第498話
燭台の灯りが揺らめく。電気が通っていないわけでは無い、趣味の範疇だ。
「夫が働いているのにどうして先に休めましょう」
こんな時間に食事をするのはかえって体に良くない。暖かいココアを差し出す、彼はそれを受け取った。
「明日からは寝ていて構わんぞ」
休むななどとは言わない、遅くなるのは己の未熟だと考えている。それに自身の面倒くらい自分でみれた。
「フォートスターへ品を引こうとするから苦しいのでしょう」
彼女はどうやら解決しなかったというのを感じ、前後の会話を無視して唐突に言う。ブッフバルト少佐はカップをテーブルに置いて意味を探る。
「どういうことだ」
マケンガ大佐のように人を減らせということなのだろうか、少し考えるが靄がかかったように思考がまとまらない。
「例えばです、このココアの価格がドライだとしましょう」
ドイツ語の三、単位は重要ではない。ブッフバルト少佐が頷く。
「どこかでゼクスで買う客が居たら、商人はどうするでしょうか」
六。倍額で売れるならそうしたいと考えるだろう。次に問題になるのはその条件だ。どこで、誰が、いくつをどうやって?
彼女が何を言いたいかを理解する。そしてそれを実現するために必要なことが何かも。
「それはきっと周辺の住民に多大な迷惑をかけるだろう」
「いかがでしょう。これを機会と捉える者も多いと思いますわよ」
自信満々の微笑みを向けられてしまう。自分の常識がルワンダでは非常識だということを先ほど体験したばかりだ、判断の基準を間違っているのかと揺らいでしまう。
「……物資の統制は社会的な危険を煽るだろう」
「先ごろ首都で警戒の訓練が行われましたわね。何事もないのにそのようなことを今するでしょうか」
キガリで何かが起ころうとしている、それはブッフバルト少佐にも解っていた。いつになるかわは解らないが、近いうちに騒動が勃発する。
「……男は馬鹿だな、いつもこうやって女に助けられる」
肩の力を抜いて彼女の言を受け入れる。何でもかんでも全てが上手く収まるわけがないのだ。
「ワタクシはあなたの妻です。もう、一人で戦っているなどとお考えにならないでくださいませ」
恋愛を経ずして夫婦になった二人、家柄や背景でのみ繋がっていた時期が終わる。深いところで心が触れ合った。
「ああ、俺は最高の妻を得られて嬉しいよ。手配の為に戻る必要が出来た」
今できることを明日に延ばす、それをよしとしない性格なのだ。たったの数時間、それを前倒しするために自らを犠牲にする。クリスティーヌはそんなクレメンスが頼もしく思えた、同時に自らが支えたいと感じた。
「草案ですけれどここにまとめてありますわ」
三種類に分けられた書類をテーブルへ置いた。立ち上がろうとした彼はもう一度座り直し書類に目を通す。目を瞑り一つ息を吐いた。
「ヴァンダバール! 君には敵いそうもない」
内容を称賛し降伏する。
「お手伝いをしただけです。決めるのも、行うのもあなたですわ。今日はゆっくりとお休みくださいませ」
優しい微笑みを向けられ、彼は素直に承知するのであった。
◇
カガメ大統領が反政府勢力の代表と調停を行う日がやって来た。理事のタンザニア人、彼は国連の会議があるので参加出来ないと通知があった。
――おいおい、そういう態度はないだろう。だがこれで何かが起きることがよーくわかったよ。
会場はキガリ市内の某地、市街地は警察が、郊外については首都の警備軍が警戒に入る。大統領そのものの護衛は専門の部隊があるので警察はその周囲を守っている。
「ボス、各位待機中です」
「そうか」
ホテル・キガリでいつものように仮司令部に詰めていた。サルミエ大尉の他にバスター大尉、レオポルド少尉、サイード少尉が控えている。部屋の隅にはオルダ大尉がエーン中佐の代わりに一人で警戒を引き受けていた。
階下にはモディ中佐とニャンザ警視正も待機しており、兵もホテルの外に招集してあった。
――フォートスターでブッフバルトも良くやってくれている。あいつはマケンガ大佐の発案か?
