宇宙落語 「まんじゅうこわい」

ぴとん

第1話 宇宙落語 「まんじゅうこわい」

 全人類世界政府 第二○一号惑星調査船の船内で、私は乗組員のジャックを探していた。


『ジャック、聞こえるか?ジャック?』


 テレパスを船内中に飛ばすが、反応はない。借りていた本を返そうとしてるだけなのだが、スペースの限られた船内で、ここまで見つからないと不安になってきた。


 廊下を曲がったところで、フランス人植物学者のミシェルが、険しい顔で近づいてきた。


 ミシェルは私の前で立ち止まると、指をつきつけて、テレパスを送信した。


『どういうつもりかしら?総送信で船内中にテレパスを撒き散らかしながら歩くなんてどうかしてるわよ貴方からの通知は切った方がよいかしら?』


『すまない実は』


『ジャックを探してるんでしょ?わかってるわよ何度も何度も聞いたわ。でもジャックが応答しない理由も考えてみなさい。仕事中、あるいはセックス中、あるいは就寝中。出られない理由なんていくらでもあるじゃない』


 ミシェルは、私を捲し立てる。ただし、その艶のある唇を一度も動かさずに。


『いや、それはないんだ実は1時間前まで私はジャックと一緒に寝ていたんだ』


『はぁ?』


『起きたあと、私は彼に本を返そうと思いひとり部屋を出た。だが戻ってきたら彼のベッドはも抜けの殻だったのさ』


『……ああ、ああーそういうこと。ふーん』


 ミシェルは頬をかいた。少し照れくさそうに。


『今度見学してもいいかしら?同姓同士のそういうのは、少し興味があるわ』 


 ミシェルと廊下で話していると、台湾出身の心理士、呉くんもそこにやってきた。


 彼はにこやかに手をあげて、テレパスを飛ばす。


『やぁおふたりさん。なんだい?ジャックを巡って痴話喧嘩中かい?』


『馬鹿なことを言わないで』


 ミシェルは、呉くんの足を踏んだが、無重力の船内においてはノーダメージであった。


『はは、おてんばだな相変わらず。さて、ふたりとも愛しのジャックの居場所だが、いまはWASHITSUにいるよ』


『和室に?」


 私は首を傾げた。


 ジャックはアメリカ人のエンジニアだった。この船の自動走航システムに不具合が生じたときには、彼がいつも助けてくれた。


 みんなに慕われているジャックであるが、フリーセックスが蔓延してるこの船内において、彼は私以外と同衾したことはない。


 私とジャックの仲が深まったのは、ジャックが「落語」に興味を持っていたのがきっかけだった。


 全人類は、テレパス技術の普及により、言語の壁を超えたコミュニケーションを取れるようになった。


 テレパスは、発信する人間の使用言語に関わらず、感情や意思を他者に伝える。頭の中で伝えたいことを思い浮かべるだけで、意思疎通ができるのだ。これほど便利なことはない。


 いまや、わざわざ多国言語を学ぼうとするものなど、私のような言語学者か、変わり者しかいなかった。


 ジャックは、ある日ビデオで日本人が演じる落語を見たらしい。演目は「死神」。彼はそれをいたく気に入った。


 しかし、そのビデオはまだテレパスが広まる前の映像であり、翻訳字幕はあったもののニュアンスなどは完璧に伝わりきらなかった。


 彼はそれを惜しく感じており、同じ惑星調査船の船員に、日本出身の言語学者である私を見つけたときは、運命とばかりに飛び跳ねたという。


 そういう縁で、私はよく落語のビデオをジャックと一緒に見るようになった。


 母国言語だから拾える細かなニュアンスを彼に伝えて、楽しんだり、そのあと一緒に酒を飲んで一緒に寝たり。


 ジャックはとてもいい友人だった。


『ふぅん和室ね。入ったことないわ。あそこって礼拝所みたいなものなの?』


 ミシェルの問いに、私は答える。


『心を落ち着けるという意味では似ているかもしれないね。ただし祈りは捧げない。自分と向き合うのに最適な場所だ』


 ミシェルは、私の説明に満足していないようだったので、呉くんが付け加える。


『精神と時の部屋みたいなことさ!ひとりで修行できる』


『ああ、ドラゴンボールの!なるほどね』


 ミシェルは頷いた。MANGAを引き合いに出せばよかったのか。言語学者として、彼女を納得させられなかったことを恥じる。


『さて、そういうわけで彼は修行中だ。放っておくのがいいんじゃないか?みんなでボードゲームでもして待っていよう』


『いいわね、この間の借りを返すわ。どう?あなたも』


『……そうだな。久しぶりに』


 私は、ジャックのことが気がかりだったが、宇宙空間での精神の安定には、たまには独りの時間を作ることも大事だと言われているのも知っていたので、ここは放っておくことにした。


