第7話 だってこんなの初めてだし
「じゃじゃ~ん。ここなら静かにお昼食べられるでしょ?」
白崎が得意気に両手を広げる。
やってきたのは屋上だった。謎の畑が三分の一程を占めており、縁には落下防止の高いフェンス。フェンス沿いには四人掛けくらいのベンチが点々と配置されている。利用者は疎らで、数組の男女がベンチや敷物の上に陣取ってのんびりお昼を食べている。
確かに静かな場所だった。俺の望むささやかな平穏がここにはある。
生憎俺はそれどころじゃなかったが。
白崎の前で大失態を演じて、俺は死ぬほど落ち込んでいた。悪魔みたいな顔をした醜い嫌われ者のこの俺が、あれしきの騒ぎでパニック発作を起こすとは、お笑い種だ。
俺は変わった。変わったはずだ。それなのに、俺の心には消えない傷が残っていて、なにかの拍子に疼きだす。まさにさっきのように。ささやかな平穏を手に入れてからは随分落ち着いていたが、度重なるストレスでぶり返したのだろう。なんにしても、絶対に知られたくない弱みをよりにもよって白崎に知られてしまった。
「……大丈夫だよ。さっきの事は誰にも言わないから。実は私も、同じようになることがあるの。大勢の人に囲まれると、なんだか怖くなっちゃって、うわーって。だから一緒。そんな所も私達、相性ばっちり? なんちゃって」
誤魔化すように、慰めるように、そんな事などなかったように、白崎は優しい言葉を投げかける。二年前の俺ならコロッと騙されただろうが、今の俺には通用しない。
それっぽい事を言っておいて、どうせ裏切るに決まっている。
そもそも、こんな目に合っているのはこいつのせいなのだ。
「うるせぇ。なんでもねぇよ」
俺は何もなかった事にした。
俺は最後の力を振り絞ってひと気のない四階まで移動していた。俺がへばっている所は白崎以外には見られていないはずだ。
白崎の嘘だって万能ではない。というか、俺と付き合っているという話だって普通に疑われている。拡散力はあるだろうが、それがそのまま受け入れられるわけじゃない。俺がパニック発作を持っている事だって、証拠がなければそう簡単には広まらない……と、思いたい。
「うん。そうだね」
白崎もその辺は理解しているのだろう。今の所は脅してこなかった。喫茶店での盗撮を思えば安心は出来ないが。
「とりあえず、座ろっか」
適当なベンチに向かう白崎の後を追う。発作は収まったがまだ本調子じゃない。
回復するまでは無用な衝突は控えるべきだろう。
白崎はベンチの真ん中から一人分右の場所に座った。隣の空いたスペースをトントンと手で叩いて、にっこりと俺に微笑む。
俺は近くにある別のベンチに座った。
「ホワイ!?」
俺は無視してそっぽを向く。
こいつのせいで朝から散々だ。おまけに発作まで起こして、冷静になったらムカムカしてきた。そんな奴の隣で飯なんか食えるか。
「うぅぅ……」
白崎は頬を風船みたいにして俺を睨んだ。そして不意に明後日の方向を向く。
「あーあー! 私の彼氏、可愛い可愛いマイダーリンの黒川きゅんってばほんと~~~~~に照れ屋さんなんだからぁああああああ!」
「なっ!?」
片手でメガホンを作り、わざとらしく周りに向けて言う。屋上で飯を食っているやけに距離の近い男女共が、こっちを見てクスクス笑った。
この女、またやりやがった! すぐに周りに言い触らして、本当に嫌な女だ。
それなのに白崎は、そっちが悪いんだよ? みたいな顔で俺を睨み、もう一度ポンポンと隣を叩く。
俺はぐるるるる、と喉の奥で唸って威嚇すると、フン! とこれ見よがしに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。白崎がなにをしようが、絶対に言いなりになんかならない。そんな事したら舐められるだけだ。
「うぅぅぅぅぅ!」
白崎は、お前の顔どうなんてんだよ!? ってくらい頬を膨らませると、ぷしゅる~っとため息を着いた。やれやれと肩をすくめて立ち上がると、こっちにやってきて俺の隣に座った。ぴったりと、太ももが触れ合うくらいの距離だ。
俺は黙ってベンチの端に尻をスライドさせた。
白崎は半ば尻で体当たりでもするように追いかけてくる。
制服越しに触れる生足が生暖かい。
「……せめぇだろ。くっつくんじゃねぇ」
耐え切れなくなり、俺は言った。
「恥ずかしいんだ?」
