第7.5話 聖域
「……突っ込んでよ!?」
「うるせぇ。飯くらい静かに食わせろ」
「もー! 勝手なんだから!」
お前にだけは言われたくない。
白崎は赤いカレーに浸したナンを齧ると、不満そうに首を傾げた。
「ん~。やっぱ出来合いのナンはびみょいね。冷たいし、パサパサだし、いいとこなし。黒川君も食べる?」
「いらねぇよ」
「食べてよ。美味しくないから」
「余計にいらねぇよ! なんで美味しくないもんすすめんだよ!」
「むしろ不味い物の方がすすめたくなるまであるし。このがっかり感、分かって欲しいなり~」
「いらねぇっての!」
「隙あり!」
大口を開けた瞬間、白崎は食べかけのナンを俺の口に突っ込んだ。
「んが!?」
このクソアマ! しかも食べかけかよ!
吐き出すわけにもいかず、仕方なく咀嚼するが、確かにパッとしないナンだった。いかにも出来合いといった無味乾燥とした味で、なんの風味もない。ナンだけに。
「黒川君。今、物凄くしょうもない事考えてなかった?」
「考えてねぇよ」
怖っ。こいつエスパーかよ。
赤いカレーはインド風というか、かなり本格的なシーフードカレーらしい。エビの風味が強く、スパイシーだ。美味い事は美味いのだが、スパイシーなのは頂けない。俺は辛いのも大の苦手なのだ。
「……ぐぅ」
口の中を広がる辛さに、思わず声が溢れる。
「あ、黒川きゅん辛いのダメだった?」
「は、はぁ? そんなわけ、ねぇだろ」
焼けるような辛さに耐えながら、俺は平静を装う。
しかし辛さは収まる気配がなく、どんどん激しくなるばかりだ。
「高校生なんだし、このくらいの辛さは平気だよね」
「あたりまえだろ」
いや、全然平気じゃない。辛すぎだろ。俺はカレーだって甘口しか食べられないし、寿司のワサビも無理なんだぞ!?
だが、そんな事は言えない。
白崎の口ぶりから察するに、これは中辛くらいなのだろう。
慌ててお茶を飲んだらかっこ悪い。また舐められる。
「ちなみにそれ、普通の辛口の十倍は辛いから」
俺は慌てて水筒に手を伸ばし、受け口から直にがぶ飲みした。
「――ぶはぁ! てめぇ白崎! なんて物食わせやがる! う、ぐぁ、まだかれぇ!」
辛いと言うか痛い。舌だけじゃなく、唇や喉、頬や歯茎まで。もはや毒だろ!?
「めんごめんご。黒川きゅんって子供舌っぽいし、もしかして辛い物もダメなのかなーって思ったらつい」
「しかも確信犯かよ!?」
「テヘ☆」
白崎はこめかみをコツンと叩いてぶりっ子ポーズをした。
殴りたい。殴っていいだろ。
「ちなみに確信犯って元々は法律用語で、自分は正しい事をしてるんだって信念を持って行われる犯罪の事なんだって。知ってた?」
「知らねぇよ!」
なんにしたって犯罪だろ!
怒鳴る俺を、白崎はきゃっきゃと手を叩いて笑う。
そんなこんながありつつも、俺達は弁当を食い終えた。
「なんか学校中私達の話で持ち切りだし、ギリギリまでここにいよっか」
「言われなくてもそうするつもりだっての」
わざわざ教室に戻って残り時間を晒し者になるのは御免だ。
なによりここは居心地がいい。広い屋上に十人ちょっと。静かなものだ。
天気は朗らかで風が心地いい。
俺の求める理想の平穏がここにはある。
邪魔なものがあるとすれば白崎だけだ。
満腹になってぼんやりしていると、白崎がニコニコしながら俺を見ていた。
「いい場所でしょ?」
「……まぁな」
そんな事で突っかかっても仕方ない。
腹いっぱいで面倒だし、俺は素直に認めてやった。
「じゃあさ、これから毎日屋上で一緒に食べようよ」
やなこったと言いたい所だが、俺は悩んだ。
俺を取り巻く騒ぎはしばらく収まりそうにない。
十分休みはともかく、昼休みは地獄だ。
五十分の間教室で晒し者になっていたらストレスでどうにかなってしまう。
それに、白崎から逃げ回って無様を晒すよりは、開き直って他の連中の前でだけは彼氏の振りをした方がマシかもしれない。その間に白崎の弱みを掴んで形勢を逆転させればいい。白崎は俺を舐め腐っているから、ゆっくりと時間をかけて俺をなぶり殺しにするつもりだろう。そこに付け入る隙はある。
