許されない想い

蒼あかり

第1話


 彼女と一緒にいる「あの人」の心を聞いてから、呪縛に囚われていた。


 なんで、私だったんだろう……。



 でも、それもようやく解けていく気がする。

 みんな幸せになれれば良いと、心にそっと蓋をした。

 




 王都にある国営公園。自然豊かな緑に覆われ、中には花園や湖がありボートに乗ることも出来る。芝生は青々と茂り、シーツを敷いて過ごす人もいる。

 喫茶店や土産物屋などが並ぶ中、露店の店もあり毎日大勢の人たちで賑わっていた。

 ただし、この公園に入るには入場料が発生する。貴族にとってはわずかばかりでも、入場料を払う事で市井の者が入ることは難しく、貴族など身分の確かな者達の憩いの場と化していた。


 ニーナはこの国営公園の喫茶店で給仕として働いている。今は平民になったが、以前は男爵家の令嬢であった。

 数年続いた災害で領地は多大な被害を被り、領地は愚か領民さえも大勢が犠牲になった。自分では立て直すことは難しいからと、ニーナの父は責任を取り家督を弟に譲った。

 そんな経歴が功を奏し、今は平民でしかない娘が貴族相手の仕事を手にいれることができたのだ。

 


 身の確かな人がほとんどの為、若い娘であるニーナが給仕をしていても不安になるようなことは一度もない。

 毎日色々な人が公園に集まってくる。そして、思い思いに過ごし、時折ニーナの勤める喫茶店で足を休めお茶を飲んでいく。

 若い恋人たちや、毎日通う老夫婦。喫茶店にも常連と呼べる人も多くいて、ニーナはそんな人たちと会話をすることが楽しみだった。



 ニーナがこの喫茶店に努めて一年近く経つ。それ以前からこの公園に毎日通い詰める人がいた。

 とても綺麗な令嬢は足が悪いらしく、杖をついていた。

 その隣には若い令息がぴったりと寄り添い、彼女のそばについている。

 そしてその後ろには従者らしき若い男性が荷物を持ち、二人の後をついて歩いていた。


 初めて目にした令嬢は杖を頼りに足取りもおぼつかず、ゆっくりとした歩調だった。

 少し歩いては休み、歩いては休みを繰り返し、歩行の訓練のためにこの公園を訪れているのだと思った。

 毎日午後のお茶の時間くらいに来ては、公園内をゆっくりと歩いている。

 時折心配そうに声をかけ寄り添う令息と、表情を変えることなく付き従う従者の男性。


 ある暑い日の事、熱気にやられたらしい令嬢の肩を抱くように三人が喫茶店に来て、冷たい物を注文してきた。

 木陰の涼しい席に座った令嬢は「大丈夫ですわ、これくらい。少し暑さに負けただけです」と、少し赤くなった顔で告げていた。

 「無理をし過ぎたんだ。もっと早くに僕が気が付いていれば、すまない」と、彼女の手を握りながらずっと謝る令息。

 愛し合っている恋人?と言うよりも婚約者かな?と、想像する。


「お待たせいたしました。アイスティーです。ミントを浮かせましたのですっきりすると思います。それと、もしよかったらこれをお使いください」


 ニーナはアイスティーと、冷たい井戸水で絞った手ぬぐいを差し出した。

 従者は「助かります。ありがとう」そう言うと、濡れた手ぬぐいを令嬢に差し出した。

 令嬢は手ぬぐいを頬や首筋にあてて「冷たくて気持ちいいわ。ありがとう」そう言ってニーナにほほ笑んでくれた。

 あまりの美しさに同性のニーナも舞い上がり、頬を緩ませた。


 その日を境にこの三人は毎日公園を散歩しては喫茶店により、少し休んだ後帰って行くようになった。

 少しずつ日常会話も増え、セラフィーナ様とトレヴァー様という名だと教えてもらった。

 本来なら貴族と平民。その間には見えない大きな壁がある。

 会話をすることすら叶わない相手であっても、あの日令嬢に差し出した手ぬぐいが縁で、気さくに声をかけてもらえる仲になっていた。


「ニーナさんは、いつも明るくて元気で、あなたがいるだけで周りが明るくなるようだわ。

ね? そう思いません? トレヴァー様」

「ん? そうだね。明るいことは悪いことではないからね。良いと思うよ」


 セラフィーナはいつもニーナを気遣ってくれて、給仕の際などに声をかけてくれる。

 しかしトレヴァーは、ニーナに視線を向けることはない。彼の視線は常にセラフィーナへと向かっている。

 そんな風に愛されるセラフィーナが純粋に羨ましかった。

 自分もいつか、あんな風に愛されてみたい。そんな夢を見ていた。

 


