第60話 彼女じゃない

「…………母さん。怒ってる?」

「どうして怒るの? 玲君に彼女が出来たんなて嬉しいことじゃない」

「……いやでも、なんかすごいオーラが」

「玲君は黙ってなさい」

「はい……」


 やっぱ母さんめちゃくちゃ怒ってる!?


 俺だって白崎を家に連れて行くのには抵抗があった。


 この通り、俺は家では猫を被っている。

 情けない姿を白崎に知られるのはものすごく恥ずかしい。


 でも、白崎に言われた。お母さんが心配してるなら、猶更本当の事をちゃんと話した方がいい。隠したっていつかは絶対にバレるんだからと。


 ド正論パンチだった。


 以前ならともかく、俺もこいつらの事をちゃんと友達だと認めた。嘘告とかイジメの心配なんか全然ない。むしろ、本当に毎日楽しくやっている。


 ちゃんと分かって貰えれば、母さんだって心から安心してくれるに違いない。

 そう思って白崎を連れてきた。


 なんだかんだ、俺が困った時はいつだってこいつが助けてくれた。


 毎度白崎を頼るのは情けないけど、今回みたいな時こそ口の立つ白崎の出番だと思った。


 そしたらこいつ言いやがった。


『はじめまして! 玲児君の彼女の白崎桜です! 今日はお母様にお話があって参りました!』


 母さんは俺達の間にあった出来事はほとんど何も知らない。


 こんな学校一の美少女が俺みたいなダメダメな醜い嫌われ者を好きになるなんて思わないだろう。以前の俺のように、頭から嘘告やイジメを疑うに決まっている。


 今だって表面上はニコニコしているが、目に見えるような怒りのオーラをまとっている。


 こんなにキレてる母さんは久々に見た。

 もう、俺にだってどうにもできない。


 下手したら白崎の奴、殺されちゃうかも!?


 白崎には事前にちゃんと、母さんは超過保護でキレるとマジで怖いって説明したのに!


 その白崎は、俺の隣でニコニコしながらお行儀よく座っている。


 いったいなにを考えているのか。

 白崎なら、母さんの放つ殺気に気づかないわけはないのに。


「それで、白崎さんと言ったかしら。玲君の彼女という事だけど、その言葉に嘘はないのかしら?」

「もちろんです! 私は真剣に黒川君の事が大大大好きで真面目に彼女だと思ってます! ちなみにこちら、つまらない物ですが!」


 白崎が来る途中に商店街で買ったお歳暮みたいな箱をずいっと差し出す。


 中身はお菓子作り用の高級小麦粉やら調理用チョコレートのセットらしい。


 ズガン!


 そこに母さんはニコニコしたまま愛用の釘バットを叩き込んだ。


 お歳暮の箱がぐちゃりと潰れて、テーブルがくの字に割れる。


「かあ――」

「黙ってなさい」


 ……おしまいだ。


 もう、こうなった母さんは怒りのままに全てを滅ぼすまで止まらない。


 流石の白崎も唖然とした、目をパチパチさせている。


「てめぇの名前なんかどーでもいい。大事なのは一つだけだ。あと一度でも嘘をついたら、こいつをお前の頭に叩き込む。で、誰が誰の彼女だって?」


 白崎は気持ちを落ち着けるように深呼吸をすると、母さんを真っ向から見返して叫んだ。


「私、白崎桜は、黒川玲児君の、彼女です!」

「白崎!? いい加減にしろって!? 母さんはマジなんだぞ!?」

「だって本当だもん! 相手が地獄の閻魔様でもこれだけは譲れないよ!」


 半泣きになって言い返してくる。


 いやいや! 

 母さんは地獄の閻魔様より怖いから!


 大体彼女じゃないし!

 今はそういう事言ってる場合じゃないだろうが!?


