第9話 世界で一人の俺の味方

 家に帰ってから気づいたのだが。


 一つ、小さな問題があった。

 俺の部屋にはパソコンがない。

 あるのは母親の部屋と、母親が趣味で使っている防音室の二つだ。


 防音室には二台パソコンがあり、両方とも母親の物だが、サブPCとして使っている片方には俺用のアカウントが用意されており、一応自由に使っていい事なっている。とは言え、たまに調べものに使うくらいで、触れる事はあまりない。


 白崎とゲームをするとなれば、それなりの時間防音室を借りる事になるから、母親の許可を得た方がいいだろう。


 しかし、なんと説明すればいいのか。まさか、学校一の美少女に目をつけられ、世界一強引な嘘告の餌食にされているなんて、とてもじゃないが言えない。恥ずかしいし情けないし、なにより母親に余計な心配をさせてしまう。それは避けたい。

 さて、いったいなんと言ったものか。


 リビングで母親と夕食を食べながら、俺は悩んでいた。

 正面に座る母親は、俺とは似ても似つかない、若々しくて綺麗な見た目をしている。二十代と言っても余裕で通用する。参観日の度に、誰の母親だと騒ぎになったものだ。そして俺の母親だと判明すると、血が繋がってないとか、橋の下で拾われたんだろとバカにされたものだ。小さい頃はそういうのが嫌で、母親にバカな八つ当たりをした事がある。何度思い出しても自分を殴り殺したくなる、愚かすぎる思い出だ。母親だけはいつだって俺の味方で、こんなに醜く手間ばかりかける俺を、女手一つで立派に育ててくれているというのに。


「玲君、どうかしたの?」


 いつもと様子が違ったのだろう。ゲーム仲間の酒癖が悪いと愚痴っていた母親が、不思議そうに聞いてきた。


「いや、別に……」


 別にもなにも、思いきりどうかしている。

 母親に嘘をつくのがやましくて、俺の口は重くなった。


「……ねぇ、玲君。お母さんはいつだって玲君の味方よ。気になる事があるなら、なんでも相談していいんだからね?」


 母親の気配が変わった。美麗な顔は聖母のように微笑んでいるが、目の奥は笑っていない。内心では、また俺がイジメられているんじゃないかと気が気ではないのだろう。実際俺は溜め込みがちで、イジメられていると母親に言えずに爆発してしまうことが何度もあった。その度に母親に諭され、励まされ、時には叱られ、謝られ、泣きながら許しを乞われた事もある。それでも俺は、言えないのだ。母親に心配をかけたくない。せめて母親の前でだけは、かっこ悪い姿を見せたくない。そんな悪あがき自体が、どうしようもなくかっこ悪いと分かっていても。


「なんでもないって。ただちょっと、防音室のパソコンを借りたいなって」

「それはいいけど、この後すぐ?」

「うん、まぁ」

「どれくらい?」

「一時間か、二時間くらいかな」


 それくらいあれば足りるだろう。

 俺だって、白崎相手に何時間も無駄にしたくはない。


「ん~……」


 ぷっくりとした唇に人差し指を触れさせて、母親は困った顔をした。


「無理ならいいんだ。別に、大した用事じゃないから」

「ごめんね、玲君。今日はちょっと、お友達とゲームをする約束をしてて……」


 謝る事なんか全くない。いきなり言い出した俺が悪いのだ。

 それなのに母親は、自分が悪いみたいにしょんぼりと肩を落とす。


「気にしないでってば。本当、なんでもないからさ。無理やり誘われただけだし」

「ぇ」


 しまった! 

 母親があまりにも申し訳なさそうな顔をするものだから、焦って余計な事を言ってしまった。


「誘われたってどういうこと?」


 おっとりした優しい目を全開に見開いて、母親が問い詰める。


「いや、その、あの」

「玲君」


 怒鳴るという程のものではない。全く全然、そんな感じではない。ほんのちょっと、少しだけ、いつもより語気が強いだけだ。それでも、普段の優しい母親を知る俺からしたら、叱られているように感じてしまう。