 そうして私たちはゲームをしながら時間を潰した。この船の任務は、地球外生命体へのファーストコンタクト。長旅になるので、いくらでも暇はあった。


 宇宙を走航中、船は絶えずテレパスを応用した信号を出している。この信号を受け取る生命体が現れるまで、我々はやることがないのだ。


 特に言語学者の私は、ファーストコンタクトの際に矢面に立つ立場であるが、それまでは船のお荷物である。ときおり肩身が狭く感じる。


 そんななか、常に対等な友人として接してくれるジャックは私にとって大切な存在となっていた。


 私は気を紛らわせるように、ゲームを楽しんでいた。


 しかし、3時間経ってもジャックが和室から出てこないことに気づいてからは、さすがにチラチラと頻繁に時計を見るようになった。


『ちょっとあなたの番よ』


『ああすまない』


 ミシェルに指摘されて、私は駒を動かす。それを次の手順の呉くんは、指で弾く。


『はい、ゲーム終了だ最後のは悪手だったね』


『くっそうか……』


『ジャックが気になるんだろう?そろそろ様子を見に行こうか』


 呉くんは立ち上がった。ミシェルもやれやれと頭を振って、立ち上がる。


『私も見に行くわ。宇宙船で自殺されたら私たちは何年死体を運ばないといけないのかしら』




 和室には畳が広がっているが、扉自体は、船内の他の部屋と同じく、電子ロックシステムが導入されていた。


 ジャックはロックをかけて和室に閉じこもっているようで、扉は開かなかった。


『ジャック?いるかしら?心配してるわよ』


 ミシェルが呼びかけるも、反応はない。そこで、しつこいかもしれないが、私はまた話しかける。


 テレパスでは味気ないと思い、ジャックの母国語である英語を用いて伝える。


「ジャック、いまは独りにして置いた方がいいかい?」


 すると、和室の中から、初めてジャックの反応が返ってきた。


 それは滅多に聞かないジャックの肉声だった。


「まぁん…じゅー…こんわいん…」


『なんだって?』


 ミシェルはテレパスで私に尋ねる。私は聞き間違いかと考えたが、しかしジャックは落語好きである。いや、しかし……。


『どうした?言語学者である君にも解読不能だったのかい?』


 ミシェルと呉くんは不思議がる。テレパスが普及したいま、彼らは母国語ですら満足に扱えない。ましてや他言語など未知の発音にしか聞こえないだろう。


 辺境の島国、日本語などを扱えるのは、出身であり言語学者である私か、ジャックのような奇特な人間くらいだ。


 2人に対して、テレパスで、ジャックから聞き取った言葉を受け取る。

 

