第43話 ヨルニカケル
「し、白崎! どどど、どうすんだよ!? ……って、白崎? おい、どこ行った!?」
隣を見ると、さっきまでそこにいたはずの白崎の姿がない。
一瞬、俺を置いて逃げたのかと思ったが、それはない。ここはまっすぐな一本道だ。いくら白崎の足が速くても、逃げたのなら後ろ姿が見えるはずである。
「……消えちまった……どうなってんだ!?」
俺は恐怖でパニックになった。
そうこうしている間にも、ターボ八尺女は有り得ない速度でこちらに駆け寄って来る。
西園寺の推理は外れていた。あいつの信じる科学も大間違いだ。
枯井戸の言う通り、この世には科学では測れない超常の存在が実在するのだ!
ターボ八尺女がそうだ。
白いレインコートを着たその姿は、縦に引き伸ばされたテルテル坊主を連想させる。身長は二メートル半くらいありそうだ。そして、そのほとんどが脚なのである。レインコートのせいで良く見えないが、黒い毛皮に覆われた長い脚は、膝がダチョウみたいに人間とは逆の方向に曲がっている。
こんな人間がいるわけがない。
妖怪だ! 本物の妖怪なのだ! いやだ、怖い、助けてくれ!
恐怖で立ち尽くす俺の前に、ターボ八尺女がやってきた。
逆に曲がった毛むくじゃらの長い脚以外は、一応普通の人間っぽい見た目をしている。
フードを目深に被り、口にはマスクをしているから顔は見えないが、どうやら若い女のようである。
「……ァ、ァ……ァァ、ァ……」
ターボ八尺女はどこか興奮するような粘ついた鳴き声を上げると、おもむろにレインコートの前をはだけた。
「……アタシ……キレイ?」
「――ひぃっ!?」
俺は恐怖で息を呑んだ。
枯井戸から、ターボ八尺女は水着姿を見せびらかすと聞いていたが、そこにあったのはほとんど裸と大差ない姿だった。
一ノ瀬並にむっちりした色白の身体を隠すのは、細い紐で繋がった僅かな三角形の黒い水着だけだった。というか、全然隠せていない。びっくりするぐらい大きな胸は、その先端以外丸見えで、下だって指二本分くらいの尖った三角形が頼りなく張り付いているだけなのだ。
俺は醜い嫌われ者だ。一度もモテた事のない、ボッチの童貞男だ。ジロジロ見られるのが嫌いだから、プールや海だって行った事がない。女の裸は勿論、水着姿だって見慣れていない。
そんな俺に、この光景は刺激が強すぎる。エロいとか感じる余裕は全くなく、ただただ恐怖するばかりだ。
「ネェ……キレイ? アタシノカラダ……イヤラシイデショウ?」
わざと胸を揺らすようにして、ターボ八尺女が前屈みになる。
鼻先に巨大な果実のような胸がぶら下がり、蒸れた女の体臭が甘く香った。
こんな時、普通の男子なら一発でこの妖怪の虜になるのかもしれないが、俺は違った。
その時俺が考えていたのは、どうやったらこのバケモノを追い払えるのかという事だった。
確か口裂け女には、撃退する為の呪文があったはずだ。
こいつもその仲間なら、追い払う為の呪文があるかもしれない。
八尺様は気に入った子供を攫うと白崎が言っていたし、どうにかしなければ、俺もこのバケモノに攫われてしまう気がして必死だった。
どれだけ考えた所で、知りもしない呪文など思いつくはずもなかったが。
それでもなにか言わなければ攫われると思い、咄嗟に俺は言い慣れた言葉を叫んだ。
「……ねぇよ」
「……ェ」
「お前なんか、綺麗じゃねぇって言ったんだ! この、化け物のクソブスがぁ!」
冷静に考えれば、この手の妖怪にそんな事を言ったら血祭りエンドなのだが。
幸い、ターボ八尺女には効果があったらしい。
罵倒されて、痴女妖怪が殴られたみたいに後ろによろめく。
「……ゥ、ァ、ァ、ァ、ァ……ぁあああああああああああ!?」
頭を抱えて身を捩ると、狂ったように叫びながら猛スピードでどこかに走り去った。
「……た、助かったぁ……」
ドッと汗が吹き出す。
緊張の糸が切れ、危うくその場に座り込みそうになった。
「黒川きゅん、ナイス時間稼ぎ!」
「うわあああああ!?」
後ろから声をかけられ、俺はキュウリに驚いた猫みたいに飛び上がった。
「しぃー! 夜中だし、近所迷惑だよ?」
人差し指を立てて窘めるのは、消えたはずの白崎だった。
「白崎! お前、どこ行ってたんだよ!?」
声を潜めて怒鳴る俺に、白崎は近くの電柱を指さした。
「普通にあそこに隠れてたけど?」
「隠れんなよ! ものすごく怖かったんだぞ!?」
あ、怖いって言っちゃった……。
でも本当に怖かったのだ。
今だってちょっと泣きそうだし。
「うん。怖がりさんなのに一人にしてごめんね。でも、ターボ八尺女は一人歩きの男の人しか襲わないって話だし、私が一緒だって分かったら逃げちゃうかもしれないから、隠れちゃった」
確かにそれは一理あるのだが。
「だったら捕まえるの手伝えよ!」
一応、そういう目的で来ていたのだ。
これではただの怖がり損だ。
「やー。最初はそのつもりだったんだけど、なんか普通じゃない感じだったから、
テヘっと白崎が舌を出す。
「お前なぁ……」
恨み言を吐きたくなるが、相手は本物の妖怪だ。流石の白崎だって怖いだろう。ヘタに手を出されて怪我でもされたら嫌だし、仕方ない話ではある。
それよりもだ。
「てか、見たかよ白崎! ターボ八尺女! 本物の妖怪だったぞ!」
恐怖が過ぎると、俺はなんだか興奮してきた。
だって本物の妖怪を目にしたのだ。これってすごい事じゃないか?
