


 いきなりハンマーを振り下ろしたりするので、雨丸に近づくこともできず、ドアにしがみつきながら言った。反抗期の子供を持った気分だった。


 雨丸はそのあとも、「よしよし」だの「こうすれば……」だの言いながら、机に張り付いてカッターナイフをいじっていた。そしてしばらくして、大きな声で「できたー!朝陽ちゃーん!!」と声をあげた。

 朝陽はその声に驚いて、本当に膝から崩れ落ちた。




「うわぁ、凄いじゃない!雨丸!」


 エナは雨丸の作ったお手製の包丁を手にとって言った。雨丸はいつものように子供らしく「えへへ……」なんて言っている。


 確かに、彼が作り上げた包丁は実に素晴らしいものだった。

 切り取ったカッターナイフの三分の一くらいを、マカダミアナッツの殻の欠片(雨丸いわく世界で一番硬い)と米で作った糊を混ぜ合わせて覆い、麻の紐(雨丸いわく一番頑丈)でぐるぐる巻きにした。しっかり乾燥させれば立派な持ち手になるはずだ。ついでに包丁の背の部分の刃は、やすりがけされ(雨丸ご自慢の砥草とくさによって)、きちんと丸みを帯びている。


「今度、エナの分も作っておくよ」


 雨丸はそう言い、エナは「ありがとう」と笑った。


「朝陽ちゃん、大丈夫?」


 テーブルに突っ伏して精神的疲労を癒している朝陽に、エナは笑いながら声をかけた。


「雨丸は本当……お利口なのね……」


 朝陽が辛うじて言うと、雨丸は嬉しそうに笑い、「うん!かっこいいでしょう?もっとお利口にならなくちゃ!朝陽ちゃんを僕のお嫁さんにしなくちゃいけないんだから!」とふんぞり返って言った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る