第10話 少女は禍々しき同胞と出会う


「ちょっと春花、睨まれてるよ」


 マーカーの尻で小突かれる感触と共に聞こえてきたのは、琴美の声だった。


「え、やばいやばい。ありがとう」


 私は彷徨わせていた視線を教壇の方に戻すと、言い訳のようにノートをめくった。


「今、何問目?」


「練習問題Bの(2)。……てっきり解き終わって飽きてるんだと思ってたよ」


「ごめん、ぼんやりしてた」


 私は遅れた分の板書を一気に取り戻しつつ、頭の片隅では別の問題について考え続けていた。


 ――やっぱりあのシルエットの子は、この教室の中にはいない。


 私はざっと教室内を見回すと、あらためて確信した。ショートカットの子は二人ほどいるが、どちらもあのシルエットとは違う気がした。


 いつもより早めに教室に入った私は、やってくる子たちの動きを片っ端から記憶にあるシルエットと重ね合わせた。が、どうしてもあと一歩のところで合致しないのだった。


 ――さっき、あの子がこの教室に入ろうとしているように見えたのは気のせいだったのかもしれない。


「――風連、Bの(3)、できるな?」


 いきなり名前を呼ばれた私は思わず「はいっ」と切れのいい返事を口にしていた。しまったとも思ったが、今さらできませんと言うのも格好が悪い。


「で、できます」


 引っ込むみがつかなくなった私がテキストを手に腰を浮かせかけた、その時だった。


「――うっ」


 再び下腹部のあたりがぎゅっと締め付けられるように痛み、私は思わず顔をを顰めた。


「……どうした?腹でも痛くなったのか?」


 私は顔を顰めたまま、ここぞとばかりに頷いた。実際は問題が解けないほどの痛みではなかったが、以前にも同じ醜態を見せている私はわざと大げさにアピールしたのだった。


「仕方ないな……じゃあ城田!」


「あっ……はいっ」


 慌てて立ちあがった琴美に私は目で「ごめん」と詫びるとすかさず先生の方を見て「あの、ちょっと腹痛がひどくなってきたので休んできていいですか?」と伺いを立てた。


「……しょうがないな。おさまってきたらすぐ戻るんだぞ」


 私は「すみません」と頭を下げると、教室の後ろの方を通って素早く廊下に出た。


 ――また、あの子が見えた……


 暗く人気のない廊下……あれはたぶん、第二書庫の前の廊下だ!

 私は腹痛と共に浮かんだシルエットを追うべく、医務室とは逆の方へ向かう廊下を進み始めた。


                   ※


「ショートカットの子……は、やっぱりいないか」


 窓から流れ込む色が残照の赤から宵闇の紫に変わる廊下を覗きこみ、私は安堵とも落胆ともつかないため息を漏らした。


 校舎の一階西側はナイトクラスでは使用しておらず、部活の時間もとっくに終わっているので見回りの職員以外、人影を見かけることはない。

 

 ――まあ、たまには「センサー」が不調になることもあるか。


 そもそもあのショートカットの少女が『忘れ姫』であるという保証は何もない。無駄足だったかなと思いつつ書庫の前に足を運んだ私は、戸がわずかに開いていることに気づきはっとした。


 ――誰かいる!


 細く開いた戸の隙間から私が目撃したのは、閲覧テーブルに突っ伏して動かない少女の後ろ姿だった。私が訝しみつつそっと戸を開け、少女の背後に立ったその時だった。突然、少女の制服が空気を抜かれたようにしぼんだかと思うと、そのままずるりと床に落ちた。


「嘘……」


 私が絶句するのとほとんど同時に、テーブルの上に残されたショートカットの頭部がごろりと転がりウィッグの下から頭に見せかけたボールが現れた。


 まさか、私のアンテナに引っかかったショートカットの少女は、誰かが化けていた姿だったのか?だが続いて私の目に映った光景は、そんなことなどどうでもよくなるほど衝撃的な物だった。


「いやっ、こんなことって……」


 私は自分が見ている物の異様さに、言葉を失った。椅子に座っていたのは何かですぱっと切ったように上の方が無い、少女の「下半身」だった。


「やっぱり来たね、ぺナンガランの生き残り。あたしはマナナンガルのリム」


 不気味な笑みと共に宙に浮いている少女を見て、私は思わず悲鳴を漏らしそうになった。


 少女の背中からは蝙蝠のような羽が生え、そして――


 少女の身体は――下半身が存在しなかったのだ。


「……マナナンガル?どうしてあなたがペナンガラン一族のことを知っているの?」


「あたしとあんたは同じ、アスワンの血統だからさ。元々は人間の体液を好んで食する呪わしい一族のね」


「アスワンの血統……」


 私は絶句した。アスワンとは東南アジアに伝わる一種の吸血鬼で、私の中にいる『もう一人の私』はその血統に当たるペナンガラン族の生き残りだ。……でも、こんな場所で特殊な一族の生き残りと出会うなんて、私にとっては理解を超えた出来事でしかない。


「……私に一体、何の用?」


「あんたの探してる女の子は、私が先にいただく。悪いけど探すのは諦めてもらうよ」


「それって『忘れ姫』のこと?悪いけどお断りするわ」


 私はあからさまに挑発してきた不気味な女に強い反発を覚え、思わず言い返していた。


「そう。でもあなたが断ろうがどうしようがあたしには関係ない。今日は挨拶だけにしとくけど、これからもあんたのことを徹底的に邪魔させてもらうよ」


 リムと名乗る上半身だけの女性はそう私に宣言すると、禍々しい羽ばたきの音を立てながらあっという間に姿を消した。


 ――マナナンガル……いったい、何者なの?


 私は警戒で速まった鼓動を宥めながら、あのシルエットはリムが私を欺くためにわざと『忘れ姫』の格好をしていたのだろうかと訝った。

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発攻少女ラビリンチュラ 五速 梁 @run_doc

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