「そう決めつけるのはまだ早いよ」
神妙に言うと、白崎は携帯を操作した。
どうやら、隠れている間にターボ八尺女の動画を撮っていたらしく、それを西園寺に送っている。
「動画撮ったのかよ! お手柄だぞ白崎! 妖怪がいるって証拠になる!」
生徒会長とやらもこの動画を見れば納得するだろう。向こうの依頼は妖怪退治じゃなく、妖怪騒ぎの真相解明だ。本当に妖怪でした。それで終わりだ。
それだけじゃない。妖怪の動画なら、新聞とかに取り上げられるかも! 俺はそういう目立つのは嫌だから関係ない振りをさせてもらうが、それはそれとして、なんかすごい事になりそうでワクワクする。
興奮する俺に、白崎が人差し指を立てて静寂を求めた。
「回路チン。これがさっき言ってたターボ八尺女の動画なんだけど。この子の足についてる奴、見覚えがあるんじゃない?」
……ん?
白崎の奴、なに言ってんだ?
意味が分からず困惑していると、イヤホン越しに西園寺の焦り散らかした声が聞こえてくる。
『……は、はて。ななな、なんの事か、ぼぼぼ、ボクは全然、分からないが……』
『ちょっと西園寺! これ、掃除の時に失敗作だからいらないって捨ててたヘンテコブーツじゃん! どういう事だし!?』
……一ノ瀬のツッコミに、ようやく俺にも話が見えてきた。
『うぅぅぅ……わかった! 白状する! これはボクが発明したシークレット電動ダッシュシューズの試作品だ! 背が高く足の早い子はモテると思って作ってみたんだ!』
「小学生かよ」
『しかもそれ、男子の話っしょ』
『分かってる! だから失敗作なんだ! くそう! ボクはちゃんと、秘密道具につき持ち去り禁止と札を出しておいたんだぞ!』
「いや、そんなの書いたら余計に持ってかれるだろ……」
バカと天才は紙一重と言うが、こいつの為にあるような言葉だ。
「そんな事じゃないかと思ってたけど。多分生徒会は回路ちんが原因なんじゃないかって疑ってて、遠回しに私達に解決させようとしてチグちゃん達に声をかけたんだと思う」
「遠回し過ぎるだろ」
「そうだけど、向こうも確信はなかったんだろうし。いきなりそんな話されても、回路ちんも取り合わないでしょ?」
『当然だ。今回だって、君達と夜遊びをするのがちょっと楽しそうだったから参加したに過ぎない。妖怪なんて、はなからボクは信じてなかったよ』
……その気持ちは俺も理解出来る。
妖怪は怖いが、みんなで夜の街をパトロールするのは、なんだか冒険をしているみたいでワクワクした。
それはそれとして。
「つまりまとめると、ターボ八尺女の正体は、西園寺が捨てた発明品を拝借したうちの学校の女子って事か?」
「春高生かはまだ断言できないけど、その可能性はかなり高いね」
『けどさ、この場合どうすんの? 妖怪じゃない事は分かったけど、誰の仕業なのかは分かってないし。てか、西園寺のせいなら最後まで面倒見ないとヤバくない?」
『ぼ、ボクのせいじゃない! むしろボクは被害者だ!』
『はいはい分かったから。言葉のあやだって』
「そこは多分大丈夫だよ。黒川君が囮になってくれてる間に、回路チンに借りた発信器をつけといたから。家に帰れば住所が分かるから、それで春高生か分かるし。後は予定通り。生徒会は交渉次第だけど、どうにかなるでしょう」
自信満々にという程の気負いもなく、ちょっとしたボスモンスターを狩りに行くような気軽さで白崎は言う。
……なんだよそれ。めっちゃかっこいいじゃん。
ビビって震えていただけの自分が恥ずかしくなる。
そんな俺の顔色を読んで、白崎は言うのだ。
「私は怖いの平気だし。発信機も動画も、黒川君が囮になってくれたから出来たんだよ?」
発信器を飛ばす為の道具なのだろう。手の平サイズのモデルガンのような物をくるくる回しながら白崎は言う。