 だからと言って、本当の事を言えるわけでもなかったが。


「……学校の友達に、ゲームしようって誘われたんだ」


 手の中の茶碗に視線を落として、俺は言った。


「……っ!?」


 母親が、声にならない悲鳴をあげた。

 美麗な顔が驚愕に歪む。

 色白の手からぽろりと箸が落ちて、テーブルを転がった。


「か、母さん?」


 困惑する俺を、母親は感極まった表情で眺めていた。目の端からぽろりと涙が零れ、それはすぐに、キラキラとした清水の流れに変わった。

 ぼろぼろと泣きながら、母親は立ち上がって、唖然とする俺を優しく抱きしめた。


「よかったね玲君、一緒にゲーム出来るようなお友達が出来たんだね……」

「いや、それは、その……」

「違うの?」


 幸福の絶頂のような表情が不意に冷め、怯えるような絶望が母親の顔を覆った。

 生まれてこの方、真っ当に友達と呼べるような存在がいた試しのない俺だ。それについて、母親はあえて触れないようにしていたが、内心では物凄く心配し、気に病んでいたはずだ。不出来な一人息子に、ようやく人並みに友達が出来たのだ。そりゃ、涙も流れる。今更違うだなんて言えない。母親をぬか喜びさせたくないし、そんな事を言ったら、母親は早とちりして俺を傷つけたと自分を責めるだろう。そういう優しい人なのだ。


「ち、違わないよ。実は、そうなんだ。でも、別に今度でも全然」


 母親は携帯を取り出して電話をかけた。

 そして、別人のような雰囲気になって会話する。


「もしもし、マネージャーさん? 急で申し訳ないんだけど今晩の案件、別の子に回して貰えないかしら。どうしても抜けられない大事な用事が出来たの。そう、いつもの家庭の事情。理解が早くて助かるわ。この埋め合わせは必ずするから」

「母さん? 今のって、仕事の電話じゃないの?」


 よくわらかないが、そんな感じがした。


「全然。そんなわけないじゃない。遊ぶ約束をしてたお友達に、また今度にしてって伝えただけよ?」

「でも、マネージャーって」

「あだ名なのよ。そういうハンドルネーム」

「案件がどうとか」

「お母さんのやってるネトゲで、暗黒剣士の略なの。そういうボスを倒そうねって約束してただけ。いっつもやってるし、ギルドには他にもお友達がいるから、今日はその子にお任せするわ」


 それを聞いて、俺は安堵した。俺がこんなだから仕方ないのだろうが、母親はかなり過保護な所がある。俺のイジメと向き合う為に、会社も辞めて、今は自営業をやっている。なにをしているのかは知らないが、家で出来るパソコン関係の仕事らしい。ともかく、俺の為なら仕事だって投げ出すような母親なのだ。


「それでも悪いよ。そっちが先約だろ?」

「いいからいいから。お母さんの事は気にしなくていいの。今日は好きなだけパソコン使って良いからね? 朝までだって許しちゃう」

「いや、明日も学校だし……」

「学校よりもお友達の方が大事でしょ? 玲君の良さを分かってくれる素敵な子なんですもの。大事にしてあげなくっちゃ。どんな子かしら? お母さん、気になっちゃうな?」

「……普通の奴だよ」


 まさか、俺をからかう事を至上の悦びとしているイカレ頭の変態女だなんて言えない。


「そう? 機会があったら紹介してね。あ、お家に呼ぶ時はお母さんに教えるのよ? ご馳走作って待ってるから」

「いらないって! 家に呼んだりとかないから!」

「いいじゃない。折角学校から近いんだし。その方が友情も深まるでしょ? これを機に、もっと沢山お友達が増えるかもしれないし……。う、うぅぅ、玲君にお友達……うぇえええ、よがっだねぇえ、よがっだねぇええ……」


 感極まり、母親は再び泣きだした。

 俺なんかには勿体ない、文句の付け所のない最高の母親だ。


「母さん、こんな事で泣かないでよ……」

「ごめんなさい。お母さん、嬉しくって。そうだわ! いい機会だし、玲君用のパソコンを買いましょう! 玲君が恥をかかないように、最高のスペックの物を用意するわね!」

「いいってば! お願いだから落ち着いてよ!」

「大丈夫よ! お母さんは落ち着いてるわ! そうと決まれば、パーツの構成を考えないと!」


 水冷がどうだの、グラボがなんだのとブツブツ言いながら、母親は夕食もそこそこに二階の自室に引っ込んでしまった。


 まさか、ここまで大事になってしまうとは。

 これも全て白崎のせいだ!

 本当に、疫病神みたいな女である。



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