「……なるほど。度胸はあると。で、どうなの玲君。この子は本当に玲君の彼女なの?」

「いや、その……これには色々事情があって……」

「そこで即答出来ない相手が彼女なわけないわよね。このアバズレが! はぁ食いしばれ!」


 母さんが拳を構える。流石にマジで釘バットで殴るつもりはないようだけど、母さんが本気で殴ったら白崎なんかひとたまりもない。


「待って母さん!?」


 だから俺は白崎をかばう為に身を乗り出した。


「わかってる。弱みを握られてるんでしょう? 全部お母さんに任せておけば大丈夫だから。この女を裸に剥いて土下座して詫び入れてる動画でも撮ってやるわ。そうすればこれ以上脅されることもないでしょう」


 そんな事を言われても白崎は動じない。


 わけあるか! 


 顔は真剣だけど、身体はガタガタ震えている。


 白崎だって母さんがここまでの怪物だとは思ってなかったのだろう。


 だからここは、俺がどうにかするしかない!


「違うんだ母さん! 白崎は俺の――」

「聞きたくないわ! 玲君はお母さんに何も言ってくれない! 大事な家族なのに、変な気を使って、嘘ばかりつくじゃない!? どうして頼ってくれないの! そんなにお母さんは頼りない? 確かにお母さんはだめなお母さんだった! 玲君がいじめらてる事にも気づかないで、助けてあげる事だって出来なかった! 失望されても仕方ないわ! それでもお母さんは、玲君のお母さんなのよ!」

「母さん……」


 母さんは泣いていた。


 悲しそうな顔で、ぼろぼろと泣いている。


 俺が泣かせたんだ。


 俺が嘘をついたから母さんを傷つけた。


 俺は醜い嫌われ者だ。


 自慢出来ないダメな息子だ。


 それでも母さんは、いつだって全力で俺を愛してくれていたのに。


「違うよ。そんなことない! 母さんは、いつだって最高の母さんだった! ダメな母親だなんて、そんな風に思ったことは一度もないよ!」

「じゃあどうして言ってくれないの! そんな怪我までして、自分を脅している相手を家に連れてきて、お母さんが助けようとしても庇うなんて、わけがわからないわよ!?」


 俺は母さんを抱きしめた。


 いつも俺がそうして貰っているように。


 痛いくらいに力強く。


「ごめん。本当に。全部俺が悪いんだ。なにがあったのかちゃんと話すから、とにかく俺の話を聞いてくれよ」

「どうして……なんなのよこの女! 彼女じゃないんでしょう!?」


 母さんが白崎を睨みつける。


 振り返ると、白崎は泣き出しそうな表情で俺を見つめていた。


 なんてズルい奴だ。


 こんな土壇場で、白崎は俺に答えを出させようとしている。


 母さんを説得するふりをして、既成事実を作りに来やがった。


 そんな事をされても、俺の答えが変わることはないのに。


「……彼女じゃないよ」


 俺の答えに、白崎の顔が絶望に歪んだ。


 張りつめていたものが切れて、中の弱い部分が溢れ出そうになっている。


 ごめん白崎。


 でも俺は、やっぱりお前の事を彼女だなんて思えない。


 だから俺は、母さんの目をまっすぐ見つめて言った。


「今はまだ、彼女じゃない。でも、いつかそうなれたらいいなと思ってる。その為に俺は、精一杯こいつに見合う男になろうと努力してる所なんだ」


 それが俺の答えだ。


 醜い嫌われ者の、自慢出来ないダメ息子の、卑怯で身勝手な答えだった。


「……そんな。本当なの? こんな可愛い子が?」


 母さんの手から釘バットが落ちた。


「ぅ、ぅぇ、ぁぅ、ぅぁああああああん! ぐろがわぐんがあだぢのごどずぎだっでみどめでぐれだああああああ!」


 白崎が子供みたいに泣き出した。


 どうして俺なんかがそんなに好きなのか。


 本当に、変な女だ。


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