冬の明かりに灯されて

「真乃、どーした?」

 ジムの帰りだ。

 すっかり街は衣替えをしたかのように、クリスマス仕様で、あちらこちらで煌びやかな装飾が施されている。落ち葉もカサカサと音を立てて、道端で冬景色を演出する。熱った体に冷たい風が吹けば、真夏の冷房のように気持ちがいい。

 大城真乃との関係は続いている。あれから予定が合えば、真乃の通っているジムに一緒に行くようになった。

「うん。あのさ、こんなとこで言うのも違うかなって思うんだけどさ……」

「なに?」

「今月まだ生理きてなくて……」

「へー……、マジ?」

「……うん」

「……あのさ」

「気にしなくていいよ。たぶんできてないと思う」

 何を言ったらいいのかわからないことを、悟っているかのように言葉を被してきた。

「いや、うん。……検査はした?」

「しようかな? 買ってきてくれない?」

「おう」

 どれがいいのか全くわからないし、定員には聞けない。とりあえず、安いものと高いものの間の値段が無難だと思い、それを買った。

 真乃の家についた、いつものように。ただ、いつもと違うのは待ちだ。妊娠検査キットを使って調べているところだ。たかが数分が、高速の渋滞にはまってしまったかのように長く感じる。

「……してない」

「えっ?」

「妊娠してなかったよ」

「マジッ?」

 そう言ったあと、自然と口角が上がるのがわかった。

「うん、マジ。よかったー」

「ふー、一安心だな」

 緊張の糸が解けて、ソファーにダラんと身を委ねた。

「ごはん食べるよね?」

「おう」

「じゃあ、今日は特別筋肉飯作るね」

 可愛くガッツポーズをして、ウィンクした。お互いに変な緊張をしていたせいか、食欲が凄まじかった。埋まらない何かを、別のもので満たしているような、そんな感覚に似ていた。

 もし、妊娠していたらどうしていたのだろうか? 高校生のときのように、就職して、父親になって……、そんなこと思えていたのだろうか? 

 俺は最低だ。生ぬるく過ごしやすい場所に甘えていたいだけで、何も考えていない。高二のときのあの勢いはどこへいってしまったのか。

 大学生という限りある自由な時間を、今はまだ手放したくなかった。その後ろ盾が、社会人ほど大人じゃなくてもいいよと言っているかのようで、都合よく子どもだったり、大人だったり、逃げ道を探しているのかもしれない。

 子どもと大人の違いが、今ならわかるから。




「かんぱーい!」

「琉一のお一人様にかんぱーい!」

 バイト先の忘年会だ。系列店のイタリアンを貸切でやっている。

「ビールの方、あれっ? 大好きな彼女はどーしたの?」

 ドリンクを運びながら話しかけてきたのは高杉翔。店同士の合同飲み会や、ヘルプに来てもらったり、行ったりで何回か会い、仲良くしている同い年のかわいい同士だ。

「いや、聞いてくれるか、翔くんよ」

「希美さん、言わなくていいからー」

 酔いが回りはじめている希美さんが徐々に手に負えなくなってきている。

 翔の腰に手を回してこちらへと引き込むように、抱きついている。

「希美さーん、翔さんは仕事中なんで離してくださーい」

 そう言って救済をしてくれたのは、今年四月からバイトをしている、大学一年の友坂由良だ。人の一歩先をいくかのように、気が利いて先輩にも怯まず、言わなくちゃいけないことははっきりと口にする。まだ、一九歳というのが信じられない。

「琉一さん、翔さんに自分で言ったらどーですか?」

 口元は笑っているのに、目が鋭い刃物のように身体を指してくるようだ。

「どーしたの?」

「いや、それがさ、浮気しちゃったってか、してた? 的な?」

「えっ、何それ。最低だー」

「それは……」

 言い訳を聞いてもらおうと思ったけれど、まだ運ぶものあるからごめんと、仕事に戻っていってしまった。

 言い訳……どんなことが言えるのだろうか。わからない、ここで考えても、いや、いつどこで考えたって、きっとわからない。七海のことは好きだった。真乃のことも好きになっていた。初めは雰囲気に飲まれて、身体の関係だけだったかもしれないけれど、ジムに行ったり、手料理を食べたり、何気ない時間が小さな幸せというか、心地よかった。

 結局は二兎追うものは一兎も得ず。ことわざどうりになってしまった。

 真乃とは、あの日以来連絡を取らなくなった、いい言い方をすれば。本当はROWをしても返信が来なくて、既読スルーになったり、未読だったりと、なぜだか連絡が取れなくなってしまった。何がいけなかったのか、自分にはわからない。妊娠していなかったからなのか、彼氏とモトサヤになったのか、俺って何なんだろうかと思ってしまう。

「何ヘコんでるんですか? 傷ついたのは彼女さんですよ?」

「えっ?」

 痛いところを突いてくる。実は四〇過才ぎたベテラン主婦なのじゃないのかと思えてくる。

「琉一さん、私まだ一〇代なんで」

「えっ、なっ、何も言ってなくない?」

 確かに七海を傷つけた。「他に好きな人ができた。別れたい」突然そんな言葉を聞かされたら、俺ならキレるかもしれない。冷静さなんか保ってられないと思う。でも、七海は何も言わなかった。「わかった、そっか」それだけだった。ショックを受けているのか、所詮その程度だと呆れているのか、そこまで好きではなかったということなのか、何もわからなかった。

