第24話 カラスの商人
「ほらね、確実に一歩ずつ前に進んでいるんだよ」
フクロウ先生は回復力の早さも、ひとつの前進だと言った。
あれからレストランには出ず(でも昼食を食べには行く)、エナの家で朝食と夕食の準備をするようになった。体の調子が良いとき、たまに閉店の準備を手伝ったりもする。
フクロウ先生いわく、「心も体も本当に元気になったら、好きなことをやりたくて、うずうずして、誰が止めても動き出すもんだ」とのことだった。
ある日の夕方、エナと一緒に夕食の準備をしていると、キッチンの窓から声がした。
「エナー!ふぅ、急にごめんね。喉がカラカラでさ、何か飲み物をくれない?」
突然、“ちっちゃいタクシー”こと、可愛らしいモモンガが窓から顔を出した。
「あらあら!もちろんいいわよ。最近暑いものねぇ」
エナはそう言って、どんぐりのコップに塩と蜂蜜、絞ったレモンを落とし、冷たい水を入れてよくかき混ぜたあと、氷を入れてモモンガに渡した。
彼はキュッキュッと喉を鳴らして気持ちよく飲み干し、「ぷはぁー!」と満足そうに息を吐き出す。
「ごちそうさま。すごくおいしかったよ!」
モモンガは生き返ったようにシャンとして、「今日は忙しかったんだぁ」と呟いた。
「あら、今日は人が多かったの?何かあったかしら?」
エナは空っぽになったどんぐりのコップで、2杯目のドリンクを作りながら言う。
「そう!明日、街にカラスの商人が来るんだ!だから僕らは荷物運びさ」
「カラスの商人!!」
エナの歓喜に満ちた発狂に、モモンガも夕食を作っていた朝陽も、「わっ!」とか「えっ!?」とか声を上げて驚いた。
「カラスの商人っていうのはね、気まぐれにこの街に帰ってきて、彼が見つけた珍しいものを譲ってくれるの。そのカラスは色々なところを旅していてね、面白いものを収集するのが趣味なんですって。でも、集めたものは彼のお家に入りきらないから、みんなにくれるのよ」
エナはピンク色のワンピースを着て、赤毛の髪をせっせと三つ編みにしている。
「例えば……、浴室にある急須とか、バスタブとか……、ああそう!この大きな鏡も彼が譲ってくれたのよ」
彼女の部屋に斜めに立てかけられた、大きな手鏡の前でエナは楽しそうに話した。
「収集癖があるカラスなのねぇ」
朝陽は、随分前に
その姿を鏡で見て、途端に嬉しくなった。ここへ来たばかりの頃、蒼白い顔色のせいでこのワンピースが似合わなかったから。
しかし、今の朝陽は健康的な肌色で、なんなら少し焼けている。水色のワンピースは、健康的な肌色を透明にそして清潔に、美しく見せてくれた。
ほんの少し、顔がぽちゃっとしてきて、尖っていた頬骨も見えなくなった。赤紫色のクマも消えて、明るい20代の女の子に見えた。
鏡に映る自分の姿が嬉しくて、でもなんだかそれが照れくさかった。鼻水なんて出ていないのに鼻をすすり、人差し指で鼻の下をこすっていたら、とっくに身支度を済ませたエナが遠くで「朝陽ちゃん、行くわよー」と言った。
カラスの商人は、いつも『湧き水広場』というところで商品を広げるらしく、二人はそこへ向かった。
楠木の横を通り、何軒かの家と花屋、スズメの郵便局を通り過ぎると、2本のしなった木がアーチを作った、大きな門があった。
「ここから先はね、体の大きな動物がたくさん暮らしてるの」
エナがそう言って、「洗井さんとか?」と尋ねると、彼女は「そうそう!」と笑った。
どうして住み分けたりしてるのかしら?