 二人が喫茶店で休憩をしている間、従者は店の外で待っている。使用人である彼は決して主と同席することは無い。

 ある日、あまり客足も多くない時、彼にそっと水を差しだしたことがある。

暑い夏の日、いくら木陰にいるとは言え喉は乾くだろう。

 なんとはなしに差し出した水を彼は驚き、それでも感謝しつつ口に運んだ。

 それから彼とも少しずつ視線を合わせるようになっていった。

 主であるあの二人の様子を見ながら、従者の彼にも少しだけ休んでもらいたい。そんなつもりだった。


「私はあの方お守りしたい。だから、あの方のおそばを離れないと誓いました」


 彼には彼の仕事がある。同じ働く者として彼の仕事を邪魔するつもりはなかった。

 




 しばらくしたある日の事、セラフィーナ達がいつものようにお茶を飲み帰ろうとしていたところに、いつもなら午前中に散歩に来られる老夫婦がやって来た。

 お互い貴族同志知り合いなのだろう、出入口付近で声をかけ何やら会話をした後、セラフィーナ達は帰って行った。

 セラフィーナ達と入替で入って来た老夫婦はお気に入りの席に座ると、いつもと同じように紅茶とクッキーを二つ頼んだ。


 遠くに嫁ぎもう会えないかもしれない孫娘と同い年くらいだからと、何かにつけニーナを気遣い話しかけてくれる夫人。

ニーナが二人の元にお茶を運ぶと、いつものように夫人に声をかけられる。



「先ほど帰られたヘンケル伯爵家のご令嬢たちは、いつもここへ?」

「ヘンケル様かどうかはよくわかりませんが、奥様と先ほど話されていた方は毎日このくらいの時間に来てくださいます」


「そう。お足も大分よくなられたようね? 安心したわ」

「あの、足は産まれつきではないのですか?」


「ええ、事故でね。とてもお可哀そうな事故だったの。でも、ああしてマクランド家のご子息が側にいらっしゃるのだから良かったんじゃないかしら? たとえ義務からくるものでもね」

「義務?」


「そうよ。義務でしょうね。彼女の足をあんな風にしたのは彼の責任だもの」

「おい。やめておきなさい」

「あら?良いじゃありませんか? ここには社交場にいる方たちは一人もいないわ。彼女に話したところで貴族の世界など関係のない話ですもの」


 

 老紳士の忠告を無視して語り始めた夫人が言うには……。

 ある貴族が主催する狩猟大会でそれは起きたらしい。


 自然豊かな領地に貴族を招待し、自らの邸宅や別荘に宿泊をさせつつ狩りを楽しむ。そして狩ってきた獲物をその日の晩餐に出しもてなす。といったことが田舎に領地を持つ貴族の間では流行しているらしい。

 

 紳士たちは自ら馬に乗り、銃や弓を持ち獲物を追いかける。

 その時、トレヴァーの乗った馬が突如暴れ出し、荒れ馬を制御できずに逃げ惑う令嬢の中に入りセラフィーナを蹴り飛ばしたらしい。

 幸いにも足を怪我しただけで命に別状はなかった。ただ、その足が元通りに治ることは無く、一生松葉づえだと医師から宣告されてしまった。

 責任を感じたトレヴァーはセラフィーナのそばを離れることなく、つきっきりで歩行の訓練を始めた。その甲斐あって、松葉づえではなく杖で歩けるようにまで回復をした。

 しかし、令嬢として夜会などでダンスを踊ることはもはやできない。

 足の怪我だけで子は産めると医師からは言われているらしいが、それでも瑕疵のある娘を嫁に迎えたがる家などあるはずもない。持参金をどれだけ積もうと、もはや望むような結婚など叶わないだろう。

 世間ではトレヴァーがセラフィーナを妻に迎えるのだろうという話になっていると言う。

 ふたりはまだ婚約はしていないらしい。しかし、常に一緒にいるのだから要らぬ噂も立ちやすい。時期がくればそのまま妻に迎え、何事もなかったかのように夫婦として過ごすことになるだろうと。

 ニーナが憧れをもつくらいにふたりは睦ましく見える。憂き世を知らぬ若い令嬢達の目には、二人は運命で結ばれているように見えるらしく、憧れの存在として語られてもいるらしかった。



