第38話 backglound(研究を始めた理由)



 


「現在も世界中で研究がなされていますが、腫瘍を撲滅できる有効な結果は導き出されてはおりません」


 国立病原性微生物研究所、研究主幹、Ph.D.オオサワは続ける。


「腫瘍が発見され、様々な外科的、内科的治療法が研究されてきました。外科的に主腫瘍を摘出できても、取りきれなかった時の腫瘍細胞の浸潤、また転移、それらは術後の大切なケアーの対象となります。また、放射線医学も目覚ましい発展を遂げ、重粒子線療法や中性子補足療法など、正常細胞に障害を与えずに腫瘍細胞のみをターゲットにした治療法もあります。但し、その治療を受けるための条件も存在しますが」


「戻りますけれども、内科的には今まで行われてきた抗腫瘍薬として、細胞核に傷をつけるプラチナ系、細胞分裂を阻害するFU系や細胞骨格を破壊するタキサン系などがありますが、効果に個人差がある事は否めません。然し、それ故に私達研究グループは従来の研究方法ではなく、独自の道を選ばなければならない事に気が付きました。結果を先に言いますと、腫瘍細胞のみをアポトーシスという自滅に導く遺伝子の開発に成功しました。ただ、この遺伝子は細胞レベルでの実験でしか効果を認められておりません。培養細胞では確かに腫瘍細胞をアポトーシスに導くことができています。次のスライドをご覧ください」


 癌学会総会で特別講演を頼まれたオオサワの横に備え付けられた大型のスクリーンに遺伝子導入前の腫瘍細胞と、導入後の死滅した細胞の破片が映し出される。特別に設けられた大きな会場は水を打ったように静かである。


 1時間くらいの特別講演である。残り20分ほどが質疑応答に充てられている。


「では、ご質問のある方は挙手してください。なを、ご質問の前に施設名とお名前をお忘れなくお願いします」


 座長の声が静かな会場に響くと様々な質問が飛び交った。そして最後の質問では、


「とても興味深い御講演に感謝をいたします。私、xxx施設のYと申します。まだ生体への導入はできていないとのことですが、生体に導入できない限り、その遺伝子は使えないということになると思うのですが、それを充分にお分かりであられるオオサワ先生は、動物実験など生体への導入は既に研究されていると思います。もしもできるなら、どの程度まで進んでおられるのか、公表できる範囲で結構ですのでご教示いただけれるのであれば、お願いしても宜しいでしょうか」


「はい、仰る通りです。但し、導入ができていないという事ではないのです。導入した遺伝子の働きのスピードが想像以上に遅く、いずれヌクレアーゼ(核酸を分解する酵素)によって消化されて行き、導入した遺伝子は消滅して行くことも考

えておかなければなりません。然し実験方法そのものは間違ってはいないと確信していました。そこで私達はプロモーター遺伝子に着目をしました。先生方はご存知のようにプロモーター遺伝子の導入には感染性の少ないAdV(アデノウィルス)が使われることが多いと思います。ですがAdVは遺伝子導入効果も弱く、しかもヘルパーウィルスによって感染性を急に高め、重篤な症状を表すことの危険を予測していなければなりません。また、CMV(サイトメガロウィルス)の効果は充分に期待できるところではありますが、これは最初から感染性の危険を考えると、正直なところあまり使いたくないウィルスです。そこで私達はそれらの長所を備え、短所を無くした新しいウィルスの開発を試みております」


「興味深いお話です、その遺伝子、失礼、ウィルスの開発はどの段階まで進んでいるのでしょうか。勿論この質問に対しても公表できる範囲でお願いしたいのですが?」


「今、全てをお話しすることはできませんが、私達は、コンプリート・オオサワ・ウィルス、略してCOVと呼んでおります」


「宜しいでしょうか、時間を過ぎております。他に質問が無ければこれで閉会としたく思うのですが、宜しいでしょうか」


 座長は広い会場を見渡すと、


「それでは閉会にいたします、オオサワ先生、ありがとうございました」


オオサワが頭を下げると、会場は大きな拍手の音で埋め尽くされたかのようになった。

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