最終章 君の頭の中にも

 真琴は、左手の袖に付いていたホコリを払う直前で手を止めた。

 そのホコリを見つめた。ホコリだと思っていたのは、”雪虫”だった。

 ”雪虫”は、北海道ではよく見られる虫で、本当に耳かき棒の先についている毛玉のような毛を付けている。

 大きさは五ミリメートル程で、害はないらしい。

 ”雪虫”が現れると初雪が降ると言われている。

「もう、冬か」と思わず呟いた。

 ニュースで旭岳で初雪を観測したと言っていた。

 これから、また、あの冬がやってくる。

 そんな時期になったのかと、”雪虫”を潰さないようにやさしくほろった。

 札幌は、四季が楽しめる自然豊かだ。

 真琴もこの土地に生まれてよかったと思っていた。

 自動車があれば、一時間ほどで、山にも海を見ることが出来る。

 上を見上げると、こんなに広かったのかと青い空が迎えてくれる。

 冬はと言うと、言うまでもなく寒い。雪もサラサラの雪で、歩くと鳴き砂のように音をたてる。

 顔に当たる粒粒の発泡スチロールのような吹雪の中、乗り物を待つ時は、ちょっとした試練の時である。

 学生の時に経験するこの寒さは、精神をも強くして、この土地で生きる人間の気質を生んだのだろうか。

 寒いのは、外だけである。

 南の地方とは違って気密性の良い建物なので部屋の中は暖房が利いて暖かい。

 Tシャツ姿でアイスクリームを食べるのが普通だ。


 真琴は、札幌駅から東にある”サッポロファクトリー”に来ていた。

 札幌地下鉄東西線のバスセンター前駅から二百メートルの位置にある。

 その隣には、自然豊かな永山記念公園があり、気に入っていた。

 ファクトリーは、”開拓使麦酒鋳造所”の跡地にあり、カタカナで”サッポロビール”と書かれた煙突や蔦紅葉を着飾る工場跡のレンガ館があり、開拓時代の様子が伺えるようになっている。

 ”ケッセル”と呼ばれる煮沸釜なども展示され、麦酒造りの歴史に触れることもできる施設だ。

 施設中央は、全長八十四メートル、横幅が三十四メートル、高さ三十九メートルの巨大アトリームが居座っている。

 南側は、アミューズメントや映画館も連絡通路で結ばれていた。

 アトリーム東側のエレベータに乗って、2階に昇る。

 この位置からアトリームの全貌が見える。

 ガラスの屋根の枠組みが、一点透視で描けそうだ。

 東奥は小高い丘のようになっていて、中央に幅の広い階段があった。


 今日はその中央に十勝広尾町から運ばれた巨大なクリスマスツリーが陣取っている。

 煌びやかな飾り、赤と緑のクリスマスカラーに飾られ、更にライトアップされている。

 真琴は、誘われるようにツリーの下に行き、見上げた。

「クリスマスだ」

 丁寧に飾られたクリスマスツリー。綿で出来た雪も乗っている。

「いいなぁ」真琴は思わず呟いた。

 ツリーを見ると、子どもの頃のワクワク感が蘇って自然と頬が緩んでくる。

 子どもの頃、町内会で配られたサンタの人形が乗ったバタークリームのショートケーキを貰って嬉しかったことを思い出す。

 そうだ、幼稚園でのクリスマス会も楽しかった。

 ツリーの下にグランドピアノが置いてあり、ロープで囲われていた。

 その漆黒なピアノがあることで、締りが利いた絵となっていた。

 道行く人は携帯で写真を写していく。


 このフロアには、チョコレートやグミの量り売りのお店やソフトクリーム、ジェラードなどの従来の店舗に加え、

 ”麦酒ラボ”と称する。ビール会社のクラフトビールが楽しめることになった。

 以前から、個人でクラフトビールを製造販売するのが流行っていたが、麦酒会社が黙ってられずに出店することになった。

 この建物ならではの、麦酒の過去と未来を楽しめる企画だ。

 麦酒会社のプロが造ったクラフトビールを味わってもらおうと、複数の開発番号の付いたケッセルが、各種類別のガラス張りのブースを飾る。

 プロとしての誇りを感じさせるブースとなっている。

 当然、北海道産のチーズやハムなども並ぶ。

 