そう思いながら門をくぐると、さっきの倍以上の大きさの家や、物凄い高さの建物が並んでいた。
突如として巨人の国に迷い込んだみたいだった。
圧巻の光景に驚きながらふと左を見ると、『おちゃ』と書かれた看板が目に入った。お店を覗くと、朝陽たちにとってはテーブルの大きさの丸太に、たぬきやイタチが腰かけている。
「ふ、踏み潰されないかしら……」
あまりの大きさに不安になって呟くと、エナはケラケラ笑った。
「大丈夫よ。ここの人はみんな、ゆっくりしてるから」
確かに、体が大きいせいか彼らの性格なのか、みんなのんびりとしている。歩き方も、のらりくらりとしているので、踏み潰されることはなさそうだった。
しばらく歩くと、ガラスでできた大きな灰皿が見えた。そこの中心から、キラキラした湧き水が溢れ、灰皿を満たしていた。
灰皿のフチにある溝(おそらく煙草を置くためのもの)には、首を曲げたストローが付けられていて、そのストローは地中へとつながっていた。
きっと
「朝陽ちゃん、こっちこっち!」
エナはいつの間にか、広場から少し離れた大きめのベンチに腰掛けて休憩していた。エナのそばに駆け寄ると、ベンチの横に猫の像があった。綺麗に磨かれて、大切にされているようだった。
「これ、何です?」
朝陽は猫を指して言う。
「ああ、これは王様のポスト。そこの台座に投函口があるでしょう。そこに、王様へのお願いとか、助けてほしいこととかを書いて入れられるの」
なるほど。よく見ると、上品な猫がたたずむ台座に、細長い扉があった。
「あっ!朝陽ちゃんも何かお願いしたら?例えば……そうねぇ、“元気にやりたいことができますように”とか!」
そう言うと立ち上がって、台座に添えてある紙につらつらと書きだした。
「えっ!?いや、いいですよ。王様だってそんなに暇じゃないだろうし……」
朝陽が言い終わる前に、エナは書き終わって笑った。
「大丈夫よ。王様だって全部の願いを叶えてくれるわけじゃないんだから。みんな結構くだらないことでもお願いしてるのよ。例えばこの前なんて、ネズミの坊やが“チーズがいっぱい出てくる夢を見たい”なんてお願いを入れたんだから」
「ええ!それって叶ったの!?」
朝陽が笑うと「さあ?どうかしらね」とエナも笑い、ポストに手紙を入れた。
「あっ、だんだん集まって来たわね」
エナがそう言って、湧き水広場の方に視線を移すと、少しずつ動物も人も増えてきていた。なんだかみんな、とてもワクワクしている様子だった。
「なんだかお祭りみたい」
そう言った朝陽も楽しくなってきて、エナと二人で急いで広場に戻った。
キラキラと美しい湧き水を眺めていると、ふと世界が暗くなった。その瞬間、バサッという音とともに、大きな風が地上の土を舞い上げた。
「皆さん、こんにちは」
真っ黒に艶めいた、頭のよさそうなカラスが低い声で挨拶をする。みんな、「久しぶり」とか「待ってたよ」とか言いながら、カラスを歓迎する。朝陽は当たり前だけど、カラスって本当に全身が真っ黒なんだなぁとかそんなことを考えた。
カラスはその日、いろんなものを広げた。
青いガラスのコップ。
いくつかのペットボトルのキャップ。
緑色のガラス瓶。
リボンのついたヘアピン。
プラスチック製のマグカップ。
おもちゃのヘアブラシ。
他にも色々あったけれど、朝陽が一番びっくりしたのは小さなカッターナイフだった。
こんな物騒なものも拾ってくるんだ……と思いながらも、朝陽はカッターナイフを指差して「これください」と言っていた。
「それなぁに?」
エナはプラスチック製のマグカップ、朝陽は小さなカッターナイフを手に入れて、満足して帰る。その帰り道、エナは尋ねる。
「これがあれば、きっともっと料理が楽しくなると思って」
朝陽はそう言って微笑んだ。
「エナさん、私またレストランで働きたいわ。もちろん、ちゃんとお休みをもらいながらだけど……。あの3日間、私は本当に楽しかったの。疲れたらすぐに休むから。できるだけ迷惑をかけないようにするから……」
最後はもう、懇願していた。
エナの顔を見ると、今までで一番満足そうな笑顔をしていた。彼女は静かに、でも心の奥の喜びをきちんと見せて、「もちろんよ」と言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます