恋よりも恋に近しい
湊咍人
伸ばした手は切るだけ
一枚の写真。それを取り囲む、無数のメモ用紙。無秩序に敷き詰められたそれらは、細かな字でびっしりと埋め尽くされていた。
私は、写真の男性に恋をしている。そう言っても過言ではないだろう。
寝ても覚めても。食事中も入浴中も。私は彼の事ばかり考えている。
毎日のように彼の姿を追いかけ、その動作の一つ一つを目に焼き付け、今日もメモ用紙に書き足してゆくのだ。
彼はいつ目覚めるのだろうか。朝食のメニューは?
彼はいつ家を出るのだろうか。駅への道のりは?
彼はいつ家に帰るのだろうか。スーパーでの買い出しは?
どんな些細な事も見落とさないよう、私は盲目的なまでに彼を凝視する。
彼のルーティーン、生活習慣、動きの癖、私と彼しか知り得ない秘密が増える度に、彼の知らない彼が増えて彼を磨り潰すだろう。
ほら、うしろ。
◆
「はぁ......」
月曜日の夜。自分が勤めている会社は良心的なことに、最も陰鬱な気分にならざるを得ない曜日は確実に定時で帰宅することができるシステムをとっている。
とはいえ、ものぐさな自分は休日に買い出しに行くほど勤勉ではない。丸ごと趣味に費やし、食材や生活必需品の購入は後回しにしてしまう。
つまり、定時での帰宅が保証されている月曜日に買いに行くのだ。
気に入っているスーパー。魚の鮮度に難があるが、肉は新鮮なうえに安い。その上、密かに狙っている店員が居るので必然的にそちらに向かうことになる。家から徒歩圏内であり、電車による帰宅から直接向かう事ができる点も理由の一つであった。
毎日一缶は空ける缶ビール。近所の農家が作ったらしい大ぶりな野菜。それらを頑丈なマイバックにつめ、両手にぶら下げて店を出る。そうして数分歩いた先、近道である舗装されていない道の中頃に差し掛かった時だった。
カサリと、すぐ後ろで足音がした。いくつかの疑問が浮かぶ。
何故、青々とした雑草が生い茂るはずのこの道で乾燥した足音が聞こえたのか。
何故、誰もいなかったはずの背後に人がいるのか。
それらの疑問への返答は、非常にシンプルであった。
季節外れの冷たい風が、喉を撫でる。
「......ッ!!」
声が、出ない。一拍おいて、声の代わりに熱を吐き出した。溶けた鉄でも流し込まれているような苦痛と共に、命を零しながら「犯人」へと目を向けた。
男にしては華奢で小柄───いや、女か?右手にぶら下げられたナイフが凶器だろうか?足音の原因は───藁?なんでこんなものが───
伸ばした手は届かない。自分の首を掻き切った、目の前の人物とは対照的に、空しく空を切る事しかできない。
そして死んだ。
◆
伸ばした手は届かないまま、体に引きずられるように地面へと力なく落下した。
ハイドレーションから、ガソリンを垂らす。自分の足跡や生理的痕跡が残る表層部分は藁で覆われており、遺体ごと軽く燃やしてやれば証拠の隠滅など容易い。
リスが描かれた箱からマッチを取り出す。色褪せた箱の側面に軽く走らせ、そよ風に押し流されそうなか弱い炎が生み出される。
ナイフは手作り。ガソリンもマッチも靴も、古すぎて特定は不可能。痕跡は焼滅、死角を通ってきた為防犯カメラも意味を成さず、人通りが多すぎるがゆえに目撃証言などできない。
彼は毎週月曜日と木曜日に、このスーパーで買い物をする。月曜日は、缶ビールを一箱購入するため、確実に両手が塞がる。
近道である、空き家の庭。標的の男は近所付き合いが希薄であるため届いていないだろうが、浮浪者が住み着いているという噂を流しておいた。それだけで近隣住民は近づかなくなる。
あとは植木鉢の位置を少しずつ動かし、違和感を持たれないように死角を作る。そこまで仕込みを済ませれば、後は簡単なお仕事だ。
極至近距離から頸動脈を切断され、両手が重い荷物で塞がっているため咄嗟の対処、反撃は困難。助けを呼ぶこともできず、まともに動けなくなるまで数秒待つだけ。準備が万全であれば、それだけ「仕事」は楽になる。
自前で死体処理できるほどの資金力、組織力はないため丁寧に計画を立て、徹底的に証拠を抹消して逃げる。字面は悪いが、これが最善手なのだ。
これもまた、仕事。生きる為に他の生物を害するのは仕方のないこと。
そう言い聞かせ、マッチを放り投げた。
「......さようなら」
なぜ、それを
或いは、私は本当に恋をしているのかもしれない。
そして、私は明日も新しい恋をするのだろう。
恋よりも恋に近しい、そんな何かを。
恋よりも恋に近しい 湊咍人 @nukegara5111
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