 真琴は、再び二階に上がり、改めてクリスマスツリーを眺めた。

「やっぱり、これもいいな」と思った。

 と言うのは、巨大彫刻の依頼があったからだ。

 確かにこの場所に、自分がデザインした彫刻が飾られると嬉しいが、毎年クリスマスツリーが飾られることを知っていたので、諦めていた。

 幸いなことに札幌駅からも依頼あり、そこに収められている。

 札幌駅の再開発は、駅の東側に造られた。再開発の目玉となる施設だ。

 デジタルサイネージも落ち着いた感じで、控えめの配置され、その施設の東側コンコースの中央にランドマークとして白い螺旋の塔が立てられていた。 

 高い吹き抜けの空へ、天に届くようにと伸びていた。

 その白い塔の質感はとても柔らかく生物のように感じられた。

 塔の元には、季節の花々がいけられている。

 ”エスピラール(再生の塔) 白羽真琴作”と、ネームプレートに刻まれていた。

 様々な人たちがここで出会い、未来をつくるのだろう。

 そんな思いが感じられる場所だった。


 真琴は、再びエレベーターに乗り、三階のギャラリーへと向かっていた。

 明日から開催される真琴の個展会場に向かっていた。

 最終チェックをするためだ。

 会場の入口、人の導線、車椅子や子どもたちが楽しめるようになっているだろうか。

 真琴は、小さなことまでチェックを入れる。 

 入口の全体を見るために向いのベンチへと向かった。

 

 入口から目を離さずに後ずさりするようにベンチに向かった。

 清掃員のお爺さんに目が合った。

「いい絵だ。見てみなよ」

「ああ、見てみるよ」と、声を交わした。

 その時、真琴の足に小さな女の子がぶつかった。

 母親がすみませんと頭を下げた。大丈夫ですと真琴が微笑んで返しベンチに座った。

 真琴は、そのまま母子を見送る。

「お母さん、これからどこへ行くの?」

「”ドウルケ”というケーキ屋さんよ。誕生日ケーキを取りに行くの。イチゴのケーキよ。あなたが生まれた日、お祝いするの」

 母は、しゃがみ女の子の目を見つめた。

「おいわい?」

「そう、お祝い。お父さんと一緒に食べようね」

「わかった、おいわい、おいわい」

 女の子はスキップを踏んでいる。

 その微笑ましい光景は、真琴の頬を緩ませた。

 

 真琴は、ギャラリーの入口に目を向けた。

 改めて個展を開けるようになったんだと思った。

 小さなころから、絵が好きだった。

 絵が好きになったのは、「絵がうまいね」って言ってくれたから。

 絵を描くことが生きることに必要ないとか、絵は、テスト問題に出ないとか、訳の分からないことを言われたけど、辞めなかった。

 人が何を言おうが関係ない。絵を描くのが好きなら続ければいい。と、言ってくれる友だちが居たから。

 友だちが居てくれたから、続けられた。そして、個展が開けるようにまで成った。

 友だち。あの二人が居てくれたから。

  

「お・じ・さ・ん」

 そこに、現れたのは、いとこだった。

 何でも興味があって、好奇心旺盛なアリスの年頃、高校一年生。

 真琴には、眩しく感じられた。

 彼女の体の輪郭にモヤっとしたモノが見える。

 きっと、オーラってやつだ。エネルギーが満ち溢れている。

「おじさんって言うな」

 真琴が、ムキになって答える。

「じゃ、何て?」

「お、お、お兄さんとか……」

「だって、私のおじさんでしょ」

「まぁ、そうだけど……」

 いつも茶化されるとわかっているし、この年頃の娘に会話で勝てるはずもないので返事は止めた。

「おじさんの個展、観に来たよ」

「ありがと」

 彼女は、ギャラリーの入口を見る。

「心が揺さぶられるって感じ。なんか、生きてるって感じ。新鮮って感じ」

"感じ”が並ぶとうれしくなって口角が緩む。

「良かった、何か感じてくれたんだ」

 彼女は、真琴が持っていたクロッキー帳を覗き込んだ。

「へぇー、うまいじゃん」

 真琴からクロッキー帳を取り上げるとパラパラとめっくた。


「うまいじゃん、画家になれるよ」

<誰?>

 真琴の頭の中に声が響いた。その時の映像が流れる。

 前にもこの光景を見た。デジャヴか?