指定の品を公募するという宣伝が行われていた。数量は問わずその場で現金で買い取る、それも破格でだ。
近隣から指定の品が消滅した。住民がこぞって売りに来たからだ、中には隣町に買い付けに行き多数持参してくる者も居た。
バランスが悪くなるが、輸送団が未着でも保有物資が増加していく結果を導き出せた。代償は経済的な負担と住民の不都合。だが日銭を稼ぐことが出来る宣言は概ね好意的に受け入れられた。
「調停会談が始まりました」
反政府勢力とは言うが、ルワンダ過疎地の住民でしかない。これも誰かの手駒なのは間違いなさそうだ。つまりは大統領の身柄をここに釘付けにする、それが目的ということだ。
キガリに居るクァトロは二十名、忠誠度だけは絶対の集団である。オルダが率いるアヌンバ=プレトリアス親衛隊、レバノンプレトリアス親衛隊、数十も決して裏切ることは無い。
――四方から敵が押し寄せてくるだろうな。そして地方軍は救援に駆け付けることは無い。
アフリカにおけるクーデターは日常茶飯事。権力者を何とか助けたとしても側近が側近であることに変わりはない。
逆にトップが倒れたら、兵を握っている地方司令官は待遇を一変することが出来た。新たな権力者を支持するだけで、だ。
そういう意味でブニェニェジ少将は特別だ。首都防衛司令官、責任を引き受けて処分されてしまう人物の頂点でもある。
騒動を起こそうとしているやつらから見て、島はどのように映っているだろうか。
サルミエ大尉の携帯が鳴った。芳しくない報告だったのだろう、あからさまに表情が曇る。
「ボス、フォートスターです。城内で倉庫に放火、住民の一部が反乱を起こしました。近隣から敵がやって来て現在交戦中です」
「解った」
――何とか自力で堪えてくれよ!
組織を支える重要人物らを考えればすぐにでもフォートスターに戻りたかった。だがここでそんな陽動に乗るわけには行かない。
次いでキガリ州の四方でも交戦が始まったと報告が上がって来る。ブニェニェジ少将が顔色を変えて防衛を指揮しているだろう。
「閣下、テレビでも各地の暴動がニュースになっております」
バスター大尉が情報収集の見地からそれらを具に見る。生のニュースだ、事実を偏向する余地はない。
――政府に不満があるというよりは、踊らされている感じがするな。だが現場にいたらそんなことは解らんだろう。
事実として暴動が起きている、それだけが国内に響き渡る。動揺した警察が本庁に連絡を入れてきているが、いちいち相手にしていられないので適宜対応せよとしか言わない。
島の衛星携帯が鳴る。それを利用するということは緊急事態だ。
「俺だ」
「ボス、反政府勢力の元締めの目安がつきやした」
「誰だ」
「ポニョ首相でさぁ」
「あいつか! そうか……」
「会談の偽情報を流した奴はGと呼ばれているとしか」
「どこの勢力かわかるか?」
「どうもルワンダ政府内の誰かって感じまでしか……すいやせん」
「いやご苦労だ。いつも助かる、ありがとうコロラド」
「へっへっへ。もう少し探してみますんで」
照れた笑いを残して通話が切られる。いつもどうやって情報を集めてきているのか、常に正確だった。
――コンゴがルワンダを転覆させようとしている。首班がポニョ首相であって、カビラ大統領は不知な場合もあるな。
島のルワンダ入りを阻止しようとタンガニーカ湖で軍を差し向けてきた前科もある、完全に奴が敵ということは変わりがないだろう。
意外と数が多かったのだろうか、四方の防衛に増援が送られた。首都防衛軍の鍵である機甲部隊を残して多くが出払ってしまう。危険水域に踏み込んでいた、今市内で不意に敵が出現したら情勢は一気に傾いてしまう。
「モディ中佐に命令だ、部隊の半数で市内巡回警備を実施させろ」
「ウィ ボス」
サルミエ大尉が命令を復唱し、すぐに中佐へ伝える。この時の為に島は首都で勢力を張っていた、躊躇してはいけない。
「ニャンザ警察補佐官へ命令を。AFP通信局へ部隊を派遣、防衛に従事させるんだ。空港へも送れ」
それで殆ど警察部隊はすっからかんになる。もし攻撃を受ければ増援が来るまで耐えるようにと訓示を与えて出撃させた。
――どこに現れる、狙いが大統領なのは決まっているが、陽動は絶対にある。
体制側の秩序を乱さなければクーデターなど成功しない。まだもう一手足りない、どこかに揺さぶりをかけてくるはずなのだ。
「カキィル地区に正体不明の一団が出現しました!」
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