『まんじゅう こわい』


『まんじゅうこわい???』


 ミシェルと呉くんは顔を見合わせた。



 私はひと席設けるとまで大それたことはしないが、落語「まんじゅうこわい」を軽く説明する。



 みんなで自分が怖いと思うものについて話していたところ、ある男が「俺には怖いものはない」と豪語した。


 そんなわけはない、なにかひとつくらいあるだろうと問い詰められたところ、ようやく男は「まんじゅうがこわい」と白状した。


 男の態度が気に食わなかったみんなは、その後男の部屋に大量のまんじゅうを放り込んで嫌がらせをした。


 しかし男は「やめてくれ怖い怖い」と口では言いながら、バクバクとまんじゅうを食べてしまう。


 ここでみんなは気がつく。男に騙されていたのだと。怒り心頭なみんなは男に再び問い詰める。お前が本当に怖いものはなんだ、と。


 男はニンマリとして答える。「ここらで一杯お茶が怖い」。





『つまり、まんじゅうこわいは、まんじゅうが欲しいって意味?あべこべね』


 理解力の高いミシェルは、私の拙いテレパスから物語の趣旨を読み取ってくれた。


 呉くんもしばらく考えてなんとか理解する。


『でもおかしくないかい?僕たちはジャックのことを嫌ってない。まんじゅうが怖いと言われても、彼にまんじゅうを差し出すなんて嫌がらせはしないよ』


 たしかに、元ネタの落語に則るなら、そもそも前提が成立していない。


 心理士である呉くんは、独自に解釈する。


『彼はいま幻覚を見ているのではないかな?宇宙の孤独に苛まれ、意味のない言葉を繰り返してるだけだ』


 それをミシェルは一蹴する。


『ただのいたずらじゃないの?落語好きを拗らせたジャックの、あんたに構ってもらうための人騒がせなジョークよ』


 私は両方の意見が正しいように聞こえた。いつも明るいジャックだが、彼にだって陰はある。電子ロックの向こうの様子が気になって仕方がなかった。


『一応聞くが、この船にまんじゅうはあるか?』


『おいおい本気かい?』


『あるわけないでしょ……いや』


 ミシェルは、なにかを思いついたようだった。


『作ろうと思えばできるわね材料はありそうよ』


 ミシェルは宇宙船内で、地球由来の植物の種子を管理している。


 そのなかに、小豆があったのを思い出したのだ。


『本当か、じゃあ分けてくれないか』


『えぇ?結構な手間でしょ。さすがにその間に、ジャックも出てくるわよ』


 もっともだったが、私はいまジャックが苦しみを抱いているのではないかと不安で仕方がない。


 私は私にできることをしていなければ、心が落ち着かないのだ。


『僕は料理はできないからパスだ。陰ながら応援、たまにジャックの様子を見てみるよ』


『バイオプラント起動して小豆育てるとこまでなら手伝ってあげる。その先はあんたがやりなさい』


 私はふたりに礼を言った。



 そうして、私は宇宙船内でまんじゅう作りを始めた。


 和菓子職人が宇宙船乗組員に採用された例はまだ聞いたことがないから、私は初めて宇宙空間でまんじゅうを作った人類になるかもしれない。


 船内での食事は、携帯保存食かあるいは調理ロボットに作られる決まりきった献立だった。


 調理ロボットのプログラムにはまんじゅうなんてレシピはない。私は台所に行き、自分でまんじゅうを作ることとなった。


 ミシェルから頂いた小豆は、たったの30分で実ったとは思えないほど粒が綺麗だった。まずはこれであんこを作る。


 鍋に入れてコツコツと煮込み、灰汁が出たら取り除く。水を入れ替えたりしながら、1時間ほど火を通していると、小豆も柔らかくなってきた。


 ここで弱火にして砂糖を投入する。ヘラで混ぜながらまたコトコトと煮込む。


 そうして暖かい粒あんが出来上がった。美味しそうだが、ここで満足してはいけない。


 薄力粉を混ぜて生地をつくる。生地を寝かせている間に蒸し器を準備をしておく。


 生地であんこを包み込んだら、あとは蒸すだけ。いい匂いの湯気がキッチンに立ち上った。


 呉くんがやってきて、蒸し器から立ち昇る湯気に顔を綻ばせる。


『いい匂いだね、あとで僕にもひとつわけてくれよ。ところでジャックだが、さっきの言葉をうわ言のように繰り返すばかりだ。テレパスで話しかけても遮断されてるらしい』


『そうか……どんな事情があるかは聞いてみないとわからないが、このまんじゅうで喜んでくれたら』


『きっとジャックも怖がってくれるさ』


 呉くんはウィンクをした。


 

