音無と牙粗

夜な夜な異形たちが徘徊する黒鋼市。暗い夜道に若い娘が歩いていようならば、どこかともなく現れた異形にぺろりんと食べられてしまうだろ。今宵の夜は、何人が消えてしまうのだろうか。

とある事務所の休憩室にて、黒髪の青年の前にじっと見つめるサングラスをかけた青い髪をした女が座っていた。緊張と不安が青年の身体を駆け巡り、額から汗が流れ落ちる。

「えー……」

申しわけそうに堅い口を開ける。

「俺、なにかしたのでしょうか…」

サングラスをかけた青い髪をした女はじっとこちらを睨みつけるようにしながらイヤホンで音楽を聴いていた。しばしの沈黙とイヤホンから流れる曲だけがこの場の空気が張りつめる。

「今宵の夜、ガアラを倒したと聞いておる。急なこととはいえ、新参者をなにも訓練せず送り込んだ部下どもがとんだご迷惑をかけた」

詫びているというより強い口調で空気をさらに震わせる。

「この度は深く申し上げる。口外無用の条件として忘れ去られよう。封筒がはちきれんばかりの札束とともに今日を迎え、明日以降は別の仕事を探すとよいだろう」

テーブルの上に差し出されたのは封筒。中身は一万円札が百枚以上入っている。本物か偽物か鑑定士じゃないから分からないが、目の前にいる女がはっきりといっている辺り本物なのだろう。気迫が本物だから。

「封筒を手に、受理したと認める。すなわち、忘れる共にこの世界のことは夢物語として記憶の霧に消え去るであろう」

物々しい喋り方に比守は封筒を手にすることをためらう。

「これは受け取れん」

「なぜ拒否する? これは謝礼だ。受け取る価値がある」

「断固として拒否します。こんな大金、訳が分からないまま受け取れません! それに、昨日のことまだ説明を聞いていません! 何も知らないまま忘れたくありません!」

蒼い髪をした女はサングラスを外しこう述べた。

「知らぬが仏。では説明しよう。昨日、白銀たちが言っておったガアラについてだ。牙(きば)に粗(あら)を組み合わせて牙粗(があら)と我らは呼ぶ。外見は犬または魚。姿は様々。空中飛行から地上徘徊、水深移動と環境と場所によりけり姿を変える。牙粗(があら)は頭部がなく長い舌を使って獲物を掴み食う。カエルやトカゲのようなものだ。舌を器用に使って獲物を捕らえるのだ。一瞬の速さだ。目にも止まらない速さだ。捕まったら舌を切り落とすか心臓を滅するほか助からない。ひとつ質問する。白銀や黒光を見て、どう思った。対応は充分だったか?」

「目にも止まらない速さでした。瞬きをする暇なく消えていました」

「ふむ。二人は熟練だ。攻撃する隙を与えずに倒すとはようやりおる。よし、ふたつめの質問だ。今のお主は牙粗(があら)を倒せると思うか?」

「いえ、無理です。俺が二人みたいな力を持っていたとしても勝てる自信はありません」

「過小評価か。まあ、そうだろうな。たとえ十人に分裂したであろうとも一瞬で飲み込まれてしまうだろうな。最後の質問だ。お主から見て我々は異常に見えるか? もしくは異形に見えるか?」

背中に冷たい氷を入れられたような悪寒が走った。唇が震え顎に力が入らない。張りつめた空気が一気に冷凍庫の中に閉じ込められたかのようだ。

「い、いえ……人間(ヒト)……です。異形でも化け物でもありません。命が散っても断言できます。あなたたちはあの世界の異形とは違うと断言ができます。これは本心です」

青い髪の女はサングラスをかけた。

「音無(おとなし)だ」

「はい?」

「我の名だ。偽名だがな、みんなからは音無と呼ばれておる。イヤホンにサングラス、これは我が音無と呼ばれるきっかけとなったものだ。ああ、それと黒光や白銀も偽名だ。本名で入ってきたのはお主ぐらいだ。いやーすまんなー脅すように言えと白銀に言われてなー。いやーすまんかったー」

空気が軽くなったと同時に音無はまるで気が抜けたかのような間抜け面をしながらサングラスを外した。目の色はこのとき初めて見てびっくりしたがすぐに普通だと気にしなくなった。音無の目はガラスのように透き通った水晶だった。瞳は黒く塗られているだけで目の奥はなにもない。まるでマネキンと会話をしているみたいだ。