「……全部白崎のお膳立てだ。俺はなにもしてないだろ……」
「でも役には立ったよ? それじゃだめ?」
…………だめに決まってるだろ。
そんなの、男として格好悪い。
舐められるのが嫌というのとはちょっと違う。
もし仮に、白崎達が俺の友達だというのであれば。
……俺はそれに見合う人間になりたい。
……笑い者にされるような、恥ずかしい人間ではいたくない。
……そう思ってしまうのは、欲張りだろうか。
そんな気持ちは知られたくないのだが、この女に隠し事をするのは不可能だ。
いつも通り、微笑ましそうな笑みを浮かべて、俺の心を見透かしてくる。
「私は別にどっちでもいいけど。かっこいい黒川きゅんも、きっと可愛いんだろうなぁ」
「……うるせぇよ」
これだって、どうせ照れ隠しだとバレているのだろうが。
生憎俺には、他に気の利いた言葉は思いつかなかった。
『だーかーらー! いちゃいちゃすんなってばぁ!?』
「あぁ、いい雰囲気になって見つめ合う私と黒川きゅん。どちらともなく唇が近づいていく……」
『桜ぁ!?』
「いや、そんな事してねぇから。てか、終わったんなら帰ろうぜ。あんまり遅いと親が心配する」
母親には友達の家でドラハン会をしているという事にしてある。時間的にはまだ余裕があるのだが、母親に嘘をつくのは疚しいので、出来れば早く帰りたかった。
「うん。じゃ、コンビニで軽く打ち上げでもして帰りますか」
『いーねそれ! あたし、歩き回ったらお腹空いちゃった』
『ボクもだ。それに、夜中にコンビニの前でたむろするなんて、不良みたいでワクワクするじゃない……かあああああ!?』
悪くないなと同意しようと思った矢先、西園寺が悲鳴をあげた。
『ちょ、西園寺、夜中に迷惑だから!』
『そんな事を言ってる場合じゃない! 急がないと、ヘタをしたら命に関わるぞ!?』
剣呑な言葉に白崎と顔を見合わせる。
「おい西園寺! どういう事だよ!」
『そもそもこの靴は試作品で、耐久性を考慮してないんだ! 雨の日の使用だって想定していない! 白崎君の動画を見た所、かなりガタが来ている! バッテリー回りがショートしかけて外装が焦げ付いているし、それ以前に挙動がおかしい! いつ自壊してもおかしくないぞ!?』
西園寺の言葉に、ゾッとして息を呑む。
四、五十キロの速度で走ってる最中に二メートルの高さから転んだら……。
良くて大怪我、悪けりゃ死ぬ。
もしなにかの間違いで道路なんかに突っ込んだら……恐ろしくて考えたくもない。
『それだけじゃない! 発信器のデータを見たんだが、この女、狂ったように街中を走り回っている! これじゃあ自殺行為だ!』
嫌な考えが頭に浮かび、俺の心臓がドクンと跳ねた。
「……俺のせいだ。追い払おうと思ってクソブスって言ったんだ。そしたらあの女、急に叫びだしてどっか行っちまったんだ……」
顔を隠してワタシ、キレイ? とか言って回るような女だ。身体はともかく、顔の方はアレだったのだろう。それで俺にあんな事を言われて、キレてしまったに違いない。
「違うよ」
頭を抱える俺に、きっぱりと白崎は言う。
「その子にどんな事情があったとしても。黒川君は悪くないし、回路ちんも悪くない。もしそれでその子が死んじゃっても、百パーセント自業自得だよ」
それを聞いて、俺は物凄く嫌な気持ちになった。
白崎は慰めるつもりで言っているのだろうし、実際それはその通りのはずなのだ。
それなのに、俺は全く同意できそうもなかった。
だってそんなの、薄情すぎるだろ!
「うん。分かってる。だから、それはそれとして助けに行こう。大丈夫、黒川君ならきっと出来るよ」
その言葉にホッとして、俺達は走り出した。
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