 出来上がったまんじゅうをお盆にのせて、和室の前に行くと、ミシェルが待ち構えていた。


『いい加減面倒だから、暇そうなエンジニアに頼んで電子ロック解除してもらったわ。どうやらジャックが自分でロックをかけたわけじゃなかったみたいよ』


『なんだって?』


『原因不明の故障。あるいはハッキングだって。こんな宇宙にハッカーなんていないだろうし、故障でしょうね』


『入ったのか?』


『その役割は私じゃないでしょう。閉じ込められていたジャックを救ってきなさいな』


 ミシェルにお礼を言って、私は扉の前に立ち、ノックをする。しかし反応はない。


 私は喉の調子を整えると、口を動かして日本語を発した。


「ジャック、君の怖がるまんじゅうを持ってきた。中にはいるよ」


 すると、ジャックから反応が返ってきた。


「まぁん… ずぅ…こんわいん」


 私は扉を開けようとした手を止める。


 聞き間違いか?いや……。それこそ意味がわからない。


 やはりジャックはまんじゅうを求めているのだと信じて、私は和室の中に入る。


 なかは灯りもつけずに真っ暗だった。


 畳のうえで、膝を抱えたジャックが絶望したような顔をしてこちらをみている。


「ジャック、まんじゅうだどうだ、たくさんあるぞ」


 私はお盆をジャックの前に置く。ひとつとって中を割ると、ほかほかのあんこが断面から覗く。

 

「まん……ずぅ…こんふぁいん……」


「えっ……!?」


 ジャックは乾いた唇で、同じ言葉を繰り返す。そう、最初から彼はずっと同じ言葉を繰り返していたのだ。


 こんな耳元で聞かないとわからなかったなんて、私は言語学者失格である。



 そのとき、廊下のほうで騒がしいテレパスが飛び交う。


『おい!レーダーに写らなかったのか!?』


『阻害されていたようです!技術力は向こうのほうが上です!』


『いったい、いったいいつから取り囲まれていたんだ!』


『わかりません!ヤツらからのコンタクトはまだありませんが……』


 騒ぎを聞きつけたミシェルと呉くんは、和室に付けられた窓枠に駆け寄り、外の宇宙を覗いた。


『なによこれ……』


『あはは、ついにファーストコンタクトだよ!』


 真っ暗な宇宙に浮かぶ星たち。そのなかに混じって、色鮮やかなマーブルカラーのオーロラを纏った巨大な宇宙船が浮かんでいた。


 それもひとつではない、目を凝らせば視認できるだけで10隻はあった。


 興奮した呉くんは、私の肩をパンパン叩く。


『見てみろよ!ついに人類は宇宙人と出会った!ついに言語学者さまのご活躍だ!さぁ船長が呼んでいるぞ!』


 ミシェルは不安げに向こうを見つめていた。


『友好的な種族ならいいのだけど』


 私は、2人を無視して、ジャックを抱きしめた。


『すまない、君はずっとヤツらの信号役になっていたんだな……!脳をジャックされて、ヤツらの言葉を代弁していたんだ!』


 様子のおかしい私を、呉くんは心配する。


『どういうことだい?なにかジャックが関係あるのかい?』


 私は涙を拭って、状況から推察できたことを伝えた。


『ヤツらは、宇宙人はずいぶん前からこの船を見つけていたんだ。そして我々にコンタクトを取るため、船員のひとり、ジャックの脳を乗っ取って、ジャックの母国語でメッセージを伝えていたんだ』


『メッセージってまんじゅうこわいのこと?ジャックの母国語ってジャックはアメリカ人よね』


 要領を得ないといった風なミシェルに、私はジャックの言葉を耳元で聴いて、正確に聞き取った文章をテレパシーで伝える。


『ジャックはずっとこう言っていたんだ


 Man Zoo confine

(男 動物園 閉じこもる) 』



 ジャックは、大きく頷いた。彼の目には、大きな涙が浮かんでいた。自分の喋りたい言葉は喋られないのだろう。宇宙人から与えられた特定のワードしか、彼は伝えられないのだ。


『つまり……どういうことよ?』


『彼らの指すZoo(動物園)と私たちの指すZooが同じかはまだわからない。だが……この取り囲まれた状況、我々はずっと彼らには見られていた。監禁されていたんだ』


 呉くんは、青ざめる。


『僕らは閉じ込められて、珍しい宇宙人として展示されてるってのか!?』


『……!?そんなことって!』


 私はふたりにジャックを任せて、立ち上がった。はやく船長のもとに行ってこのことを伝えなければ。


 ああ。


 もし無事にここを切り抜けられたなら。


 ジャックとともに熱いお茶でもくみ交わしたいものなのだが……。

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