「うまいじゃん、画家になれるよ」女の子の声。

「画家って……、ただのクロッキーだし……」真琴は答える。

「応援してっからさ」と、真琴にクロッキー帳を渡した。

 いたずらっぽく笑っている。懐かしい顔。

 絢音だ。

 あれから、もう十五年も経った。

 絢音……、僕は画家になったよ。

 

「きみぃ、持ってるねぇ」真琴は、彼女の声に我に戻った。

 彼女は、私にクロッキー帳をハイと差し出した。

「持ってる?」真琴は、彼女の言葉を聞き直す。

「おじさんは、みんなが欲しがっているアレを持っているってこと」

「アレ?」

「私も持てるよ、アレ」彼女は、言い切った。

 

 真琴は、思い出した様にカバンからダブルクリップに挟まれた用紙を取り出した。

「ああ、これ」彼女に手渡した。

「読んでくれたの?ありがと。ねぇ、どうだった?」

「良かったよ、投稿してごらんよ。この小説。よくこんなこと考えつくね」

 彼女は、受け取って、微笑みながら自分のカバンの中にしまった。

「ここに入ってたの」と自分の頭を指さした。

 

 彼女の目が、耳が何かを探している。

 急に通路の手すりに身を乗り出し、アトリームを見渡した。

「あっ、危ないよ」真琴の注意も聞こえていないように。

 彼女の目が留まった。彼女は瞬きもせずに一点を見つめていた。

 そう、ロックオンだ。

 眼の先には、クリスマスツリー。

「あそこだ!」彼女の指を刺したところを見た。

 ツリーの下に置かれたピアノの前に誰か立っていた。

「ピアノか……」

 真琴は、遠い記憶を探る。

「月の光?……あのひと……」

 彼女のノイズキャンセリング機能は、そのピアノの音だけをチョイスしていた。

 ピアノの前には、ひときわ目立つ長身の男がいた。

 その男は、ピアノを弾き終わると周りを見渡していた。何かを探すように。

「行くよ、あそこに」

 真琴は、彼女に手を引かれ、エレベーターに乗った。

 その男は、こちらに気づいたようにエレベーターをずーっと見つめていた。

 エレベータが一階に着き、ドアが開く。

 真琴たちは、その男の方に向いて立ち止まる。

 彼女は、一歩前に出て立ち止まり、男を見つめた。

 男は、カツカツカツっと靴を鳴らして、彼女に近づいてきた。

 彼女の前に立つと、顔を覗き込んだ。

 彼女の顎を右手でくいっと上げ、顔を見つめる。

「見・つ・け・た」と、言って彼女を抱きしめた。

 周りの女性たちの視線が向けられ声が漏れる。

「えっ」と、小さな悲鳴を上げる。

 何かに気づいのか彼女は、彼の顔を見上げる。

 そして、じっと身を任せた。


 真琴の頭の中に蓮華花が野原一面に咲き渡っている風景が浮かんだ。

 前に見たことがある風景だ。

 真琴は、この二人を見守っていた。

 心の底から沸き起こってくる喜びを感じていた。

 真琴は、この名前も知らない男を知っている。

 この二人の事も。

 ずーっと前から、知っていると感じていた。


 ほんの小さな僕らの言動や行動が遥か遠くの誰かに影響を与えるかもしれない。

 あなたが何気なく発した言葉や行動や落書きや作品や研究成果が、他の者に影響を与える。

 それが何かしらのキッカケになって、創造の起爆剤となり次々と連鎖的に覚醒するかも知れない。

 誰にも見えないような小さなことが大きな未来を広げていく。

 バタフライエフェクトのように……。

 その”バタフライエフェクト”の一翼を担ったのは、あなたの頭の中にある宇宙から零れ落ちた小さな欠片かもしれないのだ。

 その言動や行動は、最初から、あなたの頭の中に入っている。

 そう思わないかい。

 そして、何年か何十年か後に、人類の進化をもたらすことを信じよう。

 全ては、偶然ではなく必然であるのだ。


 そうだよ、

 君の頭の中にも宇宙が入っているんだ。

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君の頭の中にも宇宙が入っているんだ リュウ @ryu_labo

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