急:みんな死んだ

「山姥さん、正直この仕事は大変なことも多いのだぜ。なんだってやろうと思ったんだい?人生勉強かい?」

「そうでしたわ、まずは面接を致しませんとね」

「吹きっさらしのところで悪いな。本音の部分が判ったらすぐにでもうちに上げてやる。狭いし何もないが・・・茶なら出せるよ」

「お土産のないのはご容赦なさいませ。・・・おっしゃる通り、わたくし立派なレディーを目指しておりますから、もう待ち伏せして人を襲ったり、条件を出して何かを巻き上げるようなはしたない存在からは一段ハイクラス抜けなければなりませんわ」

「一個一個剣呑だねえ。それからどしたい」

「ここは一度、生まれ持った高貴な血筋に恥じないお勤めをしたいんですの。そんなところに、わたくしの名前をお使いになって商いをされている方がいらっしゃるでしょう、大層驚きましたわね」

ちょっと逃げておく必要があるな。安久雄は大儀そうに髪をかき回し、何となしに見ている方向と話の筋とを逸らそうとした。

姥というのは単なる冗談で、何の意味もない。しかして、人妖にシノギがあるのなら避けなければならんのも世の常だ。

散り零れるもみじに気を急かされて「そんなめでたい家柄だったらもっと向いてるもんがありそうなものを」と喋り続けながら向き直ったとき、ふとこんな腑抜けた顔じゃいくらも経たないうちに腹の底まで塵叩かれるだろうなぁとぼんやり思った。


顔?自分の顔が、なぜ今見える?

 

 

 

お嬢様の、確かにお嬢様の格好をした山姥は、心もち上目遣いの姿勢であったため、鼻先から睫まであつい空気を一枚隔ててあり、それがふらりと触れるようなお品のない事は起きなかった。お嬢様が弱いかどうかは知らないが、山姥は、強いから。

目の前に、可愛らしい丸頬も見えぬほど距離を詰めて、山姥の眼がいっぱいに見開かれていた。つまりは己の顔が写っていた。

小鈴に錐を無理やり貫き通したような、気の狂いそうな音階をした上方言葉が響いていた。先程までは確かに、茶目っ気のある声だった。

 

「ですからわたくしは姥一通をいたしましょうと決心しましたの」

いつ、尻餅をついていたのかまったくわからなかった。どうやって、こんなに静かに腰を抜かしたのかが見当もつかなかった。

背中に手を回されたような気がした。肩をそっと抑えられたような気がした。勝手にへたばったのかもしれなかった。

「姥一通をいたしますと時折お荷物の中身を食べることが出来ますわ。そう聞きましたわ。一緒に働いている方も食べますわ。数が少ないほうがいいと伺いましたわ。お届けに上がりましたらその方を食べますわ。新しいお客様はわたくしが探してまいりますから心配いりません」

これは皮肉なのか。因果にしては露骨すぎる。確かにちょっとうまくない人の使い方をした後ろ暗さはあったが、それがどうしてこんな化け物を呼び寄せてしまう。わからない。さっきまでの可憐な小娘はどこへ行った。

いや何も変わってはいない。。こういうものとして生きていく道を選んだのだ。山姥が人を襲うか襲わないかの基準はなんだったか。


「頼む、普通に人を襲っててくれよ。何が・・・何がアンタの気に障ったんだ・・・・・」

「お上品にお食事をする新しい方法を考えてくださって感謝をしているのですわ」

「ダメだ・・・褒められたもんじゃないが、これでも姥一通を考えたのはオレだ・・・・・そんな出鱈目は認めない・・・・・皆が安心して働けないだろう・・・・・」

「わたくし、ひとまず姥一通をお考えになった貴方にご挨拶をして、その後はどの姥一通にもまんべんなく申し込みをするつもりですの。そしてなるたけ効率よく食べますわ。間違えないよう食べますわ。あちらのお山からこちらの川まで広く広く食べますわ。その方がずっと早いんですの。食べて食べて食べ食べ食べるにはこれが一番なんですの。食べなくてはなりませんの。ただ義理がありますからね。義理を通したくて、こうして訪問したんですのよ。おわかりになって?」

いまや、馬乗りと仰向けという姿勢で安久雄は今までになく頭の中身を掻き回させた。道理が通らない。山がなんだって・・・


何が悪かったのか、化生に人道が通じるなどとは到底思えない。

オレが何をした、わざわざ乗っ取りにきやがって何が高貴だ、あさましい・・・人喰い・・・・・ちょっと人間のふりを覚えただけの悪鬼・・・・・化け物が人を食うのに言い訳を使うようになっちゃおしまいだ、エエッ死ね、死んじまえ・・・・・

そのような叫びが迸ると、山姥は意外なほどきょんとした表情で上体を起こした。

すだれのようだった髪を、葉散らしの風が撫で聞かせるように整えていく。その様子を見ると、どうしたってこれが蓬髪振り乱して出刃を逆手に人肉を口にする山姥と結びつこう筈がない。もしや、もしやここまでの一切合財は狐に化かされているのではないのかとすら・・・


山姥の少女は、数多の血をすすった身体でもなお清廉無垢に微笑んだ。

圧倒的な大自然の精気に洗われ、孤独なきよいのなかに生きるとされる、山巫女のかんばせのままで・・・

 

 

「山姥が喰らうのは聖域を荒らす者だけですのよ」

 

 

 

先祖返りの若き山姥である多々色ただしき 紅葉こようは、ちょっと薄単衣のしわを気にしながらも黒帆布の背負子を身に着けると、さんざんに茸や若木や鳥を捕り散らかされている隣の山を目指してゆっくりと坂を下って行った。をコツコツ言わせながら・・・

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山姥「この扉をお開けなさいませ〜!わたくしを誰だと思ってらっしゃいますの〜〜!!」 sunago @sunago

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