第9話 少女たちは旧き説話に耳を傾ける
――あ、やっぱり今日はやってない日だった。
第二書庫の戸をわずかに開けた私は、書架と机だけで人の臭いがしない室内の様子に思わず肩をすくめた。
デイクラスの授業が終わり部活があるのかどうかを聞こうとした私は、どうしても琴美の姿を見つけることができずここまで来てしまったのだった。
――まあいいや。琴美も見つからないし、このまま帰ろう。
私がその場から立ち去るべく書庫の戸に再び手をかけた、その時だった。微かに人が動く物音が戸の内側から響き、私の動きを止めたのだった。
――誰かいるのかな?
私は一度閉めかけた戸をもう一度開けると、静まり帰った書庫の中へ足を踏みいれた。
作業スペースの周囲に人影はなく、私が念のため部屋の奥も見ておこうと書架の間をあらためようとした、その時だった。
「――きゃっ」
「……あ、ごめんなさい」
ふいに書架の間から現れた人影に面喰らった私は、思わず悲鳴を上げて後ずさった。
「悠葉さん?」
書庫で私が出くわしたのは、一緒に『女子動画部』を見学した悠葉だった。
「悠葉さんも部活があるかと思ってここにきたの?」
「あ、いえ。私はちょっと見てみたい本があって……ごめんなさい、失礼します」
悠葉はなぜか慌てた様子で言うと、私の脇をすり抜けて廊下の方へ姿を消した。
――彼女が読みたい本って何だろう。
どんな本が並んでいるのか気になった私は、何の気なしに書架に並んでいる蔵書の背を眺めはじめた。しばらくすると私の目は、書棚の奥のある一点に釘づけになった。棚の一角に収められたケース付きの蔵書が一冊だけ、前にせり出しているのが目に留まったのだ。
「気になるな……」
私は蔵書の前まで移動すると、興味半分でせり出している本をケースごと引き抜いた。
「――あっ」
ケースの中に収められていたのは、背表紙に記載されている『文集』ではなく真っ黒な表紙のいかにも古そうな本だった。
何かに導かれるように表紙をめくった私は、見たこともない文字でびっしりと埋め尽くされた頁に思わず「なにこれ」と不平を漏らしていた。
こんな本、読めるわけない……そう思いながら未練がましく頁をめくり続けていると、突然、あるページのところで指が止まった。
「……呪いの……木?」
私はそう呟くと、開いた本を手にしたままその場に呆然と立ち尽くした。書かれている文字は他の頁と全く変わらない謎の言語なのに、ある部分の文章だけがなぜか「読め」るのだった。そこには仰々しい文体でこう記されていた。
『島あるいは森に棲まうの魔物の呪力を得て願を成就したい場合は、呪いの木を育てよ』
「呪いの木……なに?呪いって」
私はそう漏らすと、本を閉じて書棚に戻した。なぜ、こんな知らない言語が読めるの?
私は大急ぎで書庫を出ると、かき乱された気持ちを整理すべくロビーの方へ引き返した。
――もしかして悠葉さんが「読みたかった」本っていうのは、あれのこと?
私は早まる鼓動を宥めながら、桐生なら何かヒントをくれるだろうかと考え始めていた。
※
「あっ、風蓮さんこんにちは。面白いところで会いますね」
商店街で安売りの詰め替え洗剤をしこたま買いこんだ私に声をかけてきたのは、『女子動画部』の部員の一人、鰐淵亜弓だった。
「あっ、動画部の……この間はどうも」
私が当たり障りのない返しをすると、亜弓は「風連さんのお家って、この近くなんですか?」と無邪気に問いを投げかけてきた。
「うん、まあ……鰐淵さんも帰宅の途中?」
「いえ、帰宅してまた出てきたところです。これから姉がやってるカフェを手伝いに行くんです。……あっ、そうだ。立ち話もなんですから、少しお話しません?実は姉のやってる店、このすぐ近くなんです」
「お姉さん?」
「はい。……十近くも離れてるんで、もう立派な社会人です」
「社会人……」
私は亜弓の有無を言わさぬ勢いに誘われるように、歩いて数分のところにあるカフェに足を向けた。
「いらっしゃい……あら亜弓、お友達?」
「うん、つい最近『女子動画部』に入った風蓮さん」
「そう、良かったわね。……はじめまして、亜弓の姉で
エプロン姿で私を出迎えてくれたのは、髪を後ろで束ねたスリムな女性だった。
私たちはテーブルに着くと、善美からふるまわれたアイスティーを有り難く口にした。
「三枝先生が話してた『緑の図書館』の話、凄くドラマチックだったけど、本当かなあ。風蓮さん、どう思う?」
喉を潤して一息ついた頃、亜弓は唐突に栞の披露した十年前の話について切りだした。
「どうって……また聞きみたいなもんだし、中心の二人が亡くなってるんじゃ、事実かどうか確かめようがないよね」
「それなんだけどさ、実はうちのお姉が知ってたのよ、事件を」
「えっ」
亜弓は声を潜めて言うと、カウンターの向こうで立ち働いている姉に意味ありげな目線を向けた。
「計算してみたら、ちょうど三枝先生と同じくらいの年になるみたい。先生が言ってた二人にも覚えがあるって言ってた。……ちょっと話を聞いてみない?」
亜弓はそう言うと、棚を拭いていた姉に何やら声をかけ、手招きを始めた。やがて仕事を中断してテーブルの方にやってきた善美は亜弓に話を請われ、「うーん、昔の話だからいいか」と躊躇しつつ体験談を語り始めた。
「確かにあの頃、純菜とハンナの二人は周りのみんなが近づけないくらい、仲が良かった。……でも実はもう一人、『緑の図書館事件』には関係者がいたの」
私ははっとした。善美の口調がどことなく不穏な響きを含んでいたからだ。
「純菜もハンナも美少女だったから、近づこうとする男の子が後を絶たなかった。中でも特にご執心だったのが林田君っていう子で、なんとかして純菜のボーイフレンドにになりたがってた。でも純菜は男子にあまり関心が無いらしく、林田君の誘いを何かと理由をつけては断ってたわ」
私はよくあるすったもんだを聞いているうちに、不気味な想像が頭をもたげるのを感じ始めていた。三人目の関係者……つまりただの心中事件ではなかったってこと?
「それで、その林田君が色々な海外の伝承とか魔術に興味のある子で、だんだん超自然的な方法で純菜を惹きつけられないかっていう考えに取りつかれ始めたのね」
「伝承や魔術……」
ふと私の脳裏に、謎の本で見た『呪いの木』という言葉が甦った。……まさか。
「その頃、彼が親しい子にこんなことを漏らしてたらしいの。「ようやく『呪いの木』が手に入った。これで望みがかなう」って。そんな話を聞いていたから火災があった後、一部の子たちの間で「林田君が二人に呪いをかけたんじゃないか」って囁かれたの」
「それで、その男の子はどうしたんですか?」
「事件があってからひと月も経たないうちに、お家の都合で転校しちゃたの。その時も、学校の内外で心ない噂が囁かれたわ。……まあこればっかりは本人しかわからないけど」
善美はひとしきり語り終えると、「こういう話って、時間が経っちゃうとどこまでが事実でどこまでが噂だか、当時を知っている人たちにもわからなくなるのよ」と付け加えた。
「そういうものなんでしょうね。……さすがに私も『緑の図書館』の存在まではちょっと信じ切れないなあ」
私が思い切って本音を口にすると亜弓がふうとため息を漏らしながら「そうかあ、風蓮さんて、意外と現実主義なんだ」と少しだけ残念そうな口調で言った。
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