 後日、道永徹人と久津見佑に聞かされた、めちゃくちゃ泣いていたと。

 俺が徹人と久津見に別れたと言った翌日に、久津見と名堀未羽、芳田波絵が七海と飲みに行った。徹人は電話をして話したそうだ。

 ずっと感じていたことがあったらしい、本当に自分のことを見ているのか。一緒にいても、俺が他の人のことを考えているような気がしていたと。明確ではないけれど、うっすらと他の誰かの代わりなんじゃないか、そんなことを思っていたようだ。そして、今回の浮気で張っていた糸が解けたように、隠していた不安が涙になって溢れてきたんだろう。

 他の人のことか——。真乃にも同じようなこと言われた気がする。

 ジムでダンベルカールをしていたときだ。真乃が一通り自分のトレが終わったようで俺の様子を見にきたとき、「ホントゴツいよね、腕」と、向かいのベンチに座り頷きながら言った。ダンベルを起き、首に下げているタオルで汗を拭く。上腕二頭筋に力を入れ見えやすいように寄ると、力こぶを揉みながら、「石みたいだよ」と笑っていた。

 俺はただ真乃の笑顔を見ていただけなのに、どうしてなのか、「今、彼女のこと考えてたでしょ?」と言われたときがあった。

 彼女、他の人——あの時は忘れてしまっていたけれど、誰かの面影を見た気がした。同じように、力こぶを揉まれて……、でも、それが誰なのか、いつだったのか、何もわからない。考えても、蓋の開かないジャムのように、ほんのり香りを残して甘さにたどり着けなくて、もどかしい気分だ。

「お疲れ様です!」

 そう言って左側の空いている席に座ったのは高杉だった。

「えっ、高杉?」

「そーだけど、何?」

「何って、何やってんの?」

「俺も少しだけ忘年会に参加しようと思って」

「へー……」 

 高杉の行動に頭がついていけていないのか、無表情で言葉だけ返してしまった。

「何だよ、俺もそっちにヘルプとか何回か行ってるし、身内かと思ってたのに」

「翔さん、翔さんはもう身内ですよ!」

「ありがと」

  ニタッと笑う顔が子どものように可愛かった。

「なに?」

「ゆい……」

 高杉の顔をボーッと見てしまっていたようだ。不意に口から、自分でも気づかないほどの声で、誰かの名前を呼んでいた。

「はっ? 誰それ」

「えっ? 誰って?」

「いやいやいや、飲みが足りないな? ごめーん、ビールジョッキで!」

「さすが、翔さん! 飲みましょー!」

 そう言いつつ、まだ未成年の友坂は烏龍茶片手にかんぱーいとグラスをぶつけた。



「眞浦、さっきってか、飲み会始まるとき言ったの、そんなこと思ってないから」

 ツンデレ感を出しながら、励ましたいのか、仕方なくなのか、それともどちらともなのか、まずまずと言う感じでこちらを見ずに話してきた。

「えっ? 何だよ。……筋トレのこと?」

 何のことなのか、突然言われてもわからなくて、とりあえず俺と言えば筋肉だと思った。

「はっ、なんでそーなんの? 確かにかっこいい筋肉だろうけど」

「ありがと」

「いや、別に褒めてないから。つか、俺もさ、今彼女と別れてさ、なんて言うか……さむっ」

 飲み会の駅までの帰り道、この時期にしては薄手のアウターを着ていた高杉が、風が吹いた瞬間身体を丸めて二の腕を摩った。酔った勢いもあったからなのか、後ろから恋人同士のようなハグをしてやった。

「あったかいだろ?」

「うん、あったかい」

 歩いていくみんなを前にふたりだけで止まった。意外にも、高杉が俺の腕に顔を寄せて満更でもないように、身を委ねてきた。

「——わっ! な、な、何だよ。お前まで何すんだよ」

「どーした、そんなに慌てんなって」

 からかうように肩をバシンッと叩いてやった。

「イッテー、馬鹿力」

「何だよ、いい感じだったくせに」

「な、なんだよ。俺は……おとこ……」

「琉一さん翔さん、何やってるんですか? 二次会のカラオケはすぐそこですよー」

 先を行っていた友坂が駆け寄ってきた。

「琉一ー! 二次会行くしかないからなー!」

 遠くの方で希美さんの声が聞こえた。なぜか行くしかないと言っているのか疑問に思っていたら、気づいてしまった。終電が終わっている。店を出たとき、すでに終電ギリギリだと念を押していたのにもかかわらず、高杉との話にうつつを抜かしていたせいで、忘れてしまっていた。

 酒もそうだけれど寝不足は筋肉の大敵、ダブルパンチは避けたかったのに、自分が情けない。

「さあ、行きますよー」

 言われるがまま歩くしかなかった。

 高杉を見ていたらあることに気づいた。お前まで……、ということは、他の男にも抱きしめられたと言うことなのか? 俺はおとこ……と何か言いかけていたような気もする。

 男、おとこ、男子、ボーイズ、ラブ、ボーイズラブ……。

「マジで!」

 口から思考がダダ漏れしてしまった。

「何なの、急に」

「お前もしかして……」


『普通のことでしょ? ダメなの? 人が人を好きになるってとてもステキなことだと思うけどな。そこに性別とか、立場とか、そんなこと関係ある?』


 急に頭の中に浮かんできた。誰が言ったのか

、いつ言われたのか、全くわからないけれど、確かに聞いたような気がする。

 ——ゆい、きみはいったい誰なんだ? 名前だけ残して、どこへ行ってしまったんだろう。どこにいるんだろうか?

 会いたい。


 今年ももう少しで終わろうとしている。

 振り返るとどうだったんだろうか、充分に楽しい年だったとも思うし、ダメだったようにも思う。どちらもあるからこそ人生なのか……。

 夜を灯す街灯の下を歩きながら、笑い合える仲間と、今を楽しんだ。

 





 

 

 



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舞って咲いて、きみが馨る。 帆希和華 @wakoto_homare

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