第3話 の終わり

 一週間が経っていた。


 俺のささやかな平穏は変わらずだ。

 佐藤とのひと悶着は、結果的には良い自己紹介になった。

 新しいクラスの連中は俺を恐れ、疎みに、居ない者として扱った。

 それこそが俺の望み。ささやかな平穏だ。


 佐藤だけが時折恨みがましい視線を向けて来るが、あれだけやればそりゃ恨まれもする。その内なにか仕掛けてくるだろうが、その時になったらまた叩き潰せばいい。こっちとしても、俺のささやかな平穏を守る為に時々荒事が起きた方が都合がいい。人間がバカだから恐怖だってすぐに忘れる。そうなる前に、俺が何者か思い出させる必要がある。


 いつも通りの空虚な一日が終わり、俺は下駄箱を開いた。

 そしたら中に手紙が入っていた。

 扉には鍵をかけているが、紙切れが入るくらいの隙間がある。

 いかにも女が使ってそうな、花柄のピンクの封筒だ。

 俺は靴と一緒にそいつを取り出し、よく見もせずにゴミ箱に放り込んだ。


 見る必要があるか? ない。嫌われ者の俺がラブレターを貰うわけがない。女友達は一人もいない。そもそも俺には友達がいない。挨拶を交わす程度の関係の相手すらいない。正真正銘俺はボッチの嫌われ者だ。


 どうせ中身は嘘告か脅迫か悪口か果たし状に決まっている。なんにしたって読む価値はない。それどころか、相手はどこかで見張っていて、俺がそいつを読んだ瞬間引っかかったとか言って飛び出してくるかもしれない。そんな経験は幾らでもある。だから読まずに捨てる。これが最適解だ。


 翌日、また手紙が入っていた。同じ封筒だが、今度は表にミルキーペンをふんだんに使ったカラフルなまる文字ででかでかとラブレターと書いてあった。もちろん捨てた。


 その翌日、また手紙だ。ラブレターの文字の周りに、ハンコ風の書体で超重要、要開封などと書かれていた。捨てた。


 さらに翌日。今度は朝から入っていた。もはやラブレターの字はなく、正面に大きく最終警告と書いてあった。上等だ。俺は叩き捨てた。


 放課後、やっぱり手紙が入っていた。ピンク色の地色が隠れるくらい、赤ペンでびっしり見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て目て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て貝て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見て見てと書き殴られていた。


