第五球 帰って、ひんやり。

前話 『第四球 声が聞こえる』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555984500907/episodes/16817139556288871061


*****


「ただいまー!」


 家の中はひんやり涼しくて、ほっとため息がこぼれる。冷房を入れてなくても、こんなに涼しく感じるなんて……。あらためて、外の暑さにうんざりした。

 さっさと冷房をつけて、もっと涼もうと思って、靴を脱ぎ捨て、廊下を駆ける。

(……あれ?床がいつもよりも冷たいな)

 そう思った瞬間、視界の隅の鏡から、誰かの視線を感じた。


『鏡と、みどりちゃんの半分が入れ替わっちゃったんだって。』


 さっき聞いたソプラノが頭の中でリフレインした。ゾクッと背筋が寒くなって、私はツルッと滑ってこけた。

「――~~~っ!」

 尾てい骨を固い床に強く打ちつける。


「大丈夫っ?」

 慌てて駆けつけてきてくれたお母さん。

「頭打ってない?」

「~~っ、お尻打ったぁ~」

 大怪我はなく、お尻を抑えて転げ回っている私を見て、安心したのか呆れたのか。小さく息をもらす。

「……もうっ!

 検査で何もなかったからって、油断しちゃダメでしょ。とりあえず、お尻は氷で冷やしときな。今、持ってきてあげるから。……アイスは冷蔵庫に入れておくね」

 そう言って、さっき転んだ拍子に私が落としたアイスの袋を拾い、台所へ行った。

 寝そべったまま覗き込んだ鏡には、痛みに顔をしかめる私が映っているだけ……。特に変わったものは見当たらなかった。

 外の陽射しで火照った頬に、廊下の床がひんやり冷たかった。


*****


 ――ということがあったのが、30分程前のこと。

 あのあと、お母さんと一緒にアイスを食べていたら、病院から電話がかかってきた。

「スマホを忘れちゃってたみたい。パッと取ってくるから、みどりは家で待ってて」


 ひとりになった私は、もうひとつくらいなら食べてもいいかなーって、冷蔵庫のアイスを眺めたり、無意味にテレビのチャンネルを回したりしながら、ダラダラしていた。


 そのうち、廊下で何か音がした。何かガラスが割れたような音。お母さんが帰ってきたのかと思って廊下を覗くと、鏡がうっすら光っていた。

 明かりの消えた薄暗い、木の廊下。焦げ茶色のフローリングが鏡の前だけ、ほんのり白く照らされていた。

 私は何故か吸い寄せられるように廊下の鏡の方へ踏み出した。――特に何も考えていなかったのだと思う。家の中に危険な場所があるなんて想像もしない、いわゆる、慢心。……もしくは、ただの好奇心。ほんの少しワクワクしていたのかもしれない――。


『その廊下の壁の鏡を見ないと、みどりちゃんの半分が返せないんだって!』


 彼女の言葉を思い出し、鏡を覗き込みかけたそのとき、居間の電話が鳴り響いた。

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