『異形に見えるか?』

あの時の会話は冗談ではなかったというわけだ。

「では、参ろうか」

「ど、どこにですか!?」

音無は扉の取っ手に手を置き、「今日は白銀が留守だ。黒光がひとりで牙粗(があら)をせん滅している。その様子を見に行こう」カッカッカと笑いながら比守の手を無理に引っ張る。

(すごい力だ。)

「待ってください、俺、戦えません!」

「大丈夫だ。遠くで観察するだけだ。なにも戦場に丸裸で出ろという話じゃない。今日は、お主の力を見たいし、黒光の働きぶりも見たいし、ちょっとした我が儘だ。付き合え」

抗うことさえできないまま扉の中へと吸い込まれていった。


***

満月が昇る真夜中の黒鋼市。繁華街で一人の乱暴者が暴れまわっていた。

「なんつー数だよ! 一人でせん滅城だと!? どんだけブラック企業だよ!! ぜってー辞めてやる! 野郎が土下座しようが首を切ろうが関係ねぇ! 絶対辞表を叩きつけてやる!!」

荒々しく闘犬のように汚い言葉を吐き続けている黒光繭美が一人で牙粗をせん滅していた。

ビルの屋上に到着し、繁華街を品定めるよう見下ろす。

「やれやれ黒光の本性が駄々洩れだ」

不満を吐き散らかすように牙粗が一瞬の速さで消えていく。

「黒光は人見知りで照れ屋だと白銀が説明していたであろうが、孤独になると本性が変わるのだよ。黒光は二重人格者だ。生まれながらにして異形と人間の血が混じっていた。異形の血を浴びるほど彼女は喜び、孤独ほど彼女は口が荒くなる。黒光は一人の方が仕事は熱心だ。だが、油断も多くなる。視野が狭くなる。別のことを考える癖があるためか、集中が途切れる」

牙粗が黒光に向かって集中攻撃をしだした。次から次へと飛び交う猛襲に黒光はなすすべなく翻弄されている。

「助けないと!」

「止めておけ。これは試練だ。黒光は一人ほど強くなるが視野が狭くなる。この期に直ってくれるとくれるといいのだが…あ、おいっ!」

一人かけ走るかのように比守はビルの非常階段を駆け下り、そしてビルの外に飛び出た。

「ひとりで行ってなにになる。たくー世話がやける」

音無はビルの屋上から飛び降りる。手のひらからクラゲを召喚し、それに乗って滑空しながら比守の後を追う。

「黒光さん!」

「あっ! あー……」

比守を見るなり、急に大人しくなった。もう一人の人格と変わったみたいだ。

そのとき、牙粗が黒光に向かって隙をついた。宙へ吹き飛び、電柱に激突。道なりに合った電柱が折れ、電線がぶら下がり状態となり非常に危ない状態となった。

「比守!!」

比守に向かって牙粗が長い舌で捉えた。瞬きをする暇もなく胴体をひしゃげた。当たりは血肉と赤い水たまりができた。比守だったものはそこにはなかった。

電柱をどかしながら黒光は立ち上がるがふらふらと足通りは悪い。ぐんにゃりと視界がぼやける。どうやら頭をうったらしい。

「な、なに…が…そうか、いま……てた」

記憶がうっすらと薄れ、その場に倒れこんだ。牙粗が猛襲といわんばかりに二人に向かって攻め立てる。

「この時は、まだ速い。”時間を停止することを命ずる”」

ゴーン、ゴーンと鐘の音が鳴る。どこからともなく聞こえる鐘の音。その音だけがわずかに聞こえ、比守と黒光は意識を取り戻したが、「案ずるな。この件はお預けだ」音無は指を弾き、三人は元の表世界へと帰還した。

「この時は、まだ速い。”時間を戻すことを命ずる”」

黒光と比守の体をさすりながら再びゴーンゴーンと鐘の音がなる。それと同時に二人の肉体は平常だったころに逆戻りする。

音無の能力は時間を制する能力をもつ。”時間を〇〇することを命ずる”と制限することで鐘の音とともに能力が発動する。この能力によりバラバラに引き裂かれた比守と複雑骨折の重傷を負った黒光の傷を受ける前に戻したのだ。

「白銀、あとの掃除は任せたぞ」

「御意」

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迷い都~清葬屋~ 黒白 黎 @KurosihiroRei

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