 もはや呪いの手紙だ。

 てかなんでちょいちょい貝が混じってんだよ。

 ともかく俺は捨て――


「ちょっとまったぁ!」


 飛び出してきたのは白崎だった。

 なんだこいつ。余裕ぶって俺にブスと言われた事を根に持っていたのか。

 なんでもいいが、正体を現したのなら好都合だ。

 下校ラッシュの玄関前だ。大勢のギャラリーも含めて、俺に舐めた真似をするとどうなるか、改めて分からせてやる。


「ラブレターなんだよ! なんで捨てちゃうの!」


 目の前にやってきた白崎が、細い腰に手を当てて責めるように俺を見上げる。

 白崎の言葉に騒がしかった玄関先が静まり返った。


 アホか。なに真に受けてんだ。そんなもん、百万パーセント嘘に決まってんだろ。

 学校一の美少女が、俺みたいな醜い嫌われ者を好きになるわけないだろうが。

 俺はたっぷり皮肉をこめて鼻を鳴らす。


「なにがラブレターだバカバカしい。こんな見え透いた悪戯に引っかかるか」

「悪戯じゃないもん! 本気だもん!」


 俺の言葉にギャラリーはホッとして、白崎の言葉に再び絶望する。

 白崎は大した女優だった。誰が聞いてもわかるような嘘なのに、その顔と言葉には、思わず信じてしまいそうになる言霊めいた力がある。

 可愛いは正義とはよく言ったものだ。白崎の口から飛び出せば、嘘だって本当になる。

 俺に言わせれば、そんな可愛さはもはや暴力だが。


 生憎、俺には通用しない。

 この手の嘘告は初めてじゃない。小中と、何度も騙され痛い目を見てきた俺だ。流石に学ぶ。学ばなけりゃ大馬鹿だ。


「うるせぇブス。お前みたいな女が俺を好きになるわけがあるか。くだらねぇ悪戯しやがって。こんな物、こうしてやるぜ」


 白崎の飾りみたいに小さな鼻の先で、俺は手紙をびりびりに破いてその辺に撒き散らした。


「あぁ!? 酷い!?」


 ガビーン!? と音が聞こえそうな程大袈裟に、白崎が頭を抱える。


「そうさ。俺は酷い男だ。わかったらとっとと失せろ! 二度と俺に話しかけるな!」


 涙目になって立ち尽くす白崎を睨みつけ、俺は勝ち誇って鼻を鳴らす。


「邪魔だ、どけよ」


 呆気にとられるギャラリーを蹴散らして、俺は学校を後にした。

 ま、こんなもんだろ。

 嘘告とは言え、学校一の美少女の告白を大勢の前で派手に断ってやった。

 悪くない気分だ。

 嫌われ者としての俺の格も、かなり上がった事だろう。

 勝利の余韻に、口元が邪悪な笑みを浮かべた。


「黒川きゅ~ん! ままま、待ってよぉ~!」


 ふざけた呼び声に頬が引き攣る。 

 振り返ると、白崎が猛スピードで追いかけて来ていた。


「なんなんだよ!?」


 思わず俺は逃げてしまった。

 てか、なんだこいつは?

 メンタルが鋼タイプかよ!

 こんな奴は初めてだ。

 とにかく、俺は走った。

 一度逃げてしまった手前、捕まったらマヌケだ。

 中学生の頃、散々パシリに使われていた俺だ。喧嘩は強いが逃げ足も速い。


「待ってってばぁ~!」


 それなのに、白崎の声は遠ざかることなく、むしろ近づいてさえいた。

 そんなバカな!?


 肩越しに振り返ると、白崎は背景にお花畑が見えそうな緩い笑みを浮かべながら、どこぞの忍者漫画みたいなマヌケな格好で走っている。恐ろしく速い。


 それで俺は思い出した。白崎は顔だけでなく、運動も出来るのだ。スポーツ万能で、色々な部活に助っ人で呼ばれ大活躍しているという話を聞いたことがある。


 ふざけた女だ。チートが過ぎる。そういうのは転生物だけにしてくれ。

 悔しいが、単純な走力では白崎を撒けそうにない。

 速度もそうだが、持久力の面でもそろそろ限界だった。

 そういうわけで、俺は奥の手を発動した。

 生垣に突っ込み、塀を飛び越え、私有地を突っ切る。

 こんな真似、学校一の美少女には出来ないだろ。


「わっ!? そこまでする!?」


 思った通り、白崎の戸惑う声が聞こえてきた。

 そのまましばらく入り組んだ住宅街の裏道を走り、背後を確認する。


「はぁ!?」


 思わず驚きの声が溢れた。

 白崎はまだ俺を追いかけていた。辺りを囲う迷路みたいなブロック塀の上を平然と走りショートカットしている。どんなバランス感覚だよ!


「あ、バレた」


 悪戯っぽく舌を出す白崎は、もう数メートルまで迫っていた。

 そこに突然、塀の向こう側から野良ネコがジャンプしてきて白崎の進路を塞いだ。


「ふぎゃぁあああ!?」

「ふぎゃぁあああ!?」


 前者が猫で、後者が白崎。


 一匹と一人は甲高い悲鳴を上げて、猫は猫らしい身軽さで着地して風のように走り去った。白崎は猫じゃないのでバランスを崩して落下する。

 固いアスファルトに向かって、小さな頭から真っ逆さまに。


「――っ馬鹿野郎!」


 咄嗟に俺がキャッチしなければ、白崎は細い首がへし折れるか、頭がぱっくり割れていただろう。


「……し、死ぬかと思ったぁ」


 はふはふと、恐怖に息を浅くしつつ、腕の中の白崎が緊張感のない顔で呟いた。


「無茶してんじゃねぇ! 怪我したらどうするつもりだ!」


 怒鳴る俺を、白崎はぽかんと見上げていた。その顔が不意に、ぱぁー! っと、眩しい程の笑顔に変わる。


「黒川きゅんが私の事助けてくれた!」

「なっ!? 助けてねぇよ!」


 緊急事態で咄嗟に身体が動いただけだ。

 白崎を助けようなんて気はこれっぽっちもない。

 そんな俺の言葉を無視して、白崎は俺の首に両腕を絡めるようにして抱きついた。


「黒川きゅん、つーかまーえたー!」




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