ニンマリと、クソムカつく顔で白崎が俺の顔を覗き込む。
拳を握って怒りに耐えると、白崎は少しだけ俺から離れた。
「怒らないでよ。黒川君って可愛いから、ついからかいたくなっちゃうの」
「バカにしてんのかてめぇは?」
本気でイラっとして白崎を睨みつける。
「なんで?」
白崎は子供みたいな無邪気さで聞いてきた。
「分かってて聞いてんだろ」
「分かんないから聞いてるんだよ」
あくまでも白を切るつもりらしい。
「……この顔が可愛く見えるなら眼科に行けよ」
「可愛いってそういう事じゃなくない?」
白崎は即座に言い返してくる。屁理屈女め。
「私が思うに、可愛いってギャップだと思うんだよね。ヤンキーが実は猫好きみたいな、クールな先輩が実は縫いぐるみを抱かないと夜眠れないとか。そういう意味では黒川君、ギャップの塊って言うか、ギャップしかないって言うか、なんかこうつっつき回して反応を見たくなっちゃうって言うか。あぁ、語ってたら胸がキュンキュンしてきた。ねぇ黒川君、その癖毛頭、わしわし~ってしてもいい?」
「いいわけねぇだろぶっ飛ばすぞ!」
「そういう所も可愛いにゃん……」
白崎はうっとりとして胸を押さえる。
「嘘つけよ。どうせ腹の底じゃ俺の事キモいと思ってるんだろ」
「ちょっとね」
予想外に肯定され、思わず言葉を失う。
「いい意味でだよ? キモ可愛い的な。味があるみたいな? お顔だって、イケメンよりも黒川君みたいなタイプの方が好みだし。なんだか見てると面白くって、楽しくなるし」
「だからバカにしてんだろ!」
「してないってば! これが私の愛情表現なの、好きの形なの!」
「だとしたら、どうかしてるぜ」
「そんなもんだよ恋愛なんて」
「ボロが出たな。俺が初めての彼氏とか言って、随分恋愛に詳しいじゃねぇか」
最初から信じてなんかいなかったが。
やはりこの女、十股ビッチなのだ。
「残念でした~。私は黒川きゅんと違って友達沢山いるから、毎日聞きたくもないお惚気を嫌って程聞かされてるんです~」
ベーっと白崎が舌を出す。短くて小さな舌だ。引っこ抜いてやりたくなる。
「そんなもん聞かされるくらいなら、友達なんかいなくて結構だぜ」
「それは極端だけど、半分は同意。友達多すぎるのも、それはそれで大変だしね」
意味深な苦笑いを白崎は浮かべる。
「ていうか、いい加減お弁当食べよっか」
「言われなくてもそうするっての」
お互いに弁当を膝の上に広げる。
「わぁ! 黒川君のお弁当、めっちゃ綺麗! お母さんが作ったの?」
「……あぁ」
「お母さん、お料理上手なんだね!」
「……まぁな」
「あ、そこは普通に認めるんだ」
「……うるせぇよ」
他人の弁当なんか知らないが、俺の弁当が綺麗なのは間違いない。毎朝母親が頑張って作ってくれているのだ。別に見せる相手もいないから、適当で大丈夫だと言っているのに。それでも母親は、弁当のせいで俺が笑われたら嫌だからと言って、せっせと綺麗な弁当を作ってくれる。友達なんか必要ないが、こんなに綺麗な弁当を見せる相手がいないのは、本当に申し訳ないと思っていた。
「お前の弁当はどうなんだよ」
別に母親の弁当を褒められて心を許したわけじゃない。
こいつの弱みを掴む為に探りを入れているだけだ。
「ふふ~ん。私のお弁当も負けてないよ? じゃじゃ~ん!」
白崎の弁当は三段重ねで、寸足らずの魚雷みたいな円柱形をしていた。
一番下を開くと、中には折り畳まれたナンが無理やり押し込まれている。
「いや、なんでナンなんだよ」
「おやおや~?」
「な、ちが、わざとじゃねぇよ!」
「ま、そーいう事にしておきましょう」
ムカつく顔で言いながら、上の二つも開く。
赤いカレーと黄色いカレーだ。
そう言えば、喫茶店でもカレーがどうだの言っていた。
カレー好きなのか?
「普段はライスなんだけど、なんとなく今日はナンにしてみたなり。ナンだけに?」
俺は無視して弁当を食った。
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カレー好きな方はコメント欄にどうぞ。
(7話が長かったので、7話と7.5話に分割しました。追加エピソードではありません)
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