第22話
自分達の研究チーム、昨日のバーベキューで疲れ、今日は休みのようなものだろうと思っていた。
ところが、朝から派遣研究員のハナダは素晴らしいと言って良いくらいの働きである。一体どんな体力の回復能力を持っているのか、と今更のようにコミネは思う。
流石にモトキは疲れているようにも見える。しかし淡々と作業をこなしている。大したものだ、やはり思えてしまう。
コミネは、今日は自分の文部科学省課題研究を行うつもりであったので、細胞培養室に入ると培養器からシャーレを取り出す。備え付けの実体顕微鏡で見ると細胞は順調に育っている。神経細胞である。19世紀後半に神経細胞が発見されて以来、神経は分化と再生はしないと言われ続けてきた。然し、現在、神経幹細胞が発見されて神経も成長することが分かってきた。アンモンズ・ホーン、海馬回のことである。解剖学的には、ちょうど耳の上くらいに位置する。ここに海馬回、顕微鏡的にはタツノオトシゴのような形をした部分が存在し、そこに神経細胞が密集している部分があり、そして神経幹細胞が存在する。現在の医学と生物学では、生体内のあらゆる臓器に、それぞれの臓器に合わせたこの幹細胞なるものがあり、その幹細胞の確認と利用方法論を確立させ、生体の回復能力の要としての再生医療研究が世界の至る所で進められている。コミネもその一人である。海馬回で新生される神経細胞には、記憶形成や抗うつ作用があると言われている。コミネはこの作用を利用して記憶障害などの精神疾患を補おうとしている。上手くいくかどうかは分からない。未来の礎で良い、そう思っている。現在の科学で昔は奇病と言われていた疾患が、蛋白質や遺伝子の解析で発現機構が分かり、今では難病という言葉に代わっている。奇病は死語である。ならば、いつの日か難病という言葉すらも無くなれば良い。その為の研究で、若しも自分のやっている実験が誤った方向であったとしても構わない。この方向で実験をやってはいけないのだ、と未来の人達に教えることもできる。無駄な研究の寄り道はなくなる。コミネらしいと言えばコミネらしい。
そこへハナダがやって来る。
「先生、今日はご自分の研究ですか」
「ええ、ちょうど細胞が育ってきた頃だと思ったので、培養液を交換しようかと思いましてね」
「そうですか、オオサワ先生の研究も忘れないでくださいね」
コミネは顕微鏡から目を離さずに
「ええ」
とだけ答える。
そして、音も無く部屋を去ったハナダの、気配が消えたことを、顕微鏡から顔を離さずに目だけを動かして確認すると、背筋を反らせてひとつ大きく伸びをする。
「ええ、分かっていますとも」
一人小さく言うと椅子から立ち上がった。
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