第73話 プロジェクト▪雪ウサギ
◆ナレーター視点
(バッグミュージック▪地上の雪ウサギ▪作詞作曲▪中島雪ウサギ)
皇国エールは傾いていた。
それは物理的に傾いていた訳ではなく、経済的、或いは商売的にという事でだ。
ある日、突然現れた妖精印ビールは、そのパッケージの良さと取り回しの優位性から、瞬く間にテータニア皇国全土に広がり、その市場を
妖精印ビールは、其まで選択肢のなかった皇国ビール業界に旋風 《せんぷう》を巻き起こし、新たなビールの味を提供したのである。
当初、皇国エール工房の工房長にして経営者のターナーは、突然の妖精印ビールの参入を馬鹿にしていた。
何故なら、テータニア皇国のビールと言えば皇国エールと決まっており、その信頼度は国産ビールという安心▪安全から、絶対の支持を受けていたからである。
また、何より皇室御用達の看板は絶対的信認を受けているという自負があった。
だが、ターナーは気づいてはいなかった。
【ビールと言えば皇国エール】とお決まりの独占市場に
◆◇◇◇
ターナーが異変を感じたのは、妖精印ビールが売り出されてから1ヶ月後の事だった。
この日ターナーは、雇い職人達が仕込んだ皇国エールの樽が倉庫に残っているのに気付き、不思議に思っていた。
これまで、仕込んだエール樽が倉庫に残る事はなかったからだ。
正直、
何故なら、過剰納品された得意先は過剰請求されても断われない、苦しい事情があったからだ。
理由はライバルメーカーの不在である。
皇国エールには、肩を並べられる同等の製品を納めるライバルは居なかった。
何故ならその製法は秘匿されており、情報開示がほとんどされないこの
よって顧客は、迂闊に皇国エール工房に文句を言う事をすれば、後日の納品を後回しにされる恐れがあり、そうなればほとんどが中小零細の居酒屋などは販売時期を逃し、大きな痛手になるからだ。
逆の見方をすれば、其だけの裁量権を工房に与えてしまった顧客が悪いのだが、国に被害を訴えようとしても、皇室御用達の看板の信用と、民間のイザコザは民間で解決が基本原則の皇国ルールが壁となり、工房の
その為、工房の生産は何時しか、
丼振り的な生産によって生産量は工房の勝手となり、そのシワ寄せは顧客が受けていたのだ。
だから工房は
ターナーは在庫が残っている理由を、出荷担当者に聞いた。
「お前達、何故、エールの樽の在庫が残っている?その日に生産したものは、その日の内に売り切りが原則だろう。どうして出荷しない?」
「そ、それがこの分は、
「は?納品を拒否?何処の顧客だ?なら、他の顧客に流せばいいだろう?」
拒否された?
その言葉に違和感を感じたターナーだったが、それはたまたまのイレギュラー、慣例を知らない新興の居酒屋が拒否したのだろうと決めつけ、他の顧客に押し売ればいい、くらいにしか思わなかった。
「そ、それが、その………」
「なんだ?どうした?」
「他の顧客にも断わられまして」
「なんだと?それはどうゆう事だ?!」
「その、妖精印ビールがあるから、納品しないでくれと」
「妖精印ビール!?」
目を丸くして驚いたターナー。
妖精印ビールとは何だ?
これ迄の工房の歴史において、初めて聞いた他工房のビール名。
従業員が樽を間違いで残したのを、ありもしない他工房の参入と偽ってるのではないか。
そう、思ったターナーは激しく怒り、従業員を叱咤して納品出来る顧客を捜させた。
だが逆に、次回の納品を断る顧客が続出したとの報告が入り、怒りが収まらないターナー。
顧客から聞いて来た従業員を怒鳴り散らすと、そのまま工房に引き込んでしまった。
こうしているうちに妖精印ビールの顧客が増えていき、いつの間にか皇国エールは、ほとんどの顧客を失っていくのである。
やがて皇国エールの売上は、工房が立ち行かない事態にまでなり、給与が滞るようになると、長年勤めていてくれたビール職人達は、一人また一人と辞めていった。
「こんなんじゃ駄目だ!私、営業をやるよ!」
そんな中、皇国エールをなんとしても再起しようと立ち上がる者がいた。
今年、10歳になるターナーの娘、レサである。
工房に引きこもり、現実逃避した父親の代わりに、ここまでなんとか工房を運営してきたレサは、皇国エール工房として今までやった事のない営業をやると、残った職人達に宣言したのである。
「営業なんて、どうやるんだ?」
「子供の遊びじゃないんだ。親方の娘だがらって、やりたい放題は通らねぇぞ!」
これまで、一度もやった事のない営業の提案に、皇国御用達に
そして彼らは、工房で働くのをボイコットしたのだ。
レサは慌てた。
必死に彼らを説得したが、彼らが工房に戻る事はなかった。
経営がひっ迫した事もあるが、何より彼らが許せなかったのは、何も知らない10歳の小娘に指図される事が許せなかったのである。
「なら、私一人でも営業をやってやる!」
そんな中、レサは一人でも慣れない営業を開始する事になる。
だがそれは、皇国エール工房の現状を思い知る事になるとは、この時の彼女は思いもよらない事であった。
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