「彼の方には、両家で認めた婚約寸前の方がいらしたのよ。でも、彼が手を伸ばしたのはその娘ではなかったのね。それも仕方のないことだわ」

「その方は、今は?」


「嫁いだわ。まるで見えない力が働いたかのように、彼女の家格では到底嫁入りできないような家にね。二度と関わるなとでも言うかのように隣国へ」

「そうですか。幸せになっていると思います。きっと」

「だと、良いわね」

 

 そう言って夫人は、冷めた紅茶を口にした。



 ニーナはその話を聞いてから、ふたりを見る目が変わってしまった。

 セラフィーナはわざと強がっているように見えるし、トレヴァーも常に彼女を労わり熱い視線を向けているようだったのに、ふとした時の視線が憂いを帯びている気がしてくる。

 他人のたった一言でこんなに感情を揺さぶられるなんて、自分は弱く情けない。

 せめて気が付かれないようにと、それだけを心に秘めて二人に向き合った。


 だが、きっと二人は知っているのだろう。ニーナがあの老夫人から聞いていることを。

 それでも知らないふりをして、今まで通り接してくれている。ニーナはそんな気がしていた。

 



 ある日の事、いつものように休憩をし、セラフィーナが用を足しに行くと従者を連れて席を立った。トレヴァーは喫茶店の椅子に座ったまま二人を待った。


 お客も少ない時間帯。ニーナはいつものようにテーブルを拭いたりして店の中を整え始めた。

 ふと、背中から声が聞こえる。


「僕は酷い男だ。許してもらう価値もない」

 

誰に話すでもなくポツリとささやくようなその声は、苦しそうに震えていた。


ニーナは聞こえないふりをして、仕事をする手を止めなかった。

彼の心は誰のものでもない。自分が聞いていいはずがない。

 知らないふりを、きこえていないふりを……するのが給仕の自分の務めなのだから。




 トレヴァーの言葉を拾ってから、ニーナの心は渦を巻き始めている。

 黒くまとわりつくようなその渦は、ニーナの心を縛り付け、絡まり解けることはない。


 彼と彼女を見る度に、苦しくなっていく。


 二人を見たくなくてふと視線をずらし従者が目に入ると、思い出してしまった。

 少し前に、従者が口にした言葉を。


『ああ、彼も……』

 セラフィーナの従者もまた、あの人と同じなのだと。


 そして見てしまった。彼女の視線の先に映る者を。

『気が付かなければよかった』

 彼女もまた、あの人同じなのだ。





 ある日、突然三人は姿を見せなくなる。

 以前にもセラフィーナの具合が悪くなり数日来ない日もあった。今度もそれだろうと思っていた。

 しかし、いつになっても現れない。貴族の噂話など知る由もないニーナ。

 所詮、客と店員だ。苦しむ姿を見なくて済んだと、気持ちを切り替えようとした時。

 あの日、二人の話を教えてくれた老夫人に教えてもらった。


「最近ヘンケル家の令嬢たちは、ここへは?」

「いえ、ここ最近姿をお見掛けしません。具合でも悪いのでしょうか?」


「もう、ここへは来ないわよ」

「そんなに具合が?」


「いいえ、いなくなったから」

「え?」

「彼がね、消えたのよ。それも突然」

「……」


「それに、もう一人……。いなくなってしまったの。それも突然にね。

 今頃どこで何をしているのかしら?」

「……」


「それでは、セラフィーナ様は?」

「彼女は領地に引きこもったらしいわ」


「そう、ですか。お幸せになってほしいです」

「そうね。きっと、うまくいくわ。そう思わない?」


「……はい」



 「はい」と口にしたものの、確信があるわけではなかった。それなのに、なぜかはっきりとそう思えたのだ。

 


 きっと、みんな幸せなのだと。




 周りを裏切り、翻弄し、苦悩させるだろう。でも、本人たちは幸せになっていると、確信はないが心からそう思えた。

 老夫人の満足そうにほほ笑んだ顔が、ニーナの考えにさらに自信をつけていく。


 


 関わることなどなかったはずの他人の人生。もう思い出すことはないだろう。

 だけど、少しお節介でおしゃべり好きで、孫を愛するこの老夫人がきっと語り出すのだろう、幸せな未来を。

 そうすれば嫌でも思い出してしまう。それも良いかと、ニーナは元気に仕事に戻っていく。




「いらっしゃいませ。いつものお席、空いていますよ」



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