……あとはまぁ、折角母親が毎日綺麗な弁当を作ってくれているのだ。たまには俺以外の相手に見せないと申し訳ない。相手が白崎なのは癪だが、そんなのは誰が相手でも同じだから気にしても仕方がない。
「……仕方ねぇな」
俺はいかにも嫌々という風に溜息をついた。
白崎は眩しい程の笑顔を浮かべる。
「私の気持ち、本当だって分かってくれた?」
「なわけねぇだろ。勘違いすんなブスが。お前のせいで野次馬共がうるせぇから、静かな場所で飯を食いたいだけだ。本当なら、一人で来たいくらいだぜ」
「ところがそれは無理なんですね~」
ブスと言われて軽く興奮しながら、ニンマリと白崎は言う。
「はぁ? なんでだよ?」
屋上を利用するのに、無理もないもないだろうが。
「黒川君ってさ、結構鈍いよね」
私の気持ちに気づかない時点で相当だけど。
そう呟いて、白崎は屋上を利用している他の生徒達に視線を向けた。
「この光景を見て、なにか思わない?」
「……やたらと距離の近い男女が多いとは思うが」
「多いって言うか、それしかいないじゃん」
「だからどうしたってんだよ」
白崎は呆れた顔でため息をつくと、シーっと人差し指を立ててとあるペアを指さした。
そちらのベンチでは、一組の男女がカップルみたいに肩を寄せ合っている。そしてふと、人目を気にするように辺りを見回すと、こっそりと唇を重ねた。
「――んごごごごっ!?」
「しーっ! 邪魔しちゃだめ!」
俺が悲鳴をあげる前に白崎の手が口を塞いだ。
唖然とする俺はカクカクと小さく首を振る。
「あいつら、こんな所でキスしてるぞ!?」
「そういう場所なんだよ。お昼の屋上は恋人達の
声を潜めて慌てまくる俺を微笑ましそうに見つめながら、白崎は悪戯っぽく片目を瞑る。
そう言われて改めて他の利用者を見てみると、がっちりと手を繋いでいたり、腰に手を回していたり、膝枕をしていたり、あーんしていたり、露骨にイチャイチャしていた。
他人なんか興味ないし見ないようにしているから気づかなかった。
理解した瞬間、胸焼けを起こすようなカップルオーラを感じて気まずくなる。
そりゃカップル以外は近づかないわけだ。
「で、ここにいる私達も、逆説的にカップルという事になるわけです。ブイ」
勝ち誇った顔で白崎がダブルピースを向ける。
「てめぇ白崎! また嵌めやがったな!」
いい加減頭にきて白崎の胸倉を掴む。
「嵌めるだなんてそんな、人前で恥ずかしいよ……」
白崎は気持ち悪い声を出して恥ずかしそうに顔を伏せた。ハッとして周りを見ると、周りのカップルがあらあらまぁまぁといった顔でこっちを見ている。
「な、が、違う! 嵌めてねぇよ! 誰がこんな女と! 俺は童貞だっての!」
「あははははは、黒川きゅん、そんな事言わなくたっていいのに!」
白崎が爆笑した。
「う、うるせぇ! てめぇが紛らわしい事言うからだろうが!」
俺は醜い嫌われ者だ。非モテの童貞、こういうのには全く耐性がない。
慌てたって仕方ないだろ!
ムカついて白崎を見るのだが。
「むちゅ~」
「ぎゃあああ!?」
なにを考えているのか、白崎はタコみたいに唇を突き出して待ち構えていた。
「ちょっと! 女の子のキス顔にぎゃあああはなくない?」
「あれのどこがキス顔だ! タコ顔の間違いだろ!」
「しょうがないじゃん。キスなんかした事ないんだから」
「嘘つけ!」
「嘘じゃないもん! 私はオール完全未使用新品だもん!」
「しらねぇし聞きたくねぇよ!?」
「知っててよ! 彼氏でしょ!」
白崎が逆ギレする。理不尽すぎる。
分かっていたが、やっぱりこの女はイカれている。
こんな女と二人で飯を食うくらいなら、教室で晒し者になっている方がマシなのでは?
割とマジで真剣に、そんな気がする俺なのだった。
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屋上の使える学校に通っていた方はコメント欄にどうぞ。
(7話が長かったので、7話と7.5話に分割しました。